私はお風呂に入っていた間でもヤナップがいない寂しさで涙を流した。
昨日から泣き腫らした目で仕事にノボリさんとやってきた。
売店の前ではヨシエさんが開店準備をしていた。

「ヒヨリちゃん、おはよう!どうしたんだい、その目は?」
「おはようございます。この目ですか?昨日ちょっと・・・」

痛い部分つかれたけど、ヨシエさんにはきちんと話さなくちゃ。
そう思って、口を開いた時だった。
ヤナップが一緒にいないことに気づき、ヨシエさんは悟ってくれたようだ。

「もしかして、ヤナップかい?」

私は頷いた。
ヤナップ、の言葉がこんなに辛いなんて。
昨日と同じように、ヤナップが今も一緒にいるんじゃないかって幻覚に襲われる。
今だって、開店準備をしているヤナップの姿が一瞬見えた。
目元がまた、熱くなるのを感じた。
ヨシエさんがそっと私を抱きしめた。

「そうかい・・・辛かったね・・・」
「ヨシエさん・・・」

ヨシエさんの胸元に額を当てる。
よしよし、と撫でてくれるヨシエさんの手が心地よい。

「では、わたくしは自分の仕事に参りますので。ヒヨリ、またあとで」
「あ、いってらっしゃい。ノボリさん」

顔を上げてノボリさんに手を降った。
彼の背中がとても大きく感じた。


I love you


ノボリが行った後でヨシエが目を見開いた後、にやにやしながらヒヨリに言った。

「いま、ノボリさん、ヒヨリちゃんをヒヨリって言ってたね?」
「は、はい・・・」
「ついに付き合うことになったのかい?」
「ち、違いますよ・・・。こ、告白はされましたけど・・・」
「そうかそうか・・・え?ちょっとヒヨリちゃん、ちゃんと返事したのかい!?」

ヒヨリの報告にヨシエは驚いてヒヨリの両肩に手を置いて叫んだ。

「して、ないですよ」
「しなきゃダメじゃないか!」

ヨシエが声を張り上げた。

「できる状況じゃなかったんですよ・・・」
「ノボリさんのことだから待ってくれるんだろう?」
「はい、落ち着いたら言うつもりです・・・」
「しかし私は嬉しいよ」

さっきのにやにやした笑いとは違った笑みをヒヨリに向けた。

「何でです?」
「あんたたち、じれったかったからねぇ」
「え?」

ヨシエの言葉にヒヨリは目を丸くした。


―――じれったいって、そんなに付き合ってるように見えたのかな?


「すみません、これ下さい」
「あ、はー・・・ぃ」

男の声がして、営業スマイルで対応する。
その声が次第に小さくなっていった。
目の前には自分が良く知る人物がいた。

「ヒヨリ!?」
「ケイゴ!?」

忘れていた、目の前の人物の存在を。

「知り合いかい?」
「え、ええ・・・も、元彼です」

たった今、今の今まで忘れていた元彼。
彼と別れてから、本当にいろいろあった。
ノボリに出会って、クダリに出会い、ノボリを好きだと気がついて、
ヨシエのお店で働かせてもらい、ヤナップとの一緒に過ごした日々。
気が付けばヒヨリの心は癒えていた。
失恋には次の恋とはよく言うが、ヒヨリはその通りだと思った。
引きずる気がしたような気もあったが案外あっさりと忘れていた自分に苦笑した。


「お前、こんなところで何してるんだよ!?」
「何って売店で働いてるんだけど・・・」

付き合ってた頃より幾分か冷めた態度が出るのにも驚いた。
ここまで冷静になれたのも、ノボリのおかげだと思った。

「そうか・・・。あ、夕方俺もう一度ここに来るからさ。その時に話があるんだ」
「話・・・?」

ヒヨリの眉がピクン、と動いた。

「あぁ、じゃあまたあとでな」
「え、ちょ・・・!」
「ヒヨリちゃん、どうするんだい!?」
「どうしよう。夕方、ノボリさんが迎えに来るのに・・・」

お金を払って去ってしまった彼に、ヒヨリは血の気を引くのを感じた。


―――今更話って何よ・・・。


―――――――


「ヒヨリ・・・」
「げ・・・」

予告通り、やってきたケイゴにヒヨリは嫌な顔をして固まった。

「げ、とは何だよ。げ、とは」
「いや、別に・・・」

膨れるケイゴにヒヨリは視線を逸らした。

「お前、冷たくなったな」
「え、そう?」
「俺と付き合ってた頃はめちゃくちゃ笑ってたのに・・・」
「それは・・・」

過去の話に言葉が詰まる。
確かにあの頃は目の前の男が好きだった。
フラれて泣くくらいだから、その気持ちは本物だろう。
しかし会えばすぐに身体を繋ごうとする彼の考えで本当に彼を好きなのかと疑う時もあった。
好きなら傍にいてくれればそれだけでいい、と思っていたヒヨリにはショックなことだった。
それ以上踏み込めなくて、本気で拒んでフラれた。
きゅ、と唇を噛みしめた。

「他に好きな男でもできたのか?」
「・・・」

この男の言葉に最早答える気力もない。

「ヒヨリ、お迎えに上がりました」
「ノボリさん!」

安心できる、優しくて甘い声がした。
やってきたノボリにぱぁぁっと表情を明るくさせたヒヨリ。

「ノボリ?」
「ええ、ノボリはわたくしですが、何か御用ですか?」
「あ、いや・・・」

ケイゴをほっといて、ヒヨリはノボリの手首を掴んで引っ張った。

「行こう、ノボリさん!」

ズカズカとケイゴをその場に残し、ヒヨリとノボリは歩いていくのだった。

「良いのですか、ヒヨリ?」

ノボリがヒヨリに耳打ちした時だった。

「待てよ、まだ話は済んでないだろ?」

ヒヨリはノボリと繋いでいない、もう片方の手を掴まれた。
ヒヨリは立ち止まり、ケイゴのほうに振り向いた。

「だから、今更あなたと話すことなんて何も・・・」
「俺はあるんだよ!俺はまだお前が好きだ」
「・・・え?」

飛び出してきた言葉に耳を疑った。

「お前と離れて改めてお前のでかさを知った。だから、俺ともう一度付き合ってくれ!・・・返事は1週間後に聞く。じゃあな」

そう言うと、ケイゴはくるりと後ろを向いて去っていった。
ぽつん、と残されたヒヨリとノボリ。
ノボリはヒヨリの顔を見れば、ヒヨリの顔は真っ青になっていた。

「ヒヨリ?」
「どうしよう・・・」
「今の殿方は・・・?」
「あ、元彼です」

元彼、と言う言葉にノボリは目をぱちくりさせた。

「あれがヒヨリの元彼、ですか。随分とヒヨリに未練がましかったですが」

呆れ口調でそう言えば、ヒヨリの表情が曇った。

「私のこと、あんな理由でフッたくせに・・・」
「ヒヨリをフッた理由、聞かせていただいてもいいですか?」
「笑わないですか?」
「はい」

失恋で泣いてた理由を聞かれたときに言った事を言えば、ノボリは笑って答えた。
ヒヨリはフラれた理由をノボリに話し始めた。
無理矢理ことに運ぼうとして、本気で拒んだらフラれた、と。
ヒヨリはどうしてかそれ以上のことに踏み込めなかったこと。
そして、好きな人にずっと傍にいてほしいことを話した。
話している途中でノボリの表情がだんだん固くなっていくのがわかった。
ヒヨリは不安げにノボリの顔を見た。

「ノボリ、さん?」

名前を呼べば、ふわっと抱きしめられた。

「ヒヨリ。そう言うのは大事になさってください」
「ありがとう・・・」

ノボリの背中に手を回した。
やっぱり、私はこの人が本気で好きなんだ。
笑わずに聞いてくれた。私を受け入れてくれてる。
あいつを好きだった時もこんな気持ちだったらなぁ。

そんなことを思う自分に苦笑しながらヒヨリは心がノボリで満たされていく。

それ以上に踏み込めなかったのって、もしかしたら・・・。
元彼のこと、本気じゃなかったのかもしれない。
そして向こうも本気じゃなかったのかもしれない。
だからなのかも・・・。ううん、そう考えればつじつまが合う。

「ですが、ヒヨリ。あの殿方はもう一度あなたに告白していましたが・・・」
「多分、よりを戻したところで変わらないと思いますから告白は断りますよ」

あんなこと言ってたけど、戻ったって変わらない。

「左様ですか」

ノボリがほっとしたように呟いた。
それを聞いて、ヒヨリはクスリと笑った。

「今、ノボリさんほっとした?」
「し、してはだめですか!?」

顔を赤くするノボリにヒヨリはまたクスクス笑った。

「だめって言ってないじゃないですか」
「わたくしだってあなたをお慕いしている一人に御座いますよ」

ノボリの告白に今度はヒヨリが赤くなる番だった。

「・・・っ」
「あなたを取られたら嫉妬でおかしくなりそうですよ」

ノボリはそう言うと、ヒヨリをまた抱きしめた。

元彼と比べるのはいけないことだけど、これだけは言わせてほしい。
ノボリさんに好きって言われると赤くなったけど、元彼に言われても赤くはならなかった。
あんなに真剣に私に好きって言ってくれるノボリさんに胸が高鳴る。
あいつは獣のような目で私を見ていた。
ノボリさんは優しく包んでくれる。ドキドキする。
ノボリさんが心から好き。きっと、これが本気の恋なんだ。


[Back]

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -