つぶさに心中


僕たちには秘密がある。

火曜日の3限目後の休み時間。シンジ君と僕はチャイムと同時に教室から逃亡。はるばる校舎を渡って音楽室までやってくる。この時間、ここには誰もいない。慌ててドアを閉めてピアノ裏の死角へと滑り込む。教室に無事戻るなら、タイムリミットはあと2分。

「しないの?」

僕がただ目と目で見つめたままでいると、焦れったそうにシンジ君が身をよじった。

「おねだりしてごらん」

走って心拍数は急上昇。じんわり体が熱くなると自然とみだらな気持ちになる。シンジ君はそれが顕著だ。潤んだ瞳で僕を誘い、

「…して」

こんな声を出す。子どもが背伸びをして大人よりもいやらしい。そんな危うい魅力を放つ。

「聞こえないよ」

興奮した僕が意地悪をすると君は困り顔。でも内心喜んでいる。もう時間がない。シンジ君の喉が鳴る。

僕たちは誰にも内緒の関係。ふたりで隠れて――

「…キス、して」

――キスをする。

「よくできたね。おりこうさんだよ」

唇を離しながら、僕がこうやって褒めてあげると、シンジ君は本当にうっとりと笑っていた。


初めての時は放課後の廊下だった。僕が日直のシンジ君を待っていると、驚いた彼が

「どうしたの?」

と聞いてきたから、

「君を待っていたのさ。一緒に帰ろう」

と、その遠慮がちな手を引いた。シンジ君は爪の先まで緊張していた。最終下校間際の廊下には誰もいない。それに僕たちは知り合って間もないというわけでもない、のに。だから僕は彼を隅へと連れていき、

「僕からの友情の証だよ…」

と告げて、そっと彼にキスをした。僕はもっとシンジ君と親しくなりたかった。唇が重なるとキュッと指先が縮こまって、僕の心臓まで掴まれる。恥じらいながらも僕を受け入れてくれたシンジ君はとても愛らしかった。

それからこの、僕たちのスリリングな遊戯は誰にも知られず日課になった。暇さえあれば、非常階段の壁際で、図書室の棚の奥で、校舎裏の茂みの中で。日を追うごとに大胆になり、上手くゆけば一日何度も、なんてことにもなるのだった。

「ん…はぁ…」

また音楽室の片隅で。とろんと潤んだ瞳で僕を見つめるシンジ君。もっと、と言われているよう。

「もう時間だよ」

次は体育だ。早めに切り上げて着替えなければ間に合わない。けれど、

「う…ん…」

真っ赤になってさっきから内股の足を擦り合わせている。両手をその間に置いて、何かを隠している。

「カヲルく、ん…」

舌ったらずの声で僕を呼ぶ。気になって手を取ってみれば、

「シンジ君…」

シンジ君は興奮していた。スラックスの膨らみを僕が見つけると、彼は泣きそうな顔でうつむいた。僕、体育に行けないや、と呟いた。

その時の僕は君にはどう映っていただろう。僕は何も言わなかった。かわりにシンジ君を床に組み敷いて、とても静かにベルトを外した。音を立てたら夢から覚める、そんな気がした。
そして震えた手が、外れたボタンを追いかけようとする。僕がその手を掴み、顔の横まで持ち上げると、君はそのまま指を噛んで、その手を諌めているようだった。火照った頬。期待と不安で胸が忙しなく上下する。緊張で身構えるように膝を立てて、僕がファスナーをゆっくり下ろすとピクンと腰がしなった。そして白いブリーフの中、まだ成長しきっていないのに一人前に硬くなったそれを握ってやると、シンジ君は聞いたこともないような甘い声を漏らす。目に見えないそこは淫らに湿っていた。揉みしだくと未発達の性器はしっとりときめ細やかで柔らかかった。そのすべてがいちいち僕を刺激して、衝動を駆り立てる。僕は君を楽にしてあげようとしていた。なのに気がついたら、

「あ、だめ…」

ふたり一緒に張り詰めたものを重ねて、手のひらで擦り合わせていた。そして僕は我慢できずに激しく腰を振って、

「ん、ん、ん、んぁ、―――!」

夢見心地で君の上で射精していた。とっさに持ち合わせていたハンカチで拭き取っても、ふたり分の白濁液は床に飛び散る。その背徳的な光景。僕は君の上に乗って、絶頂後の力の入らない体を持て余している、その姿をうっとりと眺めていた。こめかみに汗を浮かせて、涙を流しながら僕を見つめている、崇拝の瞳。君は僕のもの。僕はシンジ君を手に入れた喜びに酔いしれていた。

それは心中。君をまるごと支配する、息もできない甘美なひととき。


けれど、そんな優越感はつかの間だった。

僕は永遠だと思っていたものが一本の電話によって粉々に砕かれることを知ったのだ。

「そんなに気にすることはないよ」

「でも…」

「その時にならなければわからないだろう?」

僕がどんなに慰めても、君の心は遥か遠くへと。

先日、シンジ君は同居人で保護者でもある葛城ミサトが電話をかけているのを偶然に聞いてしまった。彼女は気を利かせたつもりなんだろう。もうすぐ誕生日を迎えるシンジ君を気遣って、彼の父親に頼んでいたのだ。せめて誕生日に電話一本くらいかけてあげてくださいよ、と。シンジ君は、そんなの余計なお世話だ、と最初は怒っていた。けれど次第に、落ち込んでいった。

「僕は別に…父さんに何も期待してなかったんだ。どうせ覚えてないだろうし。でも、誰かにしてあげてくださいって言われても何もしなかったら――」

「いいじゃないか。僕がたくさんお祝いしてあげるよ」

僕は教室の隅でカーテンを広げた。午後の休み時間、クラスメイトはほとんどが出歩かない。そんな雑踏の中、風に煽られたカーテンに隠れて僕はシンジ君の唇をそっと盗んだ。そのスリリングな一瞬、いつもの君なら嬉しそうにうっとりするのに、

「うん、でも…父さん、きっと忘れちゃうよね…」

表情を曇らせて溜め息を吐く。僕のキスが何でもないというように。僕はその時、初めての敗北を感じた。僕の手の中にいたと思っていたシンジ君を、ずっと遠くに感じたのだ。


誕生日当日、シンジ君は僕の部屋に遊びに来た。この日が近づくにつれ落ち着きのなくなったシンジ君は、その原因をつくった彼女と折り合いが悪くなり、泊まりがけで来てくれることになったのだ。それを聞いて僕はどれだけ嬉しかったか。舞い上がり、夜も眠れなかった。彼に何をしてあげよう、ふたりきりでどう過ごそう、そればかり考えていた。

「どうしたんだい?」

けれど、シンジ君はそうではなかったらしい。僕が彼を膝に乗せて耳許で愛を囁いても、僕との時間に集中しないでそわそわ携帯ばかり気にしている。後ろから抱き締めても、首筋に吸い付いても、変わらない。

「僕が忘れさせてあげるよ」

僕は笑顔で、けれど内心苛立って、少し乱暴に彼をベッドに押し倒した。乗り気じゃないシンジ君が慌てて起き上がろうとしても、逃がしてあげない。

「待って」

と顔を背けても、

「待たない」

君のそのつれない口を塞ぐ。僕以外の誰かばかりを言うなんて、寂しい。そう、僕は寂しいんだ。

「ん…ふ、」

学校ではしなかった、大人のキス。異変に気づいて君は強く抵抗する。ジタバタするその足も上体を剥がそうと突っぱねるその腕も、僕を刺激するばかり。歯列をなぞって、息継ぎの隙に奥へと舌を挿入する。次第に上がってゆく体温。腰を抱き留め、ぬるぬると舌で舌を扱いてゆくともう、シンジ君は僕のもの。官能に溺れて、いけない子がむくむくと顔をもたげる。喜びの溜め息が漏れる。

それなのに、

「あ!」

ベッドの横、机の上でバイブレーションがけたたましく誰かの着信を知らせる。その時のシンジ君の嬉しそうな顔。驚きと期待でふにゃりと恥ずかしそうに笑ったのだ。僕の知らないその笑顔。

僕は気づかないふりをした。もっと、とシンジ君におねだりをする。振動へと伸ばされた腕を自分の方へと手繰り寄せて、そんなやつよりも僕の方がずっとずっと君を大事に想っている、と抱き締める。けれどシンジ君は、

「意地悪しないでよ」

と泣きそうな声で僕に訴えた。僕は急に自分が無力になったと感じた。僕が力を抜くとすぐさまシンジ君は目一杯手を伸ばしてそのうるさい物を手にする。画面を見て宝物を見つけた子どもみたいに瞳を輝かせて、耳に当てて、もしもし、と甘えた声を出した。馬乗りになったまま僕が見ていることも気にせずに。そしてシンジ君は何度か相槌を打って、何かを待って、それからすっと笑顔が消えて、沈黙。携帯はシーツの上に転がった。

「ちゃんと覚えていてくれたじゃないか」

明らかに曇った表情のシンジ君に敢えてそう聞いてみる。僕は内臓までどろどろになった気がした。渦巻く感情が怒りに火をつけそうになる。けれど、

「……今日が何の日かは忘れちゃったみたい、」

そうぽつりと呟いて、小さく自嘲して、そして哀しそうに顔を歪めるシンジ君を見たら、

「シンジ君…」

僕はもう君が愛おしくてたまらなくて、息もできないほどきつく君を抱き寄せていた。そしてとびきりの、蜜よりも甘い愛の言葉を注いでゆく。それで君を溶かしてゆく。

「誕生日じゃなくても僕は毎日、君が生まれてきてくれたことに感謝してるよ」

「えへへ」

僕の言葉に泣きながら照れ笑いを浮かべている君。それがあまりに健気で、僕は――

「…して、カヲル君」

――心中する。

僕がしなだれて首筋にキスをすると、シンジ君はくすぐったそうに身をよじった。でもすぐに、あの音楽室で一歩大人になった君は、僕の背中に腕を回す。僕がシャツの中に手を入れるともう、喘ごうと準備している。力を抜いて耳に息を吹きかけて、僕を誘うんだ。さっき冷たくあしらったことを反省しているのか、見捨てないでとすがっているのか、君の心を覗こうとしているのに、僕はもう何も考えられなくて、気がつけば、溺れていた。

「僕がいればいいじゃないか…」

僕はもう、恥ずかしいくらい興奮して、

「うん、カヲル君がいればいい…」

君に夢中になる。うたかたでもいい。僕を喜ばすための嘘でもかまわない。君は僕のもの。

なのにまた、

「あ…!」

シーツの上、震えながら点滅する君の携帯。もしかして、と思う。もしかして、自分の息子の生まれた日に用件だけ伝えてさっさと通信を切ったあいつからなのか。

僕が上体を起こすと、シンジ君は僕を見ていた。

「出ないのかい?」

慌てて手に取ると思ったのに。

「……、」

すねた顔で携帯を横目でちらっと確認する。そして上目遣いで僕を見つめて、

「カヲル君がいればいい…」

この時の僕は君にはどう映っていただろう。僕は優越感を抱くはずだった。けれど予想とはちぐはぐに、戸惑って、深呼吸して、手を伸ばした。憎たらしいその画面を確認して、シンジ君の耳に当てた。僕はちょっと怒っていたかもしれない。君はあっけにとられた顔をしていた。でもすぐに、

「父さん?」

嬉しそうに笑うのだ。

『ああ。言い忘れた』

「え?」

『誕生日おめでとう』

「…ありがとう、父さん」

僕は君にそうやって何度だって殺される。君は今までに見たどんな君よりも最高の笑顔でその声に耳を傾けていた。僕の腕に囲われて。僕の見つめる目の前で。だから、

「あッ!」

僕は悔しくて君の首筋に吸い付いた。甘噛みの初めての刺激に君は思わず声を漏らす。

『どうした?』

「…なんでもない」

君がその気なら僕はかまわない。僕だってやめてあげない。僕がまた前戯を始めると、シンジ君は必死で喘ぎを押し殺しながら、父親からの言葉の続きを嬉しそうに聞いていた。その横で僕は、

『あなたの知らない所で僕たちはこんなに親密なことをしているんですよ』

と画面の向こう側へ牽制する。そして挑発する。

『あなたのいない隙に、僕はシンジ君のあの笑顔も何もかも、僕のものにしてみせます。いつかきっと。だからせいぜい油断していてくださいね』

僕たちには秘密がある。


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