スプーンがすくう夢
金平糖のロジック 続篇



「君は尻祭りかい?!」

カヲルはよく寝言をいう。寝言というわけだから、今カヲルは睡眠中。でもシンジはそうじゃない。あんまりハッキリとした滑舌で起きてしまった。

「尻祭りか〜…」

クスッと笑う。携帯を取り出してメモを取る。カヲルが起きないように慎重に液晶の明るさを隠しながら。

こうするために。

「ねえ、尻祭りってなに?」

「尻祭り?」

「そう。ふふ、」

「もしかして…」

シンジがほくそ笑むとカヲルは手で顔を覆った。耳がピンクだ。

「あぁ〜…覚えてないよ…」

朝食の席でシンジはカヲルの寝言をいじるのが大好きだった。

「君は尻祭りかい?!って叫んでたよ。ふふ。尻祭りってなんだろうね。」

「僕が聞きたいよ…」

カヲルが弱々しくなっているのをよしとして、シンジは冷蔵庫に向かう。

「元気出して。」

ぷるぷるのプリンにはお星さまの旗が立っている。カヲルが本気で寝言を治したいと思っているのを知っているから今度は慰めてあげるのだ。

寝言はいつもじゃない。たまーにだ。けれどそのたまーにが最高に恥ずかしい。

ここでカヲルの涙ぐましい努力を紹介しよう。

真夜中に「多い日も安心!」と叫んでから、まずは枕を変えた。それまでは事後のぐちゃぐちゃのベッドでもそのまま眠っていたのだが、寝る直前に安眠できる枕をきっちりセッティングする。そして「シンジ君はコンビニで買えますか?」という謎の寝言とともにそれを止めた。

次にカルシウムのサプリを飲んでみた。そして「桃尻ルンルン♪」という寝言で、以下同文。

こんなこともあった。新婚の頃、気にしたカヲルが寝言録音アプリを稼働。「僕の巨根と巨根の僕、どっちが好き?」と寝ながら言ってしまった自分を恥じて、自分の口をガムテープでとめようとした。「せめてマスクにしてよ!」とシンジが甲斐甲斐しく止めるのも振り切ってそれを実行したのにその夜、口元のテープを外して「ふぉっふぉっふぉっ!」と絶叫して、自分にキレるカヲルであった。

「寝言いうカヲル君も可愛いよ?」

ホットミルクにハチミツを入れてナーバスなカヲルに手渡す。彼は既に寝言自体がストレスになっていた。それを発散とばかりに夜の営みも激しくなる。奥さんは疲労困憊。

「僕はそんなカヲル君も好きだよ。」

「シンジ君、ぐっすり眠れるCDはどうだろう?」

いくら言ってもこのことに関しては頑ななカヲルだった。

シンジは正直、カヲルの寝言が好きなのだ。密かにメモ機能で逐一ノートをつけるくらいに。

寝言ノートの中には、こんなのがある。

その1「それについては……ポメラニアン伯爵かと。」

?(脈絡のない不思議な単語が発せられる。)

その2「お義父さん!僕はしょうゆがいいです…!しょうゆが…ああ!」

あ、きっとまたソースかけられてる。(昔「お前はバタ臭い顔だな」なんて義父に言われて卵焼きにソースをかけられたことをカヲルは今も根に持っている。)

その3「ランランランランラ〜ンラランッ…!」

奇妙なことだけれど、人格が変わる。(「こんなに陽気に歌うなんて…」と裸で調子を外して歌うカヲルに抱かれながら、シンジは目をまるくした。)

その4「え!?なに!?」

これはシンジの飛び起きた声。家の外で騒ぎらしい。犬がずっと遠吠えをしている。すごい大きさだ。(と思ったら、カヲルだった。)

でも一番印象に残っているのは、コレ。

その5「シンジくぅん…」

名前を呼ばれて目を覚ます。すごく甘えた声だ。悲しそうにも聞こえる。手を伸ばそうとしているのか、カヲルの指先がピクピクしている。シンジは悪戯心で、そしてちょこっと心配して、寝ているカヲルに覆い被さり声をかけた。

「どうしたの?」

「ごめん、我慢できない…」

そう言うと、カヲルはそろそろ両手を伸ばしてシンジのお尻をモミモミし始めた。アクティブモードだ。

「ふふ。」

夢の中でまでお盛んらしい。シンジはそんなカヲルが可笑しくって、とても愛おしいと思った。ニヤけてしまう。

「ん、ちょ、あっ…!」

けれど相手はあのカヲルだ。待ったなしに手がいろんな悪戯をする。さっきまで夫婦の夜を楽しんでいたのだ。シンジはすぐに感じ入ってしまう。

「ん〜〜〜…!」

「ありがとう…」

一方、夢の中のカヲルは本当に至福という表情で心のこもった感謝を述べる。結局シンジは、ん、ん、ん、あ、あ、あ、と言い続けながら動けなかった。旦那想いなのだ。

その甘い声はレム睡眠にも届くのだろう。カヲルはだんだん火照って真剣になってくる。おとなしく眠っていたモノがおっきしている。その寝顔は興奮して、色っぽかった。

それからシンジも我慢できずに夢うつつのカヲルにご奉仕したのだが、その張本人は、なんと覚えていなかった。

「嘘だ…!」

「嘘じゃないよ。」

寝坊した理由を告げるとカヲルは絶望しながら訴えた。

「僕が君とエッチなことをして覚えていないはずがない…!」

「本当だもん。今度から寝る時はちゃんとパンツを履いてもらおうかな。」

シンジがキリッとお灸をすえるとカヲルはへなへなとくずおれた。

そんなふたりの深夜事情だが、ひとつだけ、シンジが秘密にしている寝言がある。

それはカヲルとシンジが付き合いたての頃だった。まだ学生で、こんなおっぴろげでエッチなことをいそしむ前。ふたりはお泊まりデートをしても、手をつないで寝るのが精一杯だった。まだほんのり友達が延長していた。

そしてこれが、その0。シンジだけが知っている寝言。

「困ったな…」

シンジはパチリと目を開けた。緊張してウトウトするばかりで眠れない。きっとカヲル君もなのかな、と横を見るとカヲルは目を閉じていた。規則正しい寝息。

「どうしたの?」

よくわからなくて小声で聞いてみる。微動だにしない。やっぱり眠っているようだった。

「好きなんだ、」

けれど、すぐさま応答。ヒヤッとする。カヲルは夢の中、きっと心の本音が聞ける。そう思うとシンジは鼓動を早くした。

「…だ、誰が?」

疑っているわけではなかった。ただ、自分以外の誰かだったらその場で息絶える自信はあった。

「…碇君と結婚したい。」

ぐっすり眠りながら、カヲルはふにゃりと笑っていた。幸せそうな照れ笑い。間抜けなくらい。

シンジはその時、同性の自分にカヲルがそこまで思ってくれているのかと驚いた。そして。自分でも知らないうちに、ひっそりと泣いた。

「僕も…渚君と結婚したい。」

そうしたシンジの幸せそうな照れ笑いも、カヲルは知らなかったのだ。

話はその6になる。

すすり泣く声で目が覚めた。ハッとする。カヲルが泣いていた。もちろん、眠りながら。

「離婚するなら僕は曲がってみせるよ!!」

ベッドの上で泣き叫ぶ。

「カヲル君、カヲル君、」

あまりの悲痛な様子にやさしく揺さぶり起こすシンジ。カヲルがすうっと目を覚ます。怯えた顔だった。

「夢だよ、カヲル君。」

「ああ!シンジ君…!」

カヲルはシンジを折れるくらいきつくきつく抱き締めた。ピタリと合わさる胸からは爆速の心音が伝わってくる。

「ふふ。落ち着いて。全部夢だよ。」

「夢、か…」

「どんな夢を見てたの?」

離婚、なんて末恐ろしい言葉を聞いたからには訪ねずにはいられなかった。

「…正夢にならないかな?」

カヲルはぶるっと震えた。悪夢を見た子供みたいに。

「ならないよ、絶対。」

シンジがカヲルの顔を何度も拭って愛おしそうにあやしてやると、カヲルはまもなく、おもむろに口を開いた。

「ある日僕が突然スプーンになっていて、」

「へ?」

「君はティーカップになっていて、」

「ティーカップ?」

「うん。」

想像が難しい。

「それで?」

「それで…君はたくましいポットと付き合いたいって、」

「たくましいんだ?」

「注ぎ口が大きくてね…」

想像したらちょっと卑猥だった。

「それで離婚話になったから君を繋ぎとめたくて…」

シンジは結末が知りたくて、ドキドキ。

「たくて…?」

「…スプーン曲げをしてみせると脅したんだ。」

これにはシンジも爆笑した。

「必死だったんだよ…」

必死すぎる。

「だって!カヲル君がスプーンなんでしょ?」

「スプーンの僕にできることなんてそれくらいだったのさ…」

あまりにも悲しげに言われてしまい、シンジはもう笑うのをやめた。カヲルの頭をまるでお母さんみたいに撫でてやる。

「夢でよかった。僕、ポットなんかいやだもん。」

「でも僕よりたくましいんだよ、」

「僕、カヲル君がスプーンになってもカヲル君がいい。」

あ、そうだ。それからあるひとつの出来事を思い出す。

「ねえ、僕の初めて聞いたカヲル君の寝言の話、もうしちゃおっかな。」

そして、カヲルがその0を聞き終わる頃にはふたりは本当に幸せな顔をしていたのだ。

カヲルの寝言は一途な気持ちの揺るぎない証明。だからシンジはその7も楽しみにしている。そう伝えると、安心してまたウトウトしてきた元スプーンの旦那さま。

「おやすみ。」

チュッ。シンジからカヲルへ。

「夢の中でも僕を好きでいてくれてありがとう。」

また君の可愛い寝言が聞けますように。

けれど、そうしてカヲルが寝言を意識しなくなると、自然とその数は減っていった。可愛い寝言はシンジの実家に行き義父に会った時くらいだ。

「お義父さん!かき氷にしょうゆかけるのは、やめてください…!」


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