僕は今日、漢になる。 ―― 碇シンジ


それは先週の木曜だった。カヲルがシンジに「今度の土曜、うちに来ないかい?」と言った。「うん、いいよ」と答えると「お泊まりの用意をしておいで」なんて返ってくるからシンジが「え?」と聞き返すと「家に誰もいないんだ」と耳もとで彼はそっと囁いた。ちょっとエッチな声だった。

ついにこの日がやってきたかとシンジは震えた(武者震いだ、と彼は言うだろう)。カヲルと付き合いはじめて早3ヶ月。もうそろそろだと思ってたシンジは、夜な夜な乙女の生理日誌のごとくカヲルとの愛の記録を綴った手帳のカレンダーに、土曜のところに丁寧に赤いマルをつけた。ややあって、マルを塗りつぶして赤のハートマークにした。

「OK、OK、OK…よし」

3度目の持ち物点検を済ませたシンジは、机の上で大きい順に並べた、替えの服、下着(は予備で3枚)、保湿ローション、そしてコンドーム(は迷ったあげく箱ごと)をきっちりとリュックサックに詰め込んだ。畳んだブリーフがよれるとピンと角が揃うまでやり直した。そして今度はお泊まり道具一式のポーチを取り出して歯ブラシ、くし、ティッシュ…と並べてゆく。じっと見つめる。あっ、と胃腸薬を忘れたことに気づき慌ててキッチンへと駆け出した(シンジは緊張するとすぐ胃腸が痛くなるのだ)。ついでに痛み止めも入れておこう。

なんだか落ち着かなくて両手で覆いハーハーと口臭を確かめてみる。栄養ドリンクも念のためのビタミン剤もさっき飲んだ。朝ごはんはあんまり入らなかった。けれど、気になって再三したはずの歯みがきをする。よし、今度こそミントの香りだ。

そんなこんなで約束の時間の3時間前には朝からの入念なチェックも終わり、今度は机からノートを取り出す。この日のためにしっかりと頑張った予習が神経質な細かい字で書かれている。同性同士でなくともアレというものはなかなか人には聞きづらい。アレの相性が悪いと別れる、なんて大人はドラマなんかで言うくせにちゃんと具体的には教えてくれない。教えてくれないから勉強したけれど、何だか後ろめたくて鍵つきの引き出しの一番下にシンジはそれをしまっている。

「い、い、痛くないようにするよ…と言う、っと」

シンジは青線で囲まれた箇所を穴があくほど読み込んだ。カヲルは肌が白く華やかで綺麗だ。だからシンジは自分が男役でカヲルが女役だと決めつけて予習をした。男役、つまり自分のほにゃららを相手のあんなところに挿入する。なんてこった。シンジは自分がそんな大層なことをリードしてキメなければならないそのプレッシャーに押しつぶされそうで、具合が悪くなってくる。やっぱり今から胃腸薬は飲んでおこう。

「あ、もうこんな時間!行かなきゃ、」

読み耽っていたらあっという間に出発時刻の5分前。だからシンジは立ち上がった。おもむろにズボンの中身を確認する。よし、このパンツで僕は負けたことがないんだ、なんて縁起担ぎの白いブリーフにコクコクと頷いて(彼の持っている下着はどれも白のブリーフなのだが、シンジにはそれぞれを見分ける細かい違いがわかっている)颯爽と玄関のドアを開けた。彼はまさに戦に赴く武士のような顔だった。童貞の喪失へ、いざいかん。


「あは。遠足にでも行くのかい?」

いらっしゃい、とドアを開けたカヲルは、目の前に登山にでも行くような大荷物を背負ったシンジを見つけて笑った(水筒は何のために必要なんだろう)。僕らはもう帰れない遠足に行くじゃないか、とでも言いたげなシンジの追いつめられた顔にチュッとカヲルがキスをすると、シンジはにへらと奇妙に笑って、おじゃまします、と部屋に上がった。人はテンパると少々奇妙になるものだ。

「温かいお茶でも淹れよう」

カヲルは触れた指先が冷たいことを知って立ち上がった。シンジはソファに埋もれるように座りガチガチに震えていた。

「おや、」

そして紅茶を淹れて戻ってくるとシンジはせっせとカヲルの机に向かっていた。落ち着かない様子で本をノートを鉛筆一本一本までを大きい順に丁寧に並べている。

「ありがとう。君は整頓が上手だね」

カヲルに褒めてもらうことが大好きなシンジ。そのまま「けれどお茶が入ったから一緒に飲まないかい?」と誘われると首輪を引かれるようにしてカヲルの横に座った(とても従順に)。甘口のミルクティをひと口飲むとなんだかほっと、安心する。そこでいつも通りやさしい会話をふたりでして、甘ったるくじゃれ合って、シンジがだんだんリラックスして今日の戦について忘れかけている時だった。

「…好きだよ。君は本当に愛らしい」

いつの間にか愛の言葉を囁かれている。あのちょっとエッチな声で(デフォルトで既にエッチな響きの声だが、それを更に上回るという意味だ)。

「シンジ君、目を瞑ってごらん。頬に睫毛がついているよ。願いごとを3回心の中で唱えているうちにそれを誰かに取ってもらうと願いが叶うというおまじないがあるんだ」

そこでシンジは目を閉じた。律儀に願いごとを唱える。ちゃんとうまくできますように、ちゃんとうまくできますように、ちゃんとうまくで…ここでふたりはキスをした。カヲルからだった。

気持ちいい。でもこれはシンジのプランとは違う。だって、まだ昼間だ。あんなことやこんなことは夜にする予定だ(普通は)。このまま戦に突入してはマズイ。用意してきた一式は机の上できっちりと入念にリュックサックに納まっているし「シャワー浴びてきていいよ」だってまだ言ってない。  

「ん、」

カヲルはとてもキスが巧い。いつの間にか彼の舌がシンジの口の中でうごめいている。シンジはもうとろとろで、体に熱が溜まってくる。それを知ってか、シンジを優しくあやすように肩を抱き、ふたりはソファに倒れ込んだ(いつの間にかソファがリクライニングされていた!)。

「ま、待って!」

シンジがぷはっとキスから生還して叫ぶと、カヲルは驚いて目を見張った。

「じ、準備体操忘れちゃった!」

カヲルがきょとんとしていると、ああ、僕は何バカ正直に言っているんだ、と真っ赤になりながら見切り発車で立ち上がるシンジ。そして立ち尽くす。

うまい言い訳が思いつかず、そのままそれがさも当然かというような力ワザでシンジが手足を広げて屈伸運動を始めだすと、そのシンジの真剣な取り組みが微笑ましくてカヲルも真似して膝を伸ばして体をひねった。夏休みの早朝のようイチ、ニ、イチ、ニ…何が哀しくてふたり並んで体操なんてしているのか。ハツラツな小学生なのか。情緒不安定なシンジは急に激しく落ち込みだす。シュンと動きも止まってしまう。

「ごめん…ちょっと緊張しちゃって、」

ムードが台無しだね、とうなだれると、カヲルは眉を下げながらもとても愛おしいというように微笑んでいる。

「なら緊張をほぐそう。僕がマッサージしてあげるよ。うつ伏せに寝てごらん」

カヲルの言うことはいつだって正しい。だからシンジは何の疑いもなく隣にあるベッドにうつ伏せになった。

「あっ、んん、」

超気持ちいい。カヲルのマッサージは羽根のように軽やかで、声が出ちゃうほどいいツボを的確にグイッと押す。

「あ、ちょっと、そんなところ、」

内股を深く摩られて思わずピクッと体がしなった。膝裏もくりくりされて変な声が出てしまう。

「あんっ、ダメ…そこ、」

下腹部の真ん中あたりに手を入れられもみもみとマッサージされ、きゅうっと身を屈めるシンジ。あんまり気持ちよくてその先の方がぷくっと大きくなってきた。勝負パンツにちょっと何かがコンニチハして濡れてしまう。体がとてもいやらしくなってきて、ピクンピクンと体を跳ねさせ角度を変えて見上げると、そこにはうっとりとした恋人がいる。恍惚とした顔をして。

「かわいい…シンジ君、」

それからは抗えない流れだった。シンジは自分が男役だと信じきって、その後、横になってキスし始めたふたりの姿勢をシンジが上にカヲルが下にと変えたのだが、勢い余ってなのか(それとも自然の摂理なのか)そのままくるりとシンジが下にカヲルが上になってしまった。そして魔法のように手際のいいカヲルに導かれるがままに、シンジはあんあんとまな板で跳ねる鮮魚のように美味しく調理され、彼のあんなところではカヲルのほにゃららが大活躍。こうしてふたりは無事に目標を達成したのだった。

事後、カヲルの腕に抱かれてシンジは思う。あれ?僕が女役になっちゃってた、と。そして、でもいいや、それがいいや、なんて思う。

「カヲル君って…あんなことも上手で、すごいや」

カヲルはご満悦の表情。シンジの幼い前髪をさらさらと撫でてゆく。

「僕はね、シンジ君。君の緊張した時の愛らしい仕草が大好きなんだ。とてもそそられるよ。君は僕を誘惑するのが上手だね」

どう反応していいものかシンジが困った顔をすると、カヲルはまた熱っぽい溜め息を吐いてシンジにしなだれキスをした。とろんとした瞳でシンジは思う。やっぱりカヲル君にはかなわないや、と。

「ところで、さっき『僕が下なの?』と驚いていたけれど、どういう意味かな?」

わかっているのかいないのか(実は確信犯らしい)。ちょっといじわるな笑顔。シンジはなんだか恥ずかしくなってくる。真っ赤になってカヲルの胸に顔を隠す。そんなに僕をいじめないでよ。僕だって必死だったんだ(まさか自分が下の方でしっくりくるなんて思わなかったんだもの)。

それからシンジは水筒に入れてきたおなかにいい手作りスープを自分で飲むハメになった。コンドームを箱で持って来てはいけない、と後日復習することになる。



ミギヘヒダリヘ

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