お題:『二人だけの秘密』貞カヲシン




最初のおねがい、最後のわがまま


その名前が液晶に映るのを見つけて心臓が浮いた気がした。

『久しぶり、僕と付き合ってみる?』

その声がいきなりそんなことを言うもんだから心臓がそのまま浮かんだ。ふざけるな。

「…いきなり何言ってるのさ」
『半年ぶり』
「4ヶ月ぶりだろ」

なのにどれくらい仲違いしていたのかも覚えていないなんて。

『126日ぶりなのにつれないね』
「覚えてるんじゃん」

画面を耳から離してスマホを睨みつけた。いつもこの調子だ。渚はシンジを振り回す、乱暴なくらいに。

「あ、今僕を睨んでるでしょ」
「どうしてわかるのさ」
「そんな間だったから」

ふうん、と相づちを打ちながらもシンジはその懐かしい調子に心臓のチューニングを狂わされる。ふわふわと浮かんでしまう。

126日前もそうだった。



「何してるの?」

ふたりで夕飯の買い出しの帰り道。今日はふたりで鍋をやる約束だった。まだ肌寒い木枯らしの冬。シンジはマフラーを巻き直しながら横目で渚を見た。挙動不審な彼を。

「手、繋いでる」

日の短い時分、まだ昼間なのにほのかに黄みがかった陽光がふたりの側の酒屋のシャッターに影を落とす。ふたつのシルエットが影絵みたいに手を繋いでいる。渚は嬉しそうに笑って影に向かって手を振った。繋いでいない方の手で。影は同じ速度で渚に手を振り返していた。隣でシンジの影の腕が大きく弧を描く。ポカッといい音がする。

「いたっ!…今すごい音したんだけど」
「中身がからっぽだからだろ」

暴力反対!と叫ぶ渚を置いてシンジが足を速めた。追いかける渚、影の手が自分に重なる度に逃げ出すシンジ。息が出来ない。いつもは手なんて出さないんだけど。この時のシンジはいつもと違っていた。心臓が徒競走のよう駆け抜けていた。



『そんなに嫌がらなくてもいいのに』

4ヶ月前と同じセリフを呟く渚。シンジは落ち着かなくて近くにあった洗濯物のしわを伸ばす。立ち上がって冷蔵庫から缶チューハイを取り出して、栓を開けた。

「それで、僕になんか用?」
『別に』
「別に?」
『用がなきゃ電話しちゃダメなの?』

返事をする代わりに盛大な溜め息を吐く。こんな真夜中近くに電話をかけてきたくせに数分後が何の日かもわかっていないなんて。悔しいから自分からは言わないけれど。

悔しい。そう、ずっとシンジは悔しい。



渚とシンジは中二の夏に出会った。転校生してきた渚と偶然、席が隣だったのだ。ふたりは気が合うような合わないようなそんな間柄で、いつも一緒にいるくせに喧嘩ばかりしていた。

「だってさ、仕方ないじゃん。全然好きじゃないんだし」
「言葉くらい選べるだろ」

あの日、シンジは下駄箱の前で渚を待っていた。すると泣きじゃくった知らない女子が横を通過した。付き添っていた友達らしい女子たちが何故かシンジを遠目で睨みつけてきた。

「でもさ、あの子だってこんなヤツ好きになったんだからそれくらい覚悟してもらわないと」
「自分で言うなよな」

その子は『男のシンジ君の方が百万倍好き』と言われて渚に振られた。

「僕を引き合いに出すなよ」

シンジはそのことを告げられて胸の奥が何故かくすぐったかった。

「別に引き合いってわけじゃないけど」

そして渚が上履きを脱いでいると鼻すれすれで消しゴムが勢いよく飛んできた。そのゴム性の弾丸はシンジに跳ね返り、後ろに避けようとしてバランスを崩す。とっさに渚の手がシンジの背中を支えた。

「大丈夫?」

シンジが渚に返事をする前に女子たちが「ばーか」と連呼して走り去ってゆく。ふたりともあっけにとられた。

「あは!なに今の」

こみ上げてくる笑い。面白そうに遠くに彼女たちを見送る渚。けれどシンジはただ渚を眺めていた。自分を抱きかかえる自然体な横顔を。その骨張って綺麗な手はシンジをやさしく支えていた。シンジのつかんでいた靴は足元に散らばっていた。

ありがとう、というタイミングを失ってシンジは靴を拾う。伸ばした手は靴をつかみ損ねてしまう。痺れて力が入らなかった、指先。



『あの後、すぐに僕、振られちゃったよね〜』

渚は何を血迷ったのか、その帰り道に「僕と付き合ってみる?」と言ってシンジに前歯を折られかけた。それは4ヶ月前まで月に1度の恒例行事になった。

「昔話するために電話したのかよ」



四ヶ月前。

「もうとっくに僕の気持ち知ってるくせに」

影と影での追いかけっこも疲れてふたり並んで歩いていたら、渚がポツリと呟いた。

「ねえ、何か言いなよ」

シンジは何も言わなかった。

「そういやちょっと前にさ、アイツから連絡あったじゃん?」
「…アスカのこと?」
「そう、何だったの?」

知ってるくせに、シンジも思った。だから何も言わなかった。

「付き合うの?」

シンジは何も言わなかった。

路地には誰もいなかった。静まり返ると足音の反響が鼓膜に痛い。急に黙り込む渚にシンジはぞわぞわしてマフラーに潜り込む。なんだか寒い。これは悪寒なんだろうか。肌が毛羽立ちアンテナを張るように渚の表情が気になった。すごく気になった。誘惑に負けてシンジは振り返ろうとする。その瞬間、シンジは渚に後ろから抱き締められた。

「もう大人だから君をとられちゃうかも」

甘えるような切ない声色。レジ袋がアスファルトにグシャリと落ちた。
振り払おうとするシンジの腕を渚が掴む。
勢いだけで唇が重なる。

一瞬のことだった。

なのに。

「……、」

ふたりはもう一度キスをしていた。

もう何年もこじれてどうしていいのかわからない気持ちのままで。
分かち合ってきたふたりだけの秘密が溢れ出す。
自分たちが何をしているのかも、ふたりにはわからない。

「もう君とは会わない」

唇が離れたら、また秘密は口を閉じる。
シンジは渚から逃げ出した。



『ねえ、僕の最初の告白覚えてる?』



あの消しゴムの弾丸を避けた帰り道、渚はあっさり振られてなんだか実感が湧かなかった。

「なんでさ、男同士だから?」
「君とは友達だから」

渚はイライラした。

「友達から付き合うパターンもあるだろ」

意味不明、そう駄々っ子みたいに食い下がった。掴まれた腕をそのままにしてシンジは渚から目を逸らした。そんな態度も渚には嫌だった。ひたすらに痛かった。

「じゃ、どうすれば君と付き合えるの?」

帰りたい場所にも帰れない気持ちはどうしたらいいのかもわからず、途方に暮れた。答えなんてくれないと思った。

なのに、シンジは次の瞬間、息を吸い込んだ。



『僕がハタチになるまでこのことを覚えてたらいいよ』



『今、君んちの玄関にいるんだけどさ』

壁掛けの時計の針は真上へ。日付はもう6月6日。最初の告白から6年が過ぎようとしていた。

『僕はまだあの日の約束を覚えているよ』

それはシンジにとってささやかな願いだった。自分の気持ちにも相手の気持ちにも自信のない臆病者でもそれだけの時間が経てばきっと乗り越えられなかった壁を越えられるはずだと。

『君がまだ約束覚えてたらーー』

きっと大人になったらずっと隠していた想いにも向き合えるはず。それから抱える不安にも悲しみにも対処ができるはず。もし対処ができなくても大人になった自分ならきっと解決法を見つけられる。本当に大好きで、ずっと大切だったひとりの側にいられる方法を見つけるまで、絶対に諦めない。

そうあの日の通学路で祈った心が今のシンジの心をそっとノックした。
もう大丈夫だよ。よく頑張ったね。
きっとうまくやれるはず。
君にならできるよ。

もうこれを、最後のわがままにしようよ。

シンジは歩き出す。

『僕と付き合っーー』

そして目の前のドアを開けて、ずっと好きだった友達に抱きついた。


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