「ナマエ!ナマエハイルカ!」 ミョウジナマエが昼餉を取り終わった頃だった。 一羽の鎹鴉が窓辺に降り立ち、けたたましく鳴いている。 ナマエが慌てて窓を開けると、そこにはまだ決まった隊士に付いていない鎹鴉が居た。 「爺サン連レテキタ!」 なんとその隣には、年老いた鴉がちょこんと立っているではないか。 「寛三郎!一体どうしたの?」 柱は総じて忙しい立場にある。 水柱の冨岡義勇もその例に漏れない筈なのに、何故寛三郎が彼の元を離れてここにいるのか分からずナマエは頭を捻った。 しかし、対する寛三郎は落ち着いた様子だ。 「ドウヤラ迷ッテシマッタヨウジャノ」 「ソレダケジャナクテ、爺サンハ鳶ニ襲ワレテタンダヨ!」 「襲われた!?」 すかさず隣の鴉が訂正する。ただ迷ったのと他の鳥に襲われたのでは大違いだ。 ナマエは寛三郎を抱き上げて身体中を確認した。 「怪我はしてなさそうで良かった。でもどうしてこんな事に?」 ナマエは寛三郎を部屋の中に入れ、連れてきてくれた鴉にはお礼ともう戻って良い旨を告げる。 疲れ果てた様子の若い鴉は仲間たちの待つ宿舎に戻っていき、残った寛三郎は一つ一つ思い出しながらゆっくりと話し始めた。 「義勇カラ預カッタ文ヲナ、オ館様ニ届ケタノジャ」 「うんうん」 「帰ロウトシタラナ」 「うんうん」 「鳶ニ襲ワレテシマッテノゥ」 「随分唐突だね……?」 ナマエは首を傾げる。 鬼殺隊本部の周りは木々が鬱蒼と覆い茂る林になっているから、鳶が住んでいてもおかしくはない。 しかしこれまでに鎹鴉が襲われた事など聞いた試しが無かった。 「迷ったって言ってたけど、本部から水柱様の所に帰ろうとしてたの?」 「ソウジャ。義勇ガ待ッテオルカラノゥ」 寛三郎はそう言いながらバサバサと翼をはためかせる。 確かに義勇は使いにやってしばらく帰ってこない寛三郎を心配しているだろう。 「シカシ道ヲ間違エテナ。コノ林ノ入口ニ着イタラ鳶ニ襲ワレタンジャヨ」 「なるほど。ここまで迷い込んできちゃったのね……」 産屋敷邸からこの林は少し離れている。 この辺りは鬼殺隊本部と比べると人の出入りも少なく警戒もされていない地区なので、野生動物にとって格好の住まいとなっているのだ。 恐らく寛三郎は鳶の縄張りに迷い込んでしまったのだろう。 そこまで考えて、ナマエはようやくこの事態の原因が分かった気がした。 ナマエは三統彦を呼ぶと寛三郎を水柱の屋敷まで送っていくよう申しつける。 すると三統彦は、珍しくナマエからの命令に対して渋い顔をした。 「ハグレテモ知ラナイゾ」 「そこを何とか、三統彦」 「ナマエガ連レテ行ケバ良イダロウ」 「私が?」 目を丸くしたナマエに向けて、自分では寛三郎を引っ張っては行けないからと三統彦が付け加えた。 確かに先程寛三郎を連れてきた鴉も大分疲れた様子だったので、三統彦の勘は正しいのだろう。 それに流石の三統彦もまだ寛三郎に腹を立てているかもしれない鳶に襲われたら、年老いた鴉を守りながら逃げるのは難しいかもしれないとナマエは考えた。 「分かった。じゃあ私も一緒に行くよ、寛三郎」 「スマンノゥ」 「良いんだよ寛三郎。私はみんなの事をお館様から任されてるからね」 そんなに謝らなくても良いのにとナマエは恐縮したままの寛三郎を撫でる。 産屋敷家から鎹鴉の訓練士を任された日から、ナマエにとって鴉たちは家族も同然の存在だった。 ナマエは鴉たちに出かけることを伝えると、寛三郎を肩に乗せて出発した。 三統彦は辺りを警戒しながらナマエの少し先を飛んでいる。 しかし幸いなことに水柱邸に辿り着くまで鳶どころか他の動物に出会う事はなかった。 人間の気配があったからかもしれない。 暁に鳴く 参 「ごめんください、ミョウジナマエです!」 「ミョウジ……?」 玄関の戸から顔を覗かせたのは、訝しげな表情の義勇だった。 文を持たせたのは良いもののなかなか戻ってこない寛三郎をそろそろ探しに行こうとしていた矢先である。 「寛三郎、お前」 義勇はナマエの肩に止まった寛三郎を見つけて目を見開いた。 「突然お邪魔してすみません。寛三郎、帰りに迷ってしまったみたいで」 「いや、助かった。寛三郎も……無事で良かった」 寛三郎は義勇の肩に飛び移る。 ナマエの肩には代わりに三統彦が舞い降りた。 黒い羽根が一枚散って、安堵の表情に変わった義勇とナマエの間に舞い落ちる。 「苦労をかけたな」 「いえいえ! 先に連絡を寄越せばよかったですね……うっかりしてました」 「まだ日没まで時間もあるから大丈夫だ。今のところ任務も入っていない」 義勇がそう言って、態々赴いてくれたナマエに茶でも出すべきか考えた瞬間だった。 寛三郎が義勇の顔を見上げて片方の翼を上げた。 「伝令ジャ」 「……今入った」 「ナマエニモ伝令ダ」 「私も同じです」 義勇に苦笑を返したナマエは、三統彦の言葉を待つ。 担当範囲の広い柱と違ってナマエの管轄はそこまで広くない。 となれば今回鬼が出るのは然程遠くない場所だろうと二人は予想した。 「南西ノ雑木林ニ複数ノ鬼ノ出没情報有リ! 昨夜派遣シタ隊士三名ガ行方不明!水柱ト共ニ赴クベシ!」 三統彦は朗々とした声でそう告げると、寛三郎に向けてソウダロ?と語りかける。 寛三郎もウンウンと頷き、三統彦が言った通りだと肯定した。 「シテ、行キ先ハ北東ジャッタカナ?」 「南西ッテ言ッタダロ!」 三統彦は思わずナマエの肩からずり落ちかけ、慌てて飛び立った。 「……頼もしい限りだ」 義勇が真面目な顔で言うものだから、そのやり取りを見守っていたナマエは小さく噴き出したのだった。 「南西の雑木林って、隣町を出てすぐだよね? 一度帰ってる時間は無いからどこかで時間潰そうか、三統彦」 なんとか笑いを噛み殺したナマエは頭上で羽ばたいている三統彦を見上げる。 東の空は橙色に染まり始めているが、鬼が出る程の暗さになるのは後一時間ほど先だ。 「あの辺りにお茶屋さんはあったっけ? 任務の前だからあんまり沢山食べたくないし……」 「茶なら」 突如義勇が口を開いたので、ナマエは上空から彼に視線を移す。 「飲んで行けば良い」 「え?良いんですか?」 予想外の申し出にナマエはパチパチと瞬きした。 目上の義勇に茶を淹れさせても良いものか、しかしこの家の主を差し置いて自分が淹れるのも失礼ではないかと悩むナマエ。 すると義勇の肩に止まっていた寛三郎が言った。 「ユックリシテ行クト良イ。ナマエ、三統彦」 まるで家主の様に言ってみせた寛三郎を義勇が優しく撫でたものだから、この申し出を無下にする事はできないとナマエは三統彦と頷き合うのだった。 ナマエが先日訪れた時にも思ったことだったが、義勇の家は広い割に物が少ない。 ともすれば殺風景とすら形容できるほど家具も小物も必要最低限しか揃えられていない様だ。 だからと言って客人が居心地悪くなる場所ではなく、口数が少なく真面目な義勇の性格を表している様だとナマエには思えたのだった。 「貰い物の団子がある」 「いやいやお気遣いなく!」 「俺一人じゃ食べ切れない」 そう言って義勇が湯呑みと共にちゃぶ台に並べたのは、餡子が乗った素朴な串団子だ。 辺りには玄米茶の芳ばしい香りが漂っている。 「鬼から助けた人が団子屋だったんだ。こんなに要らないと言っても引かなくて……」 団子は皿の上に山積みになっていた。 確かにひとり暮らしの義勇には、この団子が乾燥してしまう前に食べ切るのは辛いだろう。 食べ物を粗末にするなど言語道断なので、ナマエは有り難く団子を頂くことにした。 しかし義勇が団子屋に断れず大量の団子を持たされている場面を想像するとつい笑いそうになってしまう。 水柱はぶっきらぼうに見えて案外人が良いのだろうと思い、ナマエは甘い団子を頬張りながら顔を綻ばせた。 そんなナマエの姿を見ていた義勇は、完全に彼女が串団子によって緩んだ表情を浮かべているのだと捉えたらしい。 「甘い物が好きなのか?」 「え? そうですね、有れば食べちゃいます」 「そうか。なら良かった」 何度か断ったものの遠慮していると勘違いされ、結局は持ち帰ることになった大量の団子。 付き合いの薄い近所に配るかどうしようか悩んでいたところだったのでナマエの登場に実は内心助かっていた義勇である。 しかもナマエがこれだけ喜んでくれたのなら串団子も本望であろうと彼は考えた。 何かと寛三郎の事では助けられているし、先日は食事まで用意してもらったのだからせめてもの礼としてナマエには是非遠慮せず好きなだけ団子を食べてもらいたい。 義勇がそれを口にする事はなかったが、代わりに中身の減ったナマエの湯呑みに茶を継ぎ足す。 たんと食べてくれ。まだあるぞ、なんなら茶も淹れなおすから──と念じながら。 「あの、これから任務なのでこのくらいで……」 五本目の串を皿に置いたナマエが、急須を持ち上げた義勇に向けて申し訳なさそうに眉を下げる。 義勇もハッと我に返って、注ぐ先を失った急須を手元に置いた。 「すまない……」 「いえ、私の方こそもっと食べられなくてすみません」 「ミョウジが鬼を倒す時に、胃から団子が出てきたら困る」 「そ、それは確かに」 ナマエはこの時、もしや冨岡義勇という男は『天然呆け』なのではないかと気がついた。 しかし一般の隊士からすれば本来雲の上の存在とも言える柱に対して、そんな失礼なことを考えたらいけないと慌てて首を横に振る。 「とても美味しかったです。お腹に余裕があったらもっと食べたかったのに」 湯呑みに残った玄米茶を飲み干した後も、新しく注がれない様に手の中で握り締めるナマエである。 ナマエが任務に支障が出ない瀬戸際の量が串団子五本分であった。 しかしこれ以上はっきりと、お茶のおかわりももう要りませんと言うことは出来ない。 義勇があまりに申し訳なさそうな残念そうな顔をしているように見えて、ナマエの良心が傷んだからだった。 しかしナマエの予想に反して、義勇は彼女の言葉を聞くと満足した様子に変わる。 とにかくナマエが串団子を喜んでくれたことか分かったからであった。 「残りこれくらいなら俺でも食べ切れるから助かった」 すると義勇の傍に飛んできた寛三郎が、団子の残った皿を見て目を輝かせる。 「ワシモ貰ッテ良イカノ?」 「やめておけ……うっ」 やんわりと嗜めるつもりだった義勇だったが、寛三郎があまりにもその曇りなき眼をキラキラと光らせているものだから言葉に詰まっててしまう。 いくら鴉が雑食性で、かつ鎹鴉として様々な訓練を受けているとは言え寛三郎はもう若くない。 人間の年寄りと同じで喉に詰まらせてしまう可能性を考えれば、なるべく阻止するべきだろう。 義勇は助けを求めてナマエを見る。 ナマエも困ったものの、しかし寛三郎の為を思って彼の前から団子の皿を離した。 「寛三郎、これは水柱様が帰ってからのお楽しみにしてるみたいだから取っておいてあげてね」 「ムム、ソウジャッタカ義勇」 義勇は驚いて言葉を失う。 てっきりナマエは訓練士としての観点から、団子は鴉にとって良くない食べ物だといった様な理由を述べると思っていたからだ。 これではまるで自分が食い意地を張っているようではないか。 残りはまだ何本もあるのに、寛三郎に一本もやらないなんてそんなにけちな男だとは思われたくなかった。 しかし寛三郎は意外にもあっさりと納得し、あろうことか義勇の膝に飛び移ると顔を見上げてくる。 「沢山食ベルト良イゾ。ナマエモ美味イト言ッテイタカラノゥ!」 「……ああ、そうする。ありがとう寛三郎」 義勇はせっかく片付きそうな話を蒸し返すわけにもいかず、渋々串団子を愛おしそうに見つめる演技をしてみた。 どうやら効果は抜群らしく、寛三郎はもう団子を食べたいとは言わなくなった。 しかしその代わりに、なんなら今食べてもいいぞなどと言いながら義勇を眺めている。 寛三郎が義勇に向ける眼差しはまるで孫を見つめるお爺さんそのものだと、その時ナマエと三統彦は同じことを考えていたのだった。 「ミョウジ」 「はい、なんでしょうか?」 義勇は自分達の様子をやけに温かい目で見守っているナマエに恨みがましい目を向ける。 「……何でもない」 しかし仮にも寛三郎が団子を喉に詰まらせる事態は免れたので、覚えていろよとは言えない義勇であった。 「水柱様」 そろそろ出発という時になって、ナマエは義勇の横に並ぶと小さく呼びかける。 義勇は何かと思って少し屈み、ナマエの声が聞こえる様に耳を傾けた。 「もし寛三郎が任務に深刻な支障をきたすようになってしまったら……その時は、迷わずに教えてください」 義勇は押し黙る。それは、これまでに決して考えなかった事ではない。 しかし深く考えたくなかった事柄でもあった。 「歳を取った鎹鴉達には、穏やかな余生を過ごさせてあげる準備が出来ています。 勿論水柱様がまだ寛三郎に任せられると思っている間には無理強いしませんので」 ナマエはそう言うと義勇から一歩離れ、もう内緒話は終わりだと示す。 義勇は少しの間考え込んでから、上空で三統彦と共に今夜の任務について再確認している己の鴉を見上げた。 「……あいつが望む限りは、一緒にいようと思う」 ナマエはそんな義勇の横顔に向けて柔らかく笑いかける。 「鎹鴉を大切にしてくださって、本当にありがとうございます」 義勇は鴉達を見上げたまま呟いた。 「寛三郎は、家族みたいなものだ」 するとナマエも同じように顔を上げて、違うそうじゃないと寛三郎に任務の内容を教えてやっている三統彦を見る。 「私にとっても鎹鴉達は家族同然です。あの子達が居なかったら、一人ぼっちだったかもしれません」 「お前も家族を……?」 義勇がナマエに目を向けると、ナマエは上を向いたまま頷いた。 「それじゃあ私達は、親戚みたいなものですね」 ちょうどその時、一通りの指南が終わったらしく下降してきた三統彦がナマエの腕に止まる。 ナマエは腕を持ち上げると三統彦の翼に頬ずりした。 三統彦の方も満更ではない様子で、まるで機嫌の良い猫がする様に喉を鳴らしている。 同じように自分の腕に止まった寛三郎を見つめて、義勇は小さく頷いたのだった。 [back] ×
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