Q




ふとした衝動で目が覚めた。どうやら一瞬居眠りしていたようだとカヲルは驚いた。何故なら彼はシンジと一緒にいる時にそんなもったいない時間の使い方をしたことがない。ぱちくりと瞼を合わせてまた開く。目の前のシンジは手に小さな箱を持っていた。

「この箱って◯◯しないと一生出られないんだって。ふたりで入ろっか。カヲルくん」

カヲルはそうだねと言った後で5秒時間を巻き戻した。にわかに信じがたい発言をスルーしていた。

「な、何をしないと出られないのかな?」
「何がいい?」

肝心なところを聞きそびれて、逆に聞かれた。

「え?…なんだろうね?キス、なんてどうかな?」
「そしたらカヲルくんは僕とキスする?それとも一生ふたりで箱にいる?」

ああ、とカヲルは冷や汗をかく。そういえばこの前シンジがあの箱を壊してしまった時の、あの笑顔から何かがおかしかったのだ。カヲルはそれがシンジのお気に入りだったとも知らずに「じゃ新しいのを買おうよ」とひと言で返してしまった。それからシンジはふとした瞬間、苦い飴が奥歯にずっとこびりついている、そんな顔をしているのだ。

「困ったな。シンジくんとキスもしたいしずっと一緒にいたいから、選べないよ」
「じゃなんでそう答えたのさ」

ごもっとも。セックスしないと、も以下同文。

「えっと…シンジくん、君はちょっと疲れているようだね。話し合おうよ」
「何を?ねえ、それよりどんな箱がいい?」
「え、」
「答えなきゃカヲルくんをしまっちゃうよ?」

シンジは手のひらの小箱の蓋をそっと開けた。その中には――闇しかなかった。

「しまっちゃっていいの?さん…にい…いち…」
「わ!待って!シンジくん…えっと、そ、そうだな、」
「ハイ、時間切れ」
「え?」
「カヲルくん、しまっちゃいます」
「ま、待ってくれ!」

小箱がゆっくり開いてゆく。

「待って――シンジくん!」


『ずっとふたり一緒に箱に入っていたいと思えるほど愛し合わないと出られない箱はどうだろう!?』


「いいね」

カヲルがカッと目を見開いて隣で叫ぶのを聞いて、シンジは満足そうに微笑んだ。

「でもそんな妄想して自分を追い詰めなくてもいいじゃない。一緒に考えようよ」
「いや、この夢は僕のお気に入りなんだ」
「僕ちょっと病みすぎじゃない?」
「いろんなヴァリエーションのシンジ君を胸にしまっておきたいんだ」

カヲルは密かに身震いした。まだ「カヲルくん、しまっちゃいます」が体の奥で生々しく響いていたのだ。

「じゃ、そろそろいこっか」
「そうだね」

そしてふたりは立ち上がった。ドアノブに手をかける。開いたドアの先にはひとつ、少年ふたりがやっと入れるくらいの箱が鎮座していた。

「ずっとふたり一緒に箱に入っていたいと思えるほど愛し合わないと出られない箱…」

カヲルがうっとり囁くとシンジは生唾を嚥下した。それはふたりが秘密の遊びをする、素敵な素敵な箱なのだった。


フェチ少年
其ノ一・素敵な素敵な素敵な箱





ピョンピョン、これは何の音?

「…答えなきゃダメ?」

不貞腐れ顔の渚。学校机の上に両手を組んで顎を乗せる。その上、彼の頭の上には、

「渚のアンテナの音〜♪」

髪の毛を弄ぶシンジの指。空を目指しているのだろうか、まっすぐに上へと伸びた銀色のそれは、ツンツンといくらつついても完全に形状記憶。横にしなっても潰してもへこたれずにまた上を向くのだった。

「…ねえ、そんなに楽しい?」
「うん♪」

渚にはさっぱりわからないのだが、アホ毛で遊ぶシンジはとっても楽しそうで、

「渚のペットの音〜♪」

謎の奇妙なハイテンションで、

「渚の息子の音〜♪」

不気味すぎてこっちが引きそうなくらい。まあ、それだけならまだいいんだけれど。

「渚の息子は今日も元気いっぱいですね〜♪」

渚がギョッとするのと同時にクラスメイトが驚いた顔でふたりを見る。普通“息子”って言ったらあっちのことなんだけど…!今絶対シンジくんが僕のアレについて言ってると思われたんだけど…!(シンジは下ネタが苦手で疎い。)渚は隣の席の男子が視線で勃起の確認をしているとわかって耳がピンクになったが、ここで「もうなんなのさ!息子って(規 ピー 制)のことだと思われるだろ!」なんてキレてはいけないのだ。

「渚の息子はかわいいですね〜♪」

もしそんなことをしてしまったら、繊細なシンジはもう二度と自分にこんなことはしないだろう。渚はちゃんとわかっていた。

「渚の息子は七転び八起きですね〜♪」

だからこのヘンテコな状況に関しては、まるで壊れやすい綿菓子を守るようにして厳重取扱注意のステッカーを貼っていたのだった。

「そんなにアホ毛って楽しい?」
「アホとか言うなよ」
「えっ」
「ね〜♪」

飛び出た髪の毛に同意を求めているらしいシンジ。どうして自分には冷たくて自分の毛にはやさしいんだろう。

―僕の存在って一体…

複雑な心境。シンジにとってはアホ毛>僕なのだろうか、真剣に悩みはじめる渚だった。


プールの授業の後、渚の濡れた髪が何秒でアホ毛を復活させるかを観察している時だった。

「あ、あ、もっと…!」

シンジは全力で渚の髪の毛(一部)を応援しているつもりだが、

「ほら、頑張って…!」

もともとそれと喋る(?)時はまるで小さなペット、小動物の赤ちゃんに話しかけるような甘ったるい、なんというか保母さんの響きなのだが、

「いけ、いけ…!」

水泳後の気怠さでだろうか、声が息を含んで湿っぽくて、

「あ〜、もうちょっとなのに…!」

なんだかすごくエッチに聞こえた。

「あ、あ〜〜〜!」

だから渚は自分とシンジの最中を妄想して(※二人はまだ健全なお友達である。)

「あっ!!ピョコリンって感じになった♪」

本当の息子のほうがピョコリンになってきた。熱くドクンドクンしてしまう。一度スイッチオンになると思春期のそこはやっかいで、

「〜〜〜!」

もう止まらない。電気が走りそう。パンパンになっているのが隣の席の男子にバレてしまいそうで、

「コホッ!やばっ風邪引いたかもっ」

咳するフリして、寒そうに震えるフリして、渚は体を縮こめた。さりげなく手を股間に添えて隠したら、隣の席の男子がニヤッと笑った気がした。

「えっ大丈夫?」
「うん」

と返事をした後に気づく。シンジはどうやらアホ毛を心配しているようだ。

「…アンテナちゃん?」

ええ!?僕じゃなくてそっち!?渚は恥ずかしくてピンクが重なり真っ赤になった。それからなんだか泣きたくもなったが、今の彼の頭の中は、髪の毛のかわりに自分の本当の息子をかわいがってくれるシンジのことでいっぱいだった。さっきからまるで触ったら成長するとでも思っているのか、渚のそこだけを触りまくるシンジに卑猥な妄想がもくもくと膨らんでゆく。

「なんでいつも元気に上を向いちゃうんでしょうね〜♪」

ああ、そんな風に僕の(規 ピー 制)も辱めてほしい…いっぱいいじめてほしい…なんて危険な願望が芽生えてくる。渚はシンジにされるがままになりながら、パンツにシミをつくるくらいに興奮していた。

そんな渚を確認しながらシンジも密かに興奮しているなんて彼は知らない。シンジは渚のアホ毛も好きだが、渚が羞恥に困った顔をするのが大好きなのだった。

「碇くん、私にもアンテナあるわよ」
「ほんとだ♪綾波にもちっちゃいのがあるんだね♪」
「う、浮気だよ…!」

勃起も忘れて思わず席から立ち上がってシンジの腕を掴む渚。シンジは渚がヤキモチで怒った顔をするのも大好きなのだった。

「下のほうもアンテナなのね…」

それを聞いて、シンジは不敵な笑みを浮かべる。


フェチ少年
其ノ二・僕のアンテナちゃん♥




アガルマトフィリアという言葉がある。

「碇くんの髪は今日も綺麗だね」

櫛がさらさらと黒髪を梳く。艶が陽光を反射する。ほら、天使の輪ができているよ、そうカヲルが耳許に囁いても“碇くん”からの返事はなかった。返事どころかピクリとも動かない。

“碇くん”――それは碇シンジというカヲルお手製の人形だ。カヲルよりやや背の低い中学二年生の男の子。艶やかな白い肌に長い睫毛のつぶらな瞳、華奢な体格は繊細な雰囲気を醸し出している。

彼は(それはと云うべきだろうか)椅子に座り両手をちょこんと揃えた膝の上に乗せていた。伏し目がちに俯いていて、慎ましげだ。

「今日はご機嫌なんだね」

切り揃えられた髪を今度は手のひらで愛おしそうに撫でながらカヲルは云った。

「何を照れているんだい?」

まろい頬はさっきよりも少し色づいている、ような気がした。

「窓の外が見たいのかい?」

カヲルはシンジを抱き上げた。そして窓辺の椅子へと彼を座らせた。見晴らしのいい清潔な出窓にはいくつかの鉢が並んでいた。カヲルは手にした如雨露でそこに咲く植物ひとつひとつに水をやる。水滴が陽射しを浴びて煌めいていた。

「昨日までは元気だったのにね…」

暗い響き。毎日水をあげているのに、カヲルは物憂げな横顔で呟いた。そこにはしなりはじめたスウェーデン・アイビー。張りのあった白の小さな花びらは既に変色掛かっている。やがて数日もすればこの花は色褪せ朽ちてしまうだろう。

「碇くんはそうならないから大丈夫」

そう誇らしげに振り返ったカヲルだが、呼びかけた先のシンジははにかんだまま俯いていた。

「疲れてしまったのかい?」

思わず声を震わせてしまう。何か気に障ったのだろうか。シンジはカヲルの意見に不服そうだ。

「碇くん…?」

カヲルはふと、シンジと心を通わせられなかったような気がした。そしてよぎるある不安。もしかしたらずっと聞こえていないのかもしれない…そう思ってはいけないのに。

「さあ、行こう」

その冷たい体を持ち上げてカヲルは寝室へと向かった。物音ひとつしない部屋はまるで自分しかいないかのよう。

「横になろう」

カヲルは彼の人形をベッドに寝かせた。その横に自分も腰を下ろす。ふたりはいつも一緒に眠っているのだ。けれどカヲルは今は横にはならず、寝そべるシンジを見つめていた。驚いた顔をしていた。

「どうしたんだい?」

シンジのシャツがはだけていたのだ。かわいいお臍が丸見えである。運ばれた時にそうなってしまったのだろうが、

「気持ち悪いのかい?」

カヲルはまるでシンジがそうしたかのように扱った。心配してシャツの釦を外してゆく。

「もしかしてお熱かな?」

カヲルは更に心配してシャツを剥いでやった、肌着を取った、上半身の服をすべて脱がしてやった。

それから、どうしてほしいのかな?言ってごらん?つらいのかい?そんな似たり寄ったりの言葉を投げかけながら、終いには上も下もすっかりすべての布切れを剥ぎ取ってしまったのだった。

「……」

肌を露にしたシンジはカヲルを見つめていた。カヲルだけをガラスの瞳で見つめていた。だからカヲルもシンジを眺める。視線を舐めるように、そっと動かす。その瞳は熱く潤んでゆく。唾液が口に溜まってゆく。こんなことしてはいけないのに。ずっと自分に禁じていたのに。彼が望むならシンジになんだってできるのだ。無理やりにめちゃくちゃなことをしたってシンジは嫌がることもない。酷いことをしたって、そうだ。

―碇くんもずっとそれを待ってくれているのかもしれない。

カヲルの白い手が伸びてゆく。その手で彼の恋人を、愛撫してあげるために。

けれど、すぐさま手を引っ込めて、カヲルは自分の昂った箇所を隠すように立て膝をついた。なんてことをしようとしたんだ。気づかれてはいけないのに。彼はシンジの人格を尊重していた。だから決してシンジの嫌がることはしない。欲望のままに何かすることはしない。彼はそんな欲望があることすら認めない。邪な感情を押し殺し、頼りなく、カヲルは微笑んだ。

「ごめん…」

そして次の瞬間には、そう呟いてぐっと頭を抱えていた。涙を必死に堪えていた。たまに襲ってくる悲しみ。孤独の荒波。好きな相手とは決して意思の疎通ができないという虚しさ、怒り、そして…絶望。

ただ、言葉を返してほしい。振り向いたら視線を交わしてほしい。それだけなのに。永遠にこの想いは届かない。

その時のカヲルは慰めが欲しかった。ただ、好きな相手との繋がりが欲しかった。

「愛してるんだ…」

だからカヲルがシンジにキスをしたことはそんなに悪いことじゃない。意思のない冷たい人形に唇を重ねるくらい。それが本当によくできた代物だとしても。そうだ。だからカヲルは唇を動かした。そこは淡く濡れているようで、まるで動かし返されたようなのだ。そんな気がしたから今度は、その薔薇色の頬に触れる。するとまるで血の通ったように熱かった。睫毛は感情を宿しているように瞬いていて、その奥に星屑を散りばめた瞳が――

「ん!?!?」

複雑な心境を織り交ぜて、カヲルを訝しげに見つめていた。

「何してるの…?」

初めて聞いたその声は、疑心でいっぱいという感じだった。

「渚くんは僕の服を勝手に脱がして何してるの?」
「いやっえっと…え?」

シンジは唇を拭った。カヲルは仰天した。

「いきなりキスなんかしてさ、今まで純情ぶってたのは嘘だったの?」
「えっ碇くんっえっ」
「キスしながら一体どこ触ってたのさ。」
「えっいやっ違っ…ええ!?」
「とぼけないでよ。しかも舌入れようとしたよね?」
「ちちち違うよっ僕はそんな邪なこと…!」
「そんな風になっておいて今更とぼけられると思ってるの?」

シンジの指差した先、カヲルの一物が元気いっぱい傾斜してズボンを突き破ろうとしていた。ふああ!なんて変な声をあげて股間を両手で隠すカヲル。うずくまってもじもじして、とても申し訳なさそうに、

「ごめん!本当にごめんね!」

謝り倒す。それしかない。

「渚くんってエッチなんだね?」
「もう二度と君にいやらしいことはしないよ…!」
「そうなんだ?やっと僕が動けるようになったのに、もうこういうことはしないんだ?」
「えっ」
「残念だな。僕をつくってくれてこんなに一生懸命お世話してしてくれたから、僕も渚くんに恩返ししたかったのにな。」
「ええっ!?!?」
「楽しみだったけど、渚くんがもうしないって云うなら仕方ないか。」

すねているようで実は面白がっている元人形・シンジ。彼はカヲルの全部を知っている。手取り足取り知っている。なのにカヲルはシンジを何も知らないのだ。

「いや、待って、碇くん。これからのことはふたりできっちり話し合おう」
「え〜やだな。だって渚くんって一日に何度も僕のうなじの匂い嗅いでくるし」
「!」
「僕を抱き上げるついでにいつもお尻触ってるのも僕ちゃんと知ってるし」
「!?」

どうやら愛情をたっぷり注がれて育ったおかげで、可愛らしい性格になってしまったらしい。好意を全身に受けつづけた者だけができる余裕の表情で、

「どうしようかな?」

ころんと首を傾げるシンジ。どんどんカヲルを手のひらで転がしてゆく。主導権を握るのははじめが肝心なのだ。

「お願い、碇くん」
「……」
「ね?」

シンジが返事をもったいぶっている間もカヲルはドキドキが止まらない。断られたら息もできない。恋の駆け引きはこれからだ。カヲルはひたすらやきもきしてたくさん苦労することになるだろう。けれどそれが、彼の最も望んでいたことだった。


フェチ少年
其ノ三・僕がピグマリオンだった頃の話


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