「どうして目隠しをするの?」
シンジは頼りない声で聞く。椅子に膝を揃えて座り、背を向けたカヲルをじっと待っていた。そして振り返ったカヲルの手にする黒く艶のある帯を見つけて密かに生唾を飲み込んだのだった。
「素直になるためさ」
滑らかな衣擦れの音。シュルシュルとそれを結び視界を奪う細長い指。たまに肌に触れればひんやりとして、シンジはそっと溜め息を漏らす。カヲルが主導権を握り、シンジは彼の指示を待つ。その何かもわからないという、淡い期待。しびれるくらい五感が疼く。
――僕をどんな場所へ連れていってくれるの?
「あ、今のは?」
「前菜」
鈴を転がすように笑うカヲル。ふわりと甘いキスだった。唇を盗まれて、それとわかっていても尋ねてくるシンジが可愛い。シンジの温度が上昇する。舐めるように見られている、そんな気がして両の手を行儀良く腿の上にそっと添えた。拘束されていなくとも、カヲルが何か言うまでピクリとも動かない。
「これから君の好きなものを食べさせてあげよう」
好きなものを、食べる?好きなものってなんだろう?妄想が膨らんでゆく。目隠しして食べるようなものなのかな?食べるって、もしかして?シンジの口内はじわじわと唾液が溢れて酸っぱくなる。イケナイことを考えて、揃えた膝がキュッと内側へと傾いた。
「何を考えているのかな?さあ、口を開けて」
おそるおそる言われた通りにする。もっと、と耳許で囁かれて舌の張るくらい開けた。と、そこに着地するのは滑らかな金属の感触。冷たくて、閉じた瞬間とろけてしまう、これは、
「アイス…」
大好きなバニラアイス。ちょっと高級そうなバニラビーンズのいい香り。あっと言う間にごくり、飲み込んでしまった。
「おや、残念だったかい?」
「そ、そんな、」
「何を期待していたのかな?」
急に首筋を撫でられて肩が跳ねた。そう、さっきからカヲルは不意打ちで触れてくる。今だって、なんだろうね、と囁きながら頬をかすめて、シンジが驚いてうつむくと、微笑う吐息が耳にかかった。じんと震えた。
「もういいでしょ、やめようよ」
「これからじゃないか」
――これから?
何があるの?そんな高鳴る鼓動を見透かされている気がする。心許ない興奮がシンジをじわじわ追い詰める。心の奥で馬鹿にされていたら寂しい。もてあそんでもいいから僕にわからないようにしてよ、そう口に出さずに言って、シンジは揃えた指先をギュッと握った。
「シンジくん?」
視界を覆っていた布がはらり、床に横たわる。眩しさに顔をしかめた。
「だから僕はやめようと言ったんだ…」
そう呟いて、目隠しあとのにじんだ涙を拭いながら、心配そうにシンジの瞳を覗くカヲル。両の手で顔をやさしく包まれて、火照った頬がいっそう紅潮してしまう。
「カヲルくんの演技でのめり込んじゃった」
「僕はシンジくんを大事にしたいんだよ?」
「だって、」
――カヲルくんは僕を甘やかしすぎるから、たまにはいじわるになってよ。
「…ごめん、僕のわがままにつき合わせちゃって」
「お詫びにこれをちゃんと食べてね」
はい、あーんして、と銀の匙が口許をノックする。ほどよく溶けたアイスがこぼれ落ちそうで慌ててくわえた。
シンジは思う。やっぱりカヲルくんは僕を甘やかしすぎなんだ、と。
――いじわるに食べさせて。
それにつき合うカヲルが既に甘すぎるとは気づかない。
戯れごこち
其ノ壱・とろける匙加減
「UFOキャッチャーやりまーす!」
と宣言する渚。けれどここは彼の家だ。シンジと一緒にのんびりまったりしている最中。さっきからシンジが漫画を熟読していてつまらない。だから渚は注目を集めようと手を上げて起立した。
シンジはそんなに甘くはなかった。
「ウィ〜〜ン!ガッシャ〜〜ン!スタートボタンヲ押シテクダサイ〜」
擬態した渚が隣でロボットダンスみたいにカチコチ動いているけれど無表情。両手を機械のアームに見立てて、スタートボタン、スタートボタン、と壊れたみたいに催促しても無表情。
「聞イテル〜?スタートボタン〜押シテヨ〜」
UFOキャッチャーのくせに動き出す。一歩前進する度に、ガシャンと擬音を立てて直角に膝を曲げる。変なポーズでシンジの前を横切ってくる。周りを歩いてまとわりつく。シンジは小さく溜め息を吐く。かまってやったら、最後だ。とてつもなく面倒くさいことになる。無視しても既にもうものすごく面倒くさい。うるさいなぁと呟くかわりに首を回した。
「ちょっと!スタートボタン押さなきゃはじまらないんだけど」
静まり返っている室内。盛大にひとりスベッたみたいで嫌な感じだ。引くに引けない渚は自動操作のアームで漫画を釣り上げた。ヴィーン。
「何するんだよ」
「景品ゲット♪」
「スタートボタン押してないんだけど」
UFOキャッチャーは意思を持ちはじめました、そんな真面目風ナレーションが勝手に入ってくるのでシンジは笑いそうになる。が、それをしたらシンジの負けだ。表情を変えないようにつまらなそうに別の漫画に手を伸ばした。ら、スポーン!と気持ちいいくらいそれは宙に飛ばされた。意思を持ちはじめたソイツのせいで。
「何するんだよ!」
「UFOキャッチャーは自らを奴隷にした人間に復讐するのでした」
「だからそのナレーションは何なんだよ!」
「人間ゼッタイ許サナイ!復讐スル!」
両腕を広げた渚に危険を察知するシンジ。しまった!コンマ1秒遅れた。反逆のUFOキャッチャー、人間のシンジを後ろからギュッと捕獲。許サナイ、許サナイ、とそのままベッドに横たわる。
「離せ!」
「オ仕置キスルノダ」
「ちょ、やめ…!アハハ!!」
予感的中。くすぐり地獄。シンジの弱点、脇腹の一点責め。狂ったように笑って悶えるシンジ。やめろ、やめろって、そう強がって渚の攻撃をかわそうとするがクネクネしちゃう彼には不可抗力だった。涙目で、おねがい、やめて、と懇願するがもう遅い。反逆者には反逆するなりの心情がある。
「ほ、ほんとに…ギャハハ!や、やめ…ハッ、て…アハハ!!」
脇の付け根をコチョコチョするとエビ反りになってしまうシンジ。奇声をあげて抵抗すると難易度が高くなる。羽根タッチ、爪の先っちょの必殺技だ。渚はシンジを拘束しながら身をよじってその顔を覗いてみた。口元がゆるんで紅潮して、焦りが見える。それを見つかったとたん怒って奮起、また暴れ出したので、付け根から腹まで左右の脇という脇をいじめ倒す。すぐさま楽しい断末魔が部屋に轟く。ドーダ参ッタカと聞くと、悔しそうに爆笑する。何分も笑い続けて苦しそうな息継ぎだ。
「ハハッ…アッハハ!ゆ、ゆるじで…」
「侵略シテヤル」
「ギャハハハッ!!」
濁音混じり。怒っているのに笑っている。そのトロトロの表情は本当に可愛い。
敏感なシンジをもっと敏感にしたい。真っ赤になって泣きながらゴメンナサイって言わせたい。渚の中でむくむくとイケナイ気持ちが頭をもたげる。何本もアームがあったらいいのに、と思いながら、渚は長い舌をシンジの耳穴に挿入した。ニュルッ。
「や、やだぁ…ギャハハ!…や…やッ!アハッ!!」
「ごめんなさいは?」
ほんのり意地悪な声になる。優越感を舌の上で転がしながら、指の腹は尾てい骨を絶妙にコリコリさせた。
「ギャハッ!!アアッ!ご、ごめんなちゃ、い…アッハ!!」
「聞こえないよ?」
触手のように縦横無尽に動き回る指先がお仕置きとばかりに内腿を責めまくる。アーッ!!ともう笑いよりも泣きに近い叫び声が響き渡った。ビクビクして背中に回した手が何も掴めず、必死で股間の下に手を入れ、渚のまさぐるソレを引っ張ったがスルリと力なく抜けてしまう。汗だくで悶絶するシンジに、もっとひどくしなくては、と内腿からお尻のほうへ這い上がってゆく渚。彼はひどく興奮して息をハアハア乱していた。不思議なくらい、シンジを壊してしまいたい、そんな欲望にかられていた。止められなかった。
「アッ――!!!」
それから長い間、一番敏感な箇所を激しく責められ続けたシンジはもうイクとこまでイッてしまったのだった。最後の砦を侵略されて水浸し。それ以来、ゲームセンターに行く度に渚は前歯を全力で守らなければならなくなった。
戯れごこち
其ノ弐・UFOキャッチャーになってはいけません
「指先でつつくとさくらんぼは震えました」
シンジの吐く息も震えた。汗ばんだ手のひらを隠すよう握り締め、揃えた膝の前で組んだ。
カヲルの両腕両脚に後ろからすっぽり包まれたシンジ。ここはカヲルのベッドの上。耳許で囁かれるのは目の前に開かれたドイツ語の本の物語、らしい。シンジには挿絵の水彩で描かれたさくらんぼしかわからない。
「さくらんぼくん、とっても美味しそうだね」
読み聞かせ。両親に甘えた記憶のないシンジには、それは遠い向こうの家々のよう。そこではみんながお母さんやお父さんにベッドの中で囁きかけてもらえるのだ。夢が迎えにくるまでのやさしいやさしい物語を。僕と違って…まだ膝を抱えた幼いシンジが胸の中でそう呟く。
ある風の冷たい夜のこと。そんな心の声を聞かれてしまったのか、カヲルは眠くなる時間の一歩手前でそっとシンジを後ろから抱き締めて、これを始めたのだった。
「さくらんぼは言いました。僕を、食べて」
最初、本棚の前で「どれがいいかい?」と聞かれてシンジは首を傾げた。そこには異国の本の背表紙しか見当たらず、しかも小難しくてどれがどれだかわからない。だから適当に指差して開いた本は、文字ばかりの学術書。でもそんな見た目でもカヲルの手に掛かればたちまち胸踊るやさしいやさしい物語になってしまった。数学的なグラフは冒険をして、解説のグラフィックも真実の愛に燃える。シンジが喉から手が出るほど欲しがった夢の際で手を振る物語たち。つい指をしゃぶってうっとりしたくなってしまう。
それが最近、おかしな方向へ駆け出してゆくのだった。
「試しにちょっと頬張ってみると、さくらんぼは真っ赤に甘くなりました」
シンジの頬も赤く火照る。
「舌の上で転がしてゆくと、とろけるほど熟してゆきます」
シンジの心音が早くなる。
「そうして歯を立ててみると、さくらんぼは嬉しそうにピンと体を起こしました」
耳に掛かる声が湿っぽくて、シンジはまるで自分に歯を立てられたように感じた。
「さくらんぼはおねだりします。もっと、もっと、して」
唾液が溜まって飲み込むと、ゴクリと大きな音が鳴ってしまった。
「…おなかすいてきたかい?」
「え?あ、ううん…」
それよりなんだか体が熱いかも、そう言いたいけれど、何故かそれは言えないのだ。シンジは困った顔になる。
「さくらんぼからじゅわっと甘い汁がしたたりました。ひと思いにごくんと飲み干すと、それはまだまだ溢れてくるようです」
その声も情感に溢れていて、耳から全身にざわめきが侵入して震えるように波打ってゆく。
「味わえば味わうほどもっと食べたくなってしまう。そうやって食べられるほど、もっともっと美味しくなってしまうさくらんぼ」
気がつけばふたりの体はこれ以上なく密着していた。
「もっと、君を、食べたい」
「あっ」
その時だった。本の端に添えたカヲルの親指の爪がシンジの胸の先端をツンと引っ掻いたのだ。いつの間にか敏感になっていたそこからは何ともいえない痺れが走る。抗いがたい快感が立ち上がる。シンジは思わず変な声を出し、その余波を堪えるように身を固くした。
「ごめん、痛かったかい?」
「ううん…」
急に疼き出す体の中心。どうしたんだろう、と戸惑うシンジ。気づかれないように前屈みになる。乱れた呼吸を唇を噛んで押し殺す。その後ろでカヲルがどんな顔をしているかなんて、彼は知らないのだ。
「眠くなったら寝てもいいんだよ、碇くん。」
それから。すっかり夜も深くなったのにまだ眠れないカヲル。火照った体を起こし隣でぐっすり眠っているシンジをそっと見下ろした。
ここはシンジの安全地帯。規則正しい寝息がそれを証明している。眠くなったらすぐ側で眠れてしまうくらい、安心。無防備な寝顔はすぐ側で欲望を持て余した男がいることに気づかない。
カヲルは想う。自分は父親の代わりなのだろうか。父親。シンジにとってはつまり、自分を認めて守ってくれるべき存在。けれど。カヲルはシンジの父親が誰なのかを知っている。知っているから思わしくないこともある。
―僕は彼ではない…
実体のない存在なら取って代わることだってできるのに。シンジの父親はあの男でしかありえない。ならカヲルは何なのだろう。慰めだろうか。それなら、
「誰でもいいのかな…」
そう呟いてカヲルは悲しい色の溜め息を吐く。
側に居られるなら何だってかまわないと思っていた。けれど欲望はそんな思いとは裏腹に果てしなく膨らんでゆく。シンジのかけがえのない存在になりたい。父親ではなく恋人に。そう今の彼は心の奥で願っているのだ。
シンジに読み聞かせながら、何度もその首筋に顔を埋めたいと思った。
獰猛な自分の中の獣を解き放ってシンジを自分だけのものにしたいと欲した。
こうしてふたりの密かな欲望の投影はささやかな悪戯へと変貌を遂げた。それはちょっと針で刺激して薄皮を剥がすような心地。その薄皮の下の本当の果実を堪らなく知りたいのに、知るのが怖い、そんな気もする。
その果実を頬張ったら、もう二度と、こうして側に居ることすらできなくなるかもしれないのだ。
「渚くん…」
布擦れのような微かな声に心臓が弾けそうだった。起こしてしまったのかと思ったら、どうやら寝言らしい。カヲルはシンジをじっと見つめた。
「食べても、いいよ…」
たとえ底の見えないような悩みだってささやかなことが解決してしまうことがある。たちまちカヲルは息もできない動悸に襲われて、そのままずるずる毛布の中に潜ってしまった。目だけ出して時計を見ると、シンジが目覚めるまでにまだ何時間もある。なんてことだ。
―いいのかい?碇くん…
また時計を見ればまだ五秒しか経っていないから、カヲルは悩ましげに熱く湿った息を吐いた。全身に期待と昂りが激しく渦巻き鼓動する。口の中には何故かさくらんぼの甘酸っぱい味が広がった。
戯れごこち
其ノ参・さくらんぼが膨らんじゃうよ
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