「おや、ヒヨリちゃん。おはよう!」
「おはようございます、ヨシエさん」

遅い、朝の挨拶を交わす。
きっと、クダリから今朝のことを聞いているだろう。
それでも聞いてこないのは、同じ女だからかこういう痛みはわかるからか。
わかっているのは、それがヨシエの優しさだということ。

ヨシエはヒヨリの腕に抱かれてるヤナップに視線を落とした。

「ヤナップ、どうかしたのかい?」
「なんか、泣き疲れたみたいで・・・」
「そうかい・・・」
「ノボリさんもそうだけど・・・。この子もよっぽどヒヨリちゃんが好きなんだね」

そう言いながら、ヨシエはヤナップの頭を撫でた。
ヨシエの脳裏には、ヤナップがどれだけヒヨリを想っているかの姿が浮かんだ。

「え?どういうことですか?」
「そのうちわかるよ。ヤナップを奥の部屋で寝かせておやり」
「はい、お借りします」

ヒヨリは奥の部屋でヤナップを寝かせると、午前中の仕事に取り掛かった。


I love you


あれから数日。
ヒヨリの仕事は今日はお休みで、ノボリは仕事。
ノボリがいないため、特にすることもなかったので、
ノボリに仕事の邪魔はしない程度に仕事をしている様子を見ていたいと
申し出たところ、すんなり受け入れてくれた。

いつもと同じ時間に通勤しようとも考えたが、ノボリにお弁当を作っていこうと考え、
ノボリには先に行ってもらうことにした。


―――ノボリさん、喜んでくれるかな?


お弁当が入ったバッグを持って、嬉しそうに微笑むヒヨリ。

「ナプ、ナプ!」
「あれ、思ってたこと、口に出てた?」
「ナップ」

肩に乗っているヤナップがうんうん、と頷く。
きっと、ヒヨリが作ったものなら喜ぶよと言っているのだろう。
ヒヨリは優しくヤナップの頭を撫でた。
ヤナップも気持ちよさそうにヒヨリの頬にすり寄った。
突然、ヒヨリの手が止まった。
不思議そうにヒヨリの顔を見れば、ヒヨリの顔は青ざめていく。
朝のラッシュの時間は過ぎたとはいえ、未だに人の乗り降りが多いこの時間。
きっと、例のあれが出たのだろう。
ヤナップはきゅ、と拳を作ると、視線を下の方へ落とした。
ヒヨリの下半身に伸びている一つの手が視界に入る。
ヤナップはその手の主に気が付かれないように、そっとヒヨリの肩から降りた。


―――ヤナップ?


ヒヨリは下半身に与えられている嫌な刺激に耐えながら、ヤナップを見た。
ヤナップはその手の目の前まで来ると、口を大きく開けた。

「ナァ・・・ブッ!」
「・・・!?」

思い切りその手首に噛みつけば、男は声にならない悲鳴をあげた。
噛みついたヤナップを離そうとヒヨリから手を離した。
ヒヨリが後ろを振り向けば、ヤナップが男に噛みついている。
その男はヒヨリが良く知っている人物だった。

「え、ヤナップ?ケイゴ!?」

ケイゴ。ヒヨリの元彼。
ヤナップはケイゴの手首から口を離せば、びしっと指を差して叫んだ。

「ヤップ、ヤナナヤナップ!」
「え、ケイゴが痴漢してたって言うの?」
「ヤナァ!」

ヒヨリの言葉にヤナップはそうだ!と言っているかのように鳴く。
周りの視線がヒヨリ達へと注がれる。

「俺はやってない」

ケイゴは視線を横に逸らしてそう言った。
ヒヨリはぴくん、と眉を動かした。
咄嗟にケイゴの手首を掴む。
ケイゴは顔をしかめた。

「とりあえず・・・、ノボリさん達のとこ行きましょうか?」

ヒヨリはにっこり笑いながら、掴んでる手首の握力を強めた。
その光景をヤナップは不安そうに見ていた。
タイミングよく、自分が降りる駅のアナウンスが流れた。
ヒヨリはそのまま下車すると、ノボリの方へ足を早めた。


―――――――


「だーかーら。俺はやってねぇって言ってるだろ?」
「ヤナナ」

事務所にて。
さっきからケイゴはやってないの一点張り。
ヤナップはヒヨリの腕に抱かれて、ムスッと膨れていた。
ノボリとクダリはこの光景を苦笑してみているしかなかった。

「ヤナップははっきり見たって言ってるけど・・・?」
「ふん。ポケモンの言ってることなんてわかりゃしないだろ」
「ヤナァ・・・」

こないだ、ヤナップの言ってたことわかってなかったっけ。
そう突っ込みたい衝動に駆られたヒヨリだが、自分の腕の中でしょげてるヤナップに視線を落とした。
自分はポケモンで、相手は人間。
人間の言ってることはわかっても、人間からはポケモンの言っていることはわからない。
同じ生き物なのに、どうして言葉が通じないのだろうか。
こういう時、人間とポケモンの違いを思い知らされる。
自分だってヒヨリが大好きなのに。

ヒヨリはヤナップをソファに降ろすと、視線をヤナップに合わせた。

「ヤナップ、しょんぼりしないで。私はあなたを信じてるから」
「ナプ!」

顔を上げればヒヨリが笑っていた。
その言葉でどれだけ救われたのだろうか。

「この子は嘘は着かないで御座います」
「ヤナップはいつでも私に素直な気持ち、ぶつけてくれるんだよ。そんな子が嘘をつくはずない」
「ヤナァ・・・」

そういうふうに言ってくれたノボリとヒヨリにヤナップは目尻が熱くなるのを感じた。

「ヤナップが見たなら、私は信じるよ」
「ナァップ・・・」

ヤナップの目から1粒の涙が流れた時だった。

「そういうなら、俺もお前に素直な気持ち、ぶつけてやるよ」
「・・・は?」
「え?」

突然、何を言ったかと思えば、急に視界が変わった。
白い天井に、背中にはソファーの柔らかい感触。
顔を覗かせたのはケイゴで、その本人がヒヨリをソファーへ押し倒したようだ。

「ヒヨリ!」
「ヒヨリちゃん!」

ヤナップはヒヨリが倒れてきたので、慌ててソファーから逃げた。
ノボリの足元までくれば、ソファーを見る。
そこで目にしたのは、ヒヨリがケイゴに押さえつけられてるところだった。
上を見上げれば、クダリはおろか、ノボリまで口をあんぐりとしてその光景を見ていた。
ノボリとクダリは下手にそこから動けずにいた。
どうやら自分たちがむやみに動けば、ヒヨリが危ないと判断したからだった。
それを察してか察していないのか、ヤナップはこめかみに青筋を浮かべた。

「ナプ・・・ヤナァァァァ!」

勢いをつけて、ケイゴに体当たりを食らわせた。

「ぐえ!いってぇ、何するんだよ!!」

その衝撃で、ヒヨリの手首を掴んでいた手が離れた。
それを見計らって、ノボリはヒヨリの元へ駆け寄り、身体を支えてやった。

「ヒヨリ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけ・・・」

微かに震えているヒヨリの身体。だが、受けた衝撃は思った以上に深くて、
笑ってはいたがヒヨリの目からは涙がぽろぽろと流れてくる。
それを見たノボリがそっと引き寄せれば、不思議と身体の震えはなくなり涙も止まった。

「ヒヨリちゃん・・・ヤナップがなんか怖い・・・」

クダリが2人のところまで歩み寄り、そう言った。
ヒヨリがヤナップの方を見れば、ヤナップはまたこめかみに青筋を立てて、
足をバンバン蹴って手を前に突き出して叫んでいた。
ドス黒いオーラも放っているようにも見える。

「ヤナァ!!ヤナナナップ!!ナップ、ヤナナナナナップ!!」

訳:お前!!ヒヨリ悲しませた!!絶対、許さない!!

「ップ・・・ヤナ・・・・ップ・・」

それだけ叫べば、今度は涙を流してその場に立ちすくんでいた。
ヒヨリはノボリにありがとう、と言ってほっぺにキスをすると、ヤナップの元へ駆け寄る。
そしてヤナップを抱き上げた。

「ヤナップ・・・私の為にありがとう。ノボリさん、ヤナップをお願いできる?」
「ヒヨリ?」
「ヤナナ!!」

ノボリにヤナップを預け、呆然とするケイゴに歩み寄ったヒヨリは、
手を振り上げ、思い切りケイゴの頬をひっぱたいた。
乾いた音が部屋に響く。
ケイゴは叩かれた頬をおさえて、ヒヨリに叫んだ。

「いってぇ、何するんだよ」
「ヤナップは・・・ヤナップはこの数百倍痛かったんだよ。
身体で受けた傷は治るかもしれない。でも、心で受けた傷は治らないんだからね」
「!!」

心で受けた傷。
ヒヨリはまた痴漢にあったというショック。
ヤナップはヒヨリを守れなかったショック。

「これ以上ヤナップを傷つけることがあれば、今度は私が許さないんだから」

ヒヨリの気迫に、ケイゴは俯いてしまった。
そこへ、タイミングよく開かれたドア。
そこにはノボリとクダリが呼んだであろう、ジュンサーが立っていた。

「痴漢が出たって本当ですか!?」
「ジュンサーさんって本当良いタイミングで来てくれますよね」
「何がですか?」
「何でもないです」

そう言うと、ヒヨリはジュンサーにケイゴを渡した。
手には手錠をかけられている。

「ヒヨリ」
「何?」

ケイゴがヒヨリの名前を呼んで振り向いた。
羨ましそうな表情を浮かべて、言った。

「お前、俺といた時より輝いてる。今のお前、綺麗だよ」
「ありがとう」

ヒヨリが笑顔でそう言えば、ケイゴはまたくるりと前へ向いてジュンサーと共に歩いて行った。

「ヤナップ」
「ナプ?」

ノボリに抱えられているヤナップの頬に手を伸ばしたヒヨリ。

「さっき、あいつにあんなこと言ったけど、私もあなたを傷つけたよね。ごめんね」

お別れした日のこと。
ヒヨリはヤナップの本当の気持ちも知らないまま、ヤナップと別れた。
再会して、ノボリに言われたことでずっと後悔していたのだ。
自分が一方的にさようならと言った事に。

それを察したのか、ヤナップは首を横に振った。

「ヤナ、ナナップ!」
「違うって言ってるの?」
「ヤナァ!ヤナナ、ナッププ。ヤナナナナップップヤナナップ!」

訳:そうだよ!ヒヨリ、僕を傷つけてない。僕のことを想ってしてくれたってわかってる!

「ヤナップ、ありがとう」
「ナァップ!」

ヤナップはそう言うと、ノボリの腕から飛び出し、ヒヨリに抱き着いた。
目を細めて、お互いを見つめあうヒヨリとヤナップ。
その光景を見て、ノボリはフッと笑った。

「わたくしもまだまだで御座いますね」
「何がですか?」

ヤナップに向けていた視線をノボリへと移した。
ヤナップもノボリを見上げる。

「さっき、ヒヨリが押し倒されたとき、わたくしは何もできませんでした。
ヤナップが助けに入らなければ、今頃あなたはどうなっていたことか・・・」
「大丈夫ですよ。あれ以上はさせませんから」
「しかし、相手は男で御座います。ヒヨリがそうおっしゃっても、無理強いに・・・ということも・・・」
「ノボリさんは心配性ですね」
「確かにヒヨリのことになれば、見境がつかなくなるのかもしれませんね」

ノボリがそっとヒヨリの頬に手を伸ばした。

「ヤナァ・・・」

2人の熱い空気に耐えられなかったのか、ヤナップがヒヨリの腕からするりと抜け出た。
そしてクダリの足元へと歩み寄る。
クダリはしゃがみこみ、ヤナップと視線を合わせた。

「あーあ。僕たちがいるのに、あの2人、自分たちの世界に入ってるよ・・・」
「ナップ」

クダリの言葉に相槌を打つヤナップ。

「僕たちは見回りにでも行こうか」
「ナァップ!」

ヤナップが頷けば、クダリは部屋のドアを開けてヤナップを連れて見回りに行くのだった。


―――パタン。


扉が閉まってからようやく辺りを見回し、ヤナップとクダリがいないことに気が付いたヒヨリ。

「あれ?ヤナップとクダリさんがいない」
「気を利かせて下さったのではないですか?」
「そんなことしなくても・・・」

ノボリの言葉に頬を染める。
赤くなった頬にノボリの手が伸びてくる。

「ヒヨリ」
「はい?」
「キス・・・しても、よろしいですか?」


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