さよならチェルシー



押してダメなら引いてみろって言葉がある。

「したい」
「やだ」
「したい」
「やだ」

でもそれはちゃんと引ける人間にだけ、適応する。

シンジは抵抗力がない。それは別に体が弱いってわけじゃない。今がいい例だ。ふたり一緒のベッドに寝そべってキスをした(シンジは抵抗した)。ふたりは付き合ってる関係みたいで(シンジは抵抗した)実はキスは初めてじゃない。でも、

「…苦しい」
「ん」

舌を入れて溺れそうな長いキスは初めてだった。

「もっとしよう?」
「だめ」
「もっとし――」

だめだめだめだめ…お経のように唱えたらようやく解放された。感じた腰が頼りなくてシンジは寝そべったままでいた。

「癖になりそう?」
「違う」
「あ、やっぱりそうなんだ」

満足そうに微笑んでシンジの頬を撫でる渚。

渚は無邪気だ。気持ちいいことに積極的で戸惑うこともない。シンジは思う。僕が自分で決める前に渚は僕の手をとって勝手に駆け出してゆく。笑顔で三段跳びで駆け上ってゆく。

「いる?」

渚はシンジの返事を聞かずに包装紙を剥がしはじめた。チェルシー、バタースカッチ味。買い溜めするくらい好きらしい。机の上に何袋も山積みされている。

そして食べさせられるのかとそのツヤツヤの小さな四角をシンジが眺めていたら、何故か渚は自分の舌の上に乗せた。騙されたんだとシンジが余所見をしていると、その隙にパクッ。渚の大きな口がシンジの口を食べた。何が起こっているのかわからず固まっているとちゅるり。なんとチェルシーが器用にシンジの歯をノックして侵入してきた。

甘い匂いが鼻孔をくすぐる。舌がさっきの続きをしようと口内を動き回る。顔を逸らそうとして、逆に押さえつけられてしまい逃げ道は塞がれた。トロトロ濃いバター風味が仰向けの喉を焦がす。そしてシンジが小さく咽せはじめたら途端、渚は慌てて二人分の体を起こした。大丈夫?と言おうとして勢い余って琥珀色の塊を飲み込んで、自分が咽せた。

「何してんのさ!」

呼吸が落ち着いてきて、シンジは甘いヨダレまみれの口を拭って隣の渚に聞いてみた。何か言わなきゃ気が済まない。そう思った。

「アメチュー」
「アメチュー?」
「アメを一緒にキスしながら食べるヤツ」
「ひとりで食べろよ」
「ふたりで口ん中転がすからいいんじゃん」

咽せて鼻がツンとしてるシンジには何のことだかわからない。

「全然よくない」
「だんだんよくなってくるって。あっちと一緒で」

こうやって性的な話をオープンにされるのは鼻につく。ツンツンだ。いろいろ知ってて口に出せる勇気があると上から物が言えるワケ?まるで子ども扱いだ。シンジは不機嫌に眉を寄せた。ちょっと過激な発言をして威嚇したい。

「君ってゲイなの?」
「ゲイ?なんで?」
「君のキスしてる相手男なんだけど」
「僕はシンジ君としたんだけど」

言い負かしてやりたいのに。

「…僕は男だ」
「知ってる」 
「だからゲイなのかって聞いてるんだよ」
「じゃ、シンジ君はゲイなの?」
「は?」
「僕とキスしたじゃん」

渚の言葉はシンジを混乱させてゆく。

「渚がしたんだよ」
「シンジ君とね」
「無理やりされたんだ」
「ふうん」

あっそうって感じで渚はベッドから飛び起きた。急に温度の下がった声。何食わぬ顔をして、床に投げ出してあった雑誌を拾ってさらさら読み始める。

「…僕は他のヤツとキスなんかしないよ」

もうベッドには上がらない。開いたページに呟くようにそう言った。


× × ×


シンジは渚とのことを極力考えないようにしていた。考えたら最後、何かを認めることになると感じたのだ。教室の片隅で人知れず、溜め息をつく。

「バカシンジ」
「ん」
「何か面白いこと言って」
「へ?」

そんな時でもおかまいなしに押しの強い人類は邁進する。

「…言わないよ」
「言いなさいよ」
「やだよ」 
「言いなさいって」
「やだって」  
「言わないとぶっ叩くわよ」
「ムチャクチャだな」

もう既にペチペチ頭を叩かれている。どいつもこいつも。シンジは思った。

でも、それだって次の瞬間には吹き飛んでしまう。

「シンジ君は僕のこと好きだって」

アスカが訝しげにシンジを見た。正確には、後ろからシンジを抱き締める渚とそれにとても自然になじんでいるシンジを、見た。

「しかもアメチューする仲だってさ」
「全然笑えない」
「え?なんで?ジョークに聞こえないから?」
「ジョークがつまらないからだろ」 

シンジは過剰反応しないよう慎重に渚を突き離した。何か少しでも変なところがあったら本当だってバレてしまう。

なのに。

「…あんたたちゲイなの?」
「それ、よく聞かれる」

なのに。

「でも僕はゲイじゃないよ。シンジ君は知らないけど」


× × ×


「…それで怒ってるわけ?」

当たり前だろとも当たり前過ぎてもう言わない。いつものように帰りに渚の家に寄って、寄ったくせに負のオーラを部屋中に撒き散らしているシンジ。

「何にも言わなかったらわかんないんだけど」
「…」
「せっかく口がついてるのに」
「…」
「もったいないから――」

アメの袋を漁る音が聞こえたので右に三歩、シンジは離れた。喉にまとわりつく苦しい感覚が襲ってくる。その顔が本当に嫌そうだったので、渚は包装紙を開けなかった。

渚は寂しそうにシンジを見つめた。

「…僕たち付き合ってるんだろ?」

シンジは何も答えない。

「好きな相手とイチャつきたいなんて普通だよ」

シンジは何も答えない。

「ねえ、何か言ってよ」

「ねえ、」

どうしてだろう、渚は思う。どうして好きな相手と一緒にいるのにひとりでいるように感じるんだろう。空回りばっかり。虚しい。渚は俯いた。

―これがずっと続くの?

―こんな不公平な恋愛が?

そして渚は目を閉じて、

「…無視するなよ」

目を開けた。その仄暗い響きにハッとする間もなく、渚がシンジに覆い被さる。バタつくシンジを押さえつけて組み敷いた。

「嫌ならちゃんと抵抗しなよ」

強引に次のステップへと踏み出す渚。シンジの首筋に唇を這わせながら制服のシャツのボタンを外す。抵抗しなきゃ、そうシンジが渚を退かそうとすればするほど、腰が深く沈んでゆく。その体重に温もりに、渚を感じる。やだ、やめろ、そう言いながらシンジは密かに興奮した。シャツ越しに舌で乳首を転がされ、背骨を細い指の腹でなぞられて。心のどこかでは、このままどこまで進めるのか、確かめたかった。思いきり腕で彼を押しやりながら、シンジの体は素直になりたがって、発熱した。

「本当は嫌じゃないんだ」
「違う」
「もう勃ってきてるのに」
「えっ?」
「勃起してる」
「あ、」

すると、シンジは慌てて自分の真ん中を手で隠した。そして一瞬、困った顔して物欲しそうに渚を見つめたのだった。そんな反応は予想外。渚の顔は複雑に歪んでしまう。

「そんな風にされるとわからなくなるよ…」

渚はシンジから離れた。シンジは少しだけそのままで渚を待ったが、もう来ないとわかるとゆっくりと体を起こした。

「…どうしたの?」

視線の先、渚はまた雑誌を読みはじめていた。神経質に貧乏揺すり。この前からもうずっとそればっかり読んでいる。いつも床に投げ捨てられてる興味なさそうなそればっかり。

「ねえ、どうしたのさ?」

何も言わない渚にシンジは動揺した。いつもはしつこいくらいなのに。静かな背中が不安でたまらない。

「…何にも言わなかったらわかんないんだけど」

言ったあとで気がついた。さっきは自分に投げかけられた言葉だった。

結構無視されるのってツラいな、そう思いながらシンジはベッドから降りて渚の隣にそっと座った。何を言っていいのかわからない。どうしよう。心臓が冷たくて嫌な感じ。膝を抱えて項垂れて、じっと渚の声を待った。

そうしていると諦めたような渚の溜め息が聞こえたのだ。

「…これって僕の勘違いなの?」

雑誌から上げたその横顔は、寂しそうだった。

「シンジ君って僕とイチャついてる時、なんだかんだで嬉しそうだと思うんだけど」

シンジは蒸発しそうになる。キスした後、渚がいつも嬉しそうに自分の頬を撫でるわけを今、知った気がした。

「なのにそのあとで無理やりだったとか言うじゃん?また言うの?」

渚の声は微かに震えていた。

「君は奥手だから強引なほうがいいのかと思ってた…」

心臓が飛び跳ねた。シンジはそこでやっと理解する。あれは、あのおどけた態度は、渚の思いやりだったんだ。

「本当に嫌なら本当に嫌そうな顔してよ」

ずるいよ、そう囁く彼の最後の声はかすれていた。横顔が手のひらを添えるようにして隠される。銀髪をくしゃっと握る。泣いているんだとわかった。

「そんなつもりじゃ…」

やってしまった、シンジは思う。ずるい、確かにその通りだ。自分が消えてしまえばいいのに。シンジは猛省した。

「ごめん、変な態度になっちゃって、」
「…」
「ずるいのに、僕が好きなの…?」
「うん」

間髪入れずに返ってきた。涙が出そうなくらい嬉しい。こういう時、素直に甘えられたらいいのに。ちょっとだけ、渚に寄りかかるシンジ。目の前には渚の好きなチェルシーが転がっていた。

「バタースカッチ味と僕、どっちが好き?」
「バタースカッチ」
「は!?」
「嘘。シンジ君のほうがおいしい」
「…おいしいって何だよ」

好きかって聞いたのに。シンジは耳まで真っ赤になった。そしておもむろに手を伸ばす。袋からひとつ取り出してころんと口に放り込む。

「僕、今バタースカッチ味だから、キスしたら僕の味なんてしないよ」

だからおいしくないかも、ボソッとそんなこと言って、何でもないという横顔で唇を舐めるシンジ。確実に、待っている、顔。

「ああもう、やっぱり君、ずるい」

ずるいずるいずるい。渚は思った。いつだってそう。渚はシンジに骨抜きにされる。何だって許してしまう。

チェルシー自然落下の法則。ふたりは互いの唇を食べて、中も一緒になって食べた。シンジが背中に回した腕の感触が嬉しくて渚は震える。バタースカッチが濃厚になる。コロコロ行き来する滑らかな感触に、ふたりしてみるみると、とろけてしまう。止まらない。

「おいしい?」
「うん」

しゃべったらちょっと咽せて、ふたりで笑った。


× × ×


シンジは渚とのことを極力考えないようにしていた。考えたら最後、何かを認めることになると感じたのだ。教室の片隅で人知れず、溜め息をつく。

「バカシンジ」
「ん」
「何か面白いこと言って」
「また?」

そんな時でもおかまいなしに押しの強い人類は邁進する。

「…言わないよ」
「言いなさいよ」
「やだよ」 
「言いなさいって」
「やだって」  
「言わないとデコピンよ」
「ムチャクチャだよ!」

もう既にデコピンを数発やられた。どいつもこいつも。シンジは思った。

でも、それだって次の瞬間には吹き飛んでしまう。

「最近ヨーグルトスカッチも好きなんだよね」 

アスカが訝しげにシンジを見た。正確には、後ろからシンジを抱き締める渚とそれにとても自然になじんでいるシンジを、見た。

「なんであんなに美味しいんだろ」
「全然笑えない」
「え?なんで?シンジ君にはバカウケだけど?」
「全然ウケてない!」 

シンジは過剰反応しないよう慎重に渚を突き離した、はず。何か少しでも変なところがあったら本当だってバレてしまう。

なのに。

「…あんたたちやっぱりゲイなの?」
「それ、よく聞かれる」

なのに。

「でも僕はゲイじゃないよ。シンジ君も違うってさ」 

なのに!

「だってシンジ君、昨日ももっと食べたいって言ってたし」
「?」
「渚!」
「ふたりで食べてるとおいしくてすぐなくなっちゃうんだよね。だから今日、もうひとつのシンジ君のお気に入り買ってきたんだ――特濃ミルク!」
「??」
「ああもう!」

アメチューに病みつきだってことがバレちゃうだろ!


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