[. 蒼い月


(in RED and BLUE)





僕らが自分として

生きていけるのは

今しかない

だから

自分の一番の願いは

諦めたくない

未来の僕らのために

もう、諦めない





シンジがカヲルを見つけた。歩けばいくらもかからない程の距離に彼の後ろ姿を見やる。彼はそうとは知らずに鼻唄を口ずさむ。側にいる彼の想い人へと向けた祈りを乗せて。



ーカヲル君がいる…なんでここにいるの?

心臓が飛び出してきそうで、うまく息がつけない。目がじんわりと熱くなる。

僕は震える足でゆっくりと歩き出す。体が浮いているみたいで、ちゃんと君の元に辿りつけるか心配になる。あと少しだ、あと少し。朱い夕陽が僕達を照らし終えるのも、あと少し。

僕はずっと君に言おうと思ってた言葉を心に準備する。緊張で冷えた指先が夕暮れの風にちょっと痛い。

ざっ、小石を蹴ってしまった僕の足元の音を聞き、カヲル君が鼻唄をやめてこっちに振り返る。赤と青とが交える。僕らの距離は君と僕が初めて出逢った頃と偶然にも同じだった。僕は深呼吸して、決めていた言葉を告げた。



「僕は君に会う為に生まれてきたんだよ。」



ー…シンジ君……!

頭が真っ白になって、僕は固まってしまった。振り向いたら君が、かつて幾度も君に贈った言葉を紡いで、泣きそうな微笑みで、僕を見つめている。意思を持ってしっかりと形をつくり、それでいて恐る恐る発音されたその科白は、気づかない内に張られていた空間の膜を切り裂いて、鮮明な時を呼び起こした。そして生まれたばかりの新世界では、漆黒の瞳が赤い情景の中で唯一、碧い光を宿して揺れている。

世界に在るどんな言葉であっても、今の僕の心は表せないだろう。

僕は力が入らない身体をどうにか崩れないように、ふらふらと覚束無い足取りで前に繰り出す。君の存在を確かめたい一心で、一歩、また一歩と歩みを進める。

酸素が足りない。きっと僕の身体は壊れている。君の微かに震える唇。さらさらと風に吹かれて靡く艶やかな黒髪。僕が近づくにつれて君の指は握り締められる。その仕草に君の心を覗く。君もこの予期しない再会にきっと同じ気持ちで立ち尽くしているんだ。

一歩、また一歩…

君が触れられる程近くにいる。信じられない。僕は夢を見ているのかもしれない。

一歩、そして立ち止まる。

夕陽に照らされている君が、光を集めて輝いている。なんて美しいんだろう。

君の頬に触れた。溜息を漏らした君が睫毛を震わせて僕の掌に頬を擦り寄せる。少し傾いた顔で僕を見つめる強い眼差し。泣きそうに眉を寄せて、儚く微笑む。

「ーーー…」


言葉を忘れた僕は、君を抱き寄せた。




カヲル君が僕を見つけて、表情を無くしている。驚いて見開いた瞳は涙を湛えていて、今にも零れ落ちそうで、そんな感情に揺さぶられたような君を見たのは初めてだった。君から一切余裕が無くなっている姿が、君らしくないけれど、堪らなく愛おしくて、何故か泣きたくなる。

僕を確かめるように頬に触れた指が冷たかった。君は凍えていたのかな、なんてふと思ってしまった。君の顔が青白くて、赤い世界で君だけが浮世離れして見える。僕はそんな君がとても綺麗だと思った。

ーカヲル君…

君が僕をいきなり抱き寄せたから、心臓が遠くまで跳ねた。鼻からくぐもった息が漏れて、君と触れ合っている肌が熱い。ああ、君の温もりだ。願ってやまなかった君の温もりなんだ。さっきまで冷えていた指先が温かくて、凍えているように見えた君が発熱して僕を包み込む。僕は溺れるような感覚で君に縋りつく。君の心音が僕のそれに重なって、ふたりで同じリズムを刻む。心地いい。



ーシンジ君…

僕の世界から言葉が消えて、感覚のみが響き渡る。君の肌の温度、息遣いに合わせて上下する胸、僕を抱き留める腕の拙い動き、全ては僕の愛しい人から発せられる。もっとそれを感じたくて君を強く引き寄せると、君の体がしなって僕等は密着した。君の匂い、君の鼓動、君の柔らかい質感、僕が何度も描いてきたそれよりもずっと鮮烈に僕に刻まれる。眩暈がする程の刺激が僕を駆け巡って、このまま僕が蒸発してしまう前に名残惜しく君を手放した。肩を抱き、息がかかる程の距離の内に。



「シンジ君…これは夢かな…」

「夢じゃないよ、僕は、ここにいるよ。」

僕がはにかんで笑うと、カヲル君の笑顔が溢れた。

「君に会いたかったよ。凄く、会いたかった。」

「僕も会いたいってずっと思ってた。」

「君はやはり、覚えているんだね…僕の事を。」

少しだけカヲル君の声が涙声になっていて、胸がきゅんとなる。

「うん…君が思い出させてくれたんだ。」

やはり、と言った彼の言葉で夢での交流が確信に変わって、僕は嬉しくて顔がふやけたように緩んでしまう。それにつられてか、カヲル君の笑みも深くなった。

対峙する僕らに、何も阻むものはなかったけれど、お互いの意識した昂りが少しだけふたりに隙間を築いた。急に恥ずかしくなった僕が目を伏せると、君はくすっと息を漏らして笑った。久々の君の優しさが焦れったくて顔が熱くなった僕が少しだけ俯くと、君は触れるようなキスを僕の額に落とした。その甘さに痺れていると君の腕がふわりと浮く。そしてその腕は僕を大切に包み込むようにして抱き締めた。

夕陽は地平線の先に赤い世界を連れてゆく。世界の色は刻々と移り変わり、夜の帳が降ろされてゆく。遠くには一番星が僕らを見守りながらちらちらと瞬いていた。



君とふたりで星を見ている。待ち焦がれていたそれは、とても自然な成り行きだった。シンジ君の再会の言葉に返すような心持ちで、今度は僕が君を夜空の下に誘った。僕達が偶然の再会に酔いしれていたらあっという間に辺りは深い影を落として星が瞬いていたから、誘うも何もない状況だったけれど。

君へお返しの悪戯をするような甘くむず痒い衝動のまま、君がかつて僕に云った言葉そのままに君に伝えてみたら、君は緊張を解した様に僕を少し嗜めて笑った。こんなじゃれ合いが僕には堪らなく嬉しい。

僕等は互いのこれまでの経緯を語り合った。君の人生を彩った様々な場面に僕が居なかった事に悔しさを覚えて戸惑っていると、察してくれた君が、でも僕の心の中には忘れていてもいつも君がいたよ、と言葉を足して僕の指先に触れる。僕は君の手を絡め取って、ありがとう、と呟いた。

星を眺める君の面影。綺麗な横顔が星空に見入っている。君は今、何を想っているのだろう。僕を見て欲しい、そう夜空に嫉妬をして、僕は手を付き上体を起こした。君を覗き込む僕と視線を僕に移す君の瞳がかち合う。

「君に会えて嬉しいよ…」

僕は今日何度目かの同じ科白を並べてしまう。何故なら、この気持ちを表すには何度君にそう伝えても、足りないから。

「僕もだよ…」

君の視線を僕だけのものにしたくて顔をより近くに寄せると、君は少し困った顔をして微笑む。暗がりの君はいつもより艶めいて見える。

「君にずっと触れたかった…」

僕はそう云って君の首筋を撫でた。君が顔を少しだけ横に傾かせてきゅっと唇を結び目を閉じた。そして少し悩まし気に瞼を開き、また僕を見据える。

「君が欲しいよ、シンジ君…」

君の仕草が色めいていてつい口走る。君は躊躇って視線を下げた。眉を寄せて睫毛を瞬かせる。返答に困ってしまう君の恥らう姿が愛おしい。

「今日はずっと君と一緒にいたいんだ。僕の家に来ないかい?」

束の間の沈黙。そして…

「うん…」

夜の闇の中でもわかってしまう上気した頬を緩めて君は消え入る声でそう答えた。君の瞳が潤んでいる。僕等は互いを求め合っていると感じた。



僕らは夜の土手を後にして、カヲル君のホテルを早めに引き払って、駅まで向かった。途中僕は家に電話して、今日は友達の家に泊まると伝えた。僕らしくない急な展開に母さんは驚いていたけれど、懐かしい友達に会ったから、と言ったら了承してくれた。嘘は吐いてない。

第三新東京市までの直通電車は意外と空いていた。僕らは電車の中隣り合って座り互いに体を預けた。ただ無言で寄り添うふたりは世紀末に生きる恋人たちのように儚気だった。

僕が君の温もりに安堵してうとうとしてしまうと、おいで、と耳元で君は密かに囁いた。僕はぼんやりと人気のないことに気が緩んで、そろそろと眠って自然とそうなったような動きで首を傾げて頭を君の肩に乗せた。君も擦り寄るようにして頬を寄せるから、君のさらさらの銀髪に擽られてこそばゆい。

ーこれが、幸せ、なのかな…

僕はその幸せを遠くで眺めるような気持ちで微睡んでいた。そして気づかないうちに電車に揺られながら眠ってしまった。



シンジ君が僕の肩に身体を預けて眠る。社会の営みの中でふたりが寄り添う。それだけのことに悠久の時間を費やした。それだけのこと…なのに僕には痛いくらいに幸せで、泡が破裂しないよう掌で包む様な大切さで君を支えた。

名残惜しかったけれど、終着駅に辿り着いて君を揺り起こしてから、僕のマンションへはタクシーで向かった。プラットフォームでまだふらふらと目覚めたばかりの足取りで僕についてくる君の手を取ると、君は抗議の声を上げたけれど、振りほどきはしなかった。目的地が近づくにつれて押し黙る君を和まそうとそっとタクシーの車内でまた君の掌に僕のを重ねたら、余計に真っ赤になった君は俯いてしまった。


あっと言う間に僕の新居の前まで着いてしまう。互いに緊張を隠せずにぎこちなく微笑みを交わす。意識し合った関係は期待や興奮、不安や焦燥が入り混じっていて落ち着かなかった。

「カヲル君、独り暮らしなの?」

「そうだよ。だから、いつでもおいで。」

かちゃりと音を立ててカードキーがロックを解除する。

「後でスペアキーを渡すよ。さあ、上がって。」



カヲル君が扉を開けて僕をエスコートする。なんだか全てが大人っぽくて僕を含めた中学の同級生とは生き物の種類が違うみたいだ。確かにそれは違うけれど、こんなに優雅な大人も僕は知らない。さりげない仕草にすごくどきどきして、普通にしていられない。浮き足立ち玄関で立ち止まる僕の気配をさり気なく見やってリビングで僕を迎える用意をしてくれている。

僕がのろのろと部屋に入ると中学生の住む場所とは思えない快適な空間に驚いた。質素に必要最低限の物を揃えた住居はだだただ広く、カヲル君らしかった。

「君が一緒に住んでも申し分ない広さだろう?」

僕がそれを聞いてどぎまぎしていると、君は悪戯っぽく笑った。君はすごく上機嫌で、かと思えばたまにちらっと不安気に僕の様子を伺っている。

適当に腰を掛けていて、と言われたけれど、ソファもない。日本に来て間もないと言っていたから、何も買えていないんだろう。キッチンの側のテーブルに椅子があったけれど、仕事の書類が並べられていて申し訳ない。だから残りの選択肢のベッドに腰を下ろした。カヲル君がペットボトルのミネラルウォーターを両手に持ち、片方を僕に渡した。

「ごめんね。突然だったからこんなものしかなかった。次の休みにはもっと揃えておくよ。」

「そんな、気にしないでよ。ありがとう。」

ひんやりとした水は美味しかった。喉を伝い潤す冷たさは僕の凝り固まった緊張を解そうとしてくれてるみたいだった。ほっと息をつく。

ふと、横に腰掛けたカヲル君を見てどきりとした。僕が水を飲むのをずっと眺めていたと、君の視線と空いてないペットボトルが語りかける。

「明日は予定があるのかい?」

ーどうしてそんなことを聞くの?

「…ないよ。カヲル君はネルフに初出勤だよね。」

ーミサトさんが確か言ってた。

「ああ、午後からだけどね。」

ー………

「そっか…」

「なんで知っているんだい?」

「え?」

「僕の予定。」

「あ、たまたま知ったんだ。今日ミサトさんが教えてくれて。同じパイロットだからって…」

別に嘘なんて吐いてないのに、妙に顔が火照る。僕はバカだ。



シンジ君が頬を染める。君の緊張が僕に移って鼓動が早鐘を打つ。僕なりに平常心を装ってみたけれど、上手くいかない。僕の部屋という密室が互いの立ち位置を浮き彫りにして、ふたりを悩ませている。突然の再会、募る想い、拗らせた恋心、先に進もうか揺れ惑う気持ち…交錯してふたりにのしかかる。

無言のまま互いに並んで前を向く。隣り合うふたつの肩の触れるか触れないかの距離がもどかしい。以前ならこんな気まずい空気はやんわりと僕が君に言葉を掛けて中和していった。けれど、今の僕にはそれが出来ない。君に恋をしていると気付いてしまったから。僕にそんな余裕はもう無い。


もっと君と語り合いたい。

もっと君の側に行きたい。

もっと君に触れたい。

もっと君を知りたい。

もっと君と繋がりたい。


「…シャワーでも浴びるかい?」

ー君に伝わらないね。

「え?」

ーこんなに側にいるのに。

「泊まっていくだろう?」

ー縮まらない距離がもどかしい。

「あ、でも着替え持ってないし…」

ー手を伸ばせばすぐ届くのに。

「僕のを貸すよ。」

ー君と目も合わせられない。

「悪いからいいよ…」

ー君が好きなのに。

「そう、じゃあ寝ようか。」

ー君に恋しているのに。

「え…?」



気がつけば、時計の針はもうすぐ真夜中を指そうとしていた。僕が黙って頷くと、カヲル君は部屋の電気を消しに行った。僕は窓際にペットボトルを置いて、仕方ないからそのままベッドの右側につめて横になってみた。ぱちりと電気が消えた。

暗い部屋に月明かりを切り取った窓が浮かび上がって青白い発光をしている。初めての部屋で受けるその光はとても幻想的で、何故か心が落ち着く。そんな中で飲みかけのペットボトルの佇まいだけが、不思議な夢に迷い込んだみたいに所在無げだった。今日は満月だ…ひと月に二回姿を現す珍しい満月…

気がつけば君がベッドの脇に立って僕を見下ろしていた。君を照らす青白い光の中で唯一宝石のように煌めく紅い瞳。目が慣れてくると、まるで夢のように綺麗な姿をした君が、静かに微笑んでいた。切なげに、悩ましい愛欲の色を残して…


ー君が欲しいよ、シンジ君…


星空の下で僕に囁いた君の言葉が僕の体の中でずっとこだましていた。



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