Tropical Lies
嘘にまつわる7つの物語




ジグザグフィルム活劇譚


その1:フィクションは嘘をつきながら真実を伝える。



「カットォー!」

監督の合図で息呑む舞台はぴたりと静止した。周囲に漏れる複雑な響きの溜め息。

「大丈夫かい?」

「う、うん、」

シンジの目の前には切なそうな照れ笑いを浮かべるカヲル。シンジは今、カヲルに押し倒されている。皆の前で。

「碇ィ、もっと、こう、誘うんだよ!儚い少年の色気で、来て〜アハ〜ンって感じでさ!」

春めく放課後。第壱高の屋上は本日も大盛況。フィルム同好会による部外者立ち入り禁止の看板の横から野次馬も目を輝かせている。

「む、無理だよ!僕そんなこと、できないよ!」

「碇君は申し分ないよ。」

「そこ!立ち入り禁止!」

カヲルの変なフォローが風に消え、鬼監督の怒号で駆け足で退場する下級生の生徒たち。その非常口の前では不服そうなアスカが腕組みをして監督を睨みつけている。

「そもそもバカシンジの配役がおかしいじゃない!魔性の少年ってナニよ!?」

ごめん、というのも空しくシュンと眉を下げるシンジ。あまり目立つのは好きじゃない彼がこのショートフィルムの主演である。NGも二桁に入ると涙目で辞退を監督に申し出たが、許可してもらえない。

「元はと言えば式波のせいだろ!」

「はあ!?ホモルのせいよ!」

「もう、姫もカントクも落ち着くにゃ。夕暮れまであと1時間ないよー。」

マリがアスカを宥めるのとトウジがケンスケを宥めるのは同時だった。いったん休憩にしましょう、とヒカリが間を取り持つと、隅にいたレイがシンジに台本を手渡した。

「きっとできるわ。『君が欲しい』と言われたあとは『僕を好きにして』と言うのよ。」

「わわ、わかったよ、うん。」

淡々と告げられるとただでさえ恥ずかしい言葉が一層際立つ。おかげで休憩中は一度もカヲルと目を合わせられない。台本にはレイが詳細に監督の注意ポイントを書き記してくれている。『僕を好きにして』の横には線が引かれて『儚い少年の色気で誘う』とご丁寧書かれているから有り難いやら嬉しくないやら。シンジは真っ赤になりながら、僕を好きにして、と心の中で何度も復唱した。その横ではカヲルがもう何回言ったかわからないセリフを頭の中に思い描く。君が欲しい。君が欲しい。ポーカーフェイスと言われている彼も、らしくない動揺で頬がほんのりピンク色だ。

こんな事態を招いたのは確かにカヲルとアスカに非があった。



このフィルム同好会は旧1年A組の仲間内で、新しいカメラを買ったケンスケを中心に結成された。そしてその年の文化祭に一本の短篇映画を上映する目標を打ち立てていた。毎日のよう放課後を製作にあて、同好会と言えども顧問がいないだけで立派に充実した部活動に明け暮れていたのだ。
当初ケンスケは見た目が銀幕スターみたいに華やかだという理由でカヲルとアスカを主演に近未来のロミオとジュリエットの劣化版ようなものを撮影していた。見た目が怖いという理由だけでトウジを悪役に、その他は影の薄い脇役として固められた。そして監督の直々のご指名でシンジは雑務係を任せられたのだ。アシスタントとして舞台を設置したり皆に差し入れを持って来たり、ようは何でもござれと激しくこき使われていた。それから間もなく、レイはそんなシンジを自然と手伝い始めたのだ。とても自然と。
元々相性の悪いカヲルとアスカはことあるごとに衝突を繰り返した。演技がクサイ、衣装の着こなしがまるで品がない、なんでロミオがホモホモしいのよ、そもそも君がジュリエットなんてどうかしている、小物使いひとつにおいても言い合いが絶えず、その度にシンジが間に入った。

「もう止めにしよう。僕が降りる。アシスタント補佐をするよ。綾波さんとかわりたい。」

ある時、カヲルがついにギブアップ宣言をした。ちょうどその頃、シンジとレイは教室の脇で机を並べて仲睦まじく演出用の小道具を手作りしていた。未来人には触覚がついているらしい。

「ちょ、待てよ!お前が主演だぞ!?」

監督の眼鏡がズレる。確かにアスカは態度の悪い名女優さながらに振る舞ってはいたが、普段とさほど変わらなかった。だからカヲルが爆発するなんて誰もが予想外だった。撮影を初めてから3ヶ月目の夏。初秋には目標の文化祭が控えていた。

「僕はもう、式波さんのわがままには付き合いきれない。」

カヲルは我慢の限界と言う顔をしていた。そこで耳まで赤くなったアスカが激怒。

「わ、私の方こそ願い下げよ!バッカみたい!」

そう。彼女は一度言ったら聞かない性格。こうしてケンスケ監督の処女作はお蔵入りになったのだ。


「渚君、大丈夫?」

「うん。一生懸命美術を手作りしてくれたのに、ごめんよ。」

舞台美術は確かにシンジの自信作だったのだが、仕方がない。あんなにイライラしたカヲルは初めてだった。シンジは何よりそれが心配だった。

「碇君、今日はふたりで一緒に帰ろう。」

誰もカヲルの苛立ちの本当の正体を知らなかった。カヲルはアスカに爆発したのではない。強いて言うならシンジにだ。撮影中に日増しに仲良くなってゆくシンジとレイに、カヲルは抑えきれない激しい感情を持て余した。これ以上撮影を続けたらふたりは…そう思うとカヲルの心は張り裂けそうだった。
カヲルはシンジのことが好きなのだ。



主演のカヲルとシンジの休憩中、夕方に向けての照明の用意を始めるトウジとヒカリ。レイはケンスケに呼ばれてカメラのフィルターを探しに行った。大根というよりむしろチキン役者のシンジのために早めに始めた撮影もやっぱり押してきてしまった。台本の柱には時間帯を(夕)と指定され、ト書きでは大事なシーンだと強調されていた。だからもう、キメなくてはならない。シンジの顔がみるみる青くなってくる。

「ワンコくん、ヴァージン喪失はフィクションだにゃ。心配ご無用!」

「ちょっ…!やめてよ!」

恥ずかしそうに体育座りで縮こまってしまったシンジ。そんなシンジにカヲルがそっと手を差し伸べた。

「はい、これを飲んで、リラックスして。」

手渡されたのはペットボトルの清涼飲料水だった。ありがとう、と小声で言うとグビグビとそれを傾ける。景気づけの酒の如くたくさん飲む。その唇を悩ましげに見つめるカヲル。それを発見して意味深にニヤつくマリを気づき、そっと目を逸らす。そのうちマリは面白そうに含み笑いでアスカの方へと行ってしまった。取り残された、ふたり。ピリリとその間には自意識の緊張の糸が張り巡らされていた。

「…な、渚君、ごめんね。」

僕のせいで何度も何度も。シンジは泣きべそをかきそうだ。なるべく平常心で台本通りにやろうとしている。なのに。カヲルに愛の言葉を囁かれる度に妙なリアクションをしてしまう。触れられる度に慌てて頭が真っ白になってしまう。演技だというのに。

「こちらこそ。君に気を遣わせてしまっているね。演技は難しい。」

「そんなことないよ!迫真の演技だよ!僕、つい引き込まれちゃって…アドリブもすごいよね、」

迫真の演技、そう聞いて苦笑するカヲル。時折、我を忘れて、というより役を忘れて必要以上に愛情のこめてしまう言い訳を“アドリブ”とシンジには伝えた。そうしないと友達以上の好意を知られてしまいそうだった。

「君と出会った頃はこんな日が来ようとは想像もつかなかったよ。」

シンジとカヲルが初めて出会ったのは第壱高に入学した日だ。新しい教室で隣同士に並んだふたりは不思議な運命を密かに感じていた。互いに気になってしょうがなかった。それからそれぞれが、消しゴムをわざと落としたり、教科書を忘れたふりをしたり、そんなささやかな嘘を重ねてふたりの距離を縮めた。そうして夏休みが終わる頃にはふたりはかけがえのない親友になっていた。

「ね。僕たち男同士なのに。変な感じだよね。」

けれど。友達以上の気持ちを隠す嘘はいつだって忘れない。それはちょっぴり哀しい嘘だった。



「諸君!新しい脚本ができたぞ!」

結局何も発表出来なかった文化祭から1ヶ月が過ぎた頃、自然消滅しつつあったフィルム同好会のメンバーは召集された。放課後の教室にて、意気揚々とケンスケが台本らしきコピー本を全員に配ってから黒板にチョークで何かを書き始める。

「堕ちた天使と薔薇の学園…?」

「そうだ!時代はBLだ!」

アスカとヒカリが絶句していると、マリがニャー!と歓喜した。

「びーえる?なんやそれ。」

「ベーコンレタス…」

「ボーイズラブ映画を撮るぞ!」

レイが小さく、バーガー…囁くのを掻き消して監督が雄叫びをあげた。

「で、今回は渚と碇が主演である。」

カヲルとシンジはきょとんとしていた。ふたりが事態を呑み込む前に話がどんどん先へと進んでゆく。

「はあ!?なんてこいつらのホモ映画撮るのよ!?」

「ボーイズラブは需要がある。腐女子はどこにでもいるからな。都会のしみったれたアスファルトの上にも落ちているぜ。」

「落ちてないわよそんなもん!アンタには倫理観ってものはないの!?」

「式波の口からリンリカンなんて言葉が出てこようとはな。カウンターカルチャー精神はどこへいった!愛に性別は関係ない。崇高なテーマだよ。」

「ターゲットが腐女子なんだから不純よ!文化祭でやるんならもっと違うのがあるでしょ!?」

「アバンギャルドな薔薇族映画を文化祭で上映なんて最高にアングラじゃないか。真性パンクだ!それだけでやる価値がある。」

奇妙なごたくを並べられてアスカは顔をしかめた。彼女は半ば同意したのだ。

「いいよな、渚?碇とのカップリングなら問題ないだろ?」

「碇君と演じられるなんて光栄だよ。碇君は嫌かい?」

「ま、まさか、嫌だ、なんて…」

内気なシンジには気の引ける提案だったが拒むこともできない。カヲルがとても嬉しそうに笑っている。そんなカヲルの気持ちを無下にはできなかった。
何故ならシンジもカヲルのことが好きなのだ。

それからふたりは配られた台本を読んで仰天することになる。堕天使ロミオが地上の学校に潜入し少年ジュリと出会い、危うい駆け引きの末に少年の魔性が開花して、恋に翻弄されてゆくお耽美なストーリー。天と地ほどの禁じられた属性のふたりがその垣根を超えた時、度重なる悲劇が生まれる。シェイクスピアの人気のラブロマンスに嫌でもあやかろうという意気込みの感じられた何とも一本調子の内容だった。

しかしなんと言ってもここである。クライマックスでは、少年が堕天使を誘惑し校舎の屋上で愛の焔に灼かれて情事に及ぶらしい。※印付きで『キスシーン』と明記されていた。

「ここここれ、上映できるの?」

真っ赤になって汗が滲むシンジ。台本を持つ手が震えている。その側では神妙な面持ちのカヲルがページに釘付けになっていた。

「未来の名監督が巧く編集するから安心しろよ。」

ケンスケの眼鏡が遠い未来に向かって輝く。名監督の稀少なインディペンデント映画としてネットで不正に投稿されるパラドックスな名誉が、彼の度の高いレンズには確かに見えたのだ。

こうしてカヲル×シンジの映画の撮影は無事クランクインしたのだった。



「カットォー!渚ァ、もっと腰を沈めろよ!」

もう空は茜色である。脚本ではこの夕暮れにふたりはキスをしてそのまま初めての快感に溺れてゆく。そして今はキスシーンの撮影中だ。

「む、むりしないで、僕に乗っかっても、いいよ、」

カヲルは目を閉じて深呼吸した。彼だって思春期の男である。好きなひとを組み敷いて、もう何度も愛を囁きキスを迫る演技をさせられていて、少しでも気を抜いたら膨らむものが膨らんでしまいそうだ。それはシンジも同じこと。駆け出してしまいそうなざわめきを、油断大敵!とばかりにどうにかいさめていたのだった。けれど、下半身が触れないようにギリギリのところで宙に浮かすのはなかなかの至難の業。無理な姿勢で苦しそうなカヲルが可哀想で、シンジはそう提案するほかなかった。

「もっとねっとり絡まってくれよ!もう日が暮れちまうよ!」

この夕陽を逃したらまた明日もこの撮影だ。何度も何度も愛を伝えキスを我慢するハメになる。キスしたい衝動と勃起してしまう衝動をこらえる二重苦に、苛まれる。

「ん…でも、重いだろう?」

カヲルは体調が悪そうな表情で小さく身震いをした。

「だいじょうぶ、だよ、」

実はふたりとも放課後中ずっと重ねていた体がかなり敏感になってきていた。さっきは監督のご要望でシンジが脚を開いてカヲルが目の前の腰に手を添えたら、シンジはビクンと体を跳ねさせカヲルは思わず喉を鳴らした。思わず互いのぶら下げているものがどくんどくんと疼きだす。

「じゃ、もう一回いくぞ!」

監督には「ここはリアリティを追求したいからちゃんとブチュッとしてくれよ!カットって言うまで離れるなよ!」なんて言われていた。ふたりは曖昧に返事をした。便乗して片想いの相手にキスをしたい、けれど相手が嫌がったら本当の想いに気づかれたらどうしよう、そうして心は今も揺れていた。

「碇君、」

「ん?」

カヲルとシンジはまた同じポジションにつく。シンジが恥じらいながら寝そべり脚を開き、カヲルがそこに覆い被さりその体を抱き腰を沈める。監督の合図のあと、カヲルの扮するロミオが力強くシンジの扮するジュリを掻き抱き「愛してる、ジュリ」と囁いてからキスをするのだ。

「本当にしてもいいのかい?」

「うん…」

シンジが戸惑いながらも困ったように微笑んだ。カヲルはそれだけで理性が吹っ飛びそうになる。自然とふたりの息があがる。

「僕なんかとで、ごめんね、」

「君とできて、光栄だよ…」

惚けたように本音が出る。シンジはお世辞と受け取った。シンジが照れて瞬きをするとカヲルは目眩に襲われる。どんなに頑張っても下がどんどん張り詰めてしまう。だって、これからやっと、半日もギリギリで我慢した、キスができる。おあずけが長過ぎてそれだけでおかしくなりそうだ。シンジも切なく潤んだ瞳でカヲルに見つめられて、その白いブリーフには隠しきれない高鳴りを感じた。絶対に気づかれてはいけない恋なのに、どうしても、期待してしまう。

そんな危ないふたりを見守る舞台裏。マイクと照明を持つトウジの手はガタガタと緊張に震え、ヒカリは何か得体の知れない恍惚に目覚め、アスカはなんだか本気で泣きたくなってきた。レイは真剣な眼差しでカチンコを構えている。

「それじゃ、いくぜ。テイク53! レディ?ロール!…アァークションッ!」


× × ×

ロミオは深く深く腰を沈めた。紅潮したふたりの熱い頬を隠す夕暮れの茜色。辺りには誰もいない不埒な放課後に、まだ彼らの無垢な魂の知らないもうひとつの顔が出現する。堕ちた天使をその芳しい魔性で人間の原罪へと誘う少年ジュリ。

「愛してる、碇君…」

もう陽が地平線の彼方へと消えてしまう。その儚い時の中で、堕天使と少年は背徳の契りを交わそうと、そっと唇を重ねた。その刹那、罪のシルエットを残して音もなく陽は落ちた。何処からともなく羽根が舞い、情欲の夜の闇が愛の陽炎を従えて燃え盛る。

× × ×


「………かっと、」

やけに気の抜けた合図だった。水を打ったように静まり返った撮影現場。そうしてもう10秒は重ねられていたふたつの唇は名残惜しそうに離れたのだ。その時の瑞々しいリップ音だけがチュッとその静寂に響き渡った。



「ちょっと冷えてきたね。」

あれから間もなく放心した同好会はそれぞれの帰路についた。ただ黙って体育座りのまま顔を上げないカヲルに、誰も声を掛けられなかった。シンジはそんなカヲルが心配で一緒に残るために非常口の鍵をもらって、貝のように閉じこもったカヲルの横で同じように座っている。もう握り締めた鍵は生温かい。それと反比例して夜風は春と言えども堪える寒さになってきていた。

「…ありがとう、僕を待っていてくれて。」

「ううん。」

カヲルはおもむろに顔を上げて脚を崩した。最高潮に硬く興奮していたズボンの中身がようやくクールダウンしたらしい。

「さっきは……ごめん。」

あのアクションの合図のあと。カヲルは膨らみ始めていた下半身をシンジへとぐっと沈めた。本能的にそうしたのだ。そしてシンジに愛を告げて体を思いきり掻き抱いて唇を重ねた。そのキスに全身に電撃が走る。どっと熱が下に溜まる。なのに忘れられた号令は残酷にも長い時間を強いてきたのだ。一瞬だと言い聞かされていたので油断したそこには、どっと溢れた熱がどくんどくんとあっと言う間に布地を破こうとばかりに張り詰めさせて、互いに押し合う膨らみがそれを更に昂らせた。シンジもなす術もなく熱膨張が止められない。やっと気のないカットの呟きが聞こえた頃にはカヲルはとうに限界を超えて先走りを必死に堪えていて堪えきれず、爆発しそうなそれをそのままに暫くは動けなかった。動いたらイキそうだったのだ。もちろん同性のシンジにもそれがわかった。脈々と爆発寸前の興奮が伝わってくる。そしてお互いさまという調子にそれに応える自分の興奮も伝わってしまう。それくらい、片想いの相手との焦らされ続けた初めてのキスは最高に気持ちがよかったのだ。それが演技だったとしても。台本でその決行を予告されてから実に半年が経っていた。半年分の妄想と期待はふたりのファーストキスの快感の起爆剤になってしまったのだった。

「あ、謝らないでよ!僕も同じなんだから…」

互いの事実をどう解釈していいか、ふたつの頭は小さく慎ましく混乱していた。

「具合が…悪かったんだ、」

だから、心を決めるよりも早く背中を押されるとつい、また嘘を重ねてしまう。あまりにも苦し紛れな若い嘘だった。

「うん、それに僕たち…思春期だし、」

だから勃起しても生理現象だから仕方がない、そんな言い方。けれど不思議な説得力がある。思春期、この言葉の前では何の現象だって寛大に許されてしまう錯覚がある。ふたりは力なく笑った。

「帰ろっか。」

そうしてふたりはまた友達として並んで歩いたのだった。そうすると夕暮れの出来事が夢のように遠くに感じた。触れそうで触れない指先が今のふたりには大切な距離だった。


けれど結局、このフィルムもお蔵入りになったのだ。カヲルが迫真の演技の末に役を通り越してつい本音を口走ってしまっていたことを、主演ふたりは全く気がつかなかった。華麗にフィクションを飛び越えるノンフィクション。あんまりにも役になりきっていたために当事者たちにはとても自然に聞こえていたのだ。
他の目撃者たちは聞き違いか触れてはいけない問題だろうと沈黙し、あの鬼監督でさえ「この『愛してる、碇君…』のところを役名で吹き替えてくれない?」なんてことはカヲルに頼めなかった。真実を知って膝から崩れ落ちる彼の姿を容易に想像できたし、何よりも口にするのが怖かった。友達が違う世界へと飛び立ってしまいそうで…

こうして、文化祭で作品を上映してサイン会を開き、果ては動画共有サービスに投稿して小遣いを稼ぐというケンスケ監督の野望は、またしても見事に打ち砕かれたのだった。



「じゃ、せーの、でいこう。」

「うん。せーの、だね。」

そんなお蔵入り作品でもちゃんとラストシーンまで撮影していた。堕天使と少年は永遠を誓い、昇天して同じ堕ちた天使になろうと校舎の屋上から手を繋いで飛び降りる。だからカヲルとシンジは屋上のフェンスの外に手を繋いで立っていた。1メートルの足下に下階のベランダのコンクリートの屋根が見える。一応、真下の校庭では他の部員が体育用マットレスの上に大きな網を引っ張り合いトランポリンのようにして待機していた。

「怖くないのかい?」

「君とふたりなら、空の上から堕ちたってこわくないよ。」

ふたりは見つめ合った。とても澄んだ瞳だった。

「もう僕は堕ちているよ。空から君へと。」

「「恋に。」」

重なる二声のハーモニー。そして、

「「せーの!」」

こうしてふたりは果てしなく堕ちていったのだった。嘘つきは恋のはじまり。カチンと弾かれる拍子木の音は、ふたりをフィルムの外へと運ぶ。


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