ちょっぴり痛い、
なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。なんか調子狂うんだけど。
シンジは手に汗握りながら教科書で真っ赤な顔を隠している。そしてチラチラと一点の方角を盗み見ているのだった。
授業中の教室の片隅、頬杖をつきながら黒板の二次関数と睨めっこしている横顔。いつもとはちょっと違って、
「!」
さりげなく、眼鏡をかけているのだ。サラサラとした銀髪が僅かに華奢な同系色のフレームにかかっていて、振り向いた拍子にはらりと頬にこぼれた。赤い瞳がいつもより冷たく輝いていて、なんだか複雑で、
「(なに?)」
シンジをずっと混乱させているのだった。
渚は不真面目で不良っぽい雰囲気がある。良く言えば自然体、悪く言えばルーズな感じ。長めの髪の毛も遊び人っぽくてシンジの鼻についていたのに、そのラインでさえ今は眼鏡の魔法で知的に演出されているのだ。その眠そうな表情も思慮深く、本当はとてもいろんなことを考えていて苦しんだり哀しんだり胸の奥にそっと秘めてたりするんだけどずっと隠していたんだよ、という体で、
「(なんでこっち見てるのさ?)」
たまらなくセクシーなのだ。シンジが釘付けになっているのも忘れるくらいに。
渚は口だけ動かして何度もそう聞いているのに無視されて、ぷいっと前に向き直った。不機嫌そうにペンを指先で回している。やっと魔法が溶けたシンジは、
どうしてぼんやりしちゃったんだろう。
硬直して動けなくなっていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。
「なんで睨みつけるワケ?」
休み時間、渚は一直線にシンジの席へ足を運んだ。
「べ、別に」
どうしちゃったんだろう、シンジは驚いた。心臓のドキドキが止まらない。喉から飛び出してきそうだ。渚の顔をまともに見ることもできずにうろたえていると、
「あ、コレ?コンタクト切れちゃってさ」
話題にしたくないことを真っ先に口にしてきた。シンジはまるで興味なさそうに、
「あっそう」
どうでもいいような顔を一生懸命にする。頬の火照りは隠せないけれど。
「どう?頭良さそうに見える?」
(すごくかっこいい…)
「全然」
「今朝も知らない女子に似合ってます〜写メらせてください〜なんて絡まれちゃってさ」
(すごく似合ってる…)
「どうでもいい」
ああ、だんだんイライラしてきた。
「ギャップ萌えってヤツ?女子ってそうゆうのに弱いよね」
(たまにしてくればいいのに…)
「知らないよ」
「シンジ君も実はキュンキュンしてるんじゃない?ほら、ちゃんと見てよ」
(ああ、笑うとすごくかわいい…どうしよう…)
「ねえ、」
「うるさいな!全然似合ってないって言ってるだろ!」
あんまり顔を近づけられたのに驚いて、シンジは条件反射でそう叫んでしまったのだ。やってしまった。ちょっと子どもっぽい態度に出てしまって一瞬で後悔が滝のように打ちつけてくる最中、
「なんでそんなに怒るのさ」
もういいよ、ツンとした渚が自分の席に戻っていった。眼鏡を外してふて寝している。シンジはそれを遠くに見つけて、
なんであんなこと言っちゃったんだろう。
喉が締めつけられるくらい、苦しかった。
そんな状態のまま無慈悲に放課後はやってきた。シンジはあれからもう二度と渚が眼鏡をしないでいることが見る度につらくて切なくて、とても残念でたまらない。
謝らないとな。
言ったこととは真逆のことを感じていた自分への罪悪感で押しつぶされそうになるシンジ。紛うことなくドキドキしていたんだ。それなのに。渚の鞄がまだ机にあるのにホッとして、同時にすぐに渚が帰っちゃったらどうしようと気が気じゃなくなって、彼を探しに教室を飛び出した。
「!」
…らすぐに見つかった。廊下で下級生の女の子が渚に話しかけていた。
「渚先輩って眼鏡超似合いますよね。私、実は眼鏡フェチなんです」
「ふうん」
「でも先輩は私の中の全世界メガネ男子部門で宇宙一を既に受賞して殿堂入りを果たしました!」
「?」
そこでは女の子がシンジの用意していた「さっきはごめん。そんなに似合ってないわけじゃないよ」を百万倍煮詰めたように誉め称えるセリフを並べていたのだった。シンジは自分の考えたセリフがまるでちっぽけなゴミみたいに思えて、もうどうでもよくなってしまった。
教室に戻るととたんに茜空の景色で世界の終わりのような気分になる。やさしい終わり。ゆっくりと穏やかに、すべてに見放されてシンジはからっぽになってゆく。だから今、自分は何だってできるはず。心なんてなくなったから。シンジはそう思った。
なのに手は冷たく凍って鞄を持つことすらできない。鞄がなきゃ帰れないのに。じゃ、鞄なんて置いて帰ろうか。今度は足が床にへばりついてびくともしない。シンジは途方に暮れた。
「今日って76日早いエイプリルフールだっけ?やっぱり宇宙一らしいんだけど」
そんな絶妙なタイミングで機嫌良く渚がシンジに話しかけてきた。自信を取り戻したらしい。単純なのだ。けれどシンジは俯いていた。
僕がこいつを喜ばせるはずだったのに。
シンジは唇を噛み締めた。
全世界メガネ男子部門の殿堂入りって何だよ。
こんなふざけたセリフで満足するなら僕もさっさと言えばよかった、シンジは残念で残念で、もう二度と戻れない時間とか壮大ななんだかんだを思いながら盛大に落ち込んで、
「んっ…」
泣いてしまった。
「ううっ…」
涙が止まらないどころじゃない。我慢していたものが全部いっぺんに押し寄せてきて、鼻水までぶわっといっぱい出てきてしまう。
「ふえっ…」
ついに変な声まで出てきた。もうおしまいだ。僕のプライドは全世界メガネ男子部門の殿堂入りのせいで(根に持っている)粉々にされてどうやって生きていけばいいのかさえわからない。
「うっうっ…」
ほら、見てみろよ、頭をポンポンされてさ…何だこれ。僕は赤ちゃん扱いか。よしよし、泣かないでねってワケか。そんな卑屈な心の声が渦巻いても、シンジは涙を拭いながらされるがまま、動けなかった。どこにもいけなかった。
渚の手がやさしすぎて。
渚の唇がやさしすぎて。
とても静かで気がつかなかった。渚はシンジがどうして泣いているのか、なんでそんなに弱っているのかわからなくて、でもその仕草があまりにも可愛くてたまらなくて、もうどうしようもできなくて、シンジにそっとキスをしていた。
シンジの熱い視線がいつも眼鏡に向けられているのを渚は知っていた。マッチョな体育教師が職員室で眼鏡をかけていたり、オシャレに敏感なクラスメイトの女の子が寝坊してボサボサの髪で眼鏡をかけていたりすると、シンジは必ずそれを見つけて一瞬止まる。ハッとするのだ。渚はそんな目で自分を見てもらいたかった。彼はもともと目なんて悪くない。コンタクトなんてつけていない。度数のない眼鏡を昨日、買ってみたのだ。
だから慣れない眼鏡が顔に当たってちょっぴり痛い、はじめてのキスだった。
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