足の甲


本を読んでいると、寝室のドアが開かれた。

「ノボリさん、お風呂気持ちよかったよ!ありがとう!」
「左様でございますか」

ドアを開いたのは、ノボリの彼女のナマエだった。
明日の勤務時間は少し遅いと言うことで、ノボリがナマエに家に来ないか誘い、
ナマエは戸惑いながらも、自分のために時間を使ってくれる恋人の誘いを受け入れた。

ナマエはノボリが座っているベッドに腰を落とした。
髪の毛を覆っている水しぶきが微かに散った。

「ナマエ、早く髪を乾かしてください。濡れたままだと風邪を引いてしまわれますよ」
「あ、うん。ドライヤー、借りるね!」

テーブルの上にあったドライヤーを取ろうと手を伸ばす。
ドライヤーを握ったとき、もう一つの手が自分の手に重なった。
驚いてノボリの顔を見ると、ノボリは微笑んだ。

「今日はわたくしがして差し上げましょう」
「えっ・・・ありがと・・・」

ノボリの申し入れを素直に受けるナマエ。
ベッドに腰を落とし、足を少し開いたノボリは足の間にナマエを誘導させる。
ナマエが恥ずかしそうに座ると、すぐそこのコンセントにドライヤーのコンセントを差し、電源を入れた。
ドライヤー独特の音が部屋中に響く。

ドライヤーの暖かい風をナマエの髪のところへと持っていく。
タオルを髪に当てては、ドライヤーの風をふきかける。
それの繰り返し。

時折鼻につつく、シャンプーの香り。
その匂いに瞬きを感じながらも、ノボリは優しく丁寧に髪を乾かしていったのだった。
乾かし終わると、電源を抜き、ノボリはナマエの髪を掬い上げ、自分の口許まで持ってくる。

「ナマエの髪、良い匂いがします・・・」
「・・・っ!お、お風呂上がりだからじゃないの?」

ノボリの突然の言葉に今度はナマエが瞬きを覚えそうになる。
頬が赤くなっていくのが自分でもわかる。

「いいえ。ナマエからはいつも素敵な香りがしますよ」
「・・・っ。は、恥ずかしい・・・」

そう言って、ナマエは俯いてしまった。


―――恥ずかしいけど、この状況なら言えるかもしれない。


「さて。今日はもう、休みましょう」

そう言って、ノボリは立ち上がろうとした時だった。
服に重みを感じ、視線を向けると、ナマエの手がノボリの服を握りしめていた。

「ナマエ・・・?」
「あのね、ノボリさん・・・」

モジモジしてるナマエに疑問を抱き、座っていた場所に再度腰を落とした。

「どうしました?」

ナマエの顔を覗き込む。
当の本人は、「その・・・」と言いながら視線を逸らしていた。
その横顔は真っ赤に染まり、意を決してナマエはノボリと視線を絡ませた。

「あのね、ぎゅってしてほしいな、なんて」

ナマエの口から出た、些細なお願いにノボリは目を丸くさせたが、
すぐにナマエに向けるいつもの優しい笑顔になった。

「珍しいですね、貴女様がそんなことをおっしゃるなんて・・・」
「だ、だめだったらいいの!おやすみなさ・・・ノボリさん?」

そう言って、自分に用意された部屋に戻ろうとしたナマエだったが、
それよりも先に、ノボリがベッドから立ち上がって、ナマエに跪いた。

「ツバサ、足をお出しください」
「足?」

言われるがままに、足を出してみた。
ノボリは足首をそっと自分の顔に引き寄せ、足の甲に口づけを落とした。

「・・・!」

顔を真っ赤にさせて、口をパクパクさせてるナマエとは裏腹に、
ノボリは顔を上げると、フッと笑みを漏らした。
ゆっくり立ち上がると、ナマエの身体をそっと引き寄せ、抱きしめた。

「それしきのお願い、いつでもかなえて差し上げますよ。
それにナマエは我慢しすぎです。もう少しわがままになってもよろしいのですよ?」

顔を上げると、微笑むノボリと目があった。

ずっと怖かった。
仕事柄、会いたくても会えない寂しさをずっと堪えてきて。
かといって、我儘言ったらノボリさんの重荷にさせちゃうんじゃないかって。
めんどくさい彼女とか思われてしまいそうで、ずっと怖かった。
何より、ノボリさんに愛想つかれそうで怖かった。

ノボリにはそれがわかっていた。
だから、今日、ナマエを家に呼んだのだった。

ナマエは目にうっすらと涙を浮かべながら、言葉を紡いだ。

「いい・・・の?」
「はい。あまり一緒にいられない分、少しでも貴女様のお願いは聞いて差し上げたいものですよ」

そう言って、ノボリはまた微笑んだ。

「じゃぁ・・・今日は、一緒に寝てもいい?」
「もちろんです。さ、ナマエ、こちらへ」

手を引かれながら、ベッドへと招かれた。
布団に潜り込むと、ノボリはナマエの身体をまた抱きしめた。
ふと、ナマエがまた声を上げた。

「あ、・・・」
「今度はどうしました?」
「さっき、足の甲にキスしてたけど、普通は手の甲にキスするんじゃないの?」

ナマエの問いかけに、ノボリは笑みを漏らす。

「ナマエは知らないのですか?」
「へ?何が?」


足の甲にキスするのは、服従の証。
(普段、わがままを言わないあなただから、些細なお願いでも聞いて差し上げたいのですよ)


おわり。
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