一枚の外国製のコインが指の背をくるくる回り親指のクリックで宙を舞い三回転。キャッチした左手の中はからっぽで右手を這わせた君の襟からそれを拾い指先にかざしてキラリ。そんなたわいもない手品まがいに君はその濃紺の瞳を煌めかせて、わあ、すごいや、カヲルくん、なんて声をあげて喜んでくれるものだから、つい、調子に乗ってしまったんだ。信じやすく感じやすい君への悪戯だったのだけれど。このコインを賭けてもいい。僕は断じて出来心なんてなかった。



悪戯なコイン



「さあ、コインを見てごらん。キラキラと綺麗だろう。この輝きを眺めていると、君はとても安心するね。するとどうだろう。君は僕のいうことを何だって聞いてしまいたくなる。僕の言葉の通りにすると気持ちがいいのさ。そうだろう?さあ、さん、にい、いち…」

パチンと指先を鳴らして君の肩にトントンと合図する。赤い紐にぶら下げたコインをポケットにしまってニヤリ。

「さあ、僕を抱き締めて好きだって言ってごらん、シンジくん。」

すると君はいつものように、もう、ふざけないでよ、カヲルくん、なんて僕をたしなめ真っ赤になるはずだった。けれど、

「好き、カヲルくん…」

僕は次の瞬間にシンジくんに抱き締められて上目遣いに甘い声でそんな風に囁かれるものだから、思わず僕の方が真っ赤になって仰天することになる。

「し、シンジくん!?」

僕が逃げ腰になると僕らは姿勢を崩してベッドに転がり、君を守ろうと手で抱きとめた場所は君のぷるんとしたお尻。その柔らかい感触に卒倒しながら君の体を離そうとしても魔法にかかったみたいに君は僕にしがみついてもう一度、好きだよ、なんて耳もとで色気たっぷりに囁くもんだから、さっきからこすれ気味の僕のナニはむくむくと膨らんできて、さあ大変。真っ白な頭で僕はとっさに君の肩をトントンと叩いてみた。するとどうだろう。シンジくんはキョトンとして何事もなかったかのように起き上がり、あれ、というのだ。

「何も覚えていないのかい?」

「うん…」

そこで僕は確信した。どうやら僕はシンジくんに催眠術をかけることができるらしい。

「さあ、シンジくん、僕に大好きだって言ってごらん。」

「カヲルくん、だいすき!」

その言葉に胸がキュンとしぼられる。僕はまた、肩を叩く。

「今、何を言ったか覚えているかい?」

「全然。僕、なにか言った?」

どうやら僕の願い事は言葉で願えば叶い、肩を叩くと終わるらしい。けれどそんな夢みたいな話があるものだろうか?

「…さあ、僕の前で服を脱いでごらん、シンジくん。」

だから僕はこうも思った。もしかしてシンジくんの巧妙な悪戯なのかもしれない。ならばこんな無茶なおねだりは君を困らせてしまうだろう。けれど、

「も、もういいよ、シンジくん、」

僕がじっと眺めているにもかかわらず、シンジくんはカッターシャツに、インナーに、ベルトにとさくさく脱ぎ始めてしまうものだから僕はそれが悪戯ではない事を思い知るのだ。

「わ、わあ、シンジくん、アッ、」

けれども止まらないで脱ぎ続けるシンジくん。僕は止め方を間違えたのだ。慌てふためき肩を叩く、その距離わずかつま先5センチメートル。僕の目の前で止まったシンジくんはブリーフに指をかけていた。半分ずり落ちたそれは僕の股間をカチコチに固くさせる。

「服を着ておくれ、シンジくん!」

「え、僕どうしてパンツ一枚なの!?」

僕はいたたまれずに自分の部屋を飛び出した。なんてことだ。僕はとんでもない力を手に入れてしまったらしい。これは厄介だ。厄介すぎる。


僕はそんな力を使ってシンジくんをモノにしようと企むようなずる賢いヤツではない。シンジくんと僕とは運命の恋人であり純愛の存在なのだ。それに僕はいわゆる純情派で、シンジくんと結ばれるのはエメラルドグリーンの海沿い小さな教会で愛の鐘を鳴らした初夜に天蓋つきの純白のベッドの上でと決めていた。これはシンジくんも気に入るはずだ。

けれども同時に思っていた。そんなに待てない。今すぐにでもシンジくんとイチャイチャしたい。キスをしたい。その前に交際の申し込みをしたい。恥ずかしいことに最近はシンジくんのハレンチな妄想が止まらなくてスーパーの特売日にボックスティッシュをいくつも買い込んでいる。実はシンジくんの匂いを嗅ぐだけで勃起しはじめてしまう僕は慌ててナニを股にはさむ事さえある。

僕は年相応かそれ以上にエッチなヤツだったのだ。そしてそんな抗えない欲望とそれを叶える魔法の力。催眠術。力を使いこなせない魔法使いの弟子の行く末を、皆さんはご存知だろうか。僕たちの純愛は今、最大の危機に瀕していた。

「ねえ、ぼ、僕、どうしてパンツしか履いてなかったの?」

「そ、それが僕にもわからなくてね。もしかしたら夢遊病かもしれないね。寝ているうちに無意識に変な事をしてしまう病気さ。」

僕はシンジくんに嘘を吐くのは胸が痛かったが、純愛を失うのはもっとつらかった。

シンジくんは僕の戯言を信じきってその日は具合が悪いとすぐに帰ってしまう。けれど、本当の受難はここからはじまったのだ。


「シンジくん…」

僕は欲望にことごとく惨敗する。

「ギュッと抱き締め合いっこしよう。」

君が僕を抱き締めてくれる。まるで恋人のようにして。ワルツを踊るみたいにクルクルと抱き合う君と僕、ふたりきりの部屋の中。首筋に鼻を埋めると君のミルクのような甘い香りがして、興奮する。たまらない。あ、いけない、トントン。

「あれ、僕、また?」

「…うん。」

「ごめんね、カヲルくん…」

それは僕のセリフなんだと心のうちで懺悔する。けれど僕は、君を操るのをやめられなかった。


「…シンジくん、恋人ごっこ、しよう。」

するとシンジくんは僕の首にしがみついて頬にチュッとキスをした。それから恥ずかしそうに僕の指に君のを絡ませ、ねえ、デートしよう、なんて濡れた恋人の瞳で甘くおねだりをするのだ。僕はそのあまりにも強烈な光景に変な汗が噴き出してしまう。このまま外へとデートしたくてたまらない。けれどもしも誰かと会ってしまったら、シンジくんに迷惑がかかってしまう。

だから僕は借りてきていた洒落た恋愛映画を流しながら君とおうちデートをした。君を後ろから抱き締めて手を握り合い休日に映画を楽しむ。それはまるで本当の恋人同士みたいで、僕はのぼせるくらいに幸せだった。

「カヲルくん、チューしよ。」

するとエンドロールの最中に突然そんなお誘いが聞こえてきて、僕が思わず変な声を漏らすと君が瞳を閉じて唇をちょこっと尖らせて顔をゆっくり近づけてくる。

「い、いけないよ、シンジくん!」

僕らのファーストキスはよく晴れた夕焼け空の下、野花のそよぐ静かな湖畔でする予定なのだ。僕が慌てて君を制止しベッドによじ登ると、シンジくんは僕を追いかけ背中からハグしてきた。

「カヲルくん、しようよ。」

僕は炸裂する甘美な誘惑に体がどくんどくんと脈打ってしまう。ああ、いけない、けれど、

「シンジくん…」

仰向けになった僕に馬乗りになって首を傾げて見下ろす君は幼い容姿とは裏腹にエッチな艶のある表情だからつい僕もその気になる。ああ、いけない、けれど…近づいてくるそのツヤツヤの唇がとっても美味しそうだから、ああ、けれど…

「わっ!ぼ、ぼく…!」

僕の中で理性がまさり肩を小さくトントン叩く。すると案の定、シンジくんは自分が失態を犯してしまったと真っ赤になりながら半ベソをかいてしまう。

「気にしないでおくれよ。ね、シンジくん。」

僕は自分の少し先走ったナニをうまく隠してシンジくんに笑いかける。けれどシンジくんは、本当にごめんなさい、と泣きながら部屋を出ていってしまったのだった。

僕はひどい罪悪感で、この不思議な力は呪いなんじゃないかと自分を棚に上げてまず、その状況をつくった全知全能のナニガシを全力で呪い返した。


「え、で、でも…」

「シュークリームを買ったんだ。シンジくんの分もね。うちへおいでよ。一緒に食べよう。」

それでも僕はやめられなかった。シンジくんと仮初めでも愛を囁き触れ合いたい。僕は性の奴隷と化した体でシンジくんを求めすぎてしまっていた。

「ねえ、あのコインの手品、もう一度やってみせて。」

僕は一瞬ヒヤッとした。けれどふたりでシュークリームを食べ終わって手持ち無沙汰だったから別に変な意味もなかったのだ。僕が指の背にコインを滑らせ手の甲から消えたコインを君のポケットや耳の後ろから取り出すとシンジくんは無邪気に頬を染めて笑った。

「すごいや。カッコイイ!僕の夢遊病もカヲルくんの魔法で治してくれたらいいのに…」

ああ、可哀想なシンジくん。何も言わないけれどガラスのように繊細なハートはとてもそれを気にしているようだ。だから僕は君のために冗談まじりでひと肌脱ぐ。

「君のためなら仰せの通りに。シンジくんの病気はなおーる、なおーる、」

「あはは、変な呪文!」

「ほら、」

パチンと指を鳴らしたら、シンジくんは深い眠りから覚めたみたいにパチパチと強く瞬きをした。

「どうだい?これできっと治っただろう?」

「…うん。」

シンジくんが神妙な面持ちで僕を見つめる。やっぱり君は信じやすいから少し心配だ。

「じゃあ次は、僕の番だ。」

僕は体が疼き出してもう待てないと切り出した。

「シンジくん、僕を好きになっておくれ。」

いけないことだとはわかっている。けれど、僕は、君が好きで好きで、もうどうしようもないんだ。君の美しい濃紺の瞳を避けながら伏し目がちに呟くと、ややあってシンジくんは、うん、と遠慮がちに呟き、そして、こう言うのだ。

「僕はずっとカヲルくんが好きだよ。」

ズキン、嬉しいのに何故か、胸が痛い。

「ありがとう…僕もシンジくんが大好きだよ。」

けれどその痛みが過ぎ去れば、僕は有頂天になっていた。


「あ、あの…」

「どうしたんだい?」

「これって…」

「ああ、そうだね。僕らは好き同士なんだから、イチャイチャしようよ。」

僕は伝わりづらい言葉だったと思い直して願い事を言い直す。すると君は、うん、と頷き強張っていた体の力をすうっと抜いた。

ベッドの上で、ふたりきり、寝そべって抱き締め合う。すぐに僕は体温が上がり勃起してしまうのだけれど、君はこの時間を覚えていないのだからことさら隠す必要もない。僕が欲望のままにその固い膨らみを君の内腿になすりつけると、君はあたふたしながらもピクピクと反応していた。

「や、アッ、あの…」

「はあ、シンジくん…」

僕はねじれた体のままに君に擦り寄る。指先で君の体の輪郭を確かめる。それはまるで本当に恋人同士の前戯みたいで僕はひどく興奮してしまう。

「…キス、しよう。」

すると君は真っ赤になって戸惑いながらもゆっくりと瞳を閉じた。それはまるでいつもの君だったから、僕は何のためらいもなく瞳を閉じて、君にはじめてのキスをしてしまったのだった。

「ん…」

最高の一瞬は流れ星のよう。突然に、僕を灼熱に燃やし、そしてそれは、燃え尽きる。

「…あっ、」

僕は流れ星が消えた後になってとんでもないことに気づいたのだ。

「どうしよう…」

シンジくんは僕とのファーストキスを覚えていない。それはロマンチックでもなくて、独りよがりの欲丸出しのなりゆきで、しかも君は魔法にかけられているだけ。そこに君の気持ちはない。それは純愛とは真逆の行為。

「なんてことを…」

「どうしたの、カヲルくん。」

僕は罰が当たったらしい。白い顔が更に白くなっている僕を君がとても心配そうに見つめている。ああ、僕はこんな無垢なシンジくんになんてことを…

トントン。僕は君の肩を叩いた。

「な、なに?」

「話があるんだ。」

「うん、でも、その前に、」

「その前に?」

「座って話そう。僕、カヲルくんに押し倒されてる。」

「ああ、ごめんよ!」

僕が慌てて君を起こしてよれた服をなおしていると、君は小さな声でありがとうと囁いた。何も知らずに。

「…君に許しを乞わなければならないことがあるんだ。いや、許されないかもしれない。それでも君に伝えなければならないんだ。」

僕は床に跪いて君を見上げた。僕の真剣な表情に君も笑うのをやめる。

「…実は君に嘘を吐いていたんだ。本当は君は夢遊病じゃない。」

「え、じゃあ何なの?」

「…僕が催眠術をかけていたんだ。」

「え、」

「事故だったんだ。まさか僕にそんな力があるなんて知らなかった。それで、僕は、その哀しい幸運を、つい、利用してしまった…」

「利用?」

「君とイチャイチャしていたんだ。僕は君が好きだから、つい。」

「ええ!?」

「ごめん。君にひどいことをしてしまった…」

「…ひどいことって、何をしたの?」

ああ、これで僕の恋は、終わってしまう。

「……………キスをした。」

「さっきのこと?」

「うん。」

「それってひどいことかな…他には?」

「抱き締め合ったり、恋人ごっこをした…」

「恋人ごっこ!?」

「そう。一緒に僕の部屋で映画を観たんだ。」

「いつもしていることじゃないか。」

「君を背中から抱き締めて、両手で恋人繋ぎをしながら、観たんだ。」

するとシンジくんは気絶しそうなくらい真っ赤になって膝を抱えてうつむいてしまった。

「ごめん…」

「僕、覚えてない…」

「催眠術の間は記憶がなくなるんだ。」

「カヲルくんだけ覚えてる…」

「そうなるね。本当にごめんよ。」

僕が頭を下げていると、しばしの沈黙のあと、事態は予想外の展開に。

「ズルいや。」

ん?

「僕もそれ覚えてたかった…」

どういうことだ?

「カヲルくんはどうして催眠術をかけてからそんなことをしたのさ。」

「君が好きだから…」

「なら普通の時にしてよ。おかげで僕、キスしか覚えてないよ。」

「ええ!?」

僕は耳を疑った。

「キスを覚えているのかい?」

「さっきそう言ったじゃないか。」

言葉をなくしている僕に、シンジくんが説明してくれたのはこうだった。

僕が嘘の夢遊病を治そうとふざけて催眠術をかけている時に指をパチンと鳴らしたら、シンジくんの頭のもやがすっきり晴れて、それから僕のおねだりにはシラフのシンジくんが全部答えてくれていたらしい。

「…だから僕、カヲルくんは僕とのキスがすごくダメだったからがっかりしてるのかと思って、心臓が止まりそうだったんだ…僕はすごく嬉しかったから…素敵で、」

「素敵?」

「うん。好きって言ったらカヲルくんがなんだか急に狼みたいに僕に覆いかぶさってきてくれて、でもキスはとろけるみたいにとってもやさしくて、カヲルくんはなんて情熱的でロマンチックなんだろうって僕ドキドキして…ってなに言ってるんだろう…!」

シンジくんは膝を抱えて体をこれでもかと小さくしてから足先をジタバタさせた。

「…ああ!カヲルくんのせいで僕、おかしくなっちゃった!カヲルくんは責任とって僕の忘れちゃったこと全部、僕とやりなおして、ください…」

尻つぼみなセリフの最後が消え入りそうだ。この時、僕ははじめて全知全能のナニガシの創造力の豊かさに感謝したのだった。

「ああ!なんてチャーミングなんだ!僕のシンジくん!」

まさか感じやすい君がそう感じるとは思わなかった。

ふたりがベッドの上になだれ込んだ時、僕らの足もとに落ちた例のコインがキラキラ笑っていた気がする。やっぱりこれは、気まぐれナニガシの悪戯なのかもしれない。


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