今日もシンジ君が家出をした。行く先はいつも僕の部屋。それはいい。きっと違う所だったら僕は卒倒する。

今月は何度目だろうと考える。こうしてふたりきりで過ごすのはとても嬉しい。正直、ずっとこうしたいとすら思ってしまう。僕らは一緒に遊び、おしゃべりをし、夜に眠る。家事だってふたりでする。僕は「家に来てもらったから君をもてなしたい」と伝えたのだけれど、シンジ君は「居候の身だから僕がするよ」と言って聞いてくれない。見かけによらず頑固なのだ。

「カヲル君、おふとん敷けたよ」

ベッドとふとんの段差が寂しかったから、僕はふとんをもう一枚買った。こうすれば寝ている間にも手を繋いでいられる。シンジ君は手を繋ぐと安眠できるらしい。

「まだ早いからどうしよっか?」

ベッドに腰掛けて手持ち無沙汰に足をブラブラさせているシンジ君。彼を眺めて僕は考え事をしていた。彼の本当の幸せについて。シンジ君は僕にごはんを手作りしてくれた。手伝うつもりが包丁で指を切ってしまった僕に絆創膏を貼ってくれた。僕はシンジ君に何ができるだろう。

こうして何もかも分かち合って暮らしていると、たとえ一時だとしても、僕は想像してしまう。ふたりの未来を。ふたりの幸せを。けれど僕は今のシンジ君を幸せにしなければならない。未来を先取りしてはいけない。

「…そうだ。ちょうど炭酸が切れていたね。買ってくるよ」

「え、それじゃ僕も、」

「お風呂上がりだと湯冷めしてしまうよ。僕だけで行ってくる」

少し不服そうだけれど、シンジ君は頷いてから洗濯物をもう一度きっちりと畳み始めた。それは彼の不安のサインだけれど、僕はどうしてもやらなければならないことのために、部屋を飛び出した。


風が気持ちいい夏の夜。無意味に走り出す。コンビニで適当に買い物を済ませてから今度はゆっくりと道なりに歩く。心を決める準備だ。街灯に虫が集まってコツコツとぶつかっている横を過ぎる。見晴らしのいい高台のガードレールに寄りかかり、深呼吸して、僕は携帯を取り出した。

『ハイハ〜イ!めっずらしい人からかかってきたわねぇ』

シンジ君は葛城さんという保護者の女性と暮らしていた。

「…ご無沙汰しております。渚です」

彼女は僕の予想に反して陽気だった。僕はそれがたまらなく悔しかった。

『あら、随分と他人行儀じゃない?』

「折り入ってお話が。今、話せますか?」

『モチのロンよ〜♪』

お酒が入っているのだろうか。

「では、単刀直入に言います。シンジ君のことです」

『シンちゃんがどうかした?』

信じられない。

「どうもこうもありませんよ。あなたは保護者ですよね?」

『そ、そうよ?』

「なら保護者としての責任を持ってください」

『ゴフォッ…』

「月に何度も家出をしている彼が気にならないんですか?」

『ブファーッ…』

「仮にもまだ未成年です。僕のうちに来てくれるからいいものの、万一事故にでも遭ったらどうするつもりですか?」

可哀想なシンジ君。

「シンジ君はとても繊細な心の持ち主です。彼を探さないあなたの無関心にきっと深く傷ついている。そう思うと僕は…胸が、痛い」

拳を握りしめる。

「何より保護者と言っておきながら家事の全てを彼に託する態度もどうかしている。どうして彼だけが3人分の衣食住を整えなければならないのか」

分担してもするだけで、やらないのか。

「シンジ君だって健全な年頃の男の子です。だらしのない女性の下着を毎日洗うことで彼は女性に幻滅し、人間関係にも影響が出るかもしれない」

『…あの』

「まあそれは僕には好都合ですが、いや、シンジ君にそんな心の重荷を背負わせたら僕があなたを許しませんよ。ただでさえお義父さんの問題で傷ついているんだ。もう誰にも彼を傷つけさせない!」

そう、何があっても。

「そもそも何故あなたが保護者になったんです?せめて普通の、自分の世話くらい自分でできる精神年齢の人を探せなかったんですか?」

『えっと、』

「まだ終わってませんよ。シンジ君は今日も僕の家で一生懸命家事をしてくれました。僕を喜ばせようと気遣ってくれました。そんな健気な子をあなたは知っていますか?この世界、全宇宙にシンジ君ほど可憐な子がいると思いますか?そんな子を無下に扱って…全く。信じられませんよ。あなたは強運の持ち主です。天使が家にやってきたわけですから。それを…愛するこそすれ、恩を仇で返すとは、見上げたものです。僕はあなたが憎い。誰よりもあなたの立場になりたいと思っていますからね。法律が許すなら僕は今すぐにでもシンジ君の配偶者になって彼を守りたい。一生を共にしたい。けれど今はできません。できるのはあなただけです」

だから僕は言わなければならない。

「なので…僕は、あなたにお願いしたいんです。シンジ君を迎えに来てほしい。そして彼に大切な家族だと伝えてほしい。もう、僕の家にこうして来ないように…」

最後は涙で喉が詰まりそうだった。自分の願いとは逆のことを口にして、胸が切り裂かれるようだった。

『でもね…』

長い沈黙の後、彼女はおそるおそる口を開いた。

『私の言い分を言わせてもらうとね、シンジ君、今日もルンルン元気に行ってきまーすって玄関を出てったのよ。あなたから誘われて嬉しいって。お泊まりに行くんだって朝から張り切ってね。だから私もそうだと思ってお小遣いもあげたのよ?ふたりで美味しいものを食べなさいって』

頭が真っ白になる。

『だから…これはオフレコだけど、渚君がそういう熱〜い気持ちを持っているなら、そろそろシンジ君に伝えてあげたらどうかしら?彼、色々あったからきっと自分から切り出して拒絶されるのが怖いのよ。だからちょっち言い訳を工夫したのね。人を好きになったらみんなそんなもんよ。まあそういうことだから、さっきの暴言は聞かなかったことにしてあげる』

「…あの、」

今度は僕が口がきけない番だった。

『シンジ君をよろしくね。私の大切な家族なの。なかなかいい保護者でしょ?チャオ☆』

電話が切れて、夢を見ていたようだった。どうやら、やらかしていたのは僕の方らしい。体の力が抜けてしゃがみこむ。

シンジ君が家出をするようになってからひとつ季節が巡った。そしてその頻度が高くなるにつれ、つらそうな横顔を見る機会も増えていった。僕は家族のことを考えてるんだと思っていた。けれど、違った。きっと嘘を吐くのが心苦しかったんだろう。そんな想いをしてまで、「居場所がないんだ」と告げてまで、僕の部屋へ泊まりに来てくれたその心を考えると、たまらない。

「シンジ君…」

もしかして、僕と同じ気持ちだったのだろうか。目を閉じれば君がいる。胸がドキドキする。目を開けて空を見上げると、星の瞬きが僕を笑っている気がした。


「ただいま…」

部屋に入るとシンジ君がベッドに座ってまだ洗濯物を畳んでいた。ずっとそうしていたようだ。売り物のように四角い衣服がタワーのごとく積み上がっていた。

「…どうしたの?」

シンジ君の声が不安そうにかすれていた。

「遅かったね、」

僕に背を向けたまま呟いていた。

「待たせてしまって、ごめん」

彼に近寄り、頬を撫でて振り向かせる。するとシンジ君は青ざめた顔で僕を見つめた。涙がこぼれそうな瞳。カチコチの表情筋でどうにか泣かないようにしている。
夕食の時、僕は家出について色々と聞いていた。だから遅くなったワケにきっと感づいてしまったのだろう。嘘がバレた子どものように、シンジ君は途方に暮れて、僕の言葉を待っていた。

「実はね、君に謝らなければならないんだ」

「え?」

瞬きのかすかな衝動で頬につたう涙。僕を待たずに手のひらで拭う。何でもないというように。だから僕はその手に自分のを重ねた。

「君にちゃんと伝えなければならなかったのに、ずっと、迷ってしまっていた。僕は君の幸せばかり考えていたくせに、何にもわかっていなかったようだ」

「カヲル君?」

僕が顔を近づけると、彼はハッとして指先まで固まった。ふたりの鼻が触れる直前、僕は愛の言葉を囁いた。甘らかな唇を僕の吐息で震わせた。そしてそのまま着地する。ずっと求めていた場所へ。今度こそ君を幸せにする、そう心に誓いながら。


誓いのラナウェイ


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