XT. 冷たい火傷






混じり気のない色と色を重ねて
恋人たちは世界をつくる

例えば君と僕は
青と赤
それだけでもよかったのに

もうひとつの並行世界は
恋人たちを放っておかない

極彩色に色相や明暗が合わさり
限りない発色で他人に干渉されれば

君と僕は
完璧な色にはなれない

君と僕は
青と赤
それだけでもよかったのに





撒かれた種子は土に眠る。種子から芽を出し萌ゆる茎。葉を広げ色を濃くする。太く深く根を下げ幹を上げ枝を伸ばす。枝は分かれ大きく手を差し出せば、無数の花を咲かせて実を成らす。実はやがて熟する、君に頬張ってもらうために。


僕の感情は、森羅万象の如く時を数えて枝を拡げた。赤子が周りのものを真似て成長する様に、その足で立ち上がり歩いてゆく。その先に何が待っているかも知らずに、君が居てくれたらと思い歩いてゆく。ふと足を止めて胸に手を当てれば、生温かい水気を含んだイデアが、耐え切れずに雫を垂らす。響く波紋に身じろぐと、僕は限りなくヒトに近かった。けれど…




『僕はヒトにはなれないよ。』





瞬かせた睫毛はまだぶら下がったまま、噤んだ唇は張り付いたまま、君に触れたーーー






ーーー転校生
それは多感な中学生の心の扉を容赦無く叩く言葉。誰もが期待する出会いの予感。大抵の現状は、それは期待に添わずに泡のように弾けて消えるけれど、今日の二年A組の教室は、違った。

夏休み明けの寝ぼけ眼を鮮烈に夢の名残から呼び覚ます光を纏った転校生。眩しくて潰れる目を顰める男子と、眩しさへ羨望に色づき目を輝かせる女子。息を呑む、囁き合う、秘密裏なさざ波に、唯一その反応は予想通りだと胸を擽られる少年がひとり、彼を見やった。目を細めて人知れず照れ笑いを浮かべると、転校生も同じように慎ましく彼だけに微笑みを浮かべた。


ーなんか、むず痒い感じだな。やっぱそうだよね。みんな、カヲル君には圧倒されるよね。僕だけじゃないよね…

すん、とひとひらの寂しさが少年の胸を掠めたけれど、これからの学校生活への期待の方が胸を締め上げた。

今日は渚カヲルの転校初日。碇シンジのクラスへと一つ年上の彼が配されたのは、きっと彼の計らい。それすら期待通りだったことはシンジに自分のあざとさを自覚させた。



『ねえ、カヲル君。』

『なんだい?シンジ君。』

『学校では僕たちのこと、内緒にしよう。』

『…どうして?』

『だって、エヴァのパイロットってだけで、僕ですら注目されるんだ。カヲル君は絶対学校一注目されるし、僕と恋人だとか言ったら普通の学校生活を送れなくなっちゃうよ。』

『どうして僕は学校一注目されるんだい?』

『…だって、カヲル君は…すごくかっこいいから…みんな見惚れちゃうよ。』

『シンジ君は僕の事、そう思ってくれてるのかい?』


ー自覚なし、か…

この後僕はカヲル君のかっこよさを力説したら、カヲル君は僕に褒められて嬉しいと僕の手に彼のを重ねて、もう一度言って、と囁いた。カヲル君はすごくかっこいい、と言ったら僕の唇を啄ばんで、蕩けた笑顔になる。それからもっと違うものを強請られそうだったから、僕は話が逸れる前にこの関係をふたりの秘密にする約束をどうにかして取り付けた。彼は寂しそうに渋々了承し、その代わりとでもいうように熱く深く唇を重ねた。僕の両肩に添えられた彼の指に力がこもると、僕の胸も柔い棘に突かれてちくっと痛んだ。



それは昨夜のこと。カヲルはヒト非ざる者故にまだらに独創的な見解を並べる。興味があることーーつまり碇シンジの事、に対しては執着激しく心を揺さぶり造詣を深めるが、それ以外ーー例えば他者から見られる自分の事、に対しては極端に疎く客観性が欠落している、と思わざるを得ないのだ。そのことをシンジは内心ひやひやしながらも、愛おしくも思っている。


転校生の挨拶が済むとカヲルはシンジに小さく手を振る。指先だけのそれは暗号のように響きシンジの心をノックする。シンジも小さく指先で返事をした。

席はシンジの右二つ後ろ。席に着くまでの動線でカヲルはさりげなくシンジの肩に指を滑らせた。びくっと心臓が跳ねたのを誰にも気づかれないよう注意深く犯人を横目で振り返ると、悪戯を仕掛けた子供のようにほんのりふやけて自分を見つめて微笑むとびきり綺麗な恋人が居るから、もう堪らなくて真っ赤に茹で上がった耳を隠して机に突っ伏した。


一限目の終了を告げるチャイムが学内にこだますると、教師は緩く授業を切り上げそそくさとドアを閉めて退室した。そのストンと軋む音を合図にクラスメイトたちは様々な思惑でカヲルに群がっていた。

「モテモテだなあ、転校生。」

ケンスケはいつの間にかシンジの目の前の椅子に腰を下ろしていた。その椅子の持ち主は只今転校生に絶賛アピール中である。

「なんや、あの漫画から出てきたような風貌は。いけすかんな。」

「大丈夫だよ。敵視しなくても僕らは既に負けている。」

「なんやそれ。どういう意味や。」

「ロミオマストダイ、だけどロミオはロミオ。脇役はお呼びじゃないってことさ。」

要点の掴みづらいケンスケの語録に辟易したトウジの背後から仁王立ちのジュリエット…とはかけ離れたアスカが意味ありげに鼻を鳴らした。

「アイツ、フィフス・チルドレンよ。」

「え?エヴァのパイロットなのか?」

ケンスケの眼鏡が鋭く光った。

「そうよ、アイツ、ネルフの資料で見たわ。新しいパイロットはどんな奴かと思って見たら、王子様みたいな気持ち悪〜い顔してたから、笑っちゃったわ。」

「そんなこと言うなよ、アスカ。」

どうカヲルのことを知り合いだと話そうか黙って聞いていたら強烈な嫌味を放たれたので、シンジはついかっとなってしまった。

「はあ?なんでアンタがムキになってんのよ?」

「相手のこと、知りもしないで気持ち悪いとか言って、ひどいじゃないか。」

普段より語気を強めて怒るシンジの様子が予想外で困惑したアスカはほんのり顔にピンクが差す。

「気持ち悪いから気持ち悪いって言ってんのよ。アンタばかぁ?シンジのくせに生意気言ってんじゃないわよ!」

シンジが応戦する前に間を割って…

「ま〜た夫婦喧嘩かいな。本日もアツアツなやぁ。」

と声高らかにトウジが揶揄う言葉が教室の空気を震わせて、周囲はどっと沸いた。

「夫婦喧嘩じゃない!」

とシンジとアスカが放った言葉が見事に重なってしまい、クラスメイトが指笛まで使い出しヒューヒューと野次を飛ばした。

一連の喧騒の中、ガタッと大きな音を立てて椅子が床を擦る。その音の先を振り向くと、カヲルがシンジを見つめていた。取り囲むクラスメイトの頭越しにシンジを見つめる紅い瞳は何処か危ない輝きを放っていた。シンジがその意思を探る間もなく二限目をチャイムが告げて、教室内の流れは変わる。教師の登場に仕方なくシンジは椅子に座った。カヲルの様子に後ろ髪を引かれたが、振り向く勇気がない。左後ろのケンスケがシンジの肩を突ついて教師が背を向けた隙に身を乗り出して耳元で囁いた。

「転校生、お前のことずっと見てるぞ。」

どきっと胸を刺す指摘におそるおそる右後ろを振り返ると、頬杖を突いて首を気怠く傾けて自分を見つめる綺麗な転校生、シンジの密かな恋人。何か物言いたげな表情で唇を結び瞳には冷気が漂う。

ーカヲル君…怒ってる?

普段自分に向けられるそれとは違う趣きに胸が軋んだ。吸い込まれそうな空気に抗い前を振り向いて、思案した。

ーいったい、どれを怒ってるのかな?

カヲル君に沸き立つクラスメイト?
アスカの吐いた暴言?
僕とアスカをからかった野次?

背後からの視線に背中がひやひやと染みるのを感じながら、二限目の授業はシンジの耳に右から入り左へと抜けていった。


二限目の終了を告げるチャイムがこだまして、教師がドアを閉める音を教室に落とすと同時に頭上から言葉が降ってきた。

「シンジ君…」

あまりに突発的に鼓膜を揺らした声に驚いたシンジは机を軋ませて彼を見上げた。

「カ、カヲル君!」

カヲルはその声にうっとりと微笑む。見つめる紅い瞳は世界には目の前の君しかいないとでも云うように盲目的に、指先は艶やかなシンジの黒い前髪を耳に掛けるように掠めた。
先程ケンスケがしたようにシンジの前の席を華麗に奪うと、机の上に無造作に置かれたシンジの手の甲を軽く撫でながら歌うように声を奏でた。

「今日は僕の為にお弁当を作ってきてくれたんだろう?」

優雅に流れるカヲルの動作に呆気に取られていたシンジが我に返る。少し間を空けて言葉を紡ぐ。

「うん…カヲル君のリクエスト通り、僕と同じ中身だけどね。」

「君とお揃いのが食べたかったのさ。嬉しいよ。早くお昼を一緒に食べたいね。」

そう言いながら指先はシンジの頬を滑った。紅い瞳を細めて幸せを噛み締めるように口角を上げて、掌で形を確かめるように愛おしそうに顔を撫でられて、シンジは気づく。ここは教室だ。

遅過ぎた目醒めに戦慄してシンジは目だけで辺りを見渡すと、静まり返ったクラスメイトが目を丸くして自分たちの方を向いている。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように息を潜めている。トウジやケンスケもだ。アスカが複雑な表情でこちらを睨んでいた。あんな顔は見たことがない。綾波はちらっとシンジを確認してから前を向き直した。停滞した空気は重く固まっていた。

いつの間にか机の上で互いの腕を重ねて自分の腕を摩っている彼の掌をやんわり避けて、机の下で腕を組んだ。

「どうしたんだい?」

カヲルは真意を分かり兼ねて、少し眉毛を下げてシンジの顔を覗き込む。その近さにはっと息を詰めて仰け反るように立ち上がった。不自然に下げられた椅子が後ろの机にぶつかり派手に音を立てるとシンジの膝も伸び悩んで無理な姿勢になる。よろけるシンジを支えようと立ち上がり乗り出して手を差し伸べると、カヲルはシンジの腰を抱いた。

「大丈夫かい?」

ふたりの距離の近さにクラスメイトの女子が小さく叫び声を漏らしたら三限目の開始をチャイムが教えた。まるでふたりを諌めるように。

教室はまるで何事も無かったかのように表面を取り繕うが、いつまでも睨み続けるアスカとたまに囁き合う微かな物音は何も無かった訳ではないと、無慈悲に告げる。



ーそうだ、僕はカヲル君に恋人同士なのは内緒にしようと約束したけれど、勘付かれないように振る舞おうとは言わなかったんだ。

真っ赤な耳を隠すように頭を抱えて項垂れる。突っ伏して、穴があったら入る時は今なんだと僕は悟る。

ー僕はバカだ。カヲル君はこういうことは説明しないとわからないのに…これじゃ完全に怪しまれる。それにアスカたちにだってまだカヲル君のことを僕が知ってることすら言ってなかったのに、どうしよう…なんて説明すればいいんだ…


僕は次の休み時間までに納得のいく説明を用意しようとしたが、動揺して頭が回らない。カヲル君とは僕らの過去の記憶はみんなには内緒にしようと話したことがあったけれど、それ以外の取り決めなんてない。死刑宣告が近づいている。


現実から逃避して、ふと、遠くを見てみる。窓には残暑の青空に、漏れ聞こえる全盛期を過ぎた蝉のわんわんと歪んだ鳴き声。飛行機雲が一筋を真っ直ぐに傾斜して、うっすらと浮かび上がる硝子に写る均等に並んだクラスメイトの横顔。見切れた校庭には駆け回る生徒のシルエットに砂埃。もったりとした空気は遮断されて空調が不穏な音を振動させる。不自然だけど、心地良い冷気。見慣れた教室に見慣れた黒板。汚れた黒板消しが教師のチョークの跡をぼかす。カチカチと支給のパソコンをタイプするキーボードのクリック音、クラスメイトの囁き声。それに、君。君の居る教室。


改めて噛み締めてみると幸せで泣きそうなそれは、君にも同じ感慨をもたらすのだろうか。



僕は、次の休み時間に獲物を捕獲する猛禽類のような素早さでカヲル君に耳打ちするとそそくさとふたりで教室を出た。人気のない非常階段の踊り場のまで駆けてゆく。次の授業までに時間がないから伝えることは決めていた。

「どうしたんだい?シンジ君。」

そう問いかける彼は何処となく嬉しそうだった。ふたりきりの逃避行といった雰囲気を楽しんでいる。ちくりと胸が痛む。

「あの、お願いがあるんだ…」

「なんだい?言ってごらん。」

距離を詰めて軽く抱くような仕草で囁く恋人に手をついて静止させる。

「僕たちが恋人だって内緒にしたいのは…みんなにバレたくないからなんだ。」

彼は小さく身じろぎ睫毛を揺らした。

「だから…学校にいる時は、その…友達として振る舞ってほしいんだ…」

「友達として?」

「そう、例えば僕がアスカやケンスケたちにしているように…」

彼の眉毛がぴくりと動く。

「僕達は恋人同士なのに?」

「そう…」

「もう友達同士ではないのに?」

「…そう」

カヲル君は小さく溜息を吐いた。僕は驚いた。伝えたらすぐに了承してくれると思っていたのに、僕に問う形だけれど明らかに不満で食い下がっていた。唇を結び小さく噛むのは、否定的な思案を伝えようか悩んでいるようで、瞬きが増して正面から逸らして揺れる瞳は悲しく小さく歪んでいる。どれもこれも隠しきれずに小さく表れている。僕はそんな彼を初めて見て胸が騒いだ。

「…その事は、帰ってから僕の家でゆっくり話し合わないかい?」

控えめに僕の頼みを拒絶したカヲル君は苦々しく微笑んでいた。そして僕の顔色を伺うように見つめる瞳や僕の手に絡めて力を込めた指先がまるで僕に許しを乞うように縋っているみたいで、僕は冷たい火傷を全身に感じて、静かに混乱した。

ー僕は知らず知らずのうちに、カヲル君なら何でも僕の願いを聞いてくれるって自惚れてたんだ。

まだ知らなかった彼の一面、そのふたりの間の微妙な変化が僕を焦らして、立ち竦んでいると、遠くからチャイムが反響した。だから僕らは慌てて教室に戻った。治らない火傷の痛みを抱えたまま。



事件が起きたのは昼休みのこと。僕はさっきからカヲル君の反撃について頭を悩ませて、苦しい胸でさっきの彼を抱き締めるように思い描いては、のぼせた頭で彼を慰めるような妄想をしていたから、迂闊にも昼休みの始まりはアスカに待ち伏せされてしまった。

僕の目の前で仁王立ちに腕まで三角に添えている。

「バカシンジ、アイツとお知り合いなわけ?」

ああやっぱりそうくるよね、と僕は胸の中で呟く。

「…うん。カヲル君は古くからの友達なんだ。言いそびれちゃって、ごめん。」

申し訳なさそうに彼女を見やると意外な所から声が飛んできた。

「君は何故シンジ君に突っ掛かるんだい?」

後ろを見やるとカヲル君が僕の椅子に手を掛けて立っていた。その横顔は驚く程冷たかった。僕は嫌な予感に背中が粟立った。

「はあ?あんたに関係ないでしょ?」

「関係あるよ、僕はシンジ君の…友達、だから。」

その言葉に僕の胸は悲鳴をあげた。戸惑った彼の余白がナイフになって心臓を刺す。

「友達だからなんなのよ?私はコイツの幼馴染みでずっとおもりをしてきたけど、アンタなんて知らないわよ、何様なの?」

十歳からの付き合いで自分を幼馴染みと思ってくれてたことに正直驚いた。

「君は彼とは四年前からの付き合いだろう?僕はもっと前からシンジ君の事を知っている。」

アスカが目を見開いて顔面にぴりっと神経を走らせた。

「なんでアンタが私達の出会いまで知ってんのよ?」

カヲル君は貼り付けた冷たい笑顔をそのままで、声までもが無色のままに抑揚なく、ただ口を動かした。

「僕はゼーレの人間だ。君が閲覧出来ない情報もアクセス出来る権限があるからね。」

寝耳に水だった。僕の個人情報へカヲル君がアクセスしていたなんて、知らない。アスカを見ると、僕以上に今度こそ彼女らしからぬ動揺を見せて、拙い言葉を漏らした。

「嘘よ…さっきから何めちゃくちゃなこと言ってんのよ、バッカじゃないの?」

「僕はゼーレ特別戦略顧問兼、臨戦時特別参謀長官だよ。階級としては碇司令よりも上さ。ネルフの人間に聞いてみるといい。まあ、ネルフではただのパイロットとして契約しているけれどね。」

打ちのめされたアスカが言葉が見つからずに拳を握り締める。カヲル君の言葉の響きで事実なんだと直感して、彼女の瞳は歪む。僅かに膝が震えている。

「だから僕が君を自らの権限でパイロットから降ろすのも容易な事だよ。」

それを聞いて敗北に耐えられずアスカは教室を飛び出した。


僕はカヲル君を見た。彼は仮面のような笑顔のままに、彼女の行方を見送っていた。カヲル君のゼーレの中での肩書きを聞いたことはなかった。それに彼はそんなことをひけらかすような人じゃないから僕にも言わなかった。じゃあどうして今そんなことを言ったのか、その違和感を考えたら、ある答えに行き着いた。

アスカに対してだからだ。彼は繰り返された過去から、彼女がそういう社会的評価や優劣を気にして生きているのを知っていた。わざとアスカを傷付けるために並べた言葉なんだ。それに気づいて僕はぞっとした。彼は本当に言葉通りに僕以外の存在を露にも愛せないんだとまざまざと肌で感じた。



ーカヲル君は、やっぱり使徒なんだ…




ーーーーー…

「シンジ君…」

三日月だけが僕らを見ていた。彼の部屋の一角から僕の名前が浮かび上がる。すべてが薄暗くて心許ない夜の帳はふたりを世の中の営みから遮断しているみたいで、弱く小さく俯いた僕。背中には彼の掌が添えられて、その一点が触れ合ってじわりと冷たい熱を持つ。僕よりも少しだけ低い体温。それだけの差異なのに、僕を責め立てていた、事実。わかっていたことなのに、どうしてあんなに僕を焦らしたのだろう。

彼の掌が離れて、すぐに後ろから伸びてきた腕に抱きすくめられる。優しく包み込むように胸の前で組み合わさる手は、僕の中心から高鳴る鼓動を確かめるように重ねられた。酷く繊細な仕草は僕を、僕だけを、壊れないよう守っているみたいで、それがまた胸を潰すように掴んで、目尻から涙が零れた。それを知ってか彼の腕に力が込められる。擦り寄るように泣き濡れた頬を頬で撫でられると、彼の毛先が僕を擽った。

肩を震わせて嗚咽を噛み締めて泣き出す僕に、強請るように首を傾けて頬に唇を擦り合わせる君。甘くほろ苦い、掠めて撫でるような感触。その唇は熱っぽく、吐息を滲ませ、言葉を落とした。




「僕はヒトにはなれないよ。」



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