道すがら負傷者の救護活動を手伝いながら、ナマエは村田が示した方角へと向かう。
産屋敷家の先見の明はここでも遺憾無く発揮されているらしく、輝利哉の采配により既に大勢の隠たちが派遣されてきていた。

どうやら市街地の大通りで大規模な戦闘が行われているらしく、ナマエが開けた場所の手前まで来ると建物の影から様子を伺っている隠たちの姿が見えた。
彼女の駆けつける音を聞いた数人が振り向いたが、その中には見知った顔もある。
一人は、煉獄家の中庭で出会った新人の隠だった。

「あなたは……ミョウジさん!」

あの時は黒づくめのせいで驚かれてしまったけれど義勇が庇ってくれたのだと、ナマエは胸の奥に今でも大切にしまってある思い出を噛み締める。
あれから随分遠いところに来てしまったような錯覚に陥りつつも、すぐに現実に頭を切り替え隠たちに声をかけた。

「状況は?」
「さっきまで柱の方々が無惨と戦っていたはずなんですが!」

隠たちは誰もが酷く狼狽している。
百戦錬磨の柱たちが一瞬にして無惨の攻撃により散り散りになってしまったのだから当然だろう。

「無惨はどこなの!?」
「あそこです!」

別の隠が示した先では、無惨が何も無い空間に攻撃を繰り出している。
しかし、ナマエにはまるでそこに「誰か」がいるかのように見える。
だがその理由を探るより先にすべきことがあった。
無惨の気がその「何か」に向いているなら、散り散りとなった柱たちを探し出す好機は今しかない。

「あっ、ミョウジさん駄目だっ!さっきものすごい衝撃があってあちこち崩れかけてる!」

ナマエは隠たちの抑制を振り切って瓦礫が崩れた一角へと駆け出した。

至る所に事切れた隊士の亡骸や折れた日輪刀が転がっており、ナマエは怒りに震える拳を強く握りしめる。
全ての遺体が五体満足という訳でもなく、目を背けたくなるような惨状が広がっていた。
誰もが命を賭けて戦いつつも明日を待ち望んでいたはずだ。
遺体の中には見知った顔もあり、ナマエは込み上げてくる嗚咽を押し殺しながら辺りを見回した。

すると、激しい衝撃のせいか崩れかけた壁の中に埋もれた特徴的な柄の羽織が見える。
それはまさしく、彼女が探し求めた人物の物に他ならなかった。


暁に鳴く 参拾


「義勇さん……!」

砕けた煉瓦の下敷きになっている片身替わりの羽織に駆け寄るナマエ。
しかし彼女は義勇の身体から流れ出る血溜まりの中に光る刀を見つけ、更にはそれを握りしめる腕の存在に気がつき足を止めた。
その腕は、本来あるべきはずの彼の肩に繋がっていなかったのだ。

だが足音に気が付いたのか僅かに義勇が身じろぎしたので、我に返ったナマエは自身が血濡れになるのにも構わず彼の前で膝を折った。

「今助けますから!」

ナマエは彼の背中から煉瓦を退けて身体を仰向けにする。
しかし義勇の顔は失血により青ざめており、いまだ瞼が開かれることはない。
腕から流れ出る血の多さからして、彼が今危険な状態にあることは明らかだった。

「義勇さん!義勇さんしっかり!」

ナマエは懸命に彼の名を呼び続けながら、黒い羽織を脱ぐと出血が止まらない彼の右上腕を縛る。
何か鋭利な物で切断されたらしいその先は、すぐそこの血溜まりの中でいまだに刀を握り締めていた。

「義勇さん……お願い……目を開けてください……っ」

切れた腕を羽織で固く結び、ナマエは壊れた蓄音機のように叫び続ける。
義勇の首元に触れれば拍は感じられるものの、その脈動はかなり微弱になっていた。
するとそこに、鴉のはばたきと共に慌ただしい足音が聞こえてくる。

「ナマエ!愈史郎連レテキタゾ!」
「全く、人使いの荒い!」

悪態をつきながら駆け込んできた愈史郎は、義勇の腕を見て一瞬悲痛に顔を歪めるもすぐさま手当てに取り掛かる。

「愈史郎君、三統彦っ!どうしよう義勇さんが……」
「ああうるさい!借りは返してやるから!」

愈史郎は義勇に薬品の入った注射を打ちながらナマエを叱咤した。
三統彦はナマエの傍に降り立ち、無言のまま彼女に寄り添う。

「起きろ水柱!このままだとお前の恋人が煩くて仕方ない!」
「……ナマエ……?」

薬が効いてきたのか、義勇がうわごとのようにナマエの名を呟く。
ナマエも愈史郎もはたと動きを止め見守っていると、彼の睫毛が揺れて閉ざされていた瞼がゆっくりと持ち上げられた。

「義勇さんっ!」

濃紺の瞳がぼんやりとナマエを捉え、義勇は残った左手をよろよろと持ち上げる。

「ナマエ……良かった……」

その指先は覗き込んでくるナマエの頬に触れ、止めどなく流れ落ちてくる涙の筋をなぞる。

「泣いてるのか……?」
「だって……義勇さん、腕が……」

泣きじゃくりながらも、ナマエは彼の背中を抱き起す。
義勇は自分の身体から続く血の池の中に自分のものだったはずの右腕を見つけ、無言でかぶりを振った。
彼はナマエの肩に左手を置き、よろよろと立ち上がる。

「まだ座っててください!」
「炭治郎は?」

ナマエの抑止に構わず辺りを見回す義勇。
ナマエの隣で呆れたように溜め息をついた愈史郎が答えた。

「無惨と戦ってる。他の柱は手当て中だ」
「無事だったんだな」
「なんとかな。お前も同じだ」
「そうか」

義勇は血溜まりに足を踏み入れると、冷たくなった自分の一部から日輪刀を拾い上げる。
それは彼を庇って命を散らした、同じ水の呼吸を使っていた隊士のものだ。
長年彼を支えてきた愛刀は、無惨の攻撃により既に折れてしまっていた。

「行くのか?」
「……最後まで、水柱として戦う」

愈史郎の問いに、義勇が凛とした声音で答える。
頬の痣は、無限城にいた時よりも色濃く現れているようだった。

義勇は愈史郎の手当てにより右腕の出血が止まっていることを確認し、そこに巻かれていた黒い羽織を解いた。

「ありがとう、ナマエ」

ナマエに手渡された羽織は義勇の血を吸い込んで重くなっている。

「すまない。汚れてしまった」

言葉に詰まったナマエは首を横に振り、受け取った羽織に袖を通した。
ナマエ自身も辺り一面も土埃や血の匂いが充満しているので、もはや気になるようなことは何も無い。

「お前が死んだらこの女はもっと泣くぞ」

ぶっきらぼうに吐き捨てる愈史郎に対して、義勇は困ったように微笑んだ。

「いいか、死ぬなよ義勇!」

遠くから隠が呼ぶので、それだけ言い残すと愈史郎は他の怪我人を診る為にその場を後にする。
義勇は向かい合ったナマエを見つめ、彼女の目尻を亀甲柄の袖で拭った。

「お前も鎹鴉たちを使って怪我人を見つけてやってくれ」
「私も無惨のところに……」
「ナマエに出来ることと俺に出来ることは違う」
「けど、私だって戦えます!」
「俺には鴉たちの統率はできない」

義勇の言うことは尤もだ。
この戦いでは鎹鴉たちからの情報が勝敗を左右すると言っても過言では無い。
中には無惨に殺された鴉もいるため、これ以上攻撃を受けてもしも彼らが混乱に陥ってしまえばあっという間に戦況は不利なものとなるだろう。
ナマエが顔を見せ叱咤してやることが、鎹鴉たちにとってどれだけ心強いことかと義勇は言いたかったのだ。

「義勇、ナマエ!日ノ出マデアト三十二分ダ!」

本部からの伝達を受けた三統彦が叫ぶ。
思わずまだ暗い東の空を見上げたナマエの身体が、不意に右半分だけ包み込まれた。
ナマエの目の前で、柱の隊服にのみ付けることが許された金色の釦が光る。

「ナマエ」

水紋ひとつない、凪いだ水面のように落ち着いた声色で義勇が告げた。
ナマエの背中に回された彼の左腕に力が込められる。

「……愛している」

驚いて見上げた彼女の唇に、義勇がそっと自分のものを重ねる。
触れるだけの軽い口付けは、涙と血の味がした。

見つめ合った義勇の眼差しから向けられる慈しみの感情に、ナマエは胸の奥が苦しくなる。

「絶対生きて、帰りましょうね……」

溢れる涙を拭うこともせず、ナマエは懇願するように声を絞り出す。
しかし義勇はもう一度だけ左腕に力を込めてから、「行ってくる」と言い残してナマエに背を向けた。

残されたナマエは、足元で心配そうに見上げてくる三統彦を見下ろす。
安心させようと笑顔を浮かべたいと思うのに、次々と溢れてくる大粒の涙を止める術が分からなかった。

「……嘘、つけない人なんだから……」

義勇の血を吸った羽織の裾は重く、まるでナマエ自身の気持ちを表しているようで。
それでもナマエは歩き出す。
成すべきことがある以上、ただ泣いてばかりではいられなかった。

鴉たちが残り時間を告げ飛び回る。
夜明けまで、残すところあと三十分を切っていた。

 
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