誰も彼もが疲弊し、もはや気力のみで動いている。
それでも互いを、己を叱咤しながら、少しでも戦える隊士たちはすぐそこまで迫った日の出を迎えるため無惨に挑み続けた。

そんな戦いの中、無敵とも思われた無惨にも変化が訪れる。
珠世の作った四つの薬により気付かぬうちに弱体化させられていた無惨は、何度退けようとも立ち上がる鬼殺隊の猛攻を受け歯噛みしていた。

失明させたはずの蛇柱がまるでこちらを視認しているかのような動きを見せていることも、その原因のひとつだ。
小芭内が額につけている不思議な紋様の紙には無惨も見覚えがあり、無限城内で戦っていた頃から伝令役の鴉がそれを首から下げていたことに気づいてはいた。

これまで無惨は、たかが鴉など取るに足りない存在だとみくびっていたのだ。
いつだったか鬼殺隊の鴉を育てている施設を襲撃した配下がいたのは知っていたが、鴉よりも刀鍛冶を殲滅するのが先だったので深くに気に留めなかった。
鴉の養成施設など、十二鬼月を向かわせる程の場所であるとは考えていなかったのだ。

それが今になって鴉がばら撒く紙のせいで苦労させられるなど、当時の無惨は夢にも思っていなかった。
鬼殺隊という組織全てが一丸となってたった一人を倒すために結束することの強さを、この男はようやく思い知ることとなる。

死という名の、無惨が最も恐れ、嫌うものがすぐそこまで訪れていた。


暁に鳴く 参拾壱


「北西の区画はお前たちに任せるね」

五羽の鎹鴉を順番に撫で、ナマエはそれぞれと目を合わせていく。
いずれも今夜無惨に主人を殺された鴉たちだった。

「生きてる隊士を見つけたら近くの隠をその場まで案内して。けど、お前たちは無惨がいる区画には近づかないこと」

鴉たちはみな頷き、ナマエの手に頭を擦りつけてから飛び立っていく。

鬼殺隊と無惨の死闘は市街地の中心部で行われているが、広い通りのあちこちに転がっている隊士の中にはまだ息のあるものもいた。
隠たちだけでは一人一人の生死を確認しながら救護活動をこなすことは難しく、鎹鴉がその一端を担うことで少しでも負担を減らそうというのがナマエの考えだった。

「ナマエ!」
「愈史郎君!」

そこへ愈史郎が駆けてくる。
一等急いでいる様子の彼は、背負っている箱の中から応急処置に必要な道具をナマエに分け与えた。

「俺は日の出の後は堂々と活動できない。だからお前にも薬を分けておく」

愈史郎はそう言って東の空を見上げる。
遥か遠くでは、濡羽色が群青色に変わり始めていた。

「お前への借りは全部綺麗さっぱり返したからな」

薬や包帯を隊服のポケットにしまい、ナマエは愈史郎の言葉に笑みを返す。
共に戦った時間は決して長くは無いが、それでもこの鬼の少年は本当に鬼殺隊にとって無くてはならない存在だったとナマエは考えた。
嫌っているはずの人間にこれほど協力してくれた彼と、彼にそのことを申し伝えたのであろう珠世への感謝は尽きない。

「ありがとう、愈史郎君」

愈史郎はナマエの礼には答えず、徐々に明るさを増していく東の空を複雑な面持ちで見やってから走り出す。
陽光は無惨を焼き尽くすための唯一の手段だが、自身も表立って活動することが出来なくなることは歯痒かった。

そんな愈史郎が建物の影に消えるのを見送り、ナマエは行き場を無くし自分の元に舞い降りてくる鴉たちを呼び寄せる。
誰も彼もが主人を亡くしたりはぐれたりして、どうしたら良いのか分からず混乱していた。

「きっと無惨を倒せるからね。私たちは夜明けが来るまで、みんなで怪我人を探そう」

一羽ずつゆっくりと抱きしめてやることは出来ないけれど、撫でて落ち着かせてやることは出来る。
ナマエ自身も逸る気持ちをなんとか抑えるため、鴉たちの身体を一度ずつ撫でてやった。

「あなたたちは南西へ。よろしく頼むよ」
「ナマエ!日ノ出ダ!」

そこへ三統彦が飛んでくる。
彼は声を張り上げ、ナマエだけではなく辺り一面に陽光の到来を告げていた。

「あと少し……!」

広げた黒い翼に白い光を受ける三統彦はまるで神話に謳われた神の使いのようだと、ナマエは彼が止まるために腕を差し出しながら義勇に話したことを思い出していた。


「日ノ出ーッ!夜明ケダー!!」
「太陽ガ昇ッテクル!朝ダ!朝ガ来ルゾ!」

市街地中の鎹鴉たちも一斉に鳴き始める。
鴉から鴉へと伝えられていく夜明けの知らせは、瞬く間に隊士たちに希望を与えていった。

それは義勇にとっても同様だ。
彼は無惨と戦い続ける炭治郎に加勢するため剣を取り、何度攻撃を受けても食い下がった。
そこへもたらされた鴉たちの鳴き声。
義勇の脳裏にはナマエの声が蘇る。

『鴉は古来より神の使いと言い伝えられています。だから、そんな彼らが夜明けを知らせる声には特別な力があると思うんです』

明るい光が徐々に東の山間の淵を彩り、空に広がっていく。
それに伴って、方々から響く鎹鴉の鳴き声は一層数を増してきた。

『長い夜の終わり……暁を告げる希望の声』

彼女は、この突き抜けるような声音をそう表現したはずだ。

「お前の言う通りだったな、ナマエ」

義勇は慣れない左手で刀を握り締め、異形の者に形態を変えつつ未だ猛威を振るう無惨の元へと向かう。
力を振り絞り戦い続ける、大切な弟弟子を助けるために。


夜明けに奮い立つ鬼殺隊とは反対に無惨は空を照らす暁の光に驚愕し、なんと逃亡を図りはじめる。
炭治郎や生き残った柱たちが決死の思いで逃さぬよう攻撃を繰り返していると、やがて命の危機を悟った無惨は身体を膨れ上がらせ肉の鎧を纏った。

そして炭治郎を飲み込んで尚止まらない無惨をこの場に引き止めるため、既に疲労と失血のため動けない柱たちに変わって立ち上がったのは隠や他の隊士たちだ。

「行けーっ!無惨を逃すな!」

本部にて輝利哉が叫ぶ指令は彼の姉妹の速記と鴉たちによって迅速に隊士や隠たちに届けられる。
次々と飛ばされる指令を順々に読み上げる鴉たちの合間を縫って、隠たちが必至に無惨へと押し当てる路面電車の車両の上に飛び乗ったのはナマエだった。
救護活動をしながらも、皆が無惨に立ち向かっていることに気付き駆けつけたのだ。

「風の呼吸、漆ノ型……勁風・天狗風!」

ナマエは車両にめり込む無惨の身体目掛けて跳び上がり、空中で身体を捻りながら日輪刀で虚空を薙ぐ。
巻き起こる旋風が無惨の膨れ上がった肉に刻み込まれ、逃亡以外の自我をほとんど失った鬼の元締めが呻き声を上げた。

「押せ押せーっ!」

無惨が僅かに怯んだ隙に、車両を押していた隠たちが一気に巻き返しを図る。
そこへナマエが放った一撃を更に上回る暴風が吹き荒れ、隠たちを叩き潰そうとする無惨を切り刻んだ。

「玖ノ型、韋駄天台風!」
「風柱様!」

技を繰り出したのは宙を舞う不死川実弥だった。
見上げたナマエと目が合い、血だらけの実弥はそれでもニヤリと笑ってみせる。

「さっきの風、悪く無かったぜェ」

しかし満身創痍の実弥は大技の衝撃でろくに受け身も取らないまま地面に衝突し、血反吐を吐きながら上体を起こした。

「風柱様っ、……きゃあっ!?」

ナマエが実弥に気を取られた瞬間、立っていた車両に無惨がのしかかってきたことにより足元が大きく揺らぐ。
その場に留まることができず車両の上から投げ出されたナマエも、実弥と同様地面に叩きつけられた。
背中に走る強烈な痛みに顔を歪めつつ、ナマエはなんとか手をついて身体を起こす。
見上げれば、まるで生まれたばかりの赤子のような顔をした肉の塊には悲鳴嶼行冥の鎖が食い込んでいた。

「地面に潜ろうとしてる!」
「攻撃して無惨の体力を削れーっ!」

ギリギリと鎖が食い込む音と共に無惨の皮膚が陽光に焼かれる音も聞こえてくる。
しかし分厚い肉の鎧に守られた無惨本体は、ここまできてもまだ生に執着し地面の中へと逃げ込もうと足掻いていた。

「攻撃しなきゃ……!」

日輪刀を手に、ナマエは重い身体に鞭打って立ち上がる。
見ればナマエ以上にボロボロの実弥も同じようにゆらりと立ち上がるところだった。

「風の呼吸……」

骨が折れているのか、深く息を吸い込むと身体が軋む。
しかしナマエはぐっと奥歯を噛み締めると、悍ましい悲鳴を上げながら土に身体を埋めようとする無惨に向け地面を蹴った。

「参ノ型っ、晴嵐風樹!」

振り抜いた日輪刀から巻き起こる旋風。
技の反動で身体中の骨と筋肉が痛みに悲鳴をあげ、自らの起こした風圧にすら耐えられないナマエはその場に膝をつく。
それでも無惨の姿を見失うまいと目を凝らすと、舞い上がった土埃の向こうから無惨の元へ斬りかかる義勇が視界に飛び込んできた。

「水の呼吸拾ノ型、生生流転!」

その太刀筋には神話に語られる四神の一柱、水龍を思わせる程の水流が絡みつく。
それでも利き腕ではない左手一本では斬撃が浅く、義勇は無惨に思ったほどの傷を負わせることが出来ず苛立ちを隠せなかった。

彼は無惨の横を駆け抜け、その先で膝をつき息を整えているナマエを見つける。
彼女の元に駆け寄ると、背後で実弥が無惨に畳み掛けている声が聞こえてきた。

「ナマエ、大丈夫か!」
「すみません、役に立たなくて……」
「そんなことはない!立てるか?」

刀を持ったまま義勇が左腕を差し出すが、ナマエは自身の日輪刀を地面に突き立てそれを頼りに立ち上がる。
傷だらけの義勇にこれ以上負担はかけられなかった。

「もう一度、攻撃を……」

次に小芭内が無惨に斬りかかっているのが見え、ナマエは義勇の隣に並ぶと刀を地面から抜き取る。
しかし彼女が刀を構えるより先に、空から舞い降りてきた一羽の鴉が決して太いとは言えない声音で告げた。

「義勇、禰󠄀豆子ジャ……!」
「寛三郎!?」

足元に降り立った寛三郎にぎゆうが驚きの声をあげる。
ナマエも、危険な戦場に寛三郎が入ってきてしまったことを危惧すると共に老いた鴉の言葉に耳を疑った。

「禰󠄀豆子ガ向カッテキテオル」
「本当なのか?禰󠄀豆子はお館様のところに居るはずでは」
「禰󠄀豆子ジャ!オマエサンノ轡ハシテナカッタガノゥ」
「禰󠄀豆子さんは人間に戻る薬を飲んでるはずです」

寛三郎の言葉に思い当たる節があり、ナマエは口を挟む。
本部から鎹鴉に伝えられた情報の中には、竈門禰󠄀豆子に鬼を人間に戻す薬を飲ませ、無惨が陽の光を克服した鬼を手に入れることが出来ないよう手を打ったというものがあったのだ。

「ああっ!鎖が!」

背後から上がる声は隠たちのもので、見れば巨大な赤ん坊が岩柱の鎖を遂に引きちぎっている。
陽光が焼き尽くすのが先か、無惨が逃げてしまうのが先かという逼迫した状況となっていた。

「ナマエ、禰󠄀豆子を迎えに行ってやってくれないか」

無惨から視線を逸らさず義勇が言った。

「炭治郎が待っている」

肉の鎧に取り込まれてしまった炭治郎も、きっと無惨が焼け落ちてしまえば中から出てくるはずだ。
その時彼がまず初めに会いたいのは妹の禰󠄀豆子に違いない。
義勇の頼みは、そう考えてのことだった。

「分かりました。禰󠄀豆子さんは必ずここへ」

そんな彼の心中は痛いほどに伝わってきていた。
ナマエは頷き、日輪刀を鞘にしまう。

「頼んだ」
「頼まれました」

隣に並んだまま二人はそう言葉を交わし合う。
すぐにナマエは寛三郎を抱き上げた。

「寛三郎、案内をお願い!」
「承知シタ」

市街地の鴉たちは三統彦が上手く率いてくれるはずだ。
そう信じて、ナマエは日が昇る方へと走り出した。
禰󠄀豆子が逃げ出したという鬼殺隊本部がそちらの方面にあるからだ。

「ワシハ周リノ確認ヲ頼マレテイタカラ、ココカラ五里程東マデ飛ンデオッタ」

ナマエの腕の中で、寛三郎が状況を説明し始める。
道に迷って無惨の前へと出てしまわないように、離れた場所を探るようあえて義勇が寛三郎に申し伝えていたのだ。
まさかそれが功を制するなど、誰が思っただろうか。

「高ク飛ンデオッタラノゥ、遠クニ禰󠄀豆子が見エタンジャ」
「禰󠄀豆子さんはどんな様子だった?」
「コチラヘ向ケテ走ッテオッタ」
「じゃあこの道を行けば会えるかな?」

寛三郎の証言故にどうしても見間違いや思い違いではないのかという疑問が浮かんでしまうナマエ。
だが対する寛三郎は普段以上に自信満々で、確信を持っていた。

「禰󠄀豆子ハ義勇ガ大切ニ思ッテイル一人ジャ。ワシガ見間違ウワケガナイ」

安心しろ、と言いたげにナマエの腕に頭を撫でつける寛三郎。
ナマエは必死に街道を駆けながら、不思議と寛三郎の言うことを全面的に信じようと心から思えていた。

その時、ナマエが走ってきた方面から歓声が沸き起こる。
見上げれば太陽ははっきりとその全貌を現し、白んだ空からはもう夜の闇の気配は消え去っていた。

「朝が来たよ、寛三郎……!」

ナマエの元までも聞こえてくる歓喜の声は鬼殺隊士や隠たちのものに違いない。
ナマエは寛三郎の身体を抱きしめ、込み上げてくる涙を拭うことなく走り続けた。

 
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