第二章   ラヴソングの存在定義



そして僕らは奇妙な運命のふたりのままに時を過ごしていた。月日は流れて、カヲル君は十四歳で、僕は二十四歳。あっという間に気楽な学生生活は終わってしまい、今の僕はしがない社会人だ。

気がつけばいつもカヲル君は僕の側に居た。卒業式の日も、成人した日も、雪の降ったクリスマスの日も。いつも僕を見つめる紅い瞳。僕はその美しさを何に例えられるだろう。ルビー?柘榴?いつか観た夕陽?結局僕にはわからず終いだけれど、その瞳の優しさなら知っている。僕はその澄んだ穢れのない色に何度も心を救われてきたんだ。

「ねえ、さっきの人、誰なんだい?」

それは桜の香が風に混じる春先の事。カヲル君は珍しく不機嫌だった。開いた参考書をシャープペンの先で小突いては、何度もポキッと芯を折っている。それに飽き飽きしたのか重い溜息を大きく吐き出してペンを放り投げてから、頬杖をついてスーツ姿のままの僕を見据えた。挑発的な紅い瞳。

「玄関先で君と話していた奴だよ!」

「…加持さんの事?」

僕らは休日になるといつも同じ机で作業をしていた。カヲル君は参考書を広げて勉強、僕はパソコンを開いて仕事。学生と社会人の僕らが無理やり休日が来る度に同じ部屋で過ごす口実を作るにはこうするしかなかった。

「加持、ね。聞いた事ないな。」

カヲル君と声は一段と仄暗くなった。

僕は大学に進学する際に独り暮らしを始めた。それでカヲル君と僕の物理的な距離は遠くなるけれど、電車で二十分の近さだ。だからカヲル君は時間を気にせず僕に会える事の方を喜んでいた。互いに学生の身分のうちはカヲル君はよく僕のうちに泊まって、たまに度が過ぎて放任主義のお爺さんに叱られていた。けれどいくら僕が心配して言い聞かせてもカヲル君は頑なに僕の側から離れなかった。僕は今まで両親でさえもこんなに執着された事は無かったから、小さな彼を嗜めつつも心の底では実に幸せだったのだ。家に帰るとカヲル君が待っている。僕は共働きの両親の家庭で育ったからそんな事が堪らず嬉しかった。歳の離れた新しい家族を持てたみたいで大学時代の僕は舞い上がっていた。

僕らは色んな事を話した。十歳も歳が離れているのに、カヲル君は物知りでよく会話が弾んだ。勤勉なカヲル君が僕に合わせてくれていたのかもしれない。僕は誰かとこんなに打ち解けられたのは初めてだった。


けれどそんな楽しいだけの季節も終わる。僕が社会人になってからカヲル君と会う機会が自然と減ってしまった。僕は必死で社会の中で生き残ろうともがいていたから全く余裕が無かったのだ。

そしたらある日、カヲル君は彼らしくない必死さで僕を繋ぎ止めたのだった。僕は執拗に口説かれて頼み込まれた。君と一秒でも長く一緒に居たいんだ、僕に君の時間をおくれ、と。カヲル君の耽美な口説き文句は日常茶飯事で慣れきっていたけれど、その時は彼の紅い瞳が涙で潤んでいたから、僕は無い頭を捻りながら考えた。そして僕は次の日に窓辺に今ふたりが使っている長机と椅子を二つ買ったのだった。

「そいつは君とどういう関係なんだい?」

「どういうって…ちょうど僕がカヲル君くらいの歳の頃の家庭教師だよ。久々に駅で再会したから話しついでに送ってもらったんだ。」

「……ふうん。君と凄く親しそうだったね。」

「そんな事ないよ。加持さんは面白い人で、話し上手なんだ。」

「……僕とそいつなら、どっちが好きなんだい?」

カヲル君は明らかに焦燥していた。目尻を強張らせた辛そうな表情で見つめられて、僕の心臓が変に跳ねる。

「…カヲル君に決まってるじゃないか。休日を君と一緒に過ごしてるでしょ?」

「けれど、今日は違った。」

「ほんの数時間じゃない。仕事で大事な用があったから、仕方がなかったんだ。僕だって休日出勤なんて嫌だ。」

「……ごめん。子供染みた我が儘を言ってしまったね。あんまり君が楽しそうだったから妬いてしまったんだ。」

僕は急に鼓動が早くなって生唾を呑み込んだ。何でだろう。まるで心臓を握られているみたいだ。

僕はたまに、こうなる。カヲル君は同性の僕が見ても誰よりも格好良くなっていた。そんな彼の言動は、僕にだけ熱烈でとびきり甘美になる。それが何故か僕には内心痺れる程嬉しいんだ。

けれど、中学生の同性相手にそんな気持ちは不埒だともわかっている。たまに僕は小児性愛者の素質があるんじゃないかと疑っては正直自分でもぞっとしてる。だから僕はこの気持ちを心の奥底にしまっているんだ。誰にも知られてはいけない。例えカヲル君でさえも。

「…カヲル君はたまに凄く大人びた事を言うから、変な気分になるじゃないか。」

「どんな気分なんだい?」

「…わからないよ。僕は君みたいに頭が良くないから。こんな数学の参考書、本当に中学生用なの?」

「…大学の物だよ。」

「え!?そうなの?やっぱりおかしいと思ったんだ。カヲル君は天才だね。」

「日本にも飛び級制度があれば早く君と同じ社会人になれるのにね。」

「僕は社会人よりも学生の方がいいな。交換したいよ。」

「…交換はしないよ。僕は君と同じ立場でありたい。僕は君と同じ目線で過ごせるなら、何だって構わないんだ。」

その言葉はやけに真摯な響きを持って、僕の心を揺さぶった。君の瞳は僕を映す度に抗えないふたりの差異を憂いているのだろうか。君の瞳を覗き込むと、僕は何故だか君が、物悲しいネイビーブルーの海の中を虚ろに漂っている気がしたのだ。

「……ねえ、これ、僕に教えて。」

僕は呪文のような微分やら積分やらの方程式の羅列を指差す。

「ちょっとの間、僕の家庭教師をしてよ。」

カヲル君は紅い瞳を細かく震わせてから、ゆっくりと微笑んだ。

「…君の為なら、喜んで。」

カヲル君はその流れるようなアルトの美声で僕に難しい呪文をいとも簡単と言うように優しく教えてくれた。その囁きは大人びていて、僕はふと思う。彼が同い歳だったなら。僕はきっとカヲル君の隣に居て物凄く緊張しながら、内心彼に憧れるのだろう。

「…簡単だろう?僕の教え方は、君の元家庭教師と比べて、どうだい?」

「そりゃ、カヲル君の方が良いに決まってるよ。加持さんは半分はありがた迷惑な人生の先輩としての教えばかりでね。僕は結局成績が上がらずにひと夏で独学の道を選んだよ。」

僕が笑いながらそう言ってもカヲル君は曖昧に口角を上げるだけだった。

「人生の先輩としての教えって、例えば?」

「う〜ん…若いうちに恋はたくさんしろとか、男はスーツの着こなしで値打ちが決まるとか…まあ、エッチな事とか色々だよ。」

「…へえ。」

カヲル君はまた苛々とペン先を小突き出したから、僕はしまった、と思った。

「…で、でも、加持さんの教えは全く実践しなかったんだ。僕は恋もしなかったし、スーツも加持さんに選んで貰ったのはキザ過ぎて着れないから結局安いフレッシャーズスーツばかり着ているし、エッチな事も…まあ…うん…」

「恋はしているだろう?」

「え?」

「僕は運命の相手じゃないのかい?」

「え?あーー…」

僕が気の利いた言葉ひとつも紡げずにいると、カヲル君はそのまま黙り込んでしまった。

カヲル君は出会った頃から僕の事を運命の人だと言い続けた。僕は小学生の一時の気の迷いだと思ってそれとなく話を合わせていたら、もうそれから七年も経っている。運命、恋、フィアンセ…様々な形容を用いて歳を重ねるごとにより熱っぽく僕に愛を囁くカヲル君を僕はただ受け入れるだけでいる。前進も後退もなく、僕はその曖昧な関係を心の拠り所にしてしまっていた。その僕のズルさが時に彼を傷付けている気がしているのにも関わらず、だ。

「……ごめん。」

「何故謝るんだい?」

横に居るカヲル君を横目で盗み見たら、涙を溜めて酷く緊張をした顔をしていたから、僕の心臓は冷水に浸かる。

「いや、あの…そうじゃなくて、恋してないって、言っちゃったから…何だか矛盾してるなって。僕、は……カヲル君と事が正直よくわからないんだ。」

「…教えて欲しいのかい?」

そう言ってカヲル君は僕の手の甲に君の白を重ねた。


ーーーーー…

シンジ君は歳を重ねる毎に美しくなっていった。瞳の色はより深く、骨格はより凛々しく、それに沿う肌はより品性を高め、時折服から覗く筋肉はより官能的に。だから僕は毎日冷や冷やと心臓が落ち着かない。ちゃんと見張っていないと誰かにシンジ君を取られる気がして眠れない夜もある。そんな時は僕は自分の年齢を恨むのだ。後十年早く生まれていれば。シンジ君はきっともっと違う目で僕を見つめてくれたんじゃないか。そうと思うと僕の目はいつだって熱く潤んでやがて頬を密やかに濡らす。

一秒でも早く、大人になりたいーー

僕は内心酷く焦っていた。でもその焦りを彼に見破られたら子供らしさが上塗りされてしまう。シンジ君は僕が中学生になっても相変わらず歳の離れた弟のように接していた。僕はその度に君に浅ましい欲を感じているんだと打ち明けたかった。けれど、それを告げた所でシンジ君に軽くあしらわれるだけだろう。この前そっと彼の手を握ったら、小さな子にするような手つきで頭を撫でられたのは流石に辛過ぎた。僕の男としての自尊心は散り散りに砕けて、しばらく夜な夜な深い闇の中を彷徨ってしまうのだった。

だから僕は、あの男の存在が気に喰わなかったんだ。

シンジ君の元家庭教師。玄関先で高い背丈の彼を見上げるシンジ君。無精髭が戯けて垂れた目尻で笑うとシンジ君は唇を尖らせて頬を朱に染め上げる。僕は出窓からそれをずっと傍観していた。

僕の胸が冷たいナイフで抉られる。喉が締め付けられて、苦しい。僕は認めたくはないけれど、激しい嫉妬で眩暈がして頭を抱えた。浅い呼吸を鎮めようと生唾を嚥下する。

ーシンジ君が僕を見上げる表情はどんな感じなんだろう…

僕は目を閉じてその男に自分の姿を重ねた。僕を見上げる漆黒の瞳。いつかの鉱物よりも美しくて、深海よりも秘密めいた、その瞳。そう。深海に潜む様々な色に発光する未知の生物達。その闇に響くザトウクジラの愛の旋律。



「…カヲル君?」

僕の重ねた掌の下で、君の指先がピクリと動く。そしてその声は少し不安げだ。そうと見せないように笑いを含ませているけれど。

僕がそのすらりとした君の指を愛撫すると、君は手を引き抜こうとした。けれど一足先に僕が捕まえる。机上でなす術もなく僕に捉えられた君。そして力任せに腕を引こうとする君の動作を合図に、僕は椅子から立ち上がった。

椅子の脚が床に擦れた音よりも唇を重ねた音の方が部屋に艶めかしく響いた気がした。僕は身体を捻って屈めて片手を君の肩に掛けて、君にキスをしたのだった。君の縮込めた手も僕は放さなかった。

まるで予想もつかないくらいの柔らかさ。ずっと君の唇の感触を想像してたのに、それはどの想像をも凌駕していて、僕は全身に電撃が走ったみたいだった。そして慾望の導火線に火が点いて、もっともっとと全細胞が叫んでしまう。小さな生々しい音と共に僕らの唇は僅かな隙間を空けて離れて、もっと深くと僕は角度を変えて唇を君に寄せた。シンジ君は身体を強張らせたままに固まっていた。

そしてもう一度僕が唇を合わせて君のそれに舌を這わせた途端に、君はバネのように勢いづいて飛び上がる。君は僕の細やかな拘束を逃れて椅子を倒して立ち上がりドアの方へと駆け出した。

だから僕も夢から覚めたみたいに慌てて君を追いかけるのだった。既の所で背後から抱き締める。両腕をきつく君の腰に巻くと、僕の全身は凍ったように痛かった。

「ごめん!僕は…いきなりなんて優しくなかったね。驚いただろう。」

「お、大人をからかわないでよ!」

シンジ君は動揺を隠さずに叫んだ。緊張、興奮、哀しみ、怒り、そんな尖った感情を綯い交ぜにした不確かな響きだった。

「からかってこんな事はしないよ。けれど、君の心の準備を聞かずに驚かせてしまったね。ごめん。」

「いいから離してよ!」

「落ち着いてシンジ君。」

「離して!」

「お願いだよ、シンジ君…落ち着いて。」

僕が涙声になっているのに気づいたのか、シンジ君はその場で立ち尽くしてはあはあと肩で息をして押し黙った。僕はその呼吸が収まるまでずっと君を抱き締めていた。僕の頬は君の肩に重なる。これが僕らの身長差。この差がきっと君を不安にさせている、僕はそう思いながら唇をわなわなと震わせていた。

君の肩の力が抜けた頃に、僕は君の前へと回り込んでから、そっと両手で君の頬を包み込んだ。朱色の差したそれは、熱かった。腕を引き寄せてふたりの額と額をくっつける。僕は少し背伸びをした。

「…驚かせてごめんね。そんなつもりはなかったんだ。ただ、気づいて欲しかったんだ。君と僕は恋をしているんだって。」

僕はシンジ君の拒絶で生きた心地がしないままで、鈍く痛み出した頭をどうにか動かして、やっとそう言う事が出来た。けれど、無言のままの君が僕から息すら奪ってしまう。

「…ごめん…許して…」

僕の頬からポロリと涙が垂れた。君には大人として振る舞いたいのに、どうして僕はこんなにも情けないんだ。そう思っては堰を切って溢れ出しそうなものを奥歯で噛み締めてどうにか引っ込める。

「……僕こそ、ごめん。ちょっと、混乱したんだ。カヲル君のせいじゃ、なくて。全部、僕の、せいなんだ…ごめん。僕の方が年上なのに、僕、何やってるんだろう…」

そう言いながらシンジ君は僕の頬を拭った。その間に流れた君のそれを僕も拭う。

「シンジ君は繊細だから、僕が気を付けないといけなかったんだ。本当にごめん。」

「…これじゃ、君の方が年上みたいじゃないか。はは。」

シンジ君は冗談めかしくそう言って力無く笑っているから、僕もそれに合わせる。

「ふふ。初々しいシンジ君の反応、とても可愛かったよ。」

「もう、大人をからかわないでよね。」

ーからかってなんていないよ。僕は本気なんだ。

僕はその言葉を飲み込んで、君の望むように曖昧に笑ったのだった。


ーーーーー…

ークソッ!僕は…!

僕はひと通り自分へと悪態を吐いてから、自室のベッドへと雪崩れ込んだ。

ーファーストキスで君を泣かせてしまうなんて…!

ー嫉妬に狂って自制が効かないなんて、子供もいいとこだ…

肩を震わせて一人唇を噛み締めて泣く、真夜中午前零時の闇。

あれからシンジ君は何事も無かったかのように振る舞ってくれた。けれども僕がまた襲い掛からないようにそっと間を空けて、僕が見つめる度に瞳を逸らすので、僕らは却って不自然でぎこちなく過ごす事となってしまった。そして泊まる予定だった僕は居た堪れなくなって終電に合わせて自分のマンションへと帰って来たのだ。

『…本当にいいの?』

『ああ。宿題を思い出したんだ。仕方ないよ。』

『…そっか。なんか…ごめんね。』

『……シンジ君。』

『ん?』

『…好きだよ。君が、大好きなんだ。』

『……うん…ありがとう。』

ーありがとうってどういう意味なんだい?

僕はシーツに顔を埋めながら頭を抱えた。シーツに唇が掠めると、昼間のキスを思い出して嫌でも身体が疼いてしまう。ぐっと喉を詰まらせてから熱い溜め息を細く吐くとふと、僕の宝物を思い出した。

上体を起こしてベッドサイドの引き出しを開ける。指先で一枚の布を引き抜く。それは僕らが初めて出会った日に君がくれた一枚の真っ白なハンカチだった。

僕はあれからそれを借りたままでいる。それは僕の大切なお守り。シンジ君に会えない日や彼を想って眠れない夜に、僕はそれを眺めてこの運命の恋に耽るのだった。

真っ白なハンカチは月影の下でもその清らかな色を保持していた。まるで君のように。

だから僕は密かに唇を押し当てて、君を想像する。こんな夜中にベッドで君とキスをしたらどんな感じなのだろう。今度はすっと鼻を押し当てて息を吸い込む。それからもしも君の首筋に鼻先を埋めてこんな事が出来たのなら。その次は、きっと…

僕はそれから興奮を抑えきれずに初めての自慰をした。ズボンからそっと膨らみ始めたそれを取り出してゆっくりと扱く。次にそれを段々と早めていく。ハンカチが僕の熱い吐息で湿り出す。そして僕は想像する。あの唇の柔らかさを。その先はどうなのだろう。紅潮した熱い頬肉の内側は、やっぱり熱いのだろうか。そして僕のこの熱を君が咥えたら、どちらの方が熱いのだろう。あの赤い舌の感触はーー

「…っ…はあ、はあ…」

ーシンジ君…シンジ、君…

「…くっ、ん、んん…!」

僕はそのままシンジ君のいかがわしい姿を想像して、白濁した欲でシーツを濡らすのだった。間を置いて逆上せた頭でティッシュを探す。

ー僕は、しょうもないな…

荒い呼吸と渇いた笑いが静寂に浮かぶ。僕は自分のものを咥えたままに見上げる深海の瞳を想像した。それはとても心地良く僕の満たされない支配欲を潤したのだった。

ーシンジ君、愛って何なんだろうね…

そして絶頂の余韻と気怠さが、僕を深い海の底へと誘うのだ。


ーーーーー…

カヲル君が僕にキスをした時から、僕は急激に彼を意識し始めた。

僕は二十四にして、初めてのキスをした。そのキスは僕の想像を遥かに超えて感じ入ってしまうものだったから、僕は大いに混乱したのだ。あのキスは紛れもなく恋人同士でするそれだった。そうじゃなきゃ、あんな爪先から脳天まで痺れて心臓が潰れる程痛いそれが違うのなら、この世の恋人達はキスで感電死くらいは皆してしまうだろう。地球が随分と寂しくなる。

ーカヲル君は中学生だ。まだ子供なんだ。それなのに、僕と来たら…

ひとり寂しくベッドの上で哀しい自嘲をする。

ーあれくらいの年齢の子は皆恋に恋するんだ。大袈裟に考えたり、行動したり、するんだ…気の迷いなんだ。

さっきまでカヲル君のいた部屋はまだほんのりカヲル君の残り香がある気がした。だから目を閉じて深呼吸をする。唇に指を押し当ててみる。そしてちゅっと音を立てて吸ってみた。カヲル君のと全く違うそれ。カヲル君のはもっとーー

ー僕って変態だな…

カヲル君が頭から離れない。何度も謝らせてしまった。僕は取り乱して口も聞けなかった。カヲル君がキスした事は確かに驚いた。いきなりだったから。でも、それよりも、カヲル君とキスをして、僕は自分の気持ちを嫌という程思い知ったからこの上なく動揺したのだ。


僕はカヲル君が好きなんだ…


この結論に僕は果てしなく世界から突き放された気分になっている。これは、いけない事だ。普通じゃない。歳が十も離れた男の子に恋してるなんて誰かに知られたら、僕は終わりだ。

けれど、僕が好きだとカヲル君に伝えたら。それはきっと幸せな時間を運んでくるだろう。例えそれが長くは続かなくても、最高の想い出になるかもしれない。世界を敵に回しても、その価値は、きっとある。けれど。

ーカヲル君はまだ十四歳なんだ…

僕は就職も既にしていて、人生の大まかな流れが嫌でも解っている。けれど、カヲル君はこれからいくらでも良くも悪くもなるんだ。彼の人生はまだ可能性に満ち溢れている。

ーカヲル君の、未来…

大人になったカヲル君はどうなっているのだろう。あんなに頭が良くて、容姿端麗なんだから、きっと明るい将来が待っている。特別な人に与えられた華やかな人生。カヲル君はきっと世界に貢献出来る人物になるんだ。

ー僕が邪魔しなければ…

どうしよう。胸が苦しくて仕方ない。僕らは出会うべきじゃなかった。僕は彼の将来の芽を摘むべきではない。

ーカヲル君、ごめん…

僕は絶望と官能を行ったり来たりしながら人生を噛み締めた。偶然、歓び、羨望、老い…その甘くほろ苦い、人生の醍醐味を。

ーカヲル君…

そっと瞳を閉じると収めきれずに漏れ出た熱い涙が頬を伝う。そして僕は想像したのだ。カヲル君が僕に覆い被さって抱き締めてくれる姿を。そして僕の耳元で愛を囁きながら額を撫でてくれる。せめて描かれた世界の中だけでも、君にそうしていてほしい。そう思って甘い痺れに内股を擦り寄せては足を突っ張ねてその指先をキュッと丸め込む。そんな身体を慰めようと腹の下に手を伸ばしてから、ふと気がついて掌を握り締める。僕は途方もない罪悪感に声の無いままに、泣いた。

ー僕達は出会うべきじゃなかったのかな…

そして僕の痛む頭は初めてのキスを回顧する。瞼を下ろすと浮かび上がる、その芳しい情景。


ふたりの重なり合う唇。蕩けてしまうような優しい感触。カヲル君の勢いでその柔らかい銀髪が僕の頬を掠めて擽ったかった。そして僕は全てを理解して目を瞑るのだ。僕の耳には遠くからアダージョが聞こえていた。永遠を願う蝶夢のメロディ。瞳を閉じたままだと肩に置かれた君の掌がじわっと妙に熱かった。



top



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -