カフェオレになりたい



HORONIGA coffee side -


ふたり歩く夜道はいつもより寒かった。ひとりきりならコートにちょっと縮こまって耐えるだけ。寒さに次第に慣れてゆく。でもカヲルとシンジはそんなことは知らないふり。身を寄せ合って肩が触れそうなくらい。かじかんだ指先は温かい場所を待っていた。

「寒いね」

「うん…」

シンジは手袋なんて地球上に存在しないと思っている。カヲルはポケットに手を突っ込んだらこの世の終わりだと思っている。かもしれない。何故ならふたりは互いの手ばかりが温かいと思っていた。実際はかさついて凍っていたけれど、とても自然に腕を横に揺らしてその止まり木を探していた。一緒になってそうしていたから何度もちぐはぐにすれ違い、カヲルはシンジの手が本当にそこにあるのか心配で思わず斜め下を確かめた。ちゃんとあったことに逆に驚くほどだった。

「どうしたの?」

「ううん…」

西暦2025年。同性婚なんて空に浮かぶ雲のように当たり前になった時代。カヲルとシンジは結婚前提の交際をすることになった。

もともとふたりは恋人と間違えられるほど仲がよかった。「デキてるの?」と聞かれてもぴったり自分から離れないで否定もしないカヲルの横で慌てて「誤解だよ!」と叫ぶのはシンジの役目。傍目から見ればキスやそれ以上をしていないのが不思議なくらい、ふたりは見事に両想いだった。

そのまま迎えた20代も半ば、仲間達の口から結婚の2文字をちらほら聞くようになった頃、

『結婚願望ってある?』

互いに探りを入れながら、もう誤摩化しきれなくなったものをふたりは埋め合わせることにしたのだ。

『ある、かもしれない…』

――君となら

それは何の違いもないような日常でのワンシーン。カヲルの声を聞きながらシンジは手にしたカフェオレを見つめていた。コーヒーとミルクが混ざり合ってほんのりと甘く香る。これは何色なんだろうと思っていた。


もう秋じゃなくて冬寄りなんだなという夜風。シンジはほうっと熱い息をかじかんだ指にかけた。カヲルはそれを見つけて残念そうにうつむいた。もしも心のままにシンジを抱き締められたなら、もうそれは温かかったかもしれない。ぼんやりと、シンジをめちゃくちゃに掻き抱く勇ましい自分を想像した。

あの日、ふたりは確かに未来を変えようとしたけれど、それでいきなりすべてが変わるわけじゃない。むしろ変わったことといえば、その未来を意識した分だけ、口数が減って、仕草がぎこちなくなって、何もかもわからなくなって、

「渚く…あ、ごめん」

「どっちで呼んでもかまわないよ」

こうして慣れないことにたじたじになる、それくらいだ。距離を縮めたくて名前で呼び合おうと決めたけれど、シンジにとってまだ彼はどこか『渚くん』だった。

そんなふたりの隣をいかにもラブホな中年男とOLがしなだれ合って通り越す。熟した真夜中の残り香がプンと漂い気が重くなる。

「ねえ、カフェオレってどういう意味なんだろうね」

「どうしたんだい?いきなり」

シンジは明るい声をつとめた。カヲルはシンジがいつの日にそれを飲んでいたかを思い出したが、そうとは口には出さなかった。

「ほら、オとレの前に点がつくでしょ?オとレは何を表してるんだろう」

「カフェはコーヒー、レはミルク。オは前置詞だよ。ミルク入りコーヒーってところかな」

「レだけで単語なの?」

「そう。日本語だと1文字だけどフランス語では4文字なんだ」

やっとこさの二文以上の会話ラリー。言葉が見つからなかった時間を取り戻したい。カヲルはこの話題をしっかり握っていなければと、気合いを入れた。

「へえ…カヲルくんは何でも知ってる」

そしてカフェラテの話をしようとした時だった。シンジが『カヲルくん』と呼ぼうと今か今かとドキドキしていたことなんて、カヲルは知らなかったのだ。先を越されて、心臓を見えない手にギュッと掴まれてしまうカヲル。

「ミルクにコーヒーを入れるんじゃなくてコーヒーにミルクを入れるんだね」

もたついていたら『シンジくん』と応える前にまた先を越されてしまう。つんのめって開いた口をそっと閉じた。緊張で乾ききったカヲルの喉を生唾がごくんと下る。

「たしか分量は一緒だよ」

「でもミルク入りコーヒーなら主役はコーヒーじゃないか」

「もしくはただ先にカップに入っていただけかもしれない」

うーん、とシンジ。

「でもそれだって先にカップに入ってたのはミルクじゃないって言いたいんでしょ」

「…そこ大事かい?」

「うん、すごく」

クスッと笑いが鼻を抜ける。どうでもいいようなことだと饒舌になる男ふたり。このままカフェオレについて何時間でもしゃべっていたいくらいだった。

カヲルはシンジをこのまま帰したくはなかった。

「どうしてカフェオレにしたんだろうね?」

カヲルはシンジの声にゆっくりと足を止めた。

「どうしてコーヒーとミルクを混ぜたんだろうね?」

重なる疑問符。それは深い意味でもあるのだろうか。ほろ苦く広がるものを噛み締める。

「…おいしいと思ったからじゃないかな」

「はは!そうかも!」

だがシンジは面白そうに笑ってまた歩き出す。カヲルは肩すかしをくらった。

「カフェオレっておいしいもんね」

友達と恋人の違いは何だろうとずっと考えていたシンジ。体の関係?誰のものにもならない約束?シンジは今日のカヲルのことを思い出す。

仕事帰りに待ち合わせて一緒に映画を観に行った。夕飯を食べて、またお茶をして、じゃんけんで負けたシンジをカヲルが家まで送る途中。それだけなのに、不思議なくらい『デート』だった。

―カヲルくん、全然僕のこと見てくれなかった…

ふたりで遊びにいくことをデートというなら、ふたりはもうずっとそれをしていた。なのにそれを『デート』と呼んだとたん、ただ楽しいだけではなくなってしまった。

―カヲルくん、なんでぼーっとしてるんだろう…

急速に好きが止まらなくなったカヲル。アレしたいコレしたいと欲張りになる。映画も会話も心ここに在らずでずっと奇妙にもぞもぞしている。ずっと何かを気にしている。友達なら笑って聞いて済ますのに。急速に意識が止められないシンジ。ナニかある?ナニかする?と気が気じゃない。落ち着かなくて悶々として、落ち込んだ。結局カヲルは何もしなくてシンジの勘違いになったのだ。

―カヲルくんはどうしてネコがタクシーの運転手になる映画なんて観たがったんだろう?

(上映時間が一番長かったから。)

―カヲルくんはどうしてミソ味のポップコーンなんて買ったんだろう?

(同じ器で一緒に食べたかったから。)

―カヲルくんが今電柱にぶつかったのはギャグなのかな?

(シンジのことを考えていて前を向いてなかったから。)

友達の時代は何でもわかり合ってる気がした。なのに今はわからないことだらけ。カヲルはアレしなきゃコレしなきゃと焦げついて、シンジはなんだか水っぽくなる。

―どうしたらいいかわからないや。

おでこを押さえてうずくまるカヲルの対処法がわからない。笑えばいいのだろうか。

―僕は『渚くん』が側にいてくれるだけでいいのかもしれない。

“ 結婚ってなんだろう? ”

そう強がって、でもシンジはぼんやりと、カヲルが自分を壁に押しつけて激しく唇をむさぼるのを想像した。実際は、カヲルが狭い道の一歩前を歩き出していきなりおじいちゃんみたいに遅くなるから、シンジはカヲルの背中に鼻をぶつけてしまったのだった。

もうすぐ家に着いちゃうのに。

「…カフェラテもおいしいよね」

鼻を押さえたシンジがキョトンと前に問う。

「カフェオレとカフェラテって何が違うの?」

待ってましたとばかりにカヲルが振り向いた。

「カフェラテはイタリア語だよ。中身はエスプレッソと薄いミルク。割合もカフェオレは1対1だけどカフェラテはミルクの方が多いんだ」

「そっか」

イマイチ盛り上がらなかった。

「カプチーノはカフェラテのミルクを泡立てるんだよ」

「ふうん」

どうでもよさそうな声。カヲルはシュンと眉を下げる。とぼとぼとまた歩き出す。左右にふらふら揺れていて、進みが遅くて危なっかしい。

「…シンジくん、はカフェオレが好きだよね」

ちょっと意識しすぎた『シンジくん』だったかもしれない。カヲルの心臓はもう見えない手にお手玉にされていた。

「コーヒーよりもホットミルクよりもカフェオレが好きだよ、僕。苦すぎなくて甘すぎなくてちょうどいいから」

そう言ってからハッとして頬を染めるシンジを見逃してしまったなんて。今日のカヲルはツイてない。

―カフェオレが…ちょうどいい?

シンジがそれに気づきはじめている道すがら、カヲルはシンジを帰したくなくて最後まで奮闘する。歩幅を狭くしてみたりスピードを落としたり。靴ひもを2回結んだ。道を何度か間違えようとして、親切に注意された。

カヲルはこの帰り道に賭けていた。今日こそは手をつなぎたい。キスしたい。なのにシンジは容赦なく家に向かって歩いてゆく。

勇気を出さないと一生このままな気がした。もう既に、眠れない夜ばかり。また何もできずに「またね」と言ったら全身全霊で後悔するのだ。それじゃダメだと深呼吸。曲がり角、カヲルはシンジの横にくっつく。見えない手が手ごねハンバーグみたいに心臓をもてあそぶなか、意を決して腕を伸ばした。シンジの氷みたいに冷たい手を握ったのだ。

「着いたよ」

やった!ついに!と喜ぶ間もない。そんなバカな。シンジと玄関とを交互に見る。がっかりする。やっとつないだ手が、ゆっくりと、離れてしまう。シンジは一瞬の出来事を気のせいにするしかなかった。

「…送ってくれてありがとう」

カヲルはシンジから目を逸らす。

「うん、」

彼には次の言葉がわかる。「またね」――どうしてだろう。それを聞く度にカヲルは嫌だと叫びたくなる。

君を帰したくない。

それなのに、いつだってカヲルは笑顔で同じ言葉を返すのだった。

もうそれだけは嫌だった。

「待って」

カヲルはもう一度シンジの手を取った。玄関のほうを向いていたシンジは振り返る。その顔を見て、言葉を失くした。

カヲルはシンジの両肩をガシッと掴んで塀際へ。もしかして?シンジは思う。カヲルの影に包まれる。じわじわと近づいてくる。キスだ!キスだ!シンジは静かにものすごく慌てた。全身がカチコチに緊張して、ああ、唇がカサカサかも、どうしよう!なんて震えて、でも、しっかりと目を閉じた。

カフェオレになりたいから。

それなのに、

「…おやすみ」

長い長い一瞬のあと、耳許でそんな悩ましい囁きが聞こえただけ。シンジが薄目を開けて見上げると、至近距離のカヲルは泣きそうな表情で固まっていた。



HOROAMA milk side -


もうすぐ雪解けの季節がやってくる。それなのに相変わらずコートだけでは寒さをしのげない冬の夜道。ほとんどくっつきそうなくらいのふたつの影。最近では毎日のようにそこらへんをうろうろと揺れている。カヲルとシンジはもう何度目かもわからないが、同じ角をまた間違って曲がることにした。狭い道を並んで歩くと自然と肩が触れ合ってしまう。

「寒いね」

「うん…」

そして、トン。指先が指先に触れたから、シンジは心の準備をした。トン、トン。あ、来る。シンジは密かに息を詰めた。するすると、カヲルの長い指先が「いいかい?」と聞いてきた。「いいよ」と答えるようシンジも指先を手繰り寄せる。

ふたりは静かに手をつないだ。10本の指をきっちり絡めて結ぶ。最近は、隙あらばこうしているのにまだ慣れない。手のひらに汗をかきませんように、と祈るシンジ。頬がすぐに熱く火照った。

「あったかそうだね」

「…いじわる」

耳まで赤くなってしまったことを隠そうと、マフラーに顔を埋める。形勢逆転だ、なんてシンジは唇をとがらせた。瞳の奥、ほんの数ヶ月前を思い出す。


あの日、カヲルはやっぱりシンジにキスができなかった。こわかったのだ。友達でいた時間が長すぎて、変わることで失うものがあるかもしれないという想いがカヲルにブレーキをかけた。ブレーキで止まったはいいものの、そこからどうしたらいいのかわからずに頭は真っ白。SOSのパニック寸前。

でも、

『おいしいと思ったからって言ったよね?』

シンジがそんなカヲルの顔を両手でしっかりと抱えた。そして囁き返したのだ。

『カフェオレにした理由…』

――僕はカフェオレになりたいよ、カヲルくん

そしてシンジから、カヲルの頬にキスをした。寄せた唇から火がつくように、カヲルの全身は一瞬で熱く火照った。見えない手が心臓を思いきり空へと投げつけて、花火のように爆発させた。

その時はじめてカヲルは知った。シンジはとても勇気がある。そう、自分よりも。カヲルが見つめる至近距離のシンジは今にも泣きそうな顔をしていた。けれど、そこにはしっかりとした意思が宿っていて、カヲルをまっすぐ見つめ返していたのだった。

完全にノックアウトされた。カヲルのぽかんとした顔を愛おしそうに撫でて「おやすみ」と告げるシンジ。そしてもう振り返らずに颯爽と家の中へと姿を消した。それがとても格好よくて、カヲルは一層シンジに強い想いを抱いたのだった。

「シンジくん、今日食べたエスカルゴって何か知ってるかい?」

「ううん、なに?」

それから事態は少しずつ好転する。あの日、明かりのついたシンジの家の窓を見上げて、カヲルは密かに誓ったのだ。

「かたつむりだよ」

「うそ」

次のデートで、カヲルはシンジの手を握った。シンジはその手を握り返した。それだけでふたりは温かくなった。いつまでもこの道を歩いてゆけそうな気がした。

「先に言ってよ!」

「おいしそうに食べていたから」

「僕、かたつむりを毎日食べたいって言ってたの?」

「うん」

ふたりで可笑しくて笑い合う。あの時もこの時も。こうして意味もなく立ち止まったり、共犯で一緒に迷子になったりして、一秒でも長く、ふたりきりの時を重ねていった。

「今日はカフェマキアートにしたんだね」

「ちょっと冒険してみたかったの」

こうしてなんでもないことを話していると、時計の針が加速して、時間はいつだって足りなくなる。

「マキアートの意味、知ってるかい?」

今日もまだ帰りたくなくて、また同じ曲がり角を間違える。

「イタリア語でシミのついたって意味なんだ。カプチーノの泡立ったミルクを少しだけ加えたものだよ」

別になんともない電柱を周りを回ったり、冬の澄んだ星空を見上げては、流星群でも待つようにじっとしていた。

「流れ星、見えるかな?」

それでも別れの時刻は着々と近づいてくる。ふたりとも明日も仕事だ。暗黙の了解で日付変更線は超えない主義。11時も終わりに近づいてくると、ふたりともちょっとずつ、元気を失くした。

―ああ、まだ別れたくないや…

カヲルが時計を気にしているのを見つけた。

―ずっとこうしていたい…

シンジはつないだ手をギュッとした。

「このまま同じ家に帰れたらいいのにね」

それはとても自然な欲求だった。そしたらもう、こんな切なさはいらないのだ。家にたどり着くのもきっと嬉しいはず。何度も寒い夜道をぐるぐる巡らなくても、暖かい家のなかで話の続きをしていられるから。

いつまでも一緒にいられる。

「それは…」

でもシンジはまだ気づいていなかった。

「…僕たちがカフェオレになるってことかな?」

それが、ふたりの目指しているあの前提へと向かうことを。

“ 結婚ってなんだろう? ”

別にプロポーズをするつもりはなかった。でも、願うことはそれと同じ。シンジが言葉に詰まっていると、カヲルは微笑みながらマフラーを直してやった。少しでも温かくなるように。

「ごめん。困らせるつもりはなかったんだ。ただ、」

カヲルはシンジの頬を愛おしそうに撫であげた。

「僕はずっと…そう思っているから…」

濡れた瞳がシンジの淡い唇をなぞっていた。カヲルの心臓を見えない手がスターマインさながらに楽しそうに打ち上げる。そんななかで、カヲルは今世紀最大の勇気を振り絞った。

「そう言えばね、」

振り絞った矢先。またしても先を越された。開きかけた口を見つからないように元に戻すと、

「母さんが、カヲルくんに会いたいって言ってたんだ」

空にとびきり大きい心臓という名の爆弾がキラキラと爆発した。カヲルの顔が紅潮する。

「本当かい?!ならすぐにでも会いに行こう!明日にでも!いや、今からでもいい!」

「カヲルくん、もう夜中だよ」

「そうだった!あは!今からじゃ迷惑だね!」

アハハ!なんて聞いたこともないハツラツとした笑い声。でも善は急げさ、なんてまだうわずった声で言ってくる。あまりの喜びようにシンジは照れながら笑った。幸せで泣きそうだった。

もうすぐ時計の針が真上を向く。いつもなら足を引きずるようにしてしか進めない家路のラストも、カヲルのほろ酔い気分の千鳥足にシンジはポカポカしれっと寄り添い、ふたりして並んで歩いた。その姿は野良猫のカップルが振り返るほどだった。

「…おやすみ」

そしてたどり着いた玄関の前、ふたりの声が重なりながらお互いへと落下する。日課になっている頬へのおやすみのキス。それを同時にしようとして、鼻と鼻がくっついてしまう。

「あ」

でも止めなかった。カヲルがシンジの手をやさしく包み込む。その合図でシンジはわかった。ふたつの鼻を擦り合わせてから――チュッ。ふたりは羽根のように軽やかに、はじめて唇を重ねたのだった。

帰宅後、シンジは家に入ってから振り返り、玄関のドアを少しだけ開けた。遠くではカヲルがほわほわと夢見心地で歩いていた。そして角を曲がる直前、いきなり、よっしゃ!と幸せそうにガッツポーズ。思いきり拳を振り上げた。そんなカヲルをはじめて見つけて、シンジの心臓はキュンと夜空に打ち上がる。無数の火花を撒き散らして、カヲルの帰り道を明るく照らしてゆくのだった。その下で、ひゃっほう!とくるくる不思議なダンスをする、世界一幸せな酔っぱらいのカヲルがいた。


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