ドラウン宣言


やっぱりバレンタインにしなければよかった、とカヲルは思っていた。この恋だの愛だのが巷に溢れかえる時を存分に楽しみたかった。そう、彼は今、彼らしくなく取り乱している。

ここは第三新東京市で人気の遊園地。ランドマークの観覧車が有名なこの場所で、カヲルは震えながら意中の相手を待っていた。


渚カヲルは一ヶ月前、同都市の第壱中学に転校した。そこで同じクラスの碇シンジにひと目で恋に落ちたのだ。彼は一瞬にして運命を理解した。そこで、普通の人ならまずは観察なり挨拶なりとゆくところだが、カヲルは並の人間ではなかった。

「碇シンジ君。」

「はい。」

「僕は君に会うために生まれてきたんだ。」

彼はその日にシンジにプロポーズをした。半ば説得だった。答えがわかりきっているのに時間がもったいない、結婚しよう、要約するとそんな感じだ。
シンジは平均的な日本人の感覚だったので、どうかしてるよ、とやや曖昧に答えた。実はシンジもはじめて会った時から何かを感じていたのだが、それは口にはできなかったのだ。

そこでカヲルは考えた。ふたりの妥協点を。それがこの期間限定交際の始まりである。とりあえず一ヶ月お試しで付き合ってみよう、とカヲルは提案した。ルールはこうだ。

・恋人として振る舞う
・キス以上のことはしない
・ふたりの関係は誰にもひみつ

それからふたりが本当に恋人になるかどうかは一ヶ月後のバレンタインデーに答えを出す。答えがイエスなら、シンジからカヲルにチョコレートを手渡すのだ。今日はその結果発表の日。決戦のバレンタインだ。

「カヲル君!ごめん、待たせちゃった?」

「やあ、僕も今来たところだよ、」

腹から声が出てこない。カヲルがひきつり気味で笑うと、具合が悪いの、なんて返ってきた。

まあ、彼も頭を冷やしてからちょっとだけ後悔したのだ。ふたりのテンポをゆっくり合わせるべきだったかな、と。カヲルはスタートダッシュは物凄かったが、想いが深まるにつれて恐怖が生まれていた。

シンジ君にフラれてしまったらどうしよう…

彼はすっかり自信を失くしていた。

「カヲル君、あの、」

ズボンのチャックが全開だよ、と指の動きで伝えるシンジ。カヲルは余裕なオーラでニコリとそれを直すが内心は膝を抱えて泣いている。今日の彼はやることやることが裏目に出る、まさに呪われた休日であった。

「ありがとう、うわっ!」

買ってきたソフトクリームは落としてしまうし、

「そんな、落ち込まないで。」

得意なダーツも全部外してしまうし、

「だ、大丈夫!?」

ジェットコースターでは貧血で倒れそうになる。

カヲルは非常に焦っていた。最終日にデートをブッキングしてラストスパートをかけるしかない彼の追い詰められた心理を、ここで説明しよう。


カヲルはシンジが好きで好きでたまらなかった。シンジのそばにいるだけで世界はバラ色。他にはもう何もいらなかった。けれどシンジはそうではないらしい。ふたりで過ごす時は口数少なくうつむいていて、友達としゃべる時にはよく笑う。カヲルは激しい嫉妬にかられた。そして交際わずか三日目でふたりはキスをした。気持ちが抑えきれなくて放課後の体育館裏、むりやりだった。シンジは何も言わなかった。

それからカヲルはシンジを自分の部屋に誘った。ふたりきりの時間がもっとほしかったのだ。まだ互いを知らないふたりの隙間を埋めるようにいろいろなことを語り合った。語り合ったらついキスをして、キスをしたらつい手は動いてしまう。体を触るとシンジは泣いて、嘘つき、と言った。ルール違反だった。カヲルは土下座して謝った。それは一週間目のこと。

二週間目にカヲルはようやくデートの約束を取りつけた。汚名返上、自分の誠意を示したかった。そして向かった映画館。たまたま観た映画で中学生には酷な濡れ場を目撃して、一気に気まずくなってしまう。シンジは目も合わせない。どうにか手をつないでも五秒ももたない。

期限も折り返しになって焦り始めてきたカヲル。思いきってシンジの家に行きたいとアピールした。そしてやんわりと断られた。食い下がってワケを聞いたら、父さんが怖いから、と謝るシンジ。その言葉をカヲルは信じられなかった。避けられている気がしたのだ。

残りも十日をきってしまうとカヲルは不安になり、シンジがどれくらい好きかを丁寧に手紙何十枚で伝えた。シンジは驚いていた。残りも五日をきってしまうとカヲルは生きた心地がしなく、シンジがどれくらい好きかをまた丁寧に面と向かって伝えた。すると、ここは教室だよ、と怒られた。昨日は声が聞きたくて夜に電話をしても忙しいからと切られてしまう。

そして、今に至る。


「カヲル君、本当に大丈夫?」

カヲルがメリーゴーランドの柱に顔面を激突したところで流石にシンジは真面目に心配し始めた。

「うん…すまない。」

鼻を強打し涙目のカヲルにシンジの顔が近づく。

「遠慮しないで何でも言って?」

そんなことを言われてしまうと。カヲルはシンジを柱で隠し、ゆっくりと唇を寄せる。

「誰も見てない?」

チラッと横目で確認する。すると、鼻水の垂れた男の子がチュロスをくわえながらすぐ隣でジーッとふたりを凝視している。

「ママー、またちゅっちゅだよ!」

あまりにも残念だ。そこでカヲルは言ったのだ。

「次は観覧車に乗ろう。」

ゴンドラは最高の密室。見晴らしがいいのにプライバシーも保たれる。バレンタインに観覧車に乗るやつらなんて皆、自分たちしか見えてない。案の定、隣のゴンドラではお先に、と熱い抱擁。

「シンジ君…」

シンジはカヲルよりも外の景色を楽しんでいた。カヲルはもう何もかもが爆発しそうだった。

「好きだよ…」

今日は答え合わせの日。なのに返事は聞こえない。なぜ。たまらずにカヲルはシンジの横に座り、キスをした。

「好きだ、」

キスの空白で何度も伝える愛の言葉。いとしい体を引き寄せて。

「ん、」

はじめて舌を入れてみた。シンジが心を決めることを祈りながら。体が熱くなってくる。最高に気持ちが良くてとろけそうだ。そしてもうすぐ終着地点、という時だった。

「あ、」

長いキスが終わり、シンジは思わず声をこぼす。それは感じたから、ではない。目線の先、カヲルのズボンがきつくパンパンに、盛り上がっていたのだ。

「おつかれさまでしたー!」

呆然とした間、無情にも係員が割って入る。だからシンジは何事もなかったかのようにゴンドラから降りた。けれど、

「お客さん?ア、アレ?」

青い顔をしたカヲルはそこから降りることはなく、また宙へと登っていったのだ。カヲルは勃起しすぎて立ち上がれなかった。

「カヲル君…」

どんどん小さくなってゆくカヲルをシンジはいつまでも見送っていた。


そうしてあっという間に日が暮れて、帰り道。カヲルは黙ってとぼとぼとシンジの一歩後ろを歩いていた。たまにシンジが振り返るとカヲルが遅くて引き返す。途中からシンジはカヲルの袖を引っ張りながら歩いた。

「…カヲル君?」

けれどある時シンジは逆にぐいっと手を引っ張られたのだ。カヲルが立ち止まっている。肩を落としてうつむいている。

「…今日はバレンタインじゃないよ。」

「ん?」

「今年の2月は、13日の次は15日なんだ…」

ついにカヲルはチョコレートを貰えなかった。最後にアピールするはずが、格好悪いところしか見せられなかった。けれどついさっき、ある重大な事実にカヲルは気づいたのだ。

シンジは貴重品以外手ぶらだった。つまり、チョコレートなんて最初から持ち合わせていなかったのだ。なのにカヲルは必死でシンジの気を引いて、いい返事を得ようとしていた。

カヲルは自分が情けなくて泣きそうだった。最初からやり直したい。けれど、それを乞うには彼はあまりにもボロボロだった。

「えっと……あ!」

シンジはカヲルが何を言っているのかわからなかった。けれど、しばらくしてひとつ、言い忘れていたことを思い出した。

「ごめんね…僕、」

カヲルは最後の審判を前に、目を閉じる。

「あの、今日はデートだったから持ってこられなかったんだけど…カヲル君にチョコレートケーキを焼いたんだ。僕たちの一ヶ月記念に。よかったら、僕の家で食べていってよ。」

シンジはそっとカヲルの手を握った。カヲルの氷みたいな指がじんじんと温かくなる。カヲルが目を開けるとそこには、頬を染めてにはにかんで、愛おしそうに自分を見つめるシンジがいた。

シンジはずっと悩んでいた。僕はカヲル君にふさわしいだろうか、カヲル君の気持ちが冷めちゃったらどうしよう、そんな気持ちばかりで素直にカヲルの好意を喜べなかった。

しかし、カヲルが一生懸命想いを伝えてくれるその姿に、次第にそんな悩みは消えてゆく。シンジにはカヲルしか見えなくなった。カヲルが愛おしくてたまらなかった。好きすぎて何も伝えられないくらいだった。

だからシンジはバレンタインにその気持ちを込めようとずっと前から、チョコレートケーキを焼く練習をしていたのだ。とびきりの返事を贈りたくて。

“カヲルくんが大スキです”と大きくデコレーションしてあるチョコレートケーキにカヲルがご対面するまであと、もうちょっと。


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