仕合わせつむぎ



吸うと、吐く

片方が膨らみ、片方が縮む

僕らは呼吸みたい

ふたりでひとつ

どちらかだけじゃ生きられない



世界は天秤で出来ていた。
ふたつの存在が均衡を保つことが宇宙の方程式だった。


そして此処にはカヲルとシンジがいた。
コップがふたつ、中身の水を移すよう、ふたりは記憶を分かち合う。
どちらかが思い出せば、どちらかが忘れてしまう。
大切なふたりの想い出を。

最初、ふたりは戸惑った。
シンジはこわくて泣いた。カヲル君を忘れたくないよ、と。あの想い出もこの想い出も大事だもの、と。
カヲルはずっと考えた。ひとり覚えているのと忘れてしまうのはどっちがつらいだろう、と。

ある日、シンジは初めて抱き合い眠った日のことを忘れた。カヲルが想い出に浸っていたから。
ある日、カヲルは初めてのキスの味を忘れた。シンジが夢で描いたから。

あの時は楽しかったね、と言ってももう伝わらない。
こんなこともあったね、と言われてももうわからない。
ひとつだけの記憶はとても寂しかった。


僕たちひとつになりたいね。シンジは言った。
忘れるってなんて哀しいんだろう。心が想い出でいっぱいになると君はからっぽになってしまう。
どうしてこんな風にしか生きられないの。誰がそんなこと決めたの。シンジは言った。
カヲルにしがみつきながらシンジは呟く。このことも忘れてしまうんだね、と。

シンジ君、哀しまないで。カヲルは言った。
僕が記憶を引き受けるよ。もう君から何も奪わない。そのかわりに君に何度も伝えてあげる。同じことを伝えてあげる。
そして僕たちの記憶をふたつにしよう。そうしたら君も僕ももう哀しくない。
君が忘れたら僕のをあげる。僕が忘れたら君のをもらう。ほら、もうからっぽにはならないよ。

シンジはカヲルを信じていた。
だから、ありがとう。そう言えた。

カヲル君、僕は君を忘れてしまっても、いつまでも君が大好きだよ。
その気持ちだけは、忘れないよ。


それがこのシンジの最後の言葉になった。
カヲルの想いが逆さの雨のよう湧き上がり、シンジはからっぽになってしまった。



君は、だれ?
僕は渚カヲル。
えっと、
君は碇シンジ君だよ。


目の前のカヲルは泣いていた。
これがこのシンジの最初の記憶になった。


それから。時は巡る。
シンジはすぐにカヲルが好きになった。
時は巡る。
ふたりはつきあうことにした。
時は巡る。
初めてのキスをした。いつか愛し合うようになった。
でも、いつだって懐かしい。なんでだろう。それがシンジにはわからなかった。

ある日、シンジは一冊のノートを見つけた。
それはシンジの字から始まって途中からカヲルの字になっていた。日記だった。
でも日付は今日も明日も明後日もある。昨日の日記は昨日の出来事が書いてあった。僕の字で。僕は書いていないのに。
シンジはページをめくり続けた。
そして真実を見つけた。
シンジの最初の記憶の少し前に起こった、とてもやさしくて、哀しい、あの真実を。

けれどシンジには思い出せなかった。だから知らないふりをした。
そしてふたりは日記の通りの今日を過ごす。
愛してるよ。カヲルは言った。幸せだね。シンジは言った。
カヲルは不思議そうな顔をする。どうして泣いているんだい。そう言った。

どうしてだろう。シンジは考えた。
どうしてだろう。シンジは目を閉じた。
どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。どうしてだろう。


あ!


火花がはじけるようだった。
逆さの雨が湧き上がる。
あふれてゆく。止まらない。


カヲル君と初めて手を繋いだ。僕はドキドキした。

カヲル君と喧嘩した。仲直りした時、ずっと一緒にいたいって思った。

カヲル君が僕のこと好きだって言ってくれた。とても嬉しかった。

本当に嬉しくて、


絶対に忘れたくない。


僕は、そう、思ったんだ。


シンジはすべてを思い出した。

そしてカヲルはからっぽになった。



からっぽのカヲルはシンジを見つけて、言う。
やあ、
嬉しそうな笑顔で、言う。
君は、だれ?

シンジはカヲルを抱き締めた。
ぎゅっとぎゅっと抱き締めた。

大丈夫。僕が君に何度も伝えてあげるからね。
なにを?
こわくないよ。僕が君を守るから。
どうして?

どうしてだろう。

僕と君はふたりでひとつだから。シンジは呟く。
そういうことか。カヲルはすぐに理解した。
そして何度目かの、この言葉を口にする。


僕は君に会うために生まれてきたんだね。


ああ、
シンジの目に涙がたまってゆく。
ああ、
どうして世界はこんなに哀しいんだろう。

シンジは泣いた。
大声で泣いた。
これ以上ないくらい泣いた。
そしてシンジは泣き叫んだ。

神さま、
どうして、
どうしてこんなひどいことをするの?

シンジは叫んだ。

どうして、
こんなひどい世界をつくったの?
僕たちが何をしたっていうの?

叫び続ける。

でも僕たちはあきらめない!
あなたがどんなひどいことをしても!

叫び続ける。

僕たちは幸せになってみせる!
幸せになってみせる!


その叫びは宇宙の果てまで響いていった。

すると、
フワリ、キラリ、ポタリ
雫が落ちた。



_仕合わせつむぎ
_仕合わせつむぎ
_ふたり手と手を合わせれば


カヲルとシンジへ恵みの雨が降り注ぐ。
頭上から透明な大いなる手が伸びてくる。


_仕合わせつむぎ
_仕合わせつむぎ
_どんなことだってできるよ


知らない誰かはふたりを手のひらに乗せた。
それから世界の天秤を壊した。
欠片を集めてひとつにまるめる。
雨が引き寄せられてゆく。


_君と僕は
_ふたり手と手を合わせれば
_どんなことだってできるよ


世界には引力がうまれた。
もうあふれてこぼれることはない。
新しい方程式の宇宙ができた。


_どんなことだってできるよ
_君と僕は
_仕合わせつむぎ


すべてはひとつになったのだ。



……
………


ふたりが目覚めるとそこはまるい世界だった。



あれ、シンジ君。
此処はどこだろう。
あれ、カヲル君。
どうして此処にいるんだろう。

でもそんなこと、ふたりにはどうでもよかった。

何故だかわからないけれど。カヲルが言う。
僕たちたくさんの想い出があるね。シンジが言う。

幾重にもつむいだ想いがつよくつよくふたりの心を織り上げていた。
胸にあふれる、

たくさんの、初めまして。
たくさんの、ありがとう。
たくさんの、好き。

織り上げたそれらに包まれるとふたりはとてもあたたかかった。


そうしてカヲルとシンジは笑ったのだった。
これがふたりの最初の、忘れない記憶、になった。


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