夢子は祝いたい


パソコンの前、液晶のライトが夢子の顔を不気味に照らす。きっと誰かに見られたらヒイッなんて悲鳴が聞こえてくるだろう。今夢子はおぞましく気持ちの悪い表情……失礼、至福の幸せに恍惚とした表情で画面を食い入るように見つめている。

碇シンジ君がこんなに可愛いはずがない!

それは自分の願望でねじ曲げた妄想であって現実(※原作)は違うんじゃないのか。碇シンジ君は実はそんなに可愛くはないんじゃないのか。ふと定期的に襲ってくる不安のために原点回帰をしてみたのだ。そして原作を隅から隅まで堪能してから愕然とした。

原作の碇シンジ君の方がずっとずっと可愛いじゃないか!!!!!

尊い……テレビの前で夢子は遺言のようにそう呟いた。それから真夜中を超えても内にこもる感動やら何やらで眠れなくってこっそりとスマホで碇シンジ君を画像検索。それでもこらえきれずに(むしろ目が冴えて)パソコンを起動させた。

夢子はシンジスト。碇シンジ君が世界一大好き。できれば24時間シンジストと繋がって萌えを語り合いたいけれど、現実世界はそうもいかない。シンジ君のブリーフを食べては生きていけないのだ。

でもその願いは日に日に強くなる。だって今日は――碇シンジ君の誕生日。

愛しのシンジストさんはケーキの予約を入れていた。シンジ誕の美麗なイラストが川のごとく流れるTL。きっとイプしたりオフしたりアクティブな方々は盛大に祝うのだろう。夢子にそのスペックはなかった。

「いいなぁ」

気持ちは一緒なのに。いや、むしろ私の方が愛が深いのに!!それを表現できないのは悔しい、寂しい。このあふれ出る気持ちをどうにかしたいのにどうにもできないなんて。そうして超えてしまった日付変更線に夢子は申し訳なさでいっぱいになった。

「ごめんね、シンジ君」

夢子は取り憑かれたようにキーボードを打ちまくる。

=====

碇シンジ君へ

はじめまして、夢子と言います。
シンジ君は私のこと知らないと思うけど、私はシンジ君が大好きです。
私以外にもシンジ君のことが好きで応援している人はたくさんいます。みんなシンジ君に気持ちを届けたくてシンジ君の誕生日をお祝いする予定です。だから君はひとりじゃないよ。

シンジ君、本当にお誕生日おめでとう!!

夢子

=====

宛先のないメールを保存する。胸の中がいっぱいいっぱいになって涙がこぼれてしまった。まぶたをこすって鼻をチーンとかんで、感情のちゃぷちゃぷの上でたゆたいながら夢子はpixivを漁った。サイトを漁った。スレを漁った。

「ん?」

ふと夢子は変なスレタイを発見した。

【二次元に】碇シンジ君の誕生日を祝いたい【瞬間移動】

「なんだこれ」

何気なくクリックしてみると、

__________

1 :渚カヲル:2015/06/05(日) 23:53:35.21 ID:???

碇シンジ君の誕生日を祝いたい方へ

シンジ君に内緒でサプライズパーティーを開きます。なのでなるべくたくさんの方に参加していただきたいです。
参加希望の方は下の画像をプリントアウトし枕の下に置いて寝てください。
プレゼントをご用意の場合は眠りにつくまでそのプレゼントを心に思い浮かべてください。

__________

文章の下にはシンジ君をイメージしてデザインしたのだろうと思われるチケット画像がアップされていた。こだわりと愛情を感じる。たぶんこれは生粋のシンジストのファンアートだろうと夢子は思った。せめて夢の中でシンジ君をお祝いしたい、その気持ちに共感した。

「私も参加すっか」

だから夢子はチケットを印刷した。余白をハサミで切り取って、枕の下にチケットを忍ばせて眠ったのだ。

「プレゼント何がいいかな…」

シンジにあげたいものを選びながら、夢子は深い眠りに落ちてゆく。

どこまでも落ちてゆく。

光が見える。

境界線を越えて光があふれている。

「だーかーらー!あんたたち早く静かにしなさいよ!!」

聞き慣れた声とともに夢子は開いていたはずのまぶたを開けた。

そこは既視感のある教室だった。机がコの字に整列されている。教壇には3人の女の子が立っていた。

「ほ、本物だ〜〜!!」

野太い声がうるさくて振り返ると夢子のすぐ後ろでおじさんが驚愕の顔をしている。ぽっちゃりしていて肌がツルテカなおじさん。見渡してみるとたくさんの現実世界っぽい人々が教室に散らばっていた。みんなそれぞれに大小色とりどりの荷物を抱えてそわそわしている。泣きながら抱き合ってる女の子たちもいた。

「うっさい!あんたシンジが好きなんでしょ!」
「アスカもレイもマリも大好きだよ〜〜!!でも僕はシンジきゅんも可憐な女の子だと思ってるんだ!!」
「キモッ!変態おやじは私から一番遠いところに着席しなさい!」
「姫、ファンをいじめない〜」
「うう…」
「ほら泣いちゃった」
「アスカたんにののしられて感動しちゃう…禿げそう」
「あんたもう禿げてんだからこれ以上禿げ散らかさないで!」

恍惚としたおじさんは夢子の隣に着席した。夢子は心なしか椅子をややずらして座った。おじさんの両手に抱えられていたプレゼントが机に所狭しと置かれてゆく。それはユニコーンのガラガラからはじまって、絵本、野球のグローブ、PS4、ハードカバーのファンタジー小説、『シンジきゅんへ』と怪しいラベルの貼ってある謎のカセットテープ、と幅広かった。

「0歳の誕生日からプレゼントを考えてたら全部持ってきちゃったみたいです」

おじさんは夢子の視線に気づいて照れくさそうに笑っていた。数えてみるとそれは15個ちゃんとあった。

「握手してください」

なんて素敵な愛情だろう。夢子はおじさんと固く握手を交わした。おじさんを挟んで向こう側のお姉さんも握手をしていた。お姉さんは頭の先からつま先まで完璧に着飾っていてショップバッグを抱えている。プレゼントでシンジ君を一生懸命コーディネートしたのかなと夢子は思った。夢子の膝の上には一枚のバースデーカードが白い封筒に入ってひっそりと待機していた。

コの字がきっちり埋まって壁沿いに立っている人もいる。彼らはすべてシンジストなのだ。夢子はぶるっと身震いした。さっき泣いていた女の子たちは手作りのマカロンをパステルのリボンでデコっていた。メガネをかけたお兄さんは薄い本を「そんないかがわしいもの本人に見せてどうするつもり〜?」とマリにいじられていた。と、レイが夢見がちそうな女子中学生と一緒に廊下から戻ってくる。アスカを連れてリターンしている。

「こんなの持ってきてどうするつもりなのよ!!」

怒号が聞こえてきたので全員がおそるおそる廊下を覗くと、廊下には高さ5メートルは優に超えていそうなペンペンのぬいぐるみが横倒しでぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

「どうやって保管すんのよ!」
「ごめんなさい〜〜」
「碇くん好きそう」
「そ、そうですか?」
「きっとお腹の上で寝たいって言うわ」
「ですよね」
「無事運べてあいつに渡せたらねっ」

アスカがやれやれと大きく溜め息をついた。

「ま、それは後でにして今は打ち合わせしましょ」

アスカに見つかる前にそれぞれが慌てて元の位置につく。3人が壇上に立つころには人が廊下にまであふれかえっていた。リーダー気取りのアスカが仰々しく一礼をする。

「みなさま、お集まりいただきどうもありがとうございます。3次元にもあいつが好きな人間がいるって聞いていたんですが、少ない告知でこんなに集まってもらえるなんて、驚きました」

感動で涙ぐむアスカをマリがフォローする。

「私からも感謝します。みんなサンキュー!んで、わたくしマリが変わってご説明しまーす。まずどうしてこんなに急にサプライズパーリィをするかって言いますと、実はこれ代替案なんでーす!」

教室がどよめいた。

「三佐やゲンドウ君も呼んで盛大にする予定だったんだけどね、ネルフがのっぴきならないことになっちゃったんだな。みなさんご存知のとおりワンコ君はパパ関係のストレスにめっぽう弱い」
「あのバカ。今日になってもしくしく寝てんのよ、ほら」

アスカが携帯の画面を掲げた。前方のお姉さんが「キャッ!カヲル君からじゃん!」と叫んだ。画面を読み上げる。

「シンジ君はまだベッドから起きてきませんってえええ」

大人の方々が不謹慎な意味に捉えてまたどよめいた。

「なに期待してんのよ」

薄い本のお兄さんが鼻の穴を膨らませている。

「昨日からずっとこんな感じで」
「どうしよっかって相談してたらこの子がひらめいちゃったのよね〜3次元のお友達と祝おうって」

マリがレイの頭をよしよしと撫でると、場内から盛大な拍手が沸き起こった。

「ということでバカシンジはまだあなたたちのことを知りません。だから今から内緒で会いに行こうと思います。ここ第壱中からコンフォート17まではけっこうあるのでくれぐれも勝手な行動は謹んでください」
「さあみんな楽しい遠足だ〜〜並んだ並んだ〜〜!」

そして全員が廊下に出て二列に整列していた時、外からパパパパパッと風を切る音が轟いてきた。夢子が校庭上空を見上げると、なんとネルフの軍事用プロペラ機がホバリングしていた。

「違うー!もっと右!」

マリが窓を開けて大きな手振りでジェスチャーをした。

「こっちか?」
「そう、そっちそっち!」

機体のドアからヘルメットをつけた加持が手を振っている。おおーっと集団が興奮の歓声をあげた。どうやらマリが加持に連絡を入れていたらしい。例の廊下に詰まった巨大なペンペンを輸送するようだ。

「ここは俺に任せて君たちは早くシンジ君の元へ行ってあげてくれ!」

人差し指と中指を額に当てて笑顔で挨拶をする加持に夢子は同じ仕草で挨拶を返した。

それからはみんなで第3新東京市を大名行列のごとく練り歩いたのだった。そこは箱根なのに東京みたいで、6月なのにひどい常夏で、夢子は上着を一枚脱いで腰に巻いた。おじさんに妙に懐かれてしまいふたりで萌え語りを楽しんでいたが、次第にふたりとも暑さと蝉の鳴き声にやられて押し黙った。おじさんがふらつきながら死にそうな顔になったので夢子は荷物の半分を持ってあげた。

どうにか駅まで辿り着き、修学旅行生みたいにキョロキョロ辺りを見渡しながら電車を待つ。ホームに入ってくる電車は画面の向こう側を動いていた姿そのままだったので、あちこちから感嘆の息が漏れた。アスカを先頭にはぐれないようにと全員が同じ車両に乗り込んでゆく。それだけで車両が満員になる。車内はクーラーが効いていて快適だったがすぐに蒸れた。夢子はおじさんと結託して空いている席に率先的に腰を下ろす。体力は温存しとかねば。隣にはこの都市に住んでいるらしいお婆さん。シンジストたちをじろじろと不審に眺める視線が痛い。

「なんだか僕らがシンジきゅんに一生の思い出をもらっちゃいましたね」

瞳を潤ませてそう語るおじさんに夢子は、ああその通りだ、と感銘を受けた。だからもう一度握手をしようと手を上げたら、

「あ、あそこに二次元の幼女がいるっ」

感動と共にその手も引っ込んだ。

そんなこんなで目的地のコンフォート17の前まで大名行列は無事到着した。駐車場にぞろぞろと熱気を帯びて全員集合。

「全員が玄関先に行くのは無理ねぇ」

アスカの呟きに、まさかここまで来て生シンジ君に会えないのだろうかと、一瞬、空気が殺気立つ。

「碇くんにここまで来てもらいましょう」
「あいつが出てこないからこうしてるんじゃないの」
「真希波さんがどうにかするって言ってたわ」
「どうにかってどうすんのよ。ああもう…あ、ヒカリ!」

するとヒカリとトウジとケンスケが走ってこちらまでやってきた。

「オケは準備万端!いつでも大丈夫よ」
「こっちも無事到着したんだけど、ひとつ荷物がまだなのよねぇ」

女子中学生が背の高い女の子の後ろにさっと隠れた。シンジTの女の子たちが彼女を励ましている。

「渚から連絡来たんだけど、碇はようやくスープを飲んだとかどうでもいい情報だったぜ」
「あっちも進歩したみたいね。じゃ、全員整列して!」

女王の命令に従って全員が建物と平行に一列に並んだ。これ以上怒らすとまずそうなのでみんなが私語を慎んで、目だけを忙しなく動かしていた。思い思いの表情だ。どうなるんだ?そろそろか?夢子は自分が緊張で震えているのを感じた。

すると、

「なんやアレ!」

みんなの周りに突如大きな影が差す。誰かが「使徒!?」と叫んでパニックになる。が、それは一瞬の出来事。

「ああ、そういうこと」

すぐさま晴れやかに希望に満ちたアスカと同じ表情を全員が浮かべたのだ。パパパパパッと風を切る音。ホバリングするプロペラ機からロープが投げ出され、マリがスーッと勢いよく降りてきた。

「さっさと行っちゃって〜!」
「ラジャー」

加持が親指を立ててプロペラ機のドアが閉まった。機体は上昇してマンションの反対側へと飛んでゆく。ミサトの部屋のベランダから見える場所に行くのだろう。

プロペラ機には巨大なペンペンが吊り下げてあった。ペンペンは6畳ほどプラカードを抱えていた。

『碇シンジ君、みんなが待っているから玄関から出てきてよ!』

これを見つけたシンジを想像して夢子は泣きそうになる。「ううっ」と脂汗タラタラのおじさんが鼻水まで垂らして泣いている。辺り一面が既にクライマックスの嵐。

碇シンジ君の誕生日を祝いたい。碇シンジ君に「生まれてきてくれてありがとう」と心を込めて伝えたい。それは全シンジストの叶わないはずの夢だった。

「おーそーいー!」
「メンゴ!校舎半壊させちゃって対処してた」

マリの満遍の笑みにアスカが青ざめる頃、シンジの部屋では――

「落ち着いたかい」

やっと制服に着替え終わったシンジはベッドの上に腰掛けていた。力なく頷くシンジ。

「ごめんね。僕なんかのために」
「僕の大好きなシンジ君をそう言うなら僕だって怒ってしまうよ?」

隣に座ったカヲルがコツンとおでことおでこをくっつけて、やさしく叱る。

「…ごめん。ありがとう」
「こちらこそ、どうもありがとう」
「僕、何もしてないよ?」
「息をしているよ」
「はは、そうだね」
「君は生きている。僕の住むこの世界に」

カヲルはシンジの手を握った。

「生まれてきてくれてどうもありがとう、碇シンジ君」

シンジの頬に涙がつたった。カヲルが顔を傾げてシンジに近づいてゆく。カーテンを閉めた暗い部屋でひっそりと、ふたりのシルエットが重なった。

と、その時だった。

「なんの音?」

外が何やら騒がしい。窓ガラスが激しい音を立てて小刻みに振動している。

「ベランダだ。行ってみよう」
「うん」

カヲルはシンジの手をとってベランダまで連れて行く。窓越しからネルフのプロペラ機が見えた。カヲルがけたたましい音を出すベランダの大窓を開けると、部屋中に疾風が襲ってきた。すさまじい風圧だ。様々な物が倒れて掻き回されてゆく。シンジは風に逆らいながら、どうにかベランダへと辿り着いた。

「えっ」

巨大なペンペンがプラカードを掲げていた。シンジの目が大きく見開く。プロペラ機から加持が楽しそうな顔を出す。

「そういうことだ!シンジ君!覚悟はいいかい?」
「は、はい!」

機体は勢いよく空高く舞い上がった。シンジとカヲルは急いで玄関へと向かう。靴を履いて玄関のドアの前で深呼吸。シンジはおそるおそる外へと一歩、飛び出した。

「え?」

そこには何も見当たらない。シンジは戸惑う。

「カヲル君…?」

気がつくと隣にいたカヲルまでいなくなっていた。シンジは昂ったテンションを急降下させ、所在なげに立ち尽くす。

「シンジ君!」

と、遠くからカヲルの声。シンジは欄干に身を乗り出してその姿を探した。エントランスの屋根にカヲルが立っていた。

「お誕生日おめでとう!」

カヲルは優雅に手を上げた。ヴァイオリンを構えて一点の方向へ目配せして頷いている。視線を追うとヒカリが指揮棒を振り下ろした。

Happy Birthday to you ...
Happy Birthday to you ...

カヲルのヴァイオリンが奏でるハッピーバースデーのメロディ。コンサートマスターのカヲルに続いてオーケストラが一斉にハーモニーを奏でだす。迫力のサウンドが建物の壁に反響して、シンジは体中が音に包まれている感じがした。シンジは顔をくしゃくしゃに歪めて泣いた。

Happy Birthday dear ...

でも、それだけでは終わらない。

「「シンジくーーん!」」

大勢がシンジの名を呼んだのだ。

「「ハッピバースデートゥーユーー!」」

力の限りの雄叫びでオーケストラと歌うのはシンジの友達と、

「え、誰…」

3次元からやってきた大勢のシンジスト。指揮棒が振り上がり音楽が終わりを告げると口々にヒューヒューと盛り上がって「おめでとう!」やら「ありがとう!」が飛び交った。拍手喝采の中には泣き叫ぶ声も聞こえた。

「シンジ君のファンの方々だよ」

いつの間にかカヲルが隣にやって来ていて、感動と疑問であっぷあっぷしているシンジの肩に手を添えた。

「僕の…ファン?」
「そう。君は信じていなかったけど、君は別の世界でもたくさんの人から愛されているんだよ」
「本当?」
「本当さ。彼らは君の誕生日をお祝いしたくて、ディラックの海に飛び込んで次元を超えてはるばるやってきたんだ」

シンジがドキドキが止まらなくて腰が抜けそうだった。ふらふらしたシンジをカヲルがやさしく抱き締める。

「みんなに会いに行けるかい?」
「うん」
「おりこうだね」

カヲルが指先でシンジの涙を拭ってやると、

「あんたたち何油売ってんのよ!」

痺れをきらした女子組がやってきた。

「ははーん。泣き虫ンジ!」
「ななな泣いてないよ!」
「嘘つきンジ!」
「うるさいな!でも……ありがと」

ボソッと呟くシンジにアスカがデコピンする。

「及第点。下に着く頃には満点を用意しときなさい!」

見たこともないアスカのやさしい笑顔にシンジはドキッとしてしまう。レイもマリも幸せそうに笑っていた。それから3人はふたりを残して先に階段を駆け下りる。放っておいては何をしでかすかわからない珍獣たちが待っているから。

「僕らも行こう」

これはシンジからの言葉だった。泣き止んだシンジは笑顔で一歩踏み出した。

一方、コンフォート17の駐車場では――

「シンジきゅん幸せのあまりお漏らしでもしちゃったのかなぁ」

おじさんが気持ちの悪い心配をしていた。

「時間がかかってもシンジ君は必ず来てくれますよ」

夢子はバースデーカードを胸に当ててシンジ君への想いを募らせていた。もうすぐシンジ君に会える!

「さっき一瞬見えたのは生シンジ君のお顔だよね」
「たぶん。こっちからじゃよく見えませんねぇ。テライケメンの生カヲル君はよく見えましたが」
「使徒様…」
「我らが大先輩…」
「No.1シンジスト…」

シンジストはカヲルへの賞賛と尊敬をぼそぼそと夢うつつで口々に囁いた。すると、アスカとレイとマリがマンションから降りてきたので全体にピリッと緊張が走る。夢子はカラカラになった喉をごくんと鳴らした。次にカヲルが綺麗な銀髪をなびかせて軽やかにやってきた時には夢子は雷に打たれた衝撃で倒れそうだった。そして――

「ああ!!」

階段の塀から艶やかな黒髪とつぶらな瞳が不安げにぴょこんと出ているのを目ざといシンジストが見つけて絶叫した。とたんに(まだシンジが出てきてもいないのに)泣き叫んだり腰を抜かしたり騒然としてしまう。怯えたシンジが見えなくなると今度は「逃げちゃだめだぁ」「逃げてもいいんだよ〜」とわけのわからない事態になってしまったのでカヲルが慌ててシンジを探しに戻っていった。

「あんたたち!いい加減にしなさいよ!!」

アスカ様のお叱りにみんなでシュンと反省していると、カヲルと一緒にシンジが緊張した足取りでやってきた。細い腰つき、頼りない少年の手足、繊細にはにかむ表情……本物の碇シンジ。

「は、はじめまして、あの……碇シンジです」

この儚い声の響き。夢子はちょっとチビってしまった。

「僕のためにお越しいただき、あの、誕生日をお祝いしてくださって、どうもありがとうございます」

本物のシンジが深々とお辞儀をして丁寧な感謝の言葉を伝えると一転、全員がお通夜のようにさめざめと泣いてしまう。シンジは心配そうにカヲルを見た。

「やっと君に会えたから感動しているのさ」

カヲルは自分のことのように呟いた。追体験を味わっているらしい。

「あんたのためにプレゼントも用意してくれてんのよ」
「えっ」
「ほら、受け取ってやりなさいよ」

アスカに背中を押されてひとりのシンジスト(あのばっちり衣装でキメたお姉さんだ)からプレゼントを受け取って、お姉さんのほとばしる熱い祝辞に「ありがとうございます」と握手してお辞儀を返すシンジを発見。夢子は、これから握手会がはじまるんだ!と期待でぶるぶる身震いした。隣のおじさんは、可愛すぎか…どうしよう…と滝の汗を流しながら鼻息荒く目が血走っていた。

そんなファンサービスの最中にまた上空で風を切る音。

「おーい!そろそろプレゼントの爆弾を投下していいか〜!?」
「うん!もううるさくしていいよ!」

マリが応答する。コンフォート17の上にプロペラ機が戻ってきた。加持が危険な姿勢で地上を見下ろしている。

「シンジ君、ハッピーバースデー!」
「あ、ありがとうございます!」
「みんな、ここから半径10メートル以上の距離に退避してくれ!」

人々が散り散りに物陰に隠れると、

「行くぞー!」

巨大なペンペンのぶら下げていたロープが外れた――ドスンッ!思ったよりも重い地響きと円状に広がる空気の波。あちこちに悲鳴が上がった。そして役目を終えたプロペラ機は瞬く間に雲の上へと姿を消した。

夢子は階段側の垣根の後ろにかがんでいた。すぐ側では薄い本のお兄さんが投下現場とは明らかに違う方向を目を細めて見つめている。夢子が首をひねって確認すると、階段の壁の下の隙間からシンジとカヲルの白いスニーカーが覗いていた。ふたりは至近距離で、手と手を取り合うほどの近さでいるに違いなかった。お兄さんがほふく前進をして聞き耳を立てている。夢子も後にならった。

コショコショと内緒話が聞こえてくる。

「みなさんが僕のフ、ファンなの?」
「シンジ君の誕生日をお祝いしたくて次元を超えてしまうほどのね」
「99.9%はカヲル君のファンじゃなくて?」
「ふふ。正真正銘、特別に君のことが大好きな、シンジ君のファンだよ。彼らは自分たちのことをシンジストって呼んでるんだ」
「シンジスト…」
「けれど彼らはほんの一握りのラッキーな人たちなんだ。君に会いたくて仕方がないファンはもっともっと多い」
「どうしてそんな」

シンジのふるえた声が途切れた。

「シンジ君が魅力的だからだよ。君の頑張りや葛藤は必ず誰かが見てくれているんだ。君はひとりじゃない」

涙腺崩壊しそうな夢子。ふと振り返ると同じような奴らがわんさかいた。ほふく前進ポーズで顔面崩壊している怪しい珍獣たち……

そして、

「わあ!すごいや!」

レイの予想通り、シンジは巨大なペンペンに大喜びした。デカ過ぎて立たせることも移動させることもできないので、群衆はクジラを捕まえた漁村のようにそれを囲むことしかできない。

「お腹でモフモフしたいでしょう」
「うん!登ってみていいかな?」
「ど、どうぞ!」

何故か得意げなレイの横で我先にと女子中学生が声を上げた。

「ありがとう!すごく嬉しいです」

無邪気に微笑むシンジに女子中学生はジタバタ足踏みして悶絶した。

レイがスニーカーをカヲルがお尻を押し上げて、シンジがよちよちとペンペンの腹の小山を登ってゆく。いつの間にか夢子の隣にいたおじさんが意味深にガラガラを鳴らした。

「わー!フカフカだよ!気持ちいい!」

お尻でポンポン飛び跳ねながらはしゃぐシンジ。あまりの可愛さにシンジストが無言でじりじりペンペンの周りに詰め寄ってゆく。その光景はペンギンの腹の上に降り立ったショタ神を信仰する危険な宗教団体の儀式のよう。彼らの表情は恍惚としていて誰も彼もが渚カヲルのようだったと、オーケストラ部員の某君が後に証言したほどだった。

「あ!」

すると、シンジがバランスを崩してツルン、ぬいぐるみのカーブを滑り落ちてしまう。シンジは無事カヲルが受け止めるものだと誰もが思ったのだが、なんと、ニアミスしてカヲルの隣にいたおじさんがシンジを受け止めてしまったのだ。お姫様だっこで。

「だ、だ、だ、大丈夫かい?」

おじさんは真っ赤になって悲しいくらい裏返った声を出した。

「はい…おじさんは大丈夫ですか?」

おじさんの手が短くてお互いの顔がとても近い。

「ううう〜ん…おじさんはね、大丈夫、じゃ、ないかも…」

高血圧の影響か、おじさんはそう言い残して気絶した。おじさんはアスファルトに転がったがシンジはカヲルが抱き留めた。仲間たちはおじさんが機転を利かせて落としたプレゼントを骨のように拾って倒れたおじさんの亡骸に添えていく。合掌。夢子は慌てておじさんを抱き上げた。

「おじさん待って!気絶しちゃダメ!目つぶったらもったいないよ!!」

おじさんのベタついた頬をビンタする夢子。

「せっかくの生シンジ君をもう10秒も見逃しているよ!!」
「起きる!!」

おじさんは無事生還した。

間髪入れずに街中に非常事態のけたたましいブザーが鳴り響く。

「使徒襲来!?」

生温かい不穏な風が吹きだした。アスカが情報を確認している間、マリがマンションの屋上から街の様子を眺めようと階段を駆け上った。そして数分後聞こえてきたのは、

「ニャッハー!」

奇妙な雄叫び。ズシン、ズシン、轟くのは何かの足音。

「初号機だ!」

シンジTを着た女の子たちが遠くの上方を指差した。

そこにはなんと、初号機がゆっくりこちらに向かって歩いてくる姿が。しかも初号機の手の上には、

「嘘でしょ…」

まるで巨◯兵に連れられたナ◯シカみたいなゲンドウが立っていたのだった。サングラスが陽を反射して眩しくてたまらない。

「父さん!!母さん!!」

夢子はシンジが初号機を母さんと呼んだことに驚きを隠せない。

「どいてどいてー!」

拡声器のミサトの声が聞こえたと思ったら、マンションの敷地内にネルフの装甲車が勢いよく突っ込んできた。駐車すると同時にミサトが飛び出してくる。

「遅れてごめーん!ユイさんが一緒に祝いたいってきかなくて暴走しちゃったのよ!」
「ええっ」

続いてリツコも顔を出してシンジを探した。

「息子の誕生日パーティーに参加したい親心を察してあげてちょうだい。マヤ、モニターは?」
「安定してます。どうしてエントリープラグはからっぽなのに動けるんでしょうか」
「さあね。詳しくはいろいろ調べてみないと」

愛だよ……夢子は心の中で呟いた。母は偉大なり。すぐ側のシンジはあまりの感激に瞳をキラキラ潤ませている。

「あの、シンジ君」

夢子はそっとシンジに声をかけてみた。シンジが振り向く。

「はい」
「あの、みんなのプレゼントには及ばないこと請け合いですが、私のプレゼントも受け取ってください」

両手で気持ちの丈を詰め込み夢子はバースデーカードを差し出した。

「お誕生日おめでとうございます!!」

一世一代の告白だ。力強く腹の底から声を出す。

「あの、お名前は」
「夢子です」
「夢子さん、どうもありがとうございます!開けてみていいですか?」

こっくりと夢子は頷く。『碇シンジ君へ』とだけ書いた白い封筒をシンジは丁寧に剥いて中のカードを取り出した。

「あっ!」

畳んであるカードを開くと夜の第3新東京市の立体模型がポップアップ。オルゴールが流れ出した。キラキラ星のメロディに乗せて3Dホログラムが満天の星を描く。その金色のプラネタリウムの真ん中で小さな花火が打ち上がった――HAPPY BIRTHDAY SHINJI KUN ! DAISUKI ♥――メッセージを届けるために。花火のかけらは星屑になって要塞都市に降り注ぐ。最後には大きな流れ星が、流れて消えた。

「綺麗…」

夢見心地でシンジが囁いている。ミニチュアの星空を瞳に浮かべてシンジが星の涙をこぼした。

「とっても嬉しいです。大切にしますね」

夢子は今までの悔しい、寂しい気持ちがすべて浄化されてゆくのを感じた。だって夢子が想い描いたプレゼントはちゃんとシンジの手元に届いてこんな風にシンジを笑わせているのだから。シンジはとても幸せそうに笑っていた。それは画面の向こう側で残酷な世界に傷つき、過ぎてゆく他人からの愛を密かに求めながら数々の試練を乗り越えてゆく少年の顔ではなかった。みんなから愛されて心の中をひたひたに愛情で満たして心から笑っている幸せな少年の笑顔だった。

「私もずっと、この日の想い出を大切にします」

それから夢子が現実世界のベッドの上で目を覚ますまでにはたくさんの想い出ができた。両腕が回りきらないほどの大きなバースデーケーキをみんなで食べたり、シンジストがいかにシンジが素晴らしいかを本人に聞かせたり。耳まで真っ赤にして照れるシンジが可愛かった。カヲルはシンジ以上に喜んで同胞にシャンメリーのグラスを掲げた。乾杯!と。

でも夢子はいつもと変わらない朝を迎えて悲しくなって泣いた。夢だったのだ。楽しい時間は永遠に終わってしまった。枕を抱き締めると下からプリントアウトしたチケットが出てきた。朝陽にかざすと普通紙の粗い画質が目立ってクチャッとひしゃげていて、正気の沙汰じゃないと感じた。昼間だったら絶対印刷なんかしない。

二度寝をしばらく粘ってから諦めて、夢だと確認するためにパソコンを起動させた。あの怪しいスレッドはもうないかもしれない。きっとそうだ。けれど夢子の予想を裏切りそのスレッドはちゃんとそこに存在した。書き込みが増えていた。

__________

32 :シンちゃんのマカロン:2015/06/06(日) 06:45:31.23 ID:???

ああ〜〜早く起きちゃった〜〜!!誰かいますか?


33 :腐ったメガネ:2015/06/06(日) 06:47:22.25 ID:???

もしかしてマカロンをあげた女の子?

__________

次々と書き込みが流れてゆく。名前欄に参加者だけがわかる自己紹介を添えて。夢子はマウスを持つ手が震えた。

__________

45 :変態おじさん:2015/06/06(日) 07:11:26.42 ID:???

一生の思い出になりました。

__________

「おじさん…?」

あんな気持ちの悪くてチャーミングなおじさんがこの世界に存在しているなんて。夢子も自分の存在を残そうと何か書こうとした。その時だった。新規の記事が到着したのは。

__________

77 :渚カヲル:2015/06/06(日) 07:20:53.11 ID:???

お疲れさまでした。
たくさんの方々にご参加いただき最高のサプライズパーティーとなりました。シンジ君に代わって僕がここで感謝させていただきます。

本当にどうもありがとうございました。

みなさんにお会いできて僕もシンジ君もとても楽しかったです。またいつかお会いできたらいいなと思っています。その時はまたこうして呼びかけますね。

それでは、また会う日まで。

__________

あれは夢なんかじゃなかったのだ!文章の下にアップロードされたイラスト――それはペンペンの前でみんなで撮った集合写真。二次元化した夢子がタイミング悪い半目の笑顔でちゃんと映っているのだった。真ん中のシンジは夢子のあげたバースデーカードを広げて幸せそうににっこりと笑っていた。


碇シンジ君、14歳のお誕生日おめでとう!


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