休戦は金曜日


「そんなに嫌いなんだ、僕のこと」

金曜日の朝。登校途中の歩道橋でシンジは渚に待ち伏せされた。右いけば右。左いけば左。通せんぼなんて幼稚なマネをされてしまう。かわすにはここから飛び降りてペチャンコになって車に轢かれるか、引き返して家に帰るか。

「…僕に構うなよ」

諦めて、道なりに歩く。渚の横をスタスタと。

「認めるよ。僕、ホモかも。君にキスしたし」

側を通り過ぎた女子が衝撃の顔をする。声のトーン落とせよ、と注意したいのにツンとした態度も崩せない。シンジは阿修羅のごとく無表情で突き進む。

「でも他のヤツとしたくないし。やっぱホモじゃないかも」

どっちなんだ、と言いたい。

「そもそも君にキスするのにホモにならなきゃダメなわけ?」
「ホモホモ言うな」

すれ違ったクラスメイトがポカンとしてるじゃないか。でもシンジの心は別のことを考えていた。


喧嘩の発端は日曜日だった。渚の部屋でふたりでゲームをしていたら、シンジが咳をした。コホッてくらいの軽いもの。
「どうしたの?」「風邪引いたかも」「あ、ちょうど風邪がソッコーで治る方法仕入れたよ」なんて抜群なタイミング。「なんだそれ」「やってあげようか?」「え。僕がするんじゃないの?」「だって君が風邪引いてるんだから僕がしてあげなきゃじゃん」「そういうもん?」「そういうもん」「へえ」「じゃ、目を閉じて」「なんでさ」「いいから」「目は閉じなきゃダメなの?」「うんダメ」「納得がいかない」「じゃあやってあげない」「え、」そこで慌てたシンジは「わかったよ。つぶればいいんだろ」と目を閉じてしまった。

「でもさ、僕、騙してなくない?本当に書いてあったんだから。キスして人にうつせば治るって」

月曜日。渚はシンジに口も聞いてもらえない。

「別に減るもんじゃないんだからいいじゃん」

火曜日。渚、前歯を負傷。

「………」

水曜日。黙ってずっと側にいたら「うるさい」と言われた。

「…君、ホモなの?」
「ホモじゃないけど」
「嘘つけ」

木曜日。自分のことなのに決めつけられてしまう、可哀想な渚。


だからもう、このケンカは平日中続いていた。そして今日も仲直りできなかったら月曜日まで持ち越しだ。もちろんこんなムードで土日の約束なんて取り付けない。

あー…

授業も身に入らない。シンジは溜め息をつく。別にキスが嫌だった訳じゃない(そのことにシンジは気づいてすらいない)すっかり騙されてしまったことに腹が立った。まんまと罠にハマって目を閉じた僕は間抜けだ。謎の敗北感。シンジは頭を抱えてクシャっと髪の毛を鷲掴み。そのまま項垂れる。

僕は本当にどうしてこんなに騙されやすいんだ!風邪がソッコーで治る?んなわけないだろ!僕が風邪引いてるからって渚にしてもらうって理屈も「そういうもん」「へえ」って何さ?なんで僕は無防備に目なんか閉じたんだ!バカ!

シンジはそこが気に食わない。平和ボケしたもんだなと自嘲する。渚のせいで自分が自分じゃなくなってゆく。自分をコントロールできない不安がイライラを刺激する。

「どうして口も聞いてくれないのさ?」

月曜日。シンジは子どもっぽいことをしている自分が嫌になる。

「痛ッ!」

火曜日。いきなり暴力。する側に回るとは思ってもなかった。

「うるさい」

水曜日。殴ってゴメンと言いたかった。けど違う言葉だった。

「嘘じゃないよ」
「じゃ、君は頭がおかしい」
「なんで?」

木曜日。もう自分が何を言ってるのかわからない。

焦る心。苦しいから、もう何でもいいから、終わりにしたい。でも、素直になれない。

何故?


「僕はどうしちゃったんだろう」

シンジはひとりでとぼとぼ下校していた。とうとう金曜日の放課後。

“金曜が終わったら、次は月曜”

その気持ちが彼のこんがらがった気持ちに拍車をかけてしまう。

「もう喧嘩やめにしようよ。僕が悪かったから。ごめん」

少し前。シンジは渚に下駄箱で待ち伏せされて、わざわざ謝ってもらったのに、

「もう二度としないから」

とたんに何かが体の中で爆発した。

「君とは絶交だ」

いろんな感情が一気に押し寄せてきて、気がついたら鉄仮面でそう言い放って颯爽と校門をくぐり抜けていたシンジ。そんなこと微塵も思ってなかったのに。しまったと思ったのも運の尽き。渚は追いかけて来なかった。シンジは怖くて後ろを振り向けなかった。

「別に渚のひとりくらいいなくたっていいじゃないか」

地面のアスファルトに話しかける。

「これでやっと静かになる。あ、そうだ。来週はトウジたちと遊ぼう」

スニーカーをじっと見つめる。

「渚なんてどうでもいいんだ」

その上に色のないシミが広がった。

「渚なんて…」

シンジは自分が泣いていることに気づいた。自分がこんな通学路のど真ん中で泣くはずがないと疑ったが、頬は濡れていた。

渚、と言うたびに胸が痛くておかしくなりそう。シンジは泣きながら引きずられるようにしてコンフォート17までの道のりを歩ききった。

と思って見上げたら渚のマンションだった。

「何してんの?」

ハッとして振り返ると渚が驚いた顔をして立っていた。

「シンジ君?」

さっき絶交だと言われたはずなのに。渚は頭よりも先にシンジへと心配して駆け寄った。それからちょっと前の出来事を思い出して複雑な顔をする。

「……」
「……」
「…僕のマンションの前にいたから僕に用かと思ったけど、違うならどくよ」
「……」
「…僕にこうされるの嫌だろうし」
「……」
「……」
「……」
「…じゃ、また月曜」

渚が横切りマンションの階段をのぼろうとした時、シンジがピクリと反応した。

「…また月曜って何だよ」
「へ?」
「普通はまた明日だろ」
「だって君と約束してないし」
「……」
「……」
「……」
「…じゃ、僕行くから」
「…う、」
「えええ」

渚はシンジが泣き出したかと思ったが、シンジは肩を強張らせて唇を噛んでいるだけみたい。怒っているようにしか見えなかった。だからこのまま放っといて部屋に入ろうかとも考えた。考えたけど、

「ねえ、シンジ君」

そのまま休日を過ごすなんてできなかった。

「僕が君を怒らせちゃったのは悪かったけどさ、ちゃんと君に謝ったじゃん。それでも絶交って言われたらもう引き下がるしかないしさ…って聞いてる?」

俯いたままうんともすんとも言わないシンジ。ムカつく。

「聞いてるなら返事くらいしなよ。シンジ君?」

大股でシンジの目の前まで歩いてきて、乱暴に顔を覗き込む。

すると、

「金曜が終わったら、2日も渚に会えない…」

ぽろぽろ涙をこぼされてそんなことを呟かれてしまった。渚は真っ赤になって仰天。シンジは既にパンクしていた。

それから渚はシンジの手を引き自分の部屋へと連れ込んた。大事そうに涙を拭ってなぐさめてやる。その素直な感じが可愛すぎて、下心が炸裂。しおらしくて抵抗少ないのをいいことに、ついでにいっぱい風邪も治してあげたのだ。けれど治してあげたのに熱っぽいシンジ。アレ?と思ったら、翌日にはふたり揃って熱を出した。

熱に浮かされて、渚はベッドの中で思った。あのシンジ君はもしかして僕のつくり上げた夢だったんじゃないだろうか…

でも、


「僕に風邪うつすなよ」

月曜日にそうツンツン言われてのど飴を渡された時、渚は確信した。夢なんかじゃない。

「どんなモノ読んで仕入れた情報なんだよ、もう」

唇を気にするシンジ。最高にかわいい!と渚の心が叫ぶ。渚はツンデレ愛に目覚めた。


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