初めてのデートってどんな感じだろうとずっと思ってた。

「お待たせ」

いざそんな日が来たら実感が湧かなかった。

「5分遅い」
「君がね」
「は?」

実感が湧かない上に、

「僕10分前からその影にいたし」
「ヘ!?」

僕の相手は男。だから想像とは確かに違った。

「シンジ君が僕を待ってる姿見てみたくって。何度もメール打ってるのに送ってこないのはなんで?」
「こいつ…!」

渚は友達だった。いつの間にかずっと一緒に居て、居心地がよくて、その延長線上。初めて好きと言われた時、僕は驚きすぎて夢を見ているのかと思った。初めてのキスで渚が何故か一粒の涙をこぼした時も、僕にはどうしたらいいのかわからなかった。僕は自分の感情をごまかしすぎて、自分の本音がよく聞こえない。じっと目を閉じて心の奥に耳を澄まして、やっと降参したみたいにわかるのは、

「あは。そんなに怒らないでよ」
「今度そんなことしたら僕帰るから」

僕も好き、ということだけ。僕は渚のことが好きだ。心からそう思う。だって、

「こっちにおいでよ」

渚は一見、誰に対しても関心なんてなさそうな冷たい目をしているのに、

「危ないよ」

誰よりもやさしい。満員のバスの中、つかまる吊り革がなくてよろけている僕を窓側に移動させて、両腕で囲う渚。そんなことしなくても大丈夫だよ、そう言いたいのに周りに人が多すぎて何も言えない。息を詰めて目を逸らしていると空気を読んでバスが急ブレーキを踏む。その勢いで渚が僕に覆い被さって、どさくさに僕を抱き締めて「ラッキー」って耳許で囁いた。僕は骨まで蒸発しそうなくらい恥ずかしくって、言い返すのを忘れてしまう。そしてまた、僕を腕いっぱい守る渚。僕をかばうその腕は不思議なくらいたくましく見える。真っ白で細くって頼りのない腕なのに。ふざけてばかりいるのに急にそんなことされると、僕は弱い。

平気なふりして僕が必死で暴れる心臓を隠しているのを、渚は知らない。


「えー、それ超怖そう」

ほら、また子どもみたいな顔をして。ただのゾンビ映画のどこが怖いのさ。

「こっちにしようよ」

渚が指差したのはピンクのキラキラのポスター。ラブコメだ。

「こんなの女子しか観ないよ!」
「いいじゃん、面白そう」
「やだって。僕の好きなのでいいって言っただろ」
「ふつうデートでゾンビ映画なんて観る?」

デート、そう大声で言われて僕は小さく左右の様子をうかがった。胸を撫で下ろす。間があいてから渚を見たら一瞬、真剣な瞳とかち合った、そんな気がした。でも渚は楽しそうに僕に笑いかけていた。

「シンジ君、こんなの観るんだ」
「…渚とはあんまり映画の話しなかったっけ」
「とはって?」
「綾波が映画好きでさ。これも綾波にすすめてもらって。でも渚が観ないならいいや。綾波と観る」

とたんに渚の顔が変わる。窓口で、

「ゾンビのやつ、大人2枚!」

何かの宣戦布告みたいに身を乗り出している。一気に注目の的になる。

「…高校生2枚です」

僕がそう付け足すと、後ろから知らないひとの笑い声が聞こえた。

僕はずるい奴だ。渚が僕と彼女の関係をずっと疑っていたことをたまに利用してしまう。そして渚が焦る姿を見ては優越感に恍惚とする。

渚に初めて好きと言われた日もそうだった。渚がクラスメイトの女子に告白されたことを自慢してきたから、僕だって綾波といい感じなんだとありそうな嘘を吐いた。実際、渚が現れる前のままで彼女と一緒に過ごしていたら、そんな未来もあったかもしれない。だから渚もすぐに引っかかった。いきなり具合が悪くなったみたいにうずくまってしまう渚。渚の部屋で僕らはのんびり遊んでいた。それが日課だった。立て膝をついて項垂れて動かなくなった渚に心配して近づいたら、渚は苦しそうな顔で僕を見た。そして、こう言ったんだ。

『同情でいいから、男の僕も好きになってよ』


時間って不公平だ。授業中はこれでもかってくらいノロノロとしているのに、楽しい時間は駆け足で通り過ぎてゆく。いつの間にか夕暮れで、カラスが鳴いていて、黄昏色の空はリトマス紙の染みる速度でどんどんグラデーションが深くなった。

「こっち来なよ」

僕が車道側を歩こうとしたら舗道側に引っ張る渚。自転車が来たら僕を壁際に寄せて守ってくれた。夜の近づく気配が変にふたりを煽る。渚がキスしたそうな顔をする。焦った僕は目の前の胸を腕の長さいっぱいに突き放した。

「そんなに僕を守ろうとしなくたって大丈夫だって」

自分でも可愛くないなって思う。さっきだって渚がカップルに人気のカフェなんかに入ろうとしたから僕は「ひとりでお茶してれば?」とスタスタ先に歩いていった。映画館の暗がりで渚の手がするする伸びてきてついに僕の手に重なっても、僕は握り返さなかった。まるで気づかないふりをして映画を見ていた。寂しそうに僕の指をいじくる渚から嫌そうに手を引っ込めて、クライマックスの恐怖に便乗して肩を寄せる渚を適当にあしらった。

本当は嫌じゃない。なのに、素直になれない。どうしてそんなことしてしまうのかわからないけれど、僕は渚の思い通りになったら負けだと妙に意地を張っていた。ドキドキする度にそれを隠そうと余計にキツくなっていた。

それから映画が終わるまで渚がずっと僕を見つめていたことも、僕はまったく知らないふりを決め込んでいた。


「今日、つまらなかった?」

渚を置いてまた数歩先に進んだ時。渚とそれ以上近づくとヒリヒリしておかしくなりそうだった。でも、僕はその声に気づいて振り返る。寂しそうな響きだった。

「…別に」

楽しかった。でも――渚にありがとうって言えたらきっともっと楽しかった。手を握り返したり、肩を寄せ合って笑ったり、堂々と渚とあのカフェに入れたら…そう思うと僕はいてもたってもいられないくらい、悔しかった。自分が嫌いでどうしようもなかった。そんな僕の感情の上辺だけ、渚には伝わっていたらしい。渚は苦しそうな顔をして笑った。初めて好きって言われた時にも、なりゆきで初めてのキスをした後にも、僕は同じ渚に会った気がする。

「やっぱり彼女の代わりにはまだなれないか」

渚は気の抜けた炭酸みたいにヘンテコに笑った。ふざけたふりして、全然ふざけられていない。

「僕もまだまだだなぁ」

そっと手を伸ばす。僕の頬には夕風よりも冷たい、渚の指先。

「いいよ、別に。君に好きな人がいても」

僕は息が出来なくなる。これが、渚にとっての、僕が渚に許す距離、なのだろうか。

「君の分まで僕が君を好きになるから」

指先で僕の温もりを確かめる渚。そして、

「いつか僕が君の好きな人になれるまで、待ってる」

渚の冷たい指先は、そっと、僕から離れた。

「……」

もうすぐ陽が沈む。

「……、」

僕らの街にも夜が来て、きっと何もかも誤摩化してくれる。


だから、


「渚もまだまだだな」

僕は一枚一枚、嘘のひだを脱ぎ捨てて、

「僕が勝手に綾波のことを好きだって勘違いしてさ」

裸になろうとする。

「勝手に僕が同情で付き合ってるってことにしてさ」

サナギの殻を破って、

「初めて好きだって言われた時、僕が死ぬほど嬉しかったことも知らない」

柔らかい羽根を伸ばすんだ。

「初めてのキスで君が泣いた理由がわからなくって、ずっと眠れなかったことも知らない」

そんな僕を渚はただじっと見つめて、

「初デートで緊張して空回りして全然素直になれなくて凹んでる僕の気持ちも知らないなんてさ!」

半分ぽかんと口の開いた間抜けな顔をしていた。

「ちっとも怖くないゾンビに怖がるふりして怖がりの君とくっついて映画観るの妄想してた僕の一週間を返せよ!」

叫んだ振動で目から何かこぼれそう。

「いいかげん僕の性格を理解して僕が嫌がるのをやめるまで諦めるなよ!意気地なし!」

もう僕もだんだんわけがわからなくなって、

「綾波と映画の話なんてしたことないよ!ていうか最近全然話なんてしてないし!君といるのが楽しくて!」

本音も節操がなくなって、

「あ〜!!カフェに入りたかったら引きずり込めばいいだろ!なんでそういう時だけ紳士なんだよ!バカ!」

理不尽になる。きっとこれ、後で思い出して爆笑するレベル。でも、

「今日の朝だって、君が5分遅刻して僕のほうが君のこと好きだと思ってたら実は君のほうが5分早くって」

ずっと隠していた気持ちを言えるのって気持ちいい。

「僕がそういうことにいちいちドキドキして息吸う度にどんどん君を好きになってることにも気づかないなんて!責任を取れよ!」

なんでもっと早くにこうしなかったんだろう。

「今すぐここでキスしないと僕は帰らないからな!」

なんでこうやって甘えなかったんだろう。

「このまま野宿して、学校にも行かなくなって、みんなにめちゃくちゃ怒られて、おじいちゃんになって、それで――」

僕が支離滅裂なことばかり泣き叫んでいると、渚が僕を抱き締めた。そう、僕は泣いていた。でも哀しいからじゃない。喉から出てきた想いが無理心中するみたいに涙の粒を道連れにして重力に逆らえないだけなんだ。だから僕も自然の法則で渚の腕の中におさまって、その名前の知らない法則に逆らえずに、僕は待ちきれなくて自分から首を傾けてキスをした。鼻水の味がしたって文句は言わせない。道連れにしてやる。僕は怒ってるんだ。こんなにひどいことをたくさん言ったのにやさしく唇を動かすなんて。もっとひどいことを言ってやる。絶対だぞ。覚悟しろよ。

「…好き」



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