「なるほど、それで鴉たちにその紙を」

仲間がいないか辺りを探しながら、ナマエと愈史郎は道中で互いの持つ情報を交換しあっていた。

愈史郎曰く先代当主であった産屋敷耀哉からの提案で、彼の能力である視覚操作の血鬼術を使った情報共有をすることになったらしい。
そのためには愈史郎の作り出す術式の描かれた紙とともに、鎹鴉たちのとある能力が欠かせられないという。

「もしかしてお館様はこのことを見越して速記を……?」

鎹鴉たちに速記の文字を教えるようナマエが言いつけられたのは、今から一年ほど前の話である。
必ず役に立つからというのは耀哉の言であったが、まさにその通りになったのだからナマエは驚きを隠せなかった。
産屋敷家当主には代々先見の明があるとされているが、耀哉のそれはその中でもずば抜けていたのだ。

「俺の血鬼術については珠世様が詳しく話したらしい。全く、使えるものは鬼まで使うとはな」
「……そうしないと無惨に挑むなんて無理だからね」

悔しいけれど人間だけでは太刀打ちできない。
無惨たち鬼の持つ圧倒的な回復力や戦闘能力を目の当たりにしてきた鬼殺隊だからこそ、誰も彼もがそのことを十分に承知していた。

「でも愈史郎くんも珠世さんも元々は人間でしょう?志が同じなら鬼とか人間とかそんな括りに拘らなくても良いんだと、お館様はおっしゃりたかったのかもしれない」
「どうだかな。何せ腹の中を見せない男だった」

つんと横を向く愈史郎に苦笑を溢し、ナマエは仏のものとも思われるほどの慈愛を孕んだ耀哉の眼差しを思い浮かべる。
その奥に秘められた無惨を絶対に葬り去るという強い意志は、どれほどの病魔に苦しめられたとしてもついぞ消えることはなかったらしい。

ナマエは産屋敷耀哉に鎹鴉の訓練士を任された日のことを思い返す。
身寄りを無くし救い出された先で右も左も分からず鍛錬を積み、選別では他の候補者に助けられなんとか生き延びた。

そんなナマエであったから隊士になって日が浅い頃は剣技に自信が持てなかったし、任務でも上手く立ち回れず先輩隊士に怒られることもあった。
今でこそ、義勇に舞い風のようだと称されたお陰で自信が持てているのだが。

そんな辛い日々の中、たまたま亡くなった仲間の墓参りに訪れた先で出会ったのが産屋敷耀哉だった。
一目で分かるほど他の人間とは違った雰囲気を纏った耀哉は、穏やかな笑みを浮かべてナマエに声をかけてきたのだ。
君の話は聞いている。鎹鴉の訓練士になってみる気は無いか、と。

「お館様の期待に応えなきゃ」

ナマエは胸に当てた手を握りしめる。
柱ほど強くはない自分にできることは決して多くないが、それでも命を賭けて鴉たちとともに駆け抜け、戦うことはできると誓いながら。


暁に鳴く 弐拾陸


その後しばらくは鬼の襲撃を受けることもなく、ナマエと愈史郎は時折出会う鎹鴉に紙を括り付けながら進んだ。

紙をつけた鴉が増えてくると、建物内のあちこちで鬼と隊士たちが戦っていることが判明してくる。
その中に風柱の不死川実弥や霞柱の時透無一郎も確認できたが、まだ義勇の姿は見て取れなかった。

「誰か探しているのか?」

少しの休憩を取るため階段に腰掛けている間、紙を額につけ落ち着かないナマエの様子に愈史郎が怪訝な顔をする。
ナマエは慌てて紙をしまうと、ばつが悪そうに頭を掻いた。

「ごめんなさい、こんな時に私情を挟むのは良くないよね」
「別にそこまで言ってない。気がかりを残したまま上の空で戦われる方が困る」

愈史郎は鬼なのでナマエほど疲労を感じることはないが、それでも人を食わない分普通の鬼ほどの身体能力は無い。
なので彼もナマエの隣に腰掛けているが、先ほどから彼女の落ち着かない様子に苛立ちを覚えていた。
彼は見た目こそ少年のそれだが、生きてきた年月は見た目より長いこともあり存外面倒見が良い男である。

「さっき自分で言っていただろ、大切な人が戦っているかもしれないと」
「……うん。でもまだ見当たらなくて。輝利哉様のお側にも見えないから、きっとどこかに居ると思うんだけど」

ようやく想いを交わした翌日、このような形で無惨との戦いが始まるなどとは夢にも思っていなかったナマエ。
義勇のことだから簡単にやられるわけはないと思うものの、それでもこの得体の知れない場所で彼の所在が分からないことは彼女を酷く焦燥させた。

「お前の鴉が言ってたのがナマエの想う奴の名前か?」
「う、うん……」

別れ際三統彦は確かに義勇も探すと言っていたので、ナマエは愈史郎に聞かれていたことに今更気がつき顔を赤くする。
愈史郎は特段気にする様子も無く、目を瞑って鴉たちと共有している視覚に集中しはじめた。

「見た目は?」
「え?」
「義勇と言ったか。そいつの髪型とか背格好とか何か特徴があるだろう?」

更なる苛立ちを隠そうともせず愈史郎は捲し立てる。
ナマエは愈史郎が義勇を探してくれているのだと気が付き、慌てて彼の特徴を羅列した。

「長い黒髪を後ろで一つに束ねてる。それから右側が赤紫、反対が黄や橙の亀甲柄になっている羽織を着ているはずだよ」
「髪の長い男……今のところ見えないな」
「やっぱり……そうだよね」
「顔は?」
「顔?とてつもなく整っていて、鬼殺隊の中でも三本の指には入ると思う」
「はぁ」
「女の私でも気後れするくらい美しくて、でも決して女々しいわけじゃなくて男らしい方なの」
「突然惚気るな。大人しい方だと思っていたのにお前そんなに喋るのか。しかも今の情報は何の役にも立たない」

至極真面目に答えたはずが愈史郎に舌打ちされ、逆にくどくどと言い返されたナマエは解せないと顔を顰める。
しかし愈史郎は淡々と続けた。

「歳の頃は?」
「……私と同い年」
「ああ、ならすぐそこにいる男とちょうど同じくらいか」

捜索を中断して目を開けた愈史郎が指さす先には、遠くから走ってくる隊士たちが見える。
その先頭を走る隊士の姿を確認して、ナマエは勢いよく立ち上がった。

「村田くん!」
「ミョウジ……ミョウジなのか!?」

艶のある黒髪を靡かせ駆けてくるのはナマエと同期入隊で親交もある村田だ。
彼の後ろには他にも隊士の姿があるが、ナマエが顔と名前を一致させられたのは村田だけだった。

「良かった!無事だったんだな!」
「村田くんも無事で良かった……それに仲間と一緒だったんだね」

見知った顔と会えたことでナマエは少しだけ張り詰めていた緊張を和らげ、ほっと胸を撫で下ろす。
そして愈史郎に村田が同期である旨を紹介し、村田には愈史郎が行動を同じにしている「隊士」であると伝えた。鬼であることは、極力知られない方が良いという判断だ。

それから同じように村田も同行している隊士たちを紹介した。
竹内という青年をはじめとしていずれも村田と同程度か更に下の階級の隊士ばかりだが、いずれもこれまで鬼殺の任務を生き抜いてきた者ばかりである。

「鎹鴉が無惨の元に向かえと言うから探してるんだ。まだ何の手がかりも掴めてないけど……」
「そうだね。柱の方もどこかで戦ってるみたいだし、怪我人を救護しながら無惨を探そう」
「冨岡もいるかな。無事だといいけど」

突然出てきたその名に、ナマエの肩が僅かに跳ねる。
とはいえ勿論彼には義勇とのことは知らせていないので、村田はただ同期としてナマエが知りえる共通の名前を出しただけというのは彼女にも分かった。

「まあ、あいつは柱だもんな」

ナマエの反応に気づかず、村田はそう言って自己完結したようだった。

「俺は辿り着けなかったけどあいつも柱稽古を始めたって聞いてちょっと安心したよ。昔みたいに塞ぎ込んでたわけじゃないんだなって」

遠い記憶を思い返しながらそう話す村田は、とても優しい目をしているようにナマエには見えた。
それは七年前に藤襲山の選別で、絶望の淵を彷徨う義勇に寄り添い続けた少年のものと変わらない眼差しだった。


「カァーッ!上弦ノ弐トノ格闘ノ末死亡ーッ!」

鎹鴉がけたたましく叫ぶ言葉に、炭治郎を伴って駆けていた義勇は目を見開いた。
なにせ死亡したのが、あの胡蝶しのぶだと言うのだから。

上弦の弐がどんな鬼なのかは彼らに知らされていない。
しかし相対したのはしのぶだけなのか、他の柱や隊士の名は鴉の口から告げられなかった。
義勇の背後からは、大きくはないものの炭治郎が鼻を啜る音が聞こえてきた。
義勇は駆ける速さこそ緩めなかったものの、奥歯を噛み締め拳を握りしめる。

──また仲間が死んだ。

上弦の鬼は柱三人分の強さに匹敵すると言われているが、そんな存在にたった一人で挑んだしのぶの覚悟を思えば無謀なことをとは決して言えなかった。
彼女の姉も上弦に屠られたのだからきっと何か思うところがあったのだろうと、義勇は心の内だけで決して短くはない日々共に闘った仲間の健闘を讃え死を悼んだ。

伝令の内容とは別に、もう一つ義勇の気にかかったことがある。
それはこの訃報が知らされた速度にあった。

通常鎹鴉たちは鴉から鴉へと情報を伝えていくものだ。
だがらこの不可思議な場所のように鴉や隊士同士の居場所が不明確な場合その伝達速度は大きく落ちるはずだった。

しかし、義勇たちの元にしのぶ死亡の知らせを伝えにきた鴉はひたすらにその内容を叫びながら飛んでいくばかり。
義勇の寛三郎や炭治郎の松右衛門に対して伝令を他の鴉に伝えるよう頼むこともなく、鴉たちはただ飛び回りながら次から次へと新しい情報を口にしているように見えた。

「カァカァッ!上弦ノ陸出現ーッ!」

まただ、と義勇は飛び去っていく鴉を見つめその様子を窺う。
違和感があるとすれば、鎹鴉の首から見覚えのない紙が下げられていることだった。
恐らくそれがこの異様なほど速い情報伝達の原因だろうと、彼は思考を巡らせる。

するとそこへ上から別の鴉が舞い降りてきた。
その気配を感じて視線を上げた義勇は、大柄の鴉を見て驚きの声をあげる。

「三統彦!」

義勇の後ろを走る炭治郎も、見覚えのある鴉を見て目を丸くしていた。

「義勇!ヤット見ツケタ!」
「ナマエは!?」
「無事ダ!モット下ニイル!」
「そうか……!」

足を止めれば突然足場が消え落ちてしまう可能性もあり、義勇は立ち止まることこそできないものの少しだけ安堵した表情を浮かべる。
しかしすぐにまた険しい顔に戻り、横目で下の階層に視線を向けた。
勿論、そこに愛する女の姿を視認することは出来ない。

「ナマエモ一人ジャナイ。鬼ノ少年ト一緒ニイル」
「鬼だと!?」
「安心シロ、愈史郎ハ仲間ダ」
「愈史郎さんも来てるんですか!?」

後ろから割って入ってきたのは炭治郎だ。
炭治郎は愈史郎と顔見知りのため、義勇に彼が特別な鬼で信頼できる旨を簡単に説明した。

「……それなら良い」

三統彦は義勇の顔の横を飛びながら、口を噤んだ彼の横顔を見つめる。
その視線を痛いくらいに感じて、義勇は炭治郎には聞こえないほど小さな声で呟いた。

「俺が守ってやれず、すまない」

しかし三統彦はフンと鼻を鳴らす。
決して義勇がナマエ一人では戦えないと言っているわけではないと分かりつつも、主人を甘く見るなと言いたかった。

「ナマエダッテソンナニ弱クネェゾ!」
「そうだな。悪かった」

互いを信頼しているからこそ、想いが通じ合った時にこの先も別の場所で戦うことを確かめたばかりの二人だ。
こうして三統彦が飛び回っていることや鎹鴉たちの伝達が速いことからも、きっとナマエが彼女の力を活かして動いているのだろうということは義勇にも分かった。

「無事ナ姿ヲ見セテヤラナイト許サネェカラナ!」
「ああ。それまでナマエを頼む」

共に生きる約束は出来ないと言ったらしいくせに、すっかり恋人面じゃないか──とは言わなかったものの。
三統彦は真摯な瞳を向けてくる義勇にカァとひと鳴きして、身体を翻すと彼の元から飛び去った。
早くナマエに伝えてやらなければと、いつも以上に早く翼をはためかせて。

時を同じくして、ナマエは歩きながら悲痛な面持ちを浮かべていた。
彼女は蟲柱胡蝶しのぶの訃報に多大な衝撃を受け、永遠に叶わなくなってしまった薬学談義に思いを巡らせる。

話したいことが沢山あった。
ナマエはしのぶの豊富な知識やしなやかな強さに憧れ、何より常に穏やかな心持ちを失わない彼女を尊敬していた。
決して関わることは多くなかったがそれでも先代花柱の頃から蝶屋敷の世話になることもあったし、彼女の鴉である艶の手当や訓練を任されてきた仲だ。
その艶のことも心配で、本来なら主人を失った彼女をすぐにでも抱きしめてやりたいのにそれが叶わない状況に歯噛みする。

しかしどんなに悲しくても泣いてはいられない。
ここは敵の本拠地で、今もまだしのぶを殺した上弦の弐は生きている。
他の上弦たちについての情報も少なく、先程上弦の陸が我妻善逸と遭遇した旨が知らされているだけだった。

「……前を向かなきゃ」

義勇の所在も分からない今、ナマエにはひたすら前に進むほか出来ることはない。
そう思って込み上げる涙をなんとか堪えていると、前を行く愈史郎が足を止めた。

「上弦の陸が近いな。黄色い頭の隊士が危険かもしれない」
「我妻一人で戦ってるのか!?」

愈史郎と並んだ村田は今にも愈史郎に掴みかかりそうな勢いだ。

「いくらなんでも危険すぎる!助太刀しないと!」
「無闇に入っていくのは愚か者のすることだ」
「でも!」
「ああもう煩い!死にそうになったら回収する!」

愈史郎と村田がぎゃあぎゃあ騒いでいるのを数歩離れた場所で見ていたナマエだったが、そうこうしている間に彼らは上弦の陸と善逸が戦闘している部屋に近づいてきていたらしい。
不意にナマエの羽織の裾が引かれ、何かと思い見下ろせばそこには一羽の雀がいた。

「うこぎ!ということはやっぱりこの先に我妻くんが?」

ナマエの袖から腕を伝って肩まで登ってきたのは我妻善逸の鎹鴉──ではなく鎹雀のうこぎだ。
彼は鬼殺隊の中で唯一鴉ではない伝令役である。

うこぎはナマエの耳元でチュンチュンと愛らしい声で鳴くばかりだったが、彼を他の鴉と分け隔てなく育てた彼女にはその言わんとすることは明確に理解できた。
「うん、大丈夫だようこぎ。一緒に行こうね」

主人を心配ししきりに鳴くうこぎを撫でて、ナマエは愈史郎と村田の元に歩み寄る。

「愈史郎くん、私からもお願い。この子が、上弦の陸は絶対我妻くんが倒すと言ってるから」
「フン、柱でもないのに命知らずな奴だな」
「……彼の、兄弟子なんですって」

その言葉には村田の方が息を呑んだ。
愈史郎は顔色こそ変えなかったものの、善逸の覚悟を推し量って溜め息をつく。

「気持ちだけでは勝てない。だが……」

愈史郎は廊下の奥から聞こえてくる雷の轟音に耳をそば立てた。

「そろそろ頃合いだな」

そう言い残すと愈史郎は音のする方へ駆け出す。
意味が分からず止めようとする村田だったが、ナマエは彼が伸ばした手を制した。
村田の後ろで話の行く末を見守っている隊士を見渡してから、ナマエは愈史郎の消えた方角に目を向ける。

「村田くん、私たちも行こう」

彼女の肩で小さく羽を振るわせる雀と目が合い、村田も大きく頷いた。

 
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