「好きな子ができたんだ。」

ある日突然、カヲル君が言った。僕が「え…。」と顔を上げたときには、すでに彼は起き上がって、こちらに背を向けたところだった。

「だからもう、こういうことはやめにしよう。僕たち。」

シャツの袖に腕を通しながら告げる。温度のない声が、狭い部屋の中に妙にくっきりと響いた。僕はいまだぐずぐずとベッドに体を横たえたまま、静かに思考を混乱させていた。

―僕たちはいわゆる“セックスフレンド”というやつだ。
別に、はじめからお互いの体を目的にした関係ってわけじゃない。僕たちのそれは、親密すぎる友情の延長線上にあらわれた、ごく自然な成り行きだった。
はじまりはいつ頃だっただろう。教室でのじゃれ合いをカヲル君の部屋へ移した途端、うるさい外野の声がふつりとおさまった。互いの醸し出す空気が濃密になった。時間はたっぷりあった。僕たちはお互いがとても好きだった。
どちらかと言えば内向的で臆病な性格の僕は、実際、気持ちいいことにめっぽう弱かった。
穏やかな会話の続きを楽しむようにして、僕たちはしばしば体を交わすようになった。
互いに自分を見失うことはせず、無理もしない。思いやりを込めて優しくいたわるように励ますこともあれば、惰性でだらだらと目的なく体を繋げたりもした。二人の相性はとても良かった。

…最近、様子がおかしいとは思ってたんだ。一緒にいてもため息をつくことが多いし、学校でも、思い詰めた様子で窓の外を眺めている姿を見かけたりした。

「そっか。…おめでとう。カヲル君ならどんな子だって、絶対君を好きになるよ。僕、応援してるから。」

“明日からは僕たち、また仲の良いクラスの友達だね。”

僕がそう言って差し出した手を、カヲル君は曖昧に笑って柔く握り返した。




僕は人生最大の賭けに負けた。本気だった。僕はただ、最初の恋を最後の恋にしたかっただけ。君が親密すぎる友情の延長のように扱ったそれは、僕にとっては始まりから愛情だった。

それに気づくのは、行けるところまで行ってしまった時だった。つまり、僕は、遅過ぎた。

僕はシンジ君を抱きながら、ふと行き詰まりを感じた。その時僕の紅い瞳に映っていたのは、君の指先が濡れたシーツを握り締める姿だった。それは僕が何度もふたりの境界を無くすようにと君の最奥を執拗に突いても突いても、決して僕の背中には届かなかった。そこで僕は急に思い知った。

ふたりの間には海がある。
この海は、盲目な恋に堕ちて、がむしゃらで掴んだ君に、友情の終わりを告げずに事を先走った僕への罰なのだろう。僕らは細やかな行き違いを重ねた。そして溺れる程にそれを深くした。

僕がふたりの情事と心の中で呼んでいた度重なったセックスを、君の指先が僕の情事だと告げる。そう告げられるまでに、僕は言葉少なく愛の幻想を追ったのだった。その目眩する程の衝撃に、ついに僕はからっぽになる。その空洞は君を求めれば求める程、僕に孤独を与えたのだ。

『好きなんだ。君を抱きたい。』

それは言わなくてもわかるだろうと、友情に甘えて君に押し付けた僕の思い上がった愛情だった。

『好きな子ができたんだ。』

それは言わなければわからない、僕のつまらない嘘。君が泣きすがって僕に愛を求めてくれるだろうと君の愛情に甘えた。

そしてその時、僕は全てを失くしてしまったのだ。

僕は君の優しさを僕への愛情だとまたしても思い上がりの勘違いをしていたらしい。素直に退いて道を開け放った君に、泣きすがりたいのは僕の方だった。

僕はまだ君の香りのするシーツに顔を埋めて、明日からの途方もない日常を考えないようにした。

まだ、君の指先の感触が、僕の手のひらに残っている。




本当に大切なものを失くした時、その虚無感は時間差を以て徐々に重さを増していく。
それが大切であればあるほど。

空虚で空っぽな重さが、僕の身体に充満していくのに気づいた時には、僕は自室のベッドに力なく横たわって、すでに動く気力を失っていた。

身体を赤子のように丸めて、何かに縋るようにシーツに顔を埋める。

それは僕を慰めるどころか、その時気づいた自分のベッドのシーツの香りのよそよそしさが、さらに僕に重みとしてのしかかった。

もう息もできないくらいに。

「カヲル君…」

吐息だけで苦し紛れにその名を呼んでみたって、誰に伝わることもない。

僕はまたひとりぼっちになってしまった。

「好きな子ができたんだ。」

カヲル君が背を向けて言ったあの言葉が、僕の中で何度も何度もリフレインされる。

その度に、胃がせり上がるような感覚に苛まれる。

そうだそうだ、カヲル君はみんなの王子様じゃないか。少し人より仲良くなっただけで、僕は思いあがっていたんだ。

親密すぎる友情の延長線は、再び友情に回帰する。輪を描くような永劫回帰。

友情―  出発点では、僕に形容しがたいくらいの喜びを与えたはずのそれが、回帰する時にこんなにも僕を苦しめることになるなんて。

「カヲル君っ…」

二度目に彼の名を呼んだとき、混じっていたのは吐息ではなく、嗚咽だった。


ーー…
不思議なことに、一週間経ってもカヲル君が誰かと付き合いだしたという噂は聞こえてこなかった。

あのカヲル君に愛を打ち明けられて“yes”以外の人間なんてありうるのだろうか。 …いやありえない。そしてそれが周りの関心をひかないわけがない。(たとえ相手が学校外の人間だとしても、だ。)つまりまだ、告白前ってことなんだ。

何をしてるんだろう。カヲル君だもの、どんな子だってみんな夢中になる。迷う必要なんて全然ないのに。

―僕が焦るのには理由があった。

カヲル君が恋をしてからというもの、いまや彼の僕に対する親密さはすっかり失せてしまった。話しかけてもすごくそっけない。変わらず友達でいるという僕の言葉と予想を裏切って、日に日にカヲル君は僕に関心をなくしていくようだった。

…前はこっちが戸惑うくらいスキンシップが多かったのに。

(だけどそれはきっと、恋のせいなんだ。今は好きな人のことで頭がいっぱいで、僕に気持ちを割く余裕がないだけなんだ。)

だから早く告白すればいいと思った。告白して、付き合って、幸せな気分になれば、そうすればきっとまた、僕と一緒に笑ってくれる。僕のことを見てくれる。少なくとも親友としてそばにいることはできるはずなんだ。

僕は何度も自分にそう言い聞かせた。惨めな心を慰めようと必死だった。…今日、決定的な違和感を認めざるを得なくなるまでは。


それは暑い午後の授業中だった。回ってきたプリントを後ろの席のカヲル君に手渡そうとした拍子に、偶然、僕の手がカヲル君の手に重なった。

するとカヲル君は、―そのまま目の前でカチンと固まってしまった。

プリントの束がばさばさと床に舞い落ちても、カヲル君はそれを拾おうとはしなかった。石のように動かないで、ただ黙って手のひらを見つめていた。仕方なく僕はしゃがみこんで、散らばった紙を一枚一枚拾うはめになった。

(なに、今の反応。)

呆然とした。頭がぐるぐる回って気持ち悪い。

(…まるでこれじゃ、僕の手がバイ菌か何かみたいだ。)

……。そうかもしれない。今の彼からしたら、僕との関係の全部って、もはや洗い流してしまいたい過去なのかも。

気のせいじゃない。カヲル君は僕を避けているんだ。




シンジ君に触ることが出来なくなった。
以前は見ている方が恥ずかしいと言われるほど触れていたのに。

賭けに負けて以来、僕はどうすればいいのかわからなくなってしまった。

自分から友達に戻ろうと言っておいて、今更友達に戻れるわけがなかった。
こんなにも気持ちが溢れているのにそれを押し隠し、シンジ君の親友として振る舞うことなどできるはずもなかった。

萌芽し立ての深い愛を前にして、試す言葉を使った僕は、自らかけた呪いのように彼さえも見失った。
汗を滴らせ、目を潤ませて、全身を羞恥で火照らせていたシンジ君。次第に要領を得て自ら腰を動かし、僕をまねた愛撫もできるようになったシンジ君。僕を愛していると自惚れていたあの彼は、何を思っていたのだろう。
愛してはいなかった?
君は命を預けるように、自分をさらけ出してしまうのか?親しくなった友人に。

他の男に身体をゆるす君を、僕だけが知っていた可愛らしい君に重ねて、鮮やかに記憶した細部まで想像してしまう。あぁ、シンジ君。
僕は折にふれて止まらなくなる思考の中で、自ら築いた架空の誰かを何度も殲滅した。

切なく湿ったシンジ君の瞳に恋い焦がれては、一人暮らしの部屋で気が触れそうな嫉妬と悲しみと同時に、肉体的昂りが制御不能に達する。倒錯した感情の出口を求めるがまま、僕は君を貪った。
君の不実を誅罰し、耳元で責めながら、過ぎ去った蜜月の日々にも決して行わなかったように。


(あ、あ、あ、あ、カヲル、くん、ん…っ………っ、ぁ、ぁ、ぁぁぁ、……、…ぁっぁ、ごめ、んっ、ごめんね、ぁぁ、………………あぁ〜あ、あ、ぁ)


僕のすることに君がとろけるほどに、大きな反応を見せるたびに、鋭い痛みが胸を切り込む。
大好きだった麗しくて可憐な声は、いまナイフと化した。

ほとんど泣きそうになりながら、君を泣かせたくなる。
嗜虐心に従ってカラダを離し、君の震える根元をぐるりと封じてから、性急に小さな口元へと押し入った。

美しい涙をおびただしく浮かべ、束縛された場所からも流しつつ、恍惚から引き剥がされた君が驚いて僕を見上げる。
美声が咽喉の奥へ、さやへと刃がすっぽり戻るように収まって満悦を感じた。

あのうすい唇、温かな口内と、可愛い舌の感触に夢中になる。


「はぁ、はぁ…シンジ君!シンジ君、シンジ君、シンジ君、シンジく、ん、ん、…ぁ………ぁ、あ、あ…。、……!」

暴れる悲しみと怒りが、納められ弾けた瞬間、

冷たい後悔の波に襲われた。


僕は何をしているんだ。


僕の言葉を受け入れた心優しき君を責めて、泣かせたいと思うなんて。
違う、僕は君の笑顔が大好きなのに。
妄想にとらわれた僕の身勝手さは、尋常ではない。ほとほと呆れ果てて嫌になりそうだ。

僕が侵した想像のシンジ君の泣き顏が、胸を最後の一刃でえぐってうずくまる。

二人のあいだの海は、僕の血液でとても赤い。
僕の嘘で自分の陸地へと上がった君を見失い、ぐったりと海原のどこかに浮かんだまま、
他に帰る場所も、目指す指針も思いつけなかった。

きしんだ胸がひどく痛む。ばらばらに砕けて、やがては沈むだろう。
すべて自業自得だ。
あるいはもう半ば沈んでいる途上なのか…

シンジ君の心は、どこだろう。
とても遠い。




ーーー放課後だった。僕の我慢が限界にきた放課後!

「カヲル君。」

「…何かな。シンジ君。」

「ちょっといいかな。準備室に資料を運ばなきゃいけないんだけど、一人じゃキツくって。ほら、僕今日日直だから。相方の綾波は休みだし。」

「そう…。すまないけどこれから生徒会の予定がーー。」

「なくなったんだってね? さっき職員室で聞いたから。」

少し強引な笑顔を作ると、カヲル君は驚いた顔をした。それから諦めたように小さく息を吐き、僕の脇にあった資料に手を伸ばしてそのあらかたを取り上げた。

「そんなに、半分でいいってば。」

「いいんだ。…さっさと済ませてしまおう。」

言うと、本当にさっさと前を歩いて行ってしまう。…なんだかすっかり別の人みたいだ、僕の知っているカヲル君とは。言いようのない寂しさを感じながら後を追いかけた。


準備室にたどり着くと、すでに到着していたカヲル君はほとんど資料を片付け終えていた。
僕は申し訳程度に持っていた模造紙の筒をキャビネットの横に立て掛けると、カヲル君がこちらへ背を向けている間に…そっと準備室の鍵を締めた。
気配にカヲル君も何かを感じたようで、教材の背表紙を整える動作がゆっくりになった。

ドキドキ胸が高鳴った。
…こんなこと、僕にしては随分と大胆だ。だけど今は気にしてなんかいられない。せっかくのチャンスなんだから。

距離を詰めて、そっとカヲル君の腕を引くと、意外なくらいすんなりとこちらを向く。―――振り払われなかった。僕は密かにほっとしながら、

「ね…、カヲル君。」

そのまま胸に頭をもたせかけて、シャツの隙間に手を差し込んだ。こんなふうにしてねだると、彼はいつも快く応じてくれていたから。

「…気分じゃないよ。」

予想はしてたけど、改めて断られるとけっこう傷つく。カヲル君は僕の肩を押しやって、ふいと横を向いた。

「最近、元気、少ないよね。」

「そんなことないさ。」

「…僕、何か悪いことした?」

カヲル君の目が切なく僕を見た。いけないと思うのに、声が非難するみたいな調子になるのを止められない。

「僕、君に何かしたかな。なんだかずっと…避けられてるような気がするんだけど。」

「好きな子がいるんだ。もう君とこんなことばかりしたくないんだ。」

「ごめん。僕はただ、慰められるかと思ってーー…」

「君は?」

「え。」

「君は落ち込んでいるとき、そばに慰めてくれる人がいたら身を委ねる? それが誰でも。―僕じゃなくても。」

カヲル君の表情が一瞬険しく歪んで、僕ははっとする。彼が僕に初めて見せる顔だった。

「そんなの…考えたことないよ。僕を慰めてくれるのはいつも君だし。そばにいるのだって君だもの。」

「…そう。」

「ね、しよう? 二人で気持ちよくなれば、嫌なことなんかきっと忘れるよ。」

「…。」

「カヲル君。」

「…そうだね。」

いいよ、しよう。
カヲル君が顔を上げたとき、その真っ赤な瞳には悲しみと欲に濡れた複雑なきらめきがあった。
――僕はそれを綺麗だと思った。




自ら仕掛けたくだらない賭けに自ら負けた僕は今、ただ翻弄されるしかなかった。

友達に戻ろうとしたところで、どうしようもないほどに育ってしまった胸の中の想いをどうすることもできずに。

僕の脆弱な理性は、潤んだその深い海のような青で見上げられるが最後、抵抗という文字を失う。

それはまるで人魚に魅せられ海へと引き込まれるような恍惚。

なんという目をしているんだ、君は。

その小さな球体にどうしてそんなに深い色を宿せるのか。

なんという目をしているんだ、僕は。

どうせ引きずり込まれるなら、いっそその奥底まで沈んで行きたい。そうして君の最奥までたどり着いたら、君の心を僕のものに出来るだろうか。

僕が抱えすぎた煩悶はもはや手のつけようのないくらいに膨らんでいる。

僕はシンジくんに手を伸ばすと、頬を手の甲で愛でるように擦り、甲ですらぴったりと吸い付くようなその肌の感触に一瞬瞼を下ろし、その感覚に浸った。

次の瞬間、強く双眸でシンジくんを見据えると、勢いよくシンジくんを押し倒した。

シンジくんは驚いたような、戸惑ったような顔で見上げてきたが、やがて何かを決心したように僕を見つめ返してきた。




ひさしぶりのカヲルくん。
僕を包むのにぴったりな広さの胸板に頭を引き寄せられ、僕は純粋な嬉しさで満たされる。甘えたいのは世界中でこの場所だけ。
カヲルくんの愛が誰かに注がれていたって、そんなの些細なことだと気がつく。
振り払われながら精一杯に媚びて、あからさまに誘い込んで、僕の自尊心はボロ雑巾のよう。でも、そんなこといいじゃないか。カヲル君はみんなの王子様だけど、僕を避けてなかった。彼を近くに感じられるなら僕に出来る事を何だってしたいと、力のこめられてゆく腕の中で心を決めたんだ。




想ってやまない彼を引き寄せる。
無邪気に触れ合っていたあの時間が急にありありと蘇り、その余りの幸福に眩暈がする。
二度と戻れない、愚かにも自惚れていた美しい時間。
永久に続くと思っていた。

彼に触れられなくなってからの日々、忘れるべく抑えこんでいた快楽が一瞬怒涛のように体に流れ込んだ。
シンジくんの髪のさらさら。首元の香り。

やせ我慢していたと思い知らされる。
圧倒的な君の引力。
比例する悲しみ。
君の心は、この世界の謎。
君を前にすれば、盲目になる僕には見えない。


僕の腕の中でしばらく静かにしていた君は、ひっそりと動きだし肩口に顔をうずめた。
僕にすり寄りながら、たどたどしくも情熱を秘めて僕のベルトのバックルを外そうとする君に驚く。
驚きながら、僕は僕でいられなくなってゆく。



二人は、狭い準備室の棚に半身を押し付けながら床に座り込んでいた。



自分から押し倒したはいいが、僕は君をどう抱いたらいいかわからなくなっていた。

笑えるくらい真剣な僕と、誰のものでもない魅力的すぎる君。

君のシャツがこすれて首すじに鼻を寄せられ、悦びが突き上げても、哀しみで頭が熱いばかりで指が動かない。

僕は君のカラダが欲しい。
ーーでもその前に、君の心が必要だったんだ…

その間にもバックルと格闘して、君はもうすぐ僕にたどり着いてしまう。
積極的な見たことのない姿にショックを受けつつも、僕は苦しくぞくぞくと張りつめてゆく。




カヲルくんが、躊躇いを表すように僕の名前を呼ぶ。
僕には分からない事に気を取られて。

熱い腕に抱かれてドキドキ胸が高鳴るのに、苦しそうに呼ぶ声が愛おしいのに、全然遠くへ行ってしまったと再確認させられるみたいでせつない。お互い大好きで他に何も心配していなかった時は、こんな切羽詰まった気持ち知らなかった。

今、もし僕が何かしくじって行為が中断してしまったら、カヲルくんはこの先二度と触れ合ってくれないような気がする…


だけどどうやら、その心配は杞憂みたい。
さっきから僕が寛げようとしているところは、焦りすぎてもたもたしているうちにこわいくらい大きくなって、すでに制服がきつい程になってしまったから。

その膨らみに興奮してしまい、鼻先を伸ばして届くところーー首や頬やこめかみへ、カヲルくんの肩口から何度も何度もキスをする。この仕草はちょっと犬みたいだと思いながらも、止まれない。

「ちゅ、ちゅ、ちゅっ…。ちゅぅっ…。ちゅ、ちゅ、ちゅ…」

「…あぁ、シンジくん…」

すると唇の近くに当たったキスをカヲルくんに捉えられて、その音とリズムが二倍になる。

「ん、んんっ…!ちゅっ…ちゅっ…。ちゅっちゅ、ちゅ、ちゅ…」


だけどついにスラックスのジッパーが外れて、下の布地に手がぶつかってしまった。

「あっ…」

僕の手を圧迫した感触に、思わず目を向けると、

(…え…?
う、嘘……!?)

何回も体を重ねて知っていたはずのカヲルくんのが、初めて見るくらい…
布越しでも分かるほど大きく、くっきりと張り出してた…。

カヲルくんの視界に僕が入らなくなって話もろくに出来ない、重苦しい時間のほうが幻だったと錯覚するほど、しっかり僕を感じてくれてるんだ。

「カヲルくん…」

僕はそのままかがむように移動しながら、まだ煮え切らないというように僕の頭をさわる彼を押し退けて、意を決してショーツをずらした。

その瞬間、
先刻から熱を溜め押さえられ続けたカヲルくんの立派なものが急に解放されて、勢いのままに勃ち上がった。
グロテスクなほど筋張って、液を滴らせながらひどく凶暴な姿がすぐ目の前に突き出された。

「あっ…」

顔が焼けるように火照る。自分のしてることだというのに、情けない声を出して、動けなくなる。

僕らはあの頃何度も抱き合っていたけれどそれはいつも穏やかで、額を寄せて見つめ合い、楽しさを分かちあうような繋がりだった。
カヲルくんのを口でしたことは一度も無かった。
彼が僕のをしてくれた時、今更のようにものすごく恥ずかしくて違和感を感じた僕は、これはやめようとお願いし、彼もそれを了承してくれていた。
それはとてもエッチで、何だかいけない事のような気がしたんだ。一方が一方に奉仕するという上下の立場を思わせるそれは、仲の良い僕らの親密な関係には相応しくなかった。清らかで大切なカヲルくんという存在を酷く汚してしまうようで。僕も僕らしく居られなくなるようで。

頭の隅で、カヲルくんが愛しているというひとがちらつく。
これは…「嫉妬」。
わずかだとしてもいい、触れ合う間だけでもいいから、僕だけを見てほしいよ…。
これはきっと良くない方法。だけど、僕はいまもう後に引けなかった。捨て身なんだ。必死、なんだ。

躊躇いながらも僕はカヲルくんの滾るそれに口を近づけていく。
いつにも増して大きく赤黒く脈打ったそれに思わず目をそらしてしまった。
途端にせり上がる羞恥心をなんとか押しとどめて、僕はちゅっと軽くそれにキスをした。
びくんとカヲル君が身を震わす。
それでも黙ったままのカヲル君を目だけでちらりと見上げると、彼はとても信じられないという顔で目を見開き、僕を見下ろしていた。

僕はそんなカヲル君を見上げ視線を絡めたまま、それを裏側からツゥっとゆっくり舐め上げていく。
手の中のカヲル君がさらにその大きさを増すことに、言いようのない喜びを感じた。
それはあの日以来遠くなってしまった僕たちの距離を埋めてくれるように感じたから。

「うっ」と小さくカヲル君が呻くその声が僕全体を駆け抜ける。シナプスの伝達物資の中にカヲル君が混ざってしまった、そんな快感だった。
奉仕しているのは僕の方なのに。

意を決して今度は口の中にカヲル君自身を迎え入れた。
慣れない行為に一瞬どうしていいかわからなくなりながらも、以前一度だけしてくれたカヲル君の行為の記憶を辿りながら、舌全体を使って包み込む。いつにも増して大きく凶暴なそれに嘔吐きそうになりながらも、必死に舌を絡め、吸い、頬の内側で、愛しくて愛しくてたまらない思いが少しでも伝わるように奉仕していく。

奉仕、まさに奉仕だった。
僕は羞恥心や戸惑いを押しとどめて、ただカヲル君のためだけにその行為を続ける。

その時僕という人間は、彼だけのためにあったのだ。




「だめだ、シンジ君っ。」

僕は押し殺した声でそう咎めた。
確実に理性を侵食していく悦びを必死に塞き止めながら。

心から恋し、請い求めた相手からの奉仕を力ずくで拒む程には、僕の意思は強靭ではなかった。
だからせめて言葉だけでもと、シンジ君に呼びかけた。

くだらない賭けに自ら負けた無様な僕に、こんな風に跪くシンジ君は見たくなかった。
君は誰かを慰めるためならば、こんなことまでして身を捧げてしまうのか―
そんな思いが僕を苛む。

これが僕じゃなかったら?
他の誰かに君は身を捧げてしまうのかい?

そう考えると、気が狂いそうだった。

これは「嫉妬」。
燃えるように嫉妬しながら、シンジ君の口内を拒絶するどころか、言葉とは裏腹に膨らみ続ける自身を恥じた。

ツゥっと、生暖かい雫が僕の頬を辿るように落ちるのを感じた。




ひたり、と、頬に濡れた感触がした。

目尻に手をやってみても、そこには緊張と押さえ込んだ羞恥心から漏れ出す熱を感じるだけだ。きっと情けないくらい熟れた顔をしているんだろう。
大きく大きく膨らんだカヲル君のを奉仕するのはそのままに目線だけを上げれば、耳まで赤くした愛しい君が、長く垂れた前髪に隠れて震えている。

はっとした。

カヲル君が、泣いているのだ。
きらり、薄暗い準備室に射し込む光を吸った綺麗な君の想いが、また僕へと降ってくる。それは頬に、手に、次々と落ちては流れてゆき、暗く冷たい空気に触れてもなお温かいままだ。

いつもやわらかく微笑んで僕を見つめていたカヲル君が、俯き震えながら泣いている。
僕はその事に驚き、心打たれ、そして愛おしく思った。
どうして泣いているのか、僕に余さず全て教えて欲しい。

口に含んだ獣のようなそれは荒々しいのに、小さな子供のように雫を落とし続ける君の姿が倒錯的で、くらりとする。
そしてそんな君の姿を可愛いだなんて思ってしまう僕を、許して欲しい。

僕じゃない誰かに向いた君の心を、僕だけのものにしたいと思う僕を、許さないで欲しい。

いいや、嘘だ。
僕は君を全部受け止めて、僕も君に全部曝け出して、何もかも溶け合ってしまいたいんだ。

奉仕する僕の姿は許しを請う姿そのものではないか。

千切れそうな心から溢れた僕の想いが、カヲル君の涙と混じり合い、ぽたり、落ちていった。




「シンジ君・・・?」

シンジ君の涙。僕の息を止めそうなほどのその光景に僕は困惑する。
なぜ君は泣いているのか。僕への奉仕を涙するほどに嫌悪しながらも、友を慰めるために自らを押し殺しているゆえの涙か。
そんな考えが一瞬にして脳裏をかすめ、僕の心臓は張り裂けそうになった。

泣いているのは僕のほうだったはずなのに、なぜ君までもが涙を流しているのか分からなかった。
しかし、理由はなんであれ泣きながら跪く愛しい人に、一方的に奉仕させて興奮するなどということは僕にはできなかった。

乞い求めてやまなかった彼に触れられるという事実に、一度は倒錯的な感情を抱いたものの、それはゆっくりと静まり返っていった。

「話をしよう。シンジ君。」

シンジ君は、その大きな瞳に張った水面を揺らしながら、僕を見上げた。




「話・・・?」

カヲル君の呼びかけに顔を上げた僕は、決定的なことを言われるのを恐れていた。

好きな子ができたんだ

だからもう、こういうことはやめにしよう。僕たち。

脳裏にリフレインするあの言葉。

すっと胸の奥が凍てつくように温度を失くしていく。

こわいよ。僕には君しかいないのに。

カヲル君と素直な触れ合いに戯れていたあの日の幸福は、僕だけの思い込みだったのかな。

はじめからこうすべく出来ていたように、肌と肌を通して二人が溶けていくように感じたあの感覚も、
すべて。

「‥‥シンジ君‥」

カヲル君の声‥‥僕の名前を呼ぶ声‥‥この先に伝えられる言葉‥‥

聞きたくない‥‥聞きたくない‥‥聞きたくない!!聞きたくない!!

「ごめん、カヲル君!!好きな子がいるのに、困らせてごめんね!こんな事して、ごめんね!‥‥‥君が僕の事嫌いになったのに‥‥しつこくて‥ごめん‥‥‥‥‥‥。カヲル君の事‥‥‥‥好きで‥‥‥ごめんなさい‥‥‥‥。ごめんね、もうやめるから!!」


僕はカヲル君の顔を見れないまま、ただ自分の気持ちを一方的に押し付けて、準備室を飛び出した


僕は逃げ出した


自分と向き合って話をしようと言ってくれた彼から、‥‥逃げ出した‥‥‥



「‥‥最低だ‥‥僕‥‥」

カヲル君の何もかもが知りたい、どんな気持ちでいたのか知りたい‥‥本当の気持ちを知りたい‥‥

僕も本当の気持ちを伝えたい

今更気付いた自分の本当の気持ち、汚い醜い気持ち‥‥こんなにも、心が壊れてしまいそうな‥‥狂ってしまいそうなほど‥‥

「‥‥‥‥すき‥‥‥」

彼の事が好き
‥‥カヲル君が‥‥好き‥‥

だけど‥‥こんなにも好きなのに、こんなにも好きだから‥‥向かい合うのが怖くなった‥‥

1度背を向けた人は、戻って来ない‥‥

遠ざかって行く背中‥‥
2度と振り返らない背中‥‥‥
‥‥‥僕を捨てた背中‥‥‥

また捨てられる

涙を流して言った君、話をしようと言った君……
僕を捨てて、もう二度と振り返らない決意を伝えたかったんでしょ?

ハッキリした何かが欲しくて、今のままじゃ辛くて僕が彼を連れ出したのに

僕を見ない彼の心に、僕は「情」に甘えて、もう一度繋がろうとした

本当に好きなら相手の幸せを願うべきだと、きっと君は言うよね

ごめんね

ごめんね

いまごろ、伝えようだなんて……過ぎた時間は戻らない、戻れないのにね……

僕は誰にも会わないように、校舎裏に座り込んだ
……教室に鞄…、カヲル君と会いたくないな

   ポツ

「あっ……雨…。」

まるで、今の僕の心のように雨はしとしと降りだした

こんな僕を君は笑っている?

雨の降るその場を動くことも、…何も、何もせず、ただ僕は…雨に話しかけた

「それとも……、僕を励ましてくれてるの……?」

ありがとう

僕の言葉は雨と一緒に、地面へと流れて消えていった




僕は、シンジ君が出て行った後、しばらく動けなかった

『君が僕を嫌いになったのに‥‥』
『好きで‥‥ごめんなさい‥‥』
『ごめんね、もうやめるから』

シンジ君の言葉が頭の中で何度も繰り返される

「好きな子ができたんだ」

僕は人生最大の賭けに出た‥‥そして‥‥

負けた

君を嫌いになった?
‥‥‥違う、好きで好きでたまらなくなって‥‥‥失うのが‥‥怖くなった

シンジ君が、僕の事を好き?
‥‥‥言葉にして‥‥お互い伝え合わないまま過ごして来た‥‥‥

もう、やめる?
‥‥‥僕が想い人がいると告げた後も‥‥
ずっと‥‥思っていてくれた?


僕は、賭けに出たんじゃない‥‥
ただ、目の前の彼に‥‥いつか飽きられて、捨てられるのが怖くて‥‥逃げ出したんだ‥‥

嘘をついたのは、みっともない姿を‥‥君に見られたくなかったから

彼に縋り付いて、泣き喚く‥‥自分を見たくなかったから

関係をやめても、元には戻れない
心は君に惹かれたままだから
このままじゃ駄目だと分かっていても、怖くて‥‥‥動けなかった

嘘をついた事を知ったら、君に嫌われ、君は僕の存在を‥‥全部消してしまうと思ったから

先に、逃げ出したのは臆病な僕‥‥‥

「‥‥‥最低だな、‥‥‥僕は‥‥‥」

ーーー話をしよう
あの時、‥‥僕は君に本当の事を伝えられたのか?

『好きで‥‥ごめんなさい。』

涙を浮かべ、君が僕に伝えた言葉

『もう‥‥‥やめるから‥‥』

背を向けて、僕から去って行く君

僕は何を願う?何を望む?
何を‥‥何を‥‥何を‥‥!!

僕は覚悟を決めた

ーー臆病な僕は君に殺された

君が僕に踏み出した一歩
僕も君に一歩踏み出すよ
たとえ、未来が見えなくても怖くない
君を想うだけで幸せなのだから

僕は、シンジ君へ一歩踏み出す為、準備室を飛び出した




あれからしばらくたった……カヲル君も、もう帰ったよね。全身雨で濡れたおかげか、雨が悲しみを流してくれたおかげか、少し楽になった。今度こそ、カヲル君の幸せを……願えるように……。そう思いながら、立ち上がった瞬間

「シンジ君!!」
カヲル君の声が上から聞こえた

「カヲル君……」
2階の廊下の窓に彼はいた。まだ、君の顔を見たくない……。僕が、その場を離れようとした瞬間、カヲル君が窓に足をかけ、僕のいる場所に飛び降りた

「カヲル君!!」

まるで、スローモーションのようだった。まるで背に羽を生やした天使のように、綺麗に彼は僕の前に舞い降りた………はずだったけど
バシャ――――ン

「……ごめん」
「……うん……」

雨の水が思ったよりも溜まっていたのだ。格好良い着地の姿の君、立ち呆けてる僕、二人とも泥だらけになった

「シンジ君……」
「……何?」

動かない二人、一歩も動けない二人

「手を貸してくれないかい?」
「えっ?」
「……恥ずかしいことに、足が痺れて……動けないんだ…」
「……僕も、急に立ち上がったから……足が痺れてるから無理……」

二人とも、情けない顔で、泥だらけの顔で、お互い目を合わせた。間抜けで、格好悪い顔

「…ふ、ふふふ、ははは。シンジ君泥だらけだね。」
「…誰のせいだと思ってるの?……ぷっ、ははは。」

久しぶりに二人でお腹の底から笑った。ただただ、今の状況が面白くて、楽しくて

「シンジ君、君に告白をしにきた。愛の告白を。そして、僕の犯した罪を……。話をしよう。」
「……僕も…カヲル君に告白したい。きちんと、本当の気持ちを。……話をしよう。」

二人、足を震わせながら、互いの元に歩み寄った。まるで、生まれたての動物の赤ん坊のように。もう一度、零から、新たな未来を創ろう、希望の一歩を僕たちは……同時に踏み出したんだ





「好き。」
とても単純で簡単な言葉
小さい頃は、思ったままに、思った時に簡単に言えてた言葉

大人になると、臆病になって、後の事を色々先に考えてしまって『簡単』ではなくなってしまった言葉

僕たちは、まだ子供だと思っていたのに、心は少しずつ大人の階段を登っていたんだね

同じ階段を登っていたのに、自分の足元しか見ていなかったから、君が僕のすぐ側で同じ気持ちで、横にいた事に気づかなかった‥‥

顔を上げたら、側には君がいた

お互い手を伸ばし、手を結び、共に歩いて行こう

きっともう怖くない

「僕はシンジ君が好き。」
「僕はカヲル君が好き。」

目が合って、お互い気持ちが溢れ出して、同時に出た言葉

「‥僕が先にシンジ君に伝えた」
「‥僕の方が先にカヲル君に伝えたよ」

もう一度目が合うと、なぜか張り合う君が愛おしくて、笑みがこぼれてしまった

「「僕たち、息ピッタリだね。」」

意地悪な神様は、どうやら真面目な話をさせるつもりは無いらしい

「「マネしないでよ。」」

ハモる声に、笑みがこぼれる

「シンジ君にキスしたい」
「カヲル君に触れたい‥‥あっ。」

なぜか、僕が負けたみたいな気持ち‥‥
カヲル君が嬉しそうに見てくるから、僕は無防備になっているカヲル君に、自分からキスをした

「僕の勝ちだね。」




すると、いきなりカヲル君に手を引かれキツく抱きしめられた。耳元で、あの日から今までの事を話出した彼、小刻みに震える彼を、僕は背中を優しく撫でながら聞いた

僕も彼に、今日までの僕の気持ちを話した

雨で濡れた僕達の体は、2人の隙間を無くしてしまうくらいくっついていた

気持ち良い

初めて‥‥かもしれない。こんなに抱きしめあったのは‥‥彼の背中に手を回し‥‥本音を晒したのは‥‥。もっと早くから触れていればよかったな‥‥

「僕の前で考え事かい?」

カヲル君が、不安そうな顔で僕を覗きこんだ

「カヲル君の背中‥‥」
「背中‥?」
「背中‥‥‥‥気持ち‥‥良い。」

僕は、カヲル君の背に回す手に力を入れた

僕の心臓とカヲル君の心臓がひとつになっちゃったみたいに同じ心音を繰り返す。

もう怖くない
新しい一歩を‥‥
新しい2人の未来を‥‥
今度こそ、「2人で」始めたい

すれ違ったり、間違ったりきっとこれからもたくさんあるだろう

でも、それに気付いたなら、気付けたなら、自分で状況をいくらでも「変化」させる事は出来るんだ

良い方向へ行かないかも知れない、悪い方向へ行ってしまうかも知れない。でも、変化せずに立ち止まったままからは、何も生まれないだろう。カヲル君とこうやって話をしないままだったら、ただ何もしなかったという「後悔」しか残らなかっただろう


準備室の鍵をかけたり二階から飛び降りたりした不器用な僕達。お互いの間にあった海はいつの間にか水溜りになっていた。


FIN.


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