Chapter:3   不埒な残業



大都会の街路樹も駅ビルのロータリーも夜の方が眩しいイルミネーションの季節。華やいだ冬の装飾は普段と変わらない街の片隅の侘しさを際立たせる。そうしてある独り身はマッチ売りの少女が窓辺から温かな団欒の灯りを眺める気持ちを理解するのだ。何を祝っているのかもわからない巨大なクリスマスツリーに群がる蛾のような恋人たちをモノ言いたげに見つめては水蒸気の溜め息をふうっと吹きかける。ろうそくを消すようにして。

「んで、お前はクリスマスの予定あんの?」

誰かの差し入れの黒糖饅頭の残りをケンスケはシンジの分まで取って手渡した。

「ケンスケはどうなのさ。」

「俺は毎年恒例、聖地巡礼の準備だよ。」

「何それ。」

「趣味。まあ割と本気のな。こんなクソ仕事ばかりだと俺は参っちまうからな。二足の草鞋。」

すると待ってましたとばかりに頭上からの甲高い声。

「クソ仕事はしている人間がクソだからよ。私の仕事は最高。」

アスカはシンジの机にこれ見よがしに寄り掛かる。苦虫を噛み潰したようなケンスケの顔。苦手意識は顔から包み隠されず表れている。

「クリスマスって嫌い。引く手数多のクソ男を足蹴にするのが大変で、」

「それは群がる先の人間がクソだかーー」

するとケンスケの脳天に肘鉄が激突して、舌がグニョリと歯に挟まれる。悶絶するケンスケにシンジは目が点。

「バカシンジは、まあ、言わなくてもわかるわ。童貞はせいぜいクリスマスキャロルのアニメでも観てなさいよ。」

「ぼ、僕だって予定がないわけじゃないよ!」

「え!?お前、教えろよ!」

「なんであんたが気にしてんのよ。」

痛い所をつかれてケンスケはグッと口を閉ざす。

「…クリスマスは、どうせ仕事だし、夜に家でケーキでも焼こうかなって、」

 これにはアスカが目が点だった。

「あんた乙女!?」

「今は男だって料理くらいするよ。アスカはしなそうだけど、」

「私は出来るけど敢えてしないの。断捨離よ。」

「言葉のチョイスがおかしいや。」

するとちょっと離れた席から噂の的のカヲルの話題が聞こえてきた。

「せ、専務は俺の情報によると予定が空いているらしいな。」

「それドコ情報よ?うちの課ではアイツはどうやら家族で過ごすんじゃないかって話よ。」

シンジは急に息が出来なくて固まった。

「それは聞いてないぜ。俺の情報に狂いはないよ。」

「なんでそう言い切れるのよ。クリスマスなんてものはね、ドイツでは日本みたいに恋人がいちゃつく口実じゃなくってちゃんと家族で祝うものなのよ。」

「僕、ちょっと、トイレ、」

シンジはそれだけ呟くとそこから逃げ出すようにして駆け出した。

シンジはあのエレベーターの一件以来、カヲルを避けるようになっていた。最近は昼休みも屋上ではなく自分のデスクで食べている。エレベーターもたまにだけ、近い場所ならわざわざ階段を使っている。最初のうちはカヲルもシンジの前へと姿を現さなかった。けれど痺れを切らしたのか、たまに伺うようにしてシンジのデスクに顔を出した。極めて穏やかに、けれど業務的な応対をすると、行き帰りのビルの玄関で待ち伏せをされてしまう。改札前までシンジの後をついてきて、僕が気に障ることをしてしまったらならごめん、なんて言われてしまい、言葉に詰まると次の日にはエレベーターにて無理矢理に抱き締められる。この時はカヲルも言葉も無く泣きそうだったので、つい、シンジも抱き締め返してしまうと、翌日、つまり今日の朝、自分の机の上にて小包を発見。メッセージカードには“大切な君へ”と美しい字が添えられていて、中にはシンジの大好きなペンペンの手のひらサイズのオーナメントが入っていた。クリスタルに金のあしらわれたそれは雪の結晶の細かい模様が施され、とても綺麗で可愛らしいものだった。ツリーに飾るのにもピッタリで、シンジはカヲルとクリスマスを過ごす自分を想像した。暖炉が無くてもブッシュドノエルや七面鳥が無くても構わない。ただ、ふたりで駅前のイルミネーションを眺めて、手袋を忘れたふりをしてかじかむ手でそっと、カヲルの大きな手を握りたい。

いっぱいいっぱいなシンジはこの時どうしてカヲルは自分のペンペン好きを知っているのかという疑問すら持たなかった。もしかしたら運命の相手の以心伝心かもしれない、なんてふんわりとした受け止め方をしていたのだ。雇われ情報屋はそんな夢見るシンジの横で着々と、上司にクリスマスプレゼントとして彼の聖なる夜の予定を聞き出そうとしているのに。

さっきまでシンジは鞄の中に大切にしまってある、あの贈り物の感謝をどう伝えようかとそればかり考えていた。ちょっと、エレベーターで隙を見せてもいいかもしれない、なんて不埒な計画を立てたりした。クリスマスだって本当は、イブに焼いたケーキを屋上でふたり一緒に食べてもいい、なんて思っていたのだ。

クリスマスに家族と…当然じゃないか…

何を期待していたのだろう、シンジは急に虚しくなって泣けてきた。トイレで泣こうとしたらそんな時に限って煩い噂好きの上司がいる。目尻を拭って踵を返して、仕方なしに休憩室へ。誰もいないそこにまでクリスマスの息吹を感じる。卓上の唄うツリーなんて飾ったやつは誰なんだ。

あのプレゼントの包み紙のテープを一枚一枚剥がす時の期待で震える指先も、化粧箱の蓋を開ける時の痛いくらいの高鳴りも、贈り物を瞳に映し舞い上がりそうになったあの宙に浮く感覚も、全部、嘘で塗り固められた虚無なんだ。裏切りの上に成り立つ嘘。どんなに真実のように見えても、薄汚いものなんだ。
生きた心地のしないまま、わけもわからずコーヒーを淹れようと紙コップを取った。コーヒーはあまり飲まないのに。すると、

「…気に入ってくれたかい?」

背中にじんわりと気配がする。シンジの心臓が止まった。脇から白い手が腹に回されて、頬に掠める熱い息。
ここでいつもは、やめてよカヲル君、なんてたしなめるシンジなのだが、この時は喉が引き攣り声が少しも出なかった。カヲルはそんなシンジの態度を真意とは違う方向に解釈する。

「君は硝子のように繊細な心の持ち主だね。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。」

そしてシンジはカヲルの言葉をまるで、大人なんだから不倫くらい構わないだろう、と言われているように感じてしまったのだ。持っていたカップがコロンと床に転がる。そんなシンジの手をカヲルの両手が包み込む。

「うちに来れば君の好きな甘いお酒も冷えているよ。」

シンジ君、と耳元で囁いて擦り寄るカヲル。カヲルはシンジの前では決して自信家ではなかった。けれど不安定なシンジには自分がリードしなければ、と強がっていたのだ。カヲルは震えそうな身体をどうにか踏ん張っていた。しかし、

「今夜、一緒にーー」

「もう僕に関わらないでください。」

シンジはそれだけピシャリと言って駆け足で休憩室を後にした。カヲルはその場にフリーズする。頭が真っ白になって、世界が終わってしまった、そんな気持ちのまま感覚だけが遠のいた。
ケンスケのリサーチからシンジの情報をもらい、もし少しでも可能性があるのなら、とシンジに振り向いてもらえる方法を考えたのだ。見たこともないペンギンのインテリアを探すために街中を駆け巡った。甘い酒を呑まないカヲルはわざわざカクテルのことも一から覚えた。目の前でキス・イン・ザ・ダークをつくったら、シンジ君はきっと喜んでくれるだろう、と。
シンジの好きなものを知り、散々試して彼を誘ったのだ。けれど返事は全て、ノー。それは、つまり…


「渚専務、体調不良で午後早退だってー。」

「え、やだあ。渚くんと同じ空気吸いたくて働いてんのにい。」

「私、お見舞い行っちゃおうかしら。」

肉食系女子達の情報網はシンジの耳にも嫌と言うほど通過してゆく。

「専務、どうしたんだろうな。お前、一応友達だろ?見舞ってやれよ。」

「家族がいるんだから余計なお世話だよ。」

シンジは凍った心でそう呟いた。死んだ魚の眼のようなシンジにもう、ケンスケは何も言えない。ケンスケも専務の家族事情については気になったが、深入りしたくないので敢えて聞くことはなかった。


その日の夜、シンジは泣き腫らした目で布団に潜っていた。なかなか眠れない。こんな日はきっとカヲルの夢を見てしまう。何の障害もなくふたりで恋人になって過ごす夢。そんな夢から覚めた朝は辛くて足の指ひとつ動かせない。もうそんな想いは、したくない。

「綺麗だ…」

手の中にはあの贈り物。昼間は嫉妬や怒りでカヲルを嫌いだとまで思ったが、夜は一転、愛おしさが込み上げてくる。

「ありがとう。大事にするね…」

すぐ側にカヲルがいると心に描いてそっと囁く。あの大好きな微笑みが自分を見つめてくれていると想像する。その腕に抱かれて胸に顔を埋めて、後ろめたさの微塵も無く、好き、と伝える。カヲルに触れられない指先はクリスタルの滑らかな質感を恋しいと撫でている。

もうきっと、こんなに好きと想えるひととは巡り合えない。だから僕はこのプレゼントをずっとずっと大切にしてゆくんだ。きっと時に流されて他の誰かと眠ることがあったとしても、こんな寒い夜には内緒で、僕はこれを撫でながらカヲル君を想ってゆく。遠くのカヲル君を…

シンジはそう想うと苦しくて苦しくて、出ない悲鳴のような声で、嗚咽を殺してまた泣いた。静謐な夜の幕を揺らさないようにと秘めた、小さく透明な泣き声だった。


次の日、カヲルはシンジの前に現れなかった。噂では出勤している。全く見かけないカヲルをたまに目線で探すシンジ。

自分から関わるなって言ったくせに。僕はホント大馬鹿だ…

そうして日は暮れてゆく。案の定、作業効率は最悪だった。まだまだ終わらない仕事にシンジは大いなる残業の予感。ぽつりぽつりと消えてゆく同僚の影。終わらない仕事。

「お前、明日やれよ。」

時刻は午後9時52分。もう残りはふたりしかいない。実はケンスケはやつれた同僚を心配してのんびりと画面上で呟きながら背中合わせの彼を待っていたのだが、流石にもう、この時間では帰りたい。まだ彼の家の机には脱稿していない趣味の原稿が残っているのだ。

「んー、まだ三分の一残ってるから、もうちょっとやってく。」

「効率悪い日は休むのが一番だぜ。」

「うん。でも…もう少ししたら帰るから。」

「了解。んじゃ、おつかれちゃん。無理すんなよ。」

「ありがとう。おつかれー。」

ケンスケは若干心配したが、もうふたりともいい大人だ。そのままオフィスから退室した。印刷所やノベルティの心配もある。彼も必死で生きているのだ。
シンジはふと、ケンスケのことを考えた。きっと彼は家に帰ったら趣味に全力で取り組むはずだ。話でしか聞いたことはないけれど、想像すると羨ましくなってしまう。そんな没頭する趣味もない自分。アスカは帰り際に合コンに行くと言っていた。きっと彼女のことだから今を楽しむよりも将来の投資と思っているのかもしれない。一方で不実な恋をしている自分。

僕ってホント救いようもないな…

やりたいこともない。自分が何をするべきかもわからない。自暴自棄な気持ちだけが浮かんでは誰もいない部屋の天井へと消えてゆく。そしてぼうっとすると心の隙間に広がってゆく、雨の日のランチタイム。きっとあの時が人生で一番幸せだったかもしれない。

カヲル君、僕のつくったハンバーグを食べてみたいって言ってたな。僕もつくってあげたかった…

ナイフの刺さるような胸の痛みに顔を歪めるシンジ。そのまま机上に突っ伏してしまう。

「あーあ…」

「シンジ君…」

一瞬にして全身に電流が走った。反射的に飛び起きて顔を上げる。いつもアスカがたむろする場所にカヲルが立っていた。どうにか笑っているような、寂しい表情。

「か、カヲル、君…」

「…残業かい?」

「うん、」

「頑張っているね。」

隣の椅子を引いて座るカヲル。物静かな態度だった。元気のない横顔。けれど、もう二度と話せないかもしれないと思っていたシンジからは思わず笑顔が溢れてしまう。嬉しい。

「今日はなかなか、集中できなくって、」

「僕もだよ。今日は仕事でミスをしてしまった。」

「…大丈夫?」

心配そうな瞳で首を傾げカヲルを見上げるシンジ。カヲルはそれだけで嬉しくて泣いてしまいそうになる。グッと堪える。

「書類にハンコを押し忘れてしまったのさ。後でちゃんと押したよ。」

「あはは。そんなのミスって言わないよ。」

笑っていると感情の扉はゆっくりと開いてゆく。律のない感情が放流して溢れ返る。それは初めて出会った日から育まれた綯い交ぜに合わさった、何か。急に笑うのをやめたシンジ。カヲルも同じものを感じて、最後の希望にすがるように、膝の上のシンジの手に自分のを重ねた。

「シンジ君…」

シンジはカヲルを見た。その赤い瞳には自分しか映っていない。それは天鵞絨に転がした宝石のような瞳だった。

「好きだ、」

祈りのようなその言葉。聞き惚れて我を失くす。カヲルは徐に立ち上がり腰をかがめた。机に手をつき、片方の重ねた手に想いを込めて握り締め、唇には口づけをする。ただ触れて、離れるだけ。けれどシンジには全細胞がほどけて消えてしまいそうなくらい、美しいものだった。唯一のものだった。

遠慮がちに離れてまた、椅子へを腰を沈めるカヲル。シンジを見ることもできず、まだ触れ合っていた手を離そうとする。

「あ、」

すると離れてゆく指先を握って引き止めてしまうシンジ。

やっぱり、カヲル君が好き、

「あ、の…」

本気で好きなんだ。何よりも、

「カヲル君…」

だから、

「ん?」

もう二度と何も望まないから、

最初で最後の想い出を、僕に、ください。

「僕も、好き…」

シンジはカヲルへと雪崩れ込む。その手をもう離さないように強く握り締め、カヲルと同じように身をかがめて今度はシンジからキスをした。驚いたカヲルは一瞬そのまま微動だにしかったが、次の瞬間にはボルテージが沸点を超える。その唇を引き留めようと腰に腕を回して抱き寄せ、そのままシンジはカヲルの膝の上に座る。舌の根も味わうような深くて長いキス。カヲルの手はシンジの項を這い髪を掻き上げて、首の角度を変えると今度はスーツの中に手が潜る。シャツを引き出し素肌をそれが弄るとシンジの腰はピクリと跳ねて、キスの間に喘ぎが篭る。それはずっとシンジの求めていた感覚だった。その手はシンジの背骨を確かめるように上下して、シンジは自分の下腹部がじんと熱くなるのを感じた。酸欠の唇を離してカヲルの肩に額を擦る。強請るような甘美な吐息をカヲルの耳に零してゆく。

「こんな気持ちは初めてだ…」

カヲルは泣きそうな声でそう言うともう一度激しくキスをした。もっと、もっと。それを深めて身体を密着させてゆく。シンジもカヲルも互いに触れ合う塊を熱く昂らせてゆく。膨らんだふたつのものが互いの脈打つ欲望を伝え合う。

もうどうなってもいいや…

シンジは幸せだった。カヲルに直に胸を弄られて、淡い粒が勃ち上がりはじめる。何度も尻肉を揉まれて、ひくついた自身は下着を湿らせた。自分が好きなひとにそんな風に愛されて濡れることが出来るなんて、シンジはこの時まで知らなかった。

「ここで、するの…?」

「君が望むなら…」

カヲルはそう言いながらももうズボンの中はそそり勃ちひどく窮屈だった。ふたり分のベルトを緩めてファスナーを開けると弾けるようにツンとボクサーパンツが起き上がる。グレーのそれは興奮の染みを広げていた。
男同士でこんな場所で初めてをするなんて無謀過ぎるのは互いにわかっていた。けれど、シンジは一度きりと決めていた。カヲルはシンジの気持ちがまた移ろいでしまうのが怖かった。
シンジは意を決してカヲルの主張している先端にそっと指の腹で触れた。カヲルは全身で震えて、染みを濃くした。シンジの気持ちを理解してカヲルは緊張した手でシンジのシャツのボタンを外してゆく。シンジもカヲルに倣って彼のシャツのボタンに手をかける。カヲルの指がシンジの下着に挿入されて尻の谷をつうっと這うと、シンジは、あ、と小さく喘いだ。カヲルは布地が脱げそうなくらい勃起してゆく。肌着を捲ると緊張で呼吸を早める薄い胸の上、シンジの粒立った可愛らしい突起が覗き、心音が大きく振れる。興奮で揺れるカヲルの喉仏。そこを長い舌で愛撫しようとする、そんな時だった。

勢いよくドアが開く。

「碇ー!差し入れ買ってきたぞー!」

ケンスケがコンビニの袋を両手に掲げて大の字で雄叫びを上げている。そして変なダンスを踊り始める。それはまるでジャングルから帰還したやんちゃな兵士だった。それを見つけて青ざめるシンジ。もう彼はシャツもはだけて片方の肩は露わになっている状態。デスクの羅列で上半身しか見えていないが、カヲルの膝に乗っかってナニしているのは明らかだった。ケンスケは同僚と専務の顔を確認して、人間としての死を覚悟した。

「お、俺は何も見ていないので、帰ります…」

何も見ていないッス、と繰り返してフラフラとした足取りでドアの彼方へと消えるケンスケ。そのドアの閉まる音を聞きながら、急激に全身に巡る血が冷えてゆくのをシンジは感じた。僕は何をしているんだ、既婚者に。しかもオフィスの真ん中で。
その沈黙でカヲルにもわかってしまった。シンジが我に返ったことを。全身を針で貫かれるように、離れてゆくシンジの心を感じてしまう。そしてその、心にすがる。

カヲルはシンジを思いきり抱き締めた。骨が軋むくらい力強く。カヲルにはシンジをそうやって自分から離すものの存在がわからない。だから苦しい。彼には愛を乞うことしか、出来ない。自然と赤い瞳から涙が溢れる。熱くて透明な雫だった。

「うちにおいでよ…」

カヲルの声は震えていた。項垂れたように力ないシンジの身体を更に強く抱き締める。シンジは息苦しさに、う、と息を漏らした。もう、抱き返さないシンジ。

「話が、したい…」

怯えた声でもう一度。明るい声を努めても止まない涙に肩が揺れる。黙り続けるシンジ。

「僕は君の恋人になりたいんだ…」

僕も同じ気持ちだよ。

けれど、それは、許されないこと。

「恋人にはなれないよ。ごめんね、カヲル君。」

淡々と朗らかにそう伝えるシンジ。心を失くしたような酷く明るい響きだった。
カヲルはそれを聞くとあまりの苦しさに激しく泣きじゃくった。あまりにも受け入れ難い言葉だった。酷い、酷すぎる、何故、そう言葉に出来ない代わりに声を上げてシンジの胸の中で泣く。シンジはそんなカヲルにいつまでも胸を貸した。時計の針が天を差してもシンジは絶望の中で子供をあやすように涙を流すカヲルをなだめた。カヲル君、それはいけないことなんだ、君には責任があるんだから、そう言葉にする代わりに掌に想いを込めてカヲルの頭を撫で続けた。
シンジは悟ったのだ。同僚が戻ってきた時に。イケナイことをしようとしたから神様が止めさせたんだ、と。僕らは結ばれてはいけないんだ、と。

大人になると雁字搦めの社会の中で少しづつ、言葉にしない知恵を身につける。
そうしてたまに、ちょっとした勘違いから、悲劇は生まれる。
好きなひとの背中にしがみつくその手にある指輪は、そんな魚を溺れさせるには充分な引き金だった。



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