ほろ酔いの『ほろ』って何だろうと思って調べたら「すこし、なんとなく」なんて意味だった。どんなことでも『ほろ』がついたらちょっぴり切なくなる。ほろ苦い、ほろ甘い、なんてあるかな。ほろ…ほろ、片想い?

――ほろほろと 酔いを覚える 歳はたち



Journey To The Last Step



ころげた靴をカヲルの分まで整えてシンジはリビングに荷物を置く。ふたりは仲良くバイト帰り。今夜のために買い足したレジ袋からネギがこぼれた。

「アレ?ふたりともいないの?」

ただいまと言っておかえりと帰ってくることは少ない。でもそろそろアスカのひねくれた応答があってもいいはずだ。「バカ」とか「遅い」とか。

その時シンジのスマホがふるえた。

「LINE来た。先に始めててだって」
「ああ、あったよ」

冷蔵庫を開けると金色のリボンが結んであるボトル。カヲルは取り出してラベルの表記に目を凝らした。

「アルコール度数8%か」
「強いの?弱いの?」
「どうだろう、僕も初めてだからね」

ふたりは中学の頃から「大学生になったらお酒を飲み交わそう」と約束していた。つい先日にそろそろ…と話していたところを目ざといアスカに見つかって、レイも誘って4人で飲むことになったのだ。
ここはかつてシンジとアスカが同居していた高層マンション。現在はかつての保護者ミサトがひとりで暮らしている。今日はデートで帰らないらしく、久々に合鍵を使った。「いつでも帰ってきていいわよ」と渡されたソレをこうしたかたちで使うことになるなんて想いも寄らなかった。

「ちょっと飲んでみようか」
「え、待とうよ」
「初めては僕達ふたりきりがいい」

いくよ、シンジが止める間もなくポンッと潔い音が響く。カヲルは鼻歌と共にグラスを並べて脈々と注いだ。輝く夕暮れのような液体を。

「乾杯しよう」

椅子を引いてシンジにグラスを手渡しふたつをかち合わせる。カランと鳴って炭酸が弾ける様子をふたりで見つめた。ここまでシンジは自動モードだ。

「一緒に、さあ」
「待ってよ。まだ何もおつまみ用意してない」
「いいじゃないか。ポテチで」
「ポテチで?」

声色を真似してみたら笑ってしまった。思わずゆるんだ口元を抑えたらうるんだ瞳で見つめられた。そう、この雰囲気。否が応でも従わせる独特の色気。下手に出ていたとしても主導権を握るのはカヲル。「早く早く、彼女達が戻ってくる前に」そう急いでいるのを隠して微笑んでいるのがわかる。もう長い付き合いだからわかる。ゆっくりとまばたきをしてキラキラと赤の虹彩は瞬く。彼はいつだってなるべくふたりきりがいいのだ。だからアスカの提案にも渋っていたがシンジが賛成したからやむなく従っただけ。

この絶交のチャンスを逃したくない。

「…カンパイ」

シンジは降参の溜め息をついてもう一度ガラスの重ねた。ふたりきりの記念の音がこだまする。


*****


「ん〜〜?ジュースみたいだね」
「アップルソーダみたいだ」
「あんまり強くないんじゃない?」

下戸だったらどうしようと帰り道で盛り上がった。実際のはじめてのひとくちは、甘くて飲みやすい、だった。

「またふたりで初体験ができて嬉しいよ」
「なんか変な言い方だね」
「あとはどんな初めてが残っているかな。あ、これだ」

カヲルの顔が近づいてきてシンジは慌てて首を逸らした。

「も〜〜!!酔うには早いよカヲルくん」

ポキッていったじゃないか、シンジは首をさすりながら立ち上がる。台所でエプロンを締めて平静を装いながら、熱い耳を隠しきれていない。
シンジはカヲルの意味深な絡みが苦手だ。ああやって突拍子もなく口に口をくつけようとしてきたり。あれじゃキスしようとしてるみたいじゃないか、とまあシンジの思考はカヲルの前ではこうやってこんがらがってしまうのだった。

「酔ってないよ」
「そんなこと言ってさ」

一方シンジの前ではカヲルの言動はすべて冗談にされてしまう。10000回は好きだと伝えた。10000回とも意味不明って顔をされた。お酒がプラスされると今度は「酔った勢い」に認定されてしまうらしい。
不服だ、とカヲルは首を傾げる。

「ならふたりで酔ってしまおう」

グラスに満タンに注がれた初めてのアルコール。カヲルは一気に飲み干した。


*****


まな板の上でネギを切る。豚バラ肉を巻いてフライパンに油を注ぐ。

「アスカ昔からこれ好きなんだよね」

隣ではレイの好物のニンニクのホイル焼き。女子だからと言って女子っぽい食べ物が好きとは限らない。

「僕のは?」

いきなり後ろから抱きすくめられてシンジは肩から飛び上がった。

「…っ」「ねえ僕のは?」

びっくりしたなあと平常心を装う前に言葉を上乗せされてしまい、妙な沈黙になってしまった。

「…カヲル君は、ポテチ、でしょ」
「いじわるだね」

耳許で囁かれて腰に腕を回されて、漏れそうな吐息を飲み込む。

「…危ないよ」
「僕が?」
「包丁」

唇をキュッと噛み締めるとさっきのキス未遂を思い出して、指がふるえた。酔ってるかも、と思った。

本気で「やめてよ!」なんて告げたくない。嫌なわけじゃない。でも居心地が悪い。自分がふたりいるみたいに。どうしていいのかわからないから、自信のないシンジはいつも逃げ出すのだ。
カヲルにはそんなシンジの大人未満の機微なんてわからない。

「嫌かい?」

切ない声が鼓膜を濡らす。カヲルには疑いようのないものがある。腕に力を入れるとシンジが体を縮こめた。耐えているようだった。

「ふふ、焦げてきたよ」
「もう、邪魔しないでよ」

わざとらしい乾いた声で冗談に塗り替えるふたり。カヲルはシンジを手放して空のグラスを満たしてゆく。2本目を開けた。早く、早く酔いたい。彼女達が帰ってくる前に。こわい。でも、このまま何もしないより――

カヲルの心は決まっていた。もうとっくに体も追いついていた。シンジに触れると暴れだしそうなほど。飢えては諌めて罪悪感に溺れて、祈るように切実に愛を乞う。シンジが怯えないように軽く。そんな毎日。
長かった。とても。なのに最近はとにかく4人でいたがるシンジ。避けられている、と思う。世間では脈ナシという。絶望した。苦しくて泣き叫びたいのに…シンジの前ではつい笑ってしまう。

諦めが悪いのはわかっているよ、カヲルは心の中で情けない自分自身に弁明した。


*****


「まだ来ないって変だよね」
「全然変じゃないよ」
「何かあったのかな…って!ちょっと!」
「これは没収するよ」

そのうち帰ってくるだろうとスマホを鞄にしまい込むカヲル。
皿によそった料理はもう冷めている。ふたりの顔はほんのりと桃色だ。カヲルの大好きな葛城家特製コブサラダはもうほとんどが胃袋に消えた。食材をレジ袋から取り出してその組み合わせから完成図がわかった途端、カヲルは一気にご機嫌になった。「僕のためかい?」と何度も聞いては懲りずにちょっかいを出してきた。いくら止めてもやめてくれくれない。舌ったらずな甘え声でさっきから変なことばかり言ってくる。シンジは今ふたりの肩と肩がピッタリくっついていても動じない。それはカヲルの魔法で、いつも気がつくとそうなっている。プライベートスペースを侵食され続けていつの間にか恋人みたいな距離感に。不思議だ。

「君はレジでいつも『割れ物お包みいたしますか?』って言うだろう?」
「うん」
「本当は『悪者お包みいたしますか?』って言ってるね?」
「言ってないよ!!」

ほろ酔いのカヲルは「絶対に言ってるよ」とシンジの脇腹をくすぐった。シンジが笑いながらその手をはらうと、今度は赤ちゃんをあやすみたいに指と指を絡められた。

「『カツアゲ丼半額で〜す』って言ってるね?」
「言ってないってば…ふふ」

鼻先のカヲルの瞳は緩みっぱなしで涙の膜の上にはハートがちらばっている。

「君はいつも愛らしい」

嘘だ、そんなはずない、といくらシンジが言い聞かせても、もうどうしようもないくらいに好きがだだ漏れになっている。
シンジは思う。僕が気を利かせて何度も何度も違うと自分に言い聞かせているのにどうして、どうして、そんなに僕が勘違いしそうなことをするのさ、と。

でも、その瞳は今拒めば崩れて泣き出してしまいそうな気もするのだ。「これは妄想かもしれないけれど」と前置きをしてシンジが思うには、カヲルは平常心を装って「いいだろう?」と自分に許しを請い続けている。もうどうしようもない、もう我慢できない、とシンジにお願いしてじりじりと近づく距離に胸が苦しくて、シンジは焼けるような戸惑いを覚える。嬉しくてたまらない笑顔は「両想いだろう?」と、ふと揺れる瞳は「全部僕の思い過ごしだろうか…」と声にならない声で訴えているようで。シンジの心は立ち尽くしてしまう。

「シンジ君…」

急にやるせなく自分を呼び、

「酔ってきたようだ」
「うん」

声にならない声で叫ぶ――「僕はもう自分をごまかせない」と。

「頭が真っ白だよ」
「ふふ」

――「僕を助けて」と。

「どうにかなってしまいそうだ」
「…うん」

――「僕を受け止めて」と。

チラつく泣きそうな表情。すぐにまた笑顔になる。泣きそうに笑う、そんな彼の顔を初めて見た。自分もそんな顔をしている気がする。初めてはいつもふたり一緒だったから。

「君が好きだ」
「……」

――「僕にも好きと言って」

近過ぎる距離感はいつの間にか睫毛が触れ合いそうなほど。背中を引き寄せすぐ側の唇へと最後の一歩を踏み出したい。なのにまた戸惑っている。許しが欲しい。そのずっと超えられなかった最後の一歩を踏み出す許しを。
カヲルは思う。いっそのこと、無理矢理にでも組み敷いて奪ってしまおうか?そうよぎって眉間にしわを寄せる。自分のものにならないなら壊してしまいたい、シンジを誰にも渡したくない。そうずっと思っていた。
でもいざとなるとそんな自分本位にもなれずに、カヲルはシンジにひざまずいて命乞いするしかないのだ。苦しくて愛で死んでしまうなら、君とのキスで殺してほしいと。

――「僕もずっと好きだったよ」

睫毛が僅かな風を運んでそう告げた。瞼を閉じたシンジにカヲルは最後の一歩踏み出した。身を委ねるその細い体を大事そうに両腕で抱えて、恋い焦がれた歳月分の想いを込めて唇を味わった。

それはネクターとアップルソーダの味がした。


*****


5分後。玄関にて。

「やったわね、大成功」

ヒソヒソとドア越しにハイタッチする女子ふたりの影。

それはレイのちょっとした疑問から始まった。

『碇くんネクター知らなかったの』
『甘いのは昔からミルミルなのよ』
『ならこれ、お酒と思うんじゃないかしら』

そこでアスカが付け足した。

『バカシンジは騙せてもアイツはムリよ。成分とかきっちり調べそうだもの』

ということでふたりは酒瓶に自分たちのオリジナルカクテル(ノンアルコール)を詰めて悪戯をしてみたのだった。思わぬ電車の遅延で飲み始めの瞬間は逃したけれど、忍び足で覗いてみたら、まんまとふたりは既に出来上がっていた。

「あんなにデロデロだと逆に言い出しにくいわね」
「デロデロというかデレデレ」
「どう違うのよ?」
「……」
「これだから日本人は。オノマトペが細かいのよ」

「さあ、いくわよ」

ちなみにふたりは5分前の出来事を知らない。


カンパイ!



top



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -