密室スカッシュ


気のない返事が増えた気がする。シンジが隣を盗み見る。渚がずっとスマホを見ている。さっきから数分空かずのバイブレーション。ヴヴッ――ヴヴッ――その度にニヤけたりムッとしたり。横顔が器用に百面相をキメている。

「……誰?」
「別に〜」

絶対に聞かないつもりだったのに。言った後で自分を殴りたくなったがもう遅い。返事を聞いて自分をミンチにしたくなった。あのナノピコグラムも気のない返事。渚にはシンジがどうでもいいらしい。

「漫画読み終わったんだけど」
「ふ〜ん」

遊びに来たくせに渚はシンジそっちのけでスマホとご対面しているのだ。一度シンジのベッドに寝そべったらその姿勢をずっとキープ。つれないのはシンジの役目だったはず。少し前なら「漫画なんていつでも読めるだろ」とか言われてコントローラーを投げつけられた。イカになったりインクをぶちまけたりして遊ぶのだ。

「アレやらないの?」
「アレ?」
「……スプラトゥーン」
「待って、今ちょっと忙しい」

語尾まで気になってくる。めんどくさくて半歩前で切り上げた感じ。スマホがふるえて渚は唇を噛んだ。

「じゃ、僕はコンビニ行ってくる」
「え〜待ってよ」
「ソレどれくらいで終わるの?」

画面越しのやり取りをシンジは知らない。誰と、何をしているのか。遠回しの弾糾に自白を願う。

「ん〜」

ソレ?と釣られてくれればよかったのに。隠しているということは知られたくないことなのだ。

「まあ、ちょっと待ってよ」

答えに悩むというよりも悩んでもいないトーンだから

「ひとりで行く」

ちょっと強気に出てみたら

「ふ〜ん♪」

間違えた返事にも気づかずに親指が高速回転。そっか、シンジは思う。あの動きはフリック入力。やっぱり誰かと文字のやりとりをしているんだ。

ちょっと前の渚なら「えっ!待ってよ!僕も行くって!」と慌ててシンジの視界を占領した、けれど、今の渚はシンジを目の端にも映さずに感情表現まで間違えている始末。嬉しそうな声を聞いて、シンジは体の真ん中がドロッと冷たくなっていく。いちいち全部痛くって細胞がふわふわ浮くような心地だった。

結局、その後立ち上がると渚はシンジの後をついてきた。歩きスマホで軽トラに轢かれかけた。

なんだかんだで渚はシンジになついていた。

それは感じ悪かったり――

「シンジ君って見た感じすごく童貞だけどやっぱり童貞なんだ?」
「喧嘩売ってる?」

電波がかってたり――

「君みたいだから買ってきた」
「……どれが?」
「コレに決まってんじゃん」
「ジバニャンが僕……」

他人にはわかりにくかったかもしれないけれど

「ジバニャンのどこらへんが?」
「目に吸い込まれそうなところ」
「……ふうん」

納得いかないことも多々あったけれど

「シンジ君ってちょっとツソヅだよね」

気まぐれな性格のベクトルはすべて標準をツソヅに……シンジにロックオンして

「ツソヅく〜ん」
「やめろよ」

それは絶対にブレることはなかった。変な名前で呼ばれて肩をつつかれている時にシンジはそれを疑うことも知らなかった。
シンジはカヲルの最優先事項だった。

今、シンジはずっとぞわぞわと毒の回るみたいな胸騒ぎが取れない。散々甘やかされた子どもが家への帰り道もわからないくらいに、シンジは渚に興味を失われた自分の行き先がわからない。何をすればいいのかもわからないのだ。

「僕は何をすればいいんだろう…」
「あんたバカァ?早くプリント回しなさいよ!」

後ろの席のアスカに椅子を思いっきり蹴り入れられた。だから、振り向きざまに

「ねえ、今日スプラトゥーンやらない?」

と聞いてみたら

「なんでやっとハン・ソロ様に会えるのにバカシンジのおもりしなきゃなんないのよ」

思わぬカウンターパンチを食らって耳が熱くなる。授業中にこうやってコソコソ会話すると決まってふたつ向こうの列の斜め後ろからチラチラ尖った視線を感じた。こんな場面、いつもなら気づかれませんようにと雨乞いするレベル。だけど、この瞬間だけ、シンジはあの瞳が恋しいと思った。ひねった体を元通りに前へと向かせる流れざま、ついあの方向をチラリ、確認してしまうのだった。

それから黒板へと向き直り目は窓の外へと泳ぎだす。なんでもないという風に頬杖をつき空を仰ぐ。残像が滲んで空の青さまでぼやけてしまう。授業中まで教科書を立ててスマホをいじっている渚はそんなシンジにも気がつかない。

「お風呂入る」

放課後は徒競走になった。当てつけなのか、号令と同時に鞄をひっ掴んで帰るシンジを歩きスマホは追いかけてきて、競歩のオリンピックを開催して、決勝戦ばりにシンジの家にふたりしてゴールインした。それからどうでもいい顔で「今日、泊まるね」と言われたから、どうでもいい顔で「どうでも」とシンジは答えた。

なんでだろうと思ったけれど、これが惰性で付き合うということなのかも。いや、友達同士だから付き合うはそういう意味じゃなくて。シンジは誰もいないの自室の真ん中、体育座りで頭を抱えた。クシャッと黒髪に埋まる強張った指先。湿っぽい溜め息。

いっそ手放してはくれないだろうか。上手く言えないけれど、今までずっと曖昧に一緒にいたのはどうでもいいからじゃない。曖昧に自分の感情を見つめられないくらいに、惹かれているから。その感情の種類なんて知りたくはない。知ったらこうして一緒にいられる自信がない。それに、自分だけがこんな感情を抱えるアンバランスな関係でも、平気な顔を続けられる自信がない。

シトシトと涙のかわりに溢れてしまう感情は、シンジが突き詰めたくないものまで暴いてチラチラと照らしてゆく。本当の気持ちにカバーをかけて釘を打ち密閉する。シンジはうずくまるのをやめた。

まるで自分のベッドみたいに使うんだ。シンジよりも渚はそこを陣地とする。どんなに憎らしくてもシンジの手はよれたシーツを勝手に直して寝心地よくしようとする。裾を引っ張って持ち上げた。重くて硬い塊が転がった。蛍光灯を反射する暗い液晶。どうやら防水の機種じゃないらしい。最近のご主人の定位置に投げ出されている四角い端末。シーツの上で、ヴヴッとまたふるえている。

奴がまた、見知らぬ誰かからの何かを受信している。

ああどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……

立ち上がり、手を伸ばす。

ああどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……

いやどうせパスワード知らないしきっと指紋認証だし。

ああどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう……

ホームボタン。スライドでロック解除――まさかのセキュリティ。

画面を暗転。

絶対に超えてはいけない一線がある。シンジは目を閉じた。いけない。いけない。いけない。

でも、と思う。自分の後釜が誰かくらい確認したってバチは当たらない。自分は捨てられる身。そうだ。それよりもきっとひどい。コイツのせいでじわじわと渚の中からフェードアウトされ消滅するのだ。そうだそうだ。文面を見なければいい。ライバルを知って対策を立てなければならないんだ。最後の悪あがきだ。渚がいないと……イカになってインクをぶちまける楽しさが半分になってしまう。

汗ばむ手で秘密のロックを解除した。何度目かのタップでメールを確認した。昨日の『宿題みせて』『いやだ』というやり取りで終わっていた。他に何のアプリがあるのか。Twitterは……ああ、なんでこんなに感度が悪いの?神様の嫌がらせ?スライドしてもアプリはないからネットからやってる?

あ、LINEがある。

シンジはLINEをやっていない。渚に誘われて断った。一度始めるとどうでもいいヤツとまでやらなきゃならなそうだし(学校で顔を合わせるのに断りづらいだろ?とシンジは思った。)渚とは別にメールで事足りた。ふたりの時間にいくらでも話せたから。

誰と、LINE、やってるの?

一瞬、固まるシンジの全身から汗がじんわりにじみ出る。眼球に涙がノックする。まだ、まだだ、妙に冷静になる。これから目の当たりにする絶望にそれらを待機させて、シンジはアプリをタップした。

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1 < 碇君がかわいそう

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心臓が冷たく破裂した。ガクガクと面白いくらいにふるえながらシンジは会話を手繰ってゆく。

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5 < これからシンジきゅんのエキスがたっぷり溶け込んだ温泉に入ってきま〜すwww碇シンジ天然の湯www

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「は?」と言うのは後ででもできる。上へ上へと高速で吹き出しを巻き戻して、途中からタイムラインに沿って、シンジは密室の一幕を目撃した。

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5 < ねえねえ知ってる?シンジ君のベッドってすごくいい匂いするんだよ

1 < 碇君から今日、シャー芯を一本もらったわ。5ミリだった

5 < あ〜たまんないね、この匂い!嗅いだことある?ないか!残念wwwww

1 < 明日、碇君から借りたノートを返そうっと

5 < シンジ君なら隣にいるけど渡しとく?あ!君がここにいないから無理かwww残念wwwww

1 < きっと何とも思われていないから碇君の側にいられるんでしょうね、残念

5 < ハ?負け惜しみご苦労様wwwシンジ君が漫画読む時の無防備な顔見たことある?笑顔超かわいいんだけど!!やばみ!!

1 < そういえば今日も借りたノートに手紙が入ってた

5 < ハ??????????????

5 < ナニ勘違いしてるの????????レシートじゃないの?????????

5 < 嘘ついちゃって残念wwwwwwwwwww

1 < 碇君ってこういう気配りが素敵

5 < ハ??????????????

5 < 妄想乙ww

1 < 碇君の手紙集めてるスクラップブックがもうすぐ完成する

5 < 見せて

1 < 見せない

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他にも「シンジ君愛らしすぎか問題」とか「スプラトゥーンやってるシンジ君見られるのは世界で僕だけ」とかイタいけど愛情大爆発の言葉が羅列してある。応戦して「お味噌汁美味しい」「今日も碇君が話しかけてくれた」と呟く相手もなかなか負けてない。ふたりはほとんど会話がすれ違っていてもはや密室で並んで壁打ちするスカッシュみたい。たまに相手へ攻撃的な玉を壁にバウンドさせてメラメラとラケットで反撃する。きっと相手は……よく「ありがとう」と一筆ポストイットを添えてノートを交換しているレイだろう。

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5 < シンジ君が最近つれないけど、でもそういう時にすごく思われてる気がするのはなんでだろ〜〜〜

1 < 妄想残念賞

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シンジの全身がプシューッと熱を吹き出した。

ドア越しにくぐもって聞こえる、洗面所のドアが開く音。慌ててスマホをベッドに投げるとすぐに渚が部屋に入ってきた。

「い・い・湯・だ・な♪アハハ〜ン」

まだ湯気をあげて濡れた銀髪をタオルでクシャクシャ掻き回しながら渚は上機嫌でシンジに近づいてきた。そこで気がつく。やばい。スマホの画面をオフするの完全に忘れてた。

シンジはスーパーナチュラルに背中から倒れてベッドへと寝転んだ。スマホ潰す。ちょっと頭を壁にぶつけた。

「ア、アハハ〜ン」

何故そんなことを言ったのかシンジにはわからない。

「ん?」

様子がおかしいのがバレそう。クールに「何?」と言いたいけれど頭が蒸発して、側にいるだけで渚に隅々まで見つめられている気がして、体を縮こめたいくらいに恥ずかしい。

渚の顔が見られない。

「……ビバノンノン」
「ア〜ビバノンノン」

渚のそんなコールにシンジが速攻レスポンスして、ふふっと笑う声が聞こえる。そんな近くじゃないのに耳許で息を吹きかけられたみたいにゾクッとした。渚がシンジの隣に腰を下ろして、覆い被さり、まるで風呂上がりなその火照り顔を覗き込む。

「どういう風の吹き回し?」

視界の端に映るぼやけた笑顔。指先まで硬直する。渚がシンジへと手を伸ばす――

「あ、パンツ忘れた」

――そして突然立ち上がって部屋の外へと消えてしまった。どうやらシンジはコロコロと気まぐれな渚の性格に救われたらしい。

「よし、これでOKっと」

光の速さでLINEからホーム画面に戻して、さっき発見した場所へと端末を放り投げる。

「アハハ〜ンってなんだよ。アハハじゃないの?」

文句を呟く声がかすれてしまう。一連の出来事を記憶から抹消できたらいいのに。シンジにはもう渚が自分のエキスを吸い取ろうと虎視眈々と狙っているようにしか見えない。僕はエナジードリンクじゃない。それに、ああ、そんな。あんなの、どんな風に考えたって、重度の片想いの変態にしか……

頭の中が小宇宙になっていく時、渚は部屋にパンツを従えてやってきた。

「スマホどこに置いたっけ?」

そしてまだシンジはLINEに“ 既読 ”というものがあることを知らなかった。


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