モラトリアムの破壊
モラトリアムの破壊




「お疲れ様、ユウキ。隣いいかしら」
「カミツレ先輩!どうぞ、是非座ってください」
「もう、今は休憩中なんだから先輩後輩とかはナシよ」

苦笑しながら隣にゆったりと腰掛けたのは、公私共に仲の良いカミツレだった。
ぼんやりと視線を落としていたユウキは慌てて立ち上がり笑みを浮かべ、頭を下げた。

「なんだか元気なさそうね。ノボリ君と何かあったの?」
「うぅん…何かってわけじゃないんだけど…」

視線が完全にカミツレから離れて、ユウキの手の中にあるライブキャスターへ流れる。
黒い液晶に映るのは、暗く淀んだ気持ちを胸に押し込み鬱々とするユウキの顔。
ナマエ自身の中では僅かにささくれ立ってはいるが、他人に相談することは憚られるといったところだろうか。
「お節介は承知だけども」と前置きをして、カミツレは言った。

「どんなことで悩んでいるにしろ、ノボリ君にはキチンと言ったほうがいいんじゃないかしら」
「…ノボリさんは忙しい人だから、家に居るときくらい寛いでしてほしいの。そもそも今回だって、私が勝手に落ち込んでるだけだし…」
「彼がそう言ったことがあるの?『貴女が勝手に落ち込んでいるだけでしょう、わたくしに相談しないでください』って?」

ユウキがふるふると首を横に振った。手入れされた綺麗な髪が揺れる。
つい先日「とてもお綺麗ですね」とはにかみユウキの髪に指を絡め、愛で、撫で付けていたノボリと、照れて頬を燃え上がらせるユウキの姿を思い出した。
中学生かと揶揄したくなるほど純情なバカップルぶりを嫌というほど見せ付けられているカミツレとしては、今の彼女の落ち込みなど噴飯物だ。
貴女の杞憂よと言うのは簡単だ。しかし現実問題、ユウキはノボリとの付き合いに何かしら不安を抱えている。

「ねぇ、ユウキはどうしたいと思ってる?」
「…ノボリさんに会いたい。会ってぎゅってして、一緒に御飯食べて、おやすみって言って寝て、おはようって言って起きたい」
「そう正直に言えばいいわ。ノボリくんも喜ぶから」
「そうかなぁ…」

きっとなんて曖昧なものじゃない。絶対、必ず喜ぶに決まっている。
色白な仏頂面を仄かに色付かせ周囲の目など忘れてイチャつくだろう。間違いない。
兎に角出来るだけ早く行った方が悩む時間は少なくて済むからと、やや強引にユウキの背を押し出して…


(どうしてこんなことになってるのかな…)

ノボリの住むマンションを訪ね、顔を合わせるや否や、それはもう蕩けるような笑顔と熱烈な抱擁とを与えられた。
そして当然のようにソファに腰を降ろし、その膝の上にユウキを座らせ、がばっと抱え込んでしまった。
腰周りに回る腕は、ひねもす地下施設に居るとはいえやはり男。逃げることなど到底叶わなかった。
恥ずかしいと訴えかけても、ノボリは耳に、項に、肩に、沢山のキスを落とすばかりで全く話をさせてくれる気配もなかった。
久しぶりなのだから、というのが彼の弁だが、残念ながら半日程度しか離れていなくても同様の反応をするのは既に分かっている。 

「あ、の…ノボリさん、どうしたの?今日はそんなに疲れたの?」
「いいえ。通常通りでございます」
「そ、それじゃ…どうしてこん…っに、キスするの…?」
「恋人にキスをするのに理由が必要でございますか?」

お堅い考えを非難するかのようにノボリはユウキの首筋に軽く歯を立てた。
柔らかな皮膚に食い込むエナメル質の固い感覚に息を呑む。
肩を震わせる様子に満足したのか、ノボリは咬むのを止めて頭をユウキの肩口にぽすん、と乗せた。

「…カミツレ様と結構長くお話になられたのでしょう?」
「え?あ…、確かにお話してました。けど、何で分かるんですか?」
「あの方のお使いになられる香水の匂いがいたします」

ユウキにモデルの仕事が入るたび、帰宅した彼女から香水の匂いがした。
カミツレがオーダーメイドで作ってもらった、世界でたった一つのそれだ。
その香水の移り香が濃いほどにノボリの眉間の皺が深くなることに、ユウキは気付いていない。

カミツレは、いわばユウキとノボリの仲を取り持った仲人のようなもの。
公私共に仲が良く、今も何かと二人のことを気に掛けている。
どちらかというと自身を押し殺すユウキには居なくてはならない存在と言ってもいい。
だが、それ故にノボリはまんじりとしない想いに押し潰されそうになったことも多々あった。

カミツレには何でも話すのに、恋人であるはずのノボリには未だに遠慮があること。
不安があるのならば泣いてでも縋ってくれれば良いのにと何度唇を噛んだか分からない。

愛されているのは伝わってくるものの、それ以上の引っ込み思案な気質が災いしてノボリに直接何かを求めるようなことはしない。
今ですらこうなのだ。ナマエがもっと有名になり、それこそカミツレと同じ舞台に立ったときにはどうなるのだろうか。
忙しいから逢えない。逢えないなら恋人という肩書きはノボリさんにとって迷惑では?ならいっそ別れた方がお互いの為になるのでは…
そんな負の連鎖に絡め取られていくのではないだろうか。
そしてそれをノボリに伝えないまま、寂しげな笑顔だけを残して去っていく。
気が狂いそうなほどに哀しい未来が容易に想像できる。

「…もっと頼って、わたくしを信用してくださいまし」
「え?え?」
「愛しているのです。貴女と共に歩く未来が欲しいのです。どう伝えればユウキの心に届きますか」

飾り気のない、直接的な言葉にユウキの頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
涙腺が緩んでしまったのだろう、涙も浮かんできた。
それを拭う唇の柔らかさに奇声を発し、逃げようとするユウキと揉み合う。
むぅ、と唸るような声がするが、抗議ではなく照れ隠しだということを知っていたのでノボリは止まらず、オトガイを取り視線を絡め取った。
益々挙動不審になるユウキだったが、容赦しないノボリの言動に根負けしたのだろう。
もぞもぞと腕の中で体勢を変え、ノボリの膝の上に相対するように座りなおすと、ぼそぼそと話し出した。

「明日、ちょっと暇なんです」
「はい」
「ぎゅってして、一緒に御飯食べて、おやすみって言って寝て、おはようって言って起きたいです…」
「えぇ、是非ともそうしましょう」
「…もし、疲れてなかったら、ノボリさんの作るオヤツも食べたい」
「お作りしますよ」

一つ、また一つ、着実に不安を塗りつぶす。
甘いお菓子で、声で、体温で、愛撫で。
二人の未来に一欠片たりとも不安の種を残さないように。この幸せがいつまでも続くように。

「……あとね、今すぐキスしていい?」

それはもっと早くに言うべきだと、ノボリは思った。

――――――

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素敵なお話に最初読んだ時に発狂したのは内緒です←
この度は1万ヒット本当におめでとうございます。
これからも仲良くしてくださいねw
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