蝶屋敷は蟲柱・胡蝶しのぶの住まいであるが、負傷した鬼殺隊士の治療や機能回復のための訓練を行う場所でもある。 その蝶屋敷の門前でナマエはとある少年と対峙していた。 少年は、名を竈門炭治郎という。 暁に鳴く 拾捌 「良い子にね。ちゃんとお二人の歩調に合わせるんだよ」 ナマエの腕に止まっている鎹鴉は、彼女の相棒である三統彦とは違う。 ナマエはその鴉に語りかけてから空へと解き放ち、側に控えていた隠に顔を向けた。 「最初はあの子がご案内しますね。よろしくお願いします」 「かしこまりました。ありがとうございますミョウジ様」 涼やかな目元をした女性の隠は、任務の都合上名乗れないという。 彼女たちに与えられた責は、竈門隊士を刀鍛冶の里へと案内することだった。 隠が目隠しをした隊士を背負い、鎹鴉に導かれて次の隠へと隊士を託す。 そうして続いていった先にある刀鍛冶の里は鬼殺隊の施設の中でも本部に次ぐ重要な場所で、だからこそこのように複雑な方法でしか訪れることはできなかった。 炭治郎は目隠しをされる前、隠だけではなくナマエにも礼を言う。 「松右衛門から聞きました!あなたがミョウジナマエさんですよね?」 「ええ。私も松から話は聞いてるよ、竈門くん」 少年から向けられる眼差しには信頼感が込められており、ナマエは炭治郎の純粋さを感じて微笑んだ。 炭治郎の肩に松右衛門が舞い降りてきて、バサバサと翼をはためかせる。 「ナマエ!コノ前話シテクレタ物語ノ続キハイツ聞ケルンダヨ!」 「そうねぇ、竈門くんが刀鍛冶の里から戻ったらまた顔出しにおいで」 「炭治郎!ハヤク刀直シテモラエ!」 ナマエに対してはまだ子供気分の松右衛門も、今では立派な鬼殺隊士の供である。 なのであまりナマエの元に遊びに来ることもないのだが、前回会った時に教えてやった昔話の続きが気になって仕方無いらしかった。 「松、竈門くんにそんな口聞いちゃ駄目だよ。あなたの主でしょ」 諌められた松右衛門は炭治郎の肩を思い切り蹴って空へと飛び立つ。 炭治郎同様に松右衛門も視界を塞がれて運ばれる予定なので、隠の女は腰に手を当てて溜め息をついた。 「松ってば子供気分が抜けないんだから……」 「あの松右衛門が甘えるなんてすごいですね」 一人楽しそうなのは炭治郎だ。 興味津々といった様子で、目を輝かせている。 「ナマエさんは鎹鴉たちを育ててるんですよね?日中は訓練も?」 「そうだよ。言葉を教えたり鬼殺隊の規則を教えたりもね」 「へぇー、凄いですね。ナマエさんのお陰なんだ!」 純粋無垢な少年にここまで褒められ、ナマエは擽ったい気持ちになった。 その一方で、ここまで純粋だからこそ彼は上弦を倒すまでの実力を得られたのだろうという考えに至る。 目の前の少年は一見まだ幼さの残る駆け出しの隊士に見えなくもないが、その実上弦の陸を退け、黒刀を振るい珍しい呼吸の型を使うというのだからナマエにはにわかに信じがたかった。 しかしナマエがそんなことを考えていると、おもむろに炭治郎が鼻を動かして訝しげな顔をし始める。 「そういえば……ナマエさんて、義勇さんと似たような匂いがするんですよね」 突然その名が出たので、思わずナマエの肩が跳ねた。 声を上げなかっただけましだと思いながら、ナマエは内心冷や汗を流している。 この少年が異様に鼻の効く体質だということはあらかじめ知っていたのに、油断をしていたと。 「そ、そうかな?気のせいじゃない?」 「いや、気のせいじゃないです。俺、義勇さんの匂いは間違えないので」 ナマエは思い出す。 竈門隊士は鼻が良いだけではなく、正直なのは良いものの筋金入りの頑固者でもあるということを。 「か、竈門くん。そろそろ出立した方がいいんじゃないかな!?ね、そうですよね?」 ナマエが待っていた隠に話を振ると、彼女はそうですねぇとやんわり肯定してくれる。 隠としては特別急ぐわけではないので隊士を焦らせるのも悪いとは思いつつ、ナマエがあまりの剣幕で同意を求めるので頷くしかなかったのだ。 「なんだろう、義勇さんの匂いに合わせてほんわかした甘酸っぱい匂いも……」 「ほら!行った!刀鍛冶の方が待ってるよ!」 この少年に心の内まで嗅ぎつけられてはたまったものではないと、ナマエは隠に向けて炭治郎の背中をぐいぐい押した。 え、ちょっとあの、などと言いながら炭治郎は進まざるを得ない。 「しっかりご案内してさしあげるんだよ!」 頭上を飛び回る鎹鴉に声をかけて、ナマエは炭治郎たちの準備を見守ることにした。 隠は苦笑いしながら炭治郎に目隠しをつけ始める。 ナマエからもうこれ以上炭治郎に何も言わせないという断固たる意思が伝わってきて、隠はいつも以上に手際良く布を巻きつけた。 鼻の穴も塞がれた炭治郎が隠におぶられて去っていく。 その姿を見送ってから、ナマエは小さな溜め息を零した。 そしてあの少年は侮れない、十割が善意だからこそ思いがけない爆弾発言をする性質にあるのだろうと思い身震いをする。 もしまた竈門炭治郎に会うことがあるなら香でも焚き付けていこうなどと考えていると、ナマエの肩に突然重みがかかった。 「水柱トノ生活ハドォ?」 「わっっっ!?」 あまりの驚きにナマエが飛び上がると、重みの原因も空に飛び立つ。 「艶……、びっくりさせないで……」 その名の通り艶めく黒い翼で羽ばたいているのは、胡蝶しのぶの鎹鴉である艶だった。 「松右衛門ガ朝騒イデタノヨ。今日ハナマエガ来ルッテネ」 「松ノヤツ、マダ雛気分ガ抜ケテネェンダヨナ。炭治郎ニハアンナ偉ソウナノニ」 三統彦もやってきて艶の隣に並ぶ。 艶は鴉にしては随分と上品に笑い、話を続けた。 「デ、ドウナノ同棲生活ハ?」 ナマエは面食らって、それから顔を真っ赤にして首を激しく横に振る。 「誤解!すごく誤解!集会場が鬼に襲われたから、夜だけお邪魔してるだけなの!」 「フゥン?夜ダケ、ネェ」 「誰から聞いたのか知らないけど変な勘違いしないでよね!?三統彦も何か言ってよ〜」 半ば泣きそうになりながら己の鴉に縋るナマエ。 三統彦はその場に滞空しながら、呆れたような眼差しでナマエを見た。 「ヤマシイコトガ無イナラ堂々トシテロ。艶、コノママダトナマエガ本気デ泣クゾ」 「アラアラ。主ニハ甘イノネ、三統彦」 「オマエハドンドン主ニ似テキタナ」 艶と三統彦のやり取りも碌に耳に入ってこず、ナマエは動揺したままの心をなんとか落ち着けようと深呼吸を繰り返す。 隠しているわけではないので義勇の世話になっていることは誰かに知られている可能性もあるとは思っていたが、いざ面と向かって指摘されると過剰に意識してしまうのだった。 実際に赴くことにはもうすっかり慣れているのに、他者から「水柱の屋敷に夜な夜な赴いている」と言葉にされてしまえば恥ずかしくて仕方がなくなる。 ナマエは熱くなった頬を両手で押さえ、平常心とはどんなものだったか思い出そうと苦労していた。 「まあミョウジさん!良かった、まだお帰りじゃなくて」 そこに顔を出したのはこの蝶屋敷の女主人である胡蝶しのぶ本人だ。 しのぶはぱたぱたと足音を立て駆け寄ってくると、未だに三統彦と騒いでいた艶を腕に止まらせる。 「蟲柱様!お久しぶりです」 慌てて頭を下げるナマエを片手で制し、頭を上げるよう言うしのぶ。 彼女はふわりと笑って、鎹鴉を撫でた。 「艶が貴女に会いに出ていったので追いかけてきちゃいました。鴉の集会場が襲われたと聞いたんですが、ご無事で何よりです」 「とんでもございません!この通り、お陰様で元気にしております!」 「冨岡さんにはうーんと我儘言って良いですからね」 「かしこま……えっ、はい?」 ナマエはうっかりいつもの癖で、柱からの言いつけに条件反射で返事をするところだった。 しかしその内容はナマエを混乱させるのに十分なものだ。 「あの人、言わなきゃ分からないし言っても伝わってるんだかよく分からないでしょう?ミョウジさんを困らせてませんか?大丈夫です?」 「あ、いえ、そんなことは無いです」 「あらあら、上手くいってるんですねぇ」 余計なことを言ってしまったかもしれないと、ナマエは頭を抱えたくなった。 胡蝶しのぶは鬼殺隊の中でも最上級の口達者であり、誰も敵うことは出来ないとまで言われる存在だ。 そのしのぶに今一番聞かれたくない話題を振られ、興味を持たれていることは恐怖でしかなかった。 「本当にただ夜の間居候させていただいてるだけなので!お会いすることもほとんど無いですし」 「まあそれは寂しいですねぇ。唐変木にも程がありますよ」 義勇が毎晩見回りや任務に赴いていることはしのぶも知っている。 しかし彼女はナマエを揶揄うために敢えてこのような物言いをしていた。これほど面白い話題はなかなか他に無いからだ。 しのぶは美しいかんばせを綻ばせ、ナマエに微笑みかけた。 「冨岡さんももう少し気が利けばいいのに」 「俺が何だ?」 「あらご本人」 「えーっ!?」 しのぶはあっけらかんとして答えたが、ナマエは一人その場で飛び上がる。 何故なら彼女たちの後ろに、いつの間にか話題の人物が控えていたからだ。 義勇は相変わらず何を考えているのか読めない無表情で、肩に止まった寛三郎は欠伸をしていた。 「冨岡さんこんにちは。気配を殺すのは、やめていただけますか?」 「ただお前たちが気づかなかっただけだ」 「まあ、それは冨岡さんの存在感の薄さが悪いのではないでしょうか」 しのぶにそう言われ、義勇は衝撃を受けた様子だった。 たじろぐ義勇を他所にしのぶは続ける。 「何か御用ですか?常備薬などはまだお渡しして日が浅いと思いますけど」 すると、我に返った義勇は辺りを見回した。 「炭治郎は?」 その問いにはナマエが答える。 「竈門くんならもう発ちましたよ?御用があったんですか?」 「いや、ようやく目を覚ましたと聞いたので少し気になったたけだ」 義勇の言う通り、炭治郎は吉原遊廓での一件の後ふた月の間昏睡状態にあったのだ。 それがようやく刀鍛冶の里まで尋ねられるようにまで回復し、義勇は知らせを受けほっと胸を撫で下ろしたのだった。 「昨日までにいらっしゃれば会えましたのに。ご連絡いただければ炭治郎くんだって待っていたと思いますよ?」 しのぶが言うことはもっともだ。しかし義勇は首を横に振る。 「いや、居ないなら良い。ではミョウジ、そろそろ行くか」 「はい?」 唐突に話を振られ、ナマエは虚を突かれて目を瞬かせた。 しのぶも同じように、頭に疑問符を浮かべている。 逆に、義勇の方は何故伝わらないのだと怪訝な表情を浮かべた。 「今夜も来るのだろう?そろそろ出ないと、日が暮れるぞ」 「えっ?ああ、もうそんな時間でしたか」 空に輝く太陽の位置を確認してからナマエは義勇を見上げる。 目が合うと、義勇からは小さな頷きが返ってきた。 するとそれを見ていたしのぶがこほんと咳払い話する。 ナマエは脊髄反射で背筋を伸ばし、義勇は不思議そうに首を傾げた。 「で、結局冨岡さんはミョウジさんを迎えにいらしたんですか?」 にこにこと笑顔を絶やさないしのぶとは対照的に、義勇はまた無表情に戻り質問に答える。 「刀の手入れ道具を買いに街まで出た帰りだ」 「それで炭治郎くんの顔を見に?」 「炭治郎は、居たら挨拶をしようと思ったくらいだ」 「なるほど〜、それは残念でしたね」 ナマエはしのぶに、一体何がなるほどなんですかとは聞けなかった。 しのぶが心底楽しそうだったので、余計なことは言わないと心に誓ったからだ。 「炭治郎からはよく文が来るから良い」 定期的に手紙が送られてくるので、彼が元気にやっていることは義勇もよく知っていた。 後輩隊士からの手紙などもらったことがなかったので、なんと返したら良いのか分からずに義勇からはなかなか返事を返せていないのだが。 すると、それを聞いたしのぶは一層にやにやと悪い笑みを浮かべた。 「では、ここにお見えになったのはやはりミョウジさんが目的だったんですね」 「蟲柱様っ……!」 「そうだが?」 「冨岡さん!?」 ナマエは首がもげるほどの勢いで二人を順に見る。 確かにナマエは朝出掛けにすれ違った義勇に対し、今日は蝶屋敷に赴く旨を伝えていた。 その目的が炭治郎を案内する鴉の手配だと言うことも。 だからといってナマエは義勇がわざわざ迎えに来たとも思えず、買い物帰りに立ち寄ったぐらいにしか思えなかった。 そこまでしてもらう義理もなければ、鬼が出る時間帯に準備もなく出歩くような人間だと思われていたとしたら恥ずかしいとまで考える。 だがそんなナマエの考えを中断させたのは、他でもない義勇本人だった。 「帰ったら支度をしてすぐに夜回りに出るから、それまでに話したいことがある」 有無を言わさない濃紺の瞳に射抜かれて、ナマエは言葉を返すこともできずただ首を縦に振る。 傍でしのぶが「まぁ」と色めき立つ声を上げたが、義勇は気に留める様子もなかった。 「ではな、胡蝶」 「お気をつけて冨岡さん。ミョウジさんも、今度はゆっくり薬学の話でもしましょう」 話は終わりだと言わんばかりに、義勇はくるりと踵を返し歩き始める。 動じることなくその背中に手を振り、しのぶはナマエに微笑みかけた。 「あ、はいっ、是非とも!人間の薬は専門外なので学ばせていただきたいです!」 「私も鎹鴉用の薬に興味があるので。あ、置いていかれますよ?」 しのぶからの魅力的な申し出にナマエが目を輝かせたのも束の間、彼女が指差す先をナマエが目で追うと、既に義勇は数十尺も向こうへ進んでいた。 「あっ待ってください……!蟲柱様、御前失礼します!」 そう言って駆け出したナマエ。 しのぶは彼らが見えなくなるまで、口元を押さえながら肩を震わせていた。 「話、って何ですか?」 小走りで義勇に追いつき、肩を並べて歩きながらナマエは問いかける。 すると義勇は羽織の袂に手を入れ、何かを取り出した。 「手を出せ」 「え?こうですか?」 反射的にナマエが両手を前に出すと、義勇はそこに自分の拳を載せる。 何事かとナマエが驚いている間に、義勇は握り拳を開いて中身をそこに置くと手を引いた。 ナマエの手のひらに残ったのは、紙で出来た小さな包みだ。 「開けてみろ」 言われるがままにナマエが包みを開くと、中から出てきたのは西洋風の髪留めだった。 金属製の留め具にはバネが付いており、一度開いてから髪を挟んで留める代物だ。 そして、留め具の周りには菫色にも青色にも深い紫色にも見える石が散りばめられている。 光に透けて輝くそれは、見る角度によって色味が変わるらしい。 「綺麗……これは、一体?」 「菫青石というらしい」 「きんせいせき……?じゃなくてこれ、どうしたんですか!?」 石が何かというよりそもそもこの髪留めは何なのかが知りたかったので、ナマエは手の中の代物をどうすることもできないまま義勇を見上げる。 しかし義勇は涼しい顔で、前を向いたまま歩き続けた。 「この前、俺が迷惑をかけた詫びだと思えば良い」 「迷惑?そんなことありましたっけ?」 「酔って、お前に貸した部屋で寝ただろう」 「あ……」 ナマエは一瞬にしてあの夜のことを思い出す。 そして、ついに義勇も忘れていた記憶を取り戻してしまったのかと思い焦り出した。 「まさか冨岡さん、あの夜のこと……」 「お前に部屋まで引きずってもらったんだろう?それに布団を用意してもらった」 「え?ああ、確かにそうでしたね」 「お前が寝る場所も奪ってしまった」 「まあ、それは何とでもなったんですけど……」 「……まだ何かあったか?」 口籠るナマエを訝しげに思い、義勇は彼女の顔を伺う。 対するナマエは、彼が例の一件を思い出していないことが分かり安堵した瞬間顔を覗き込まれたので、不意を突かれて驚いた。 「ひゃっ!いえ、何でもないです、本当に」 「……そうか?」 「そうですそうです!というか冨岡さん、そんなお詫びなんて滅相もありません!しかもこんな高価なもの……」 ナマエの手の中で輝く菫青石は、一目で一級品だと分かる大粒の石ばかりだ。 宝石の価値は切り方に左右されると言うが、そこにあしらわれているものはどれも見事な切り方で最大限の輝きを引き出されているように見えた。 「普段色々と家のことをやってくれている礼もしていなかった」 「それは、私が居候させていただいているので!」 「俺はただ部屋を貸しただけだし、あの家はお館様に用意してもらったものだ」 義勇はナマエが髪留めを彼の手に突き返せないように腕組みし、返品は受け付けないという意思を示す。 そもそも長髪ではあるものの彼には髪留めを使うような習慣もなければ、他に贈り物をするような相手もいなかった。 しばらく髪留めと睨めっこをして唸っているナマエを横目に見ながら、義勇はこの品を購入した時のことを思い返す。 それは今日の昼過ぎ、彼が刀の手入れに使う道具を買い付けた帰りの出来事だった。 大正の世において、一般的には刀剣類の携帯は禁止されている。 しかし趣味で刀を持つ収集家向けの手入れ道具は簡単に手に入るし、いざとなれば刀鍛冶の里に持ち込めば良いので不便なことはなかった。 義勇はちょっとした手入れであれば自分の刀鍛冶から貰った道具を使うのだが、打ち粉だけを切らしてしまっていることに今朝気がついたのだ。 しかし刀鍛冶に頼むのも忍びない上に時間も無かったので、打ち粉くらいなら買えるだろうと街へ出かけたのだった。 彼の予想通り欲しかった品はすぐ手に入り、さて帰ろうかと思った時だ。 街道沿いの店の窓辺に飾られた、青い宝石の輝く髪留め。それは一瞬にして義勇の目を引き、彼の意識を虜にした。 吸い寄せられるように足を止めそれを見つめていると、中から店主が出てきて義勇に声をかけた。 贈り物ですか?の問いかけに義勇はしばし考え込み、なるほど自分にはこれを贈りたい相手がいたのかと納得したのだ。 そうでなければ、女向けの品物に気を取られることなどないのだから。 「迷惑をかけたから、詫びの品を贈りたい」 彼に思いつく理由は、そんなものであったが。 申し訳ないと思い続けていたのは事実だったので、これを機にしっかりと謝罪しようと思った義勇である。 「どんなお嬢さんで?」 義勇が見ていた以外にも様々な宝飾品を並べ出し、店主は笑顔を浮かべて彼の顔を覗いた。 「……どんな、とは?」 「お顔立ちによっても似合うものは違いますし、あとはお好きな色や好まれる服装などでも」 義勇は頭に浮かんだ一人の女の姿を思い出し、彼女の特徴とも言える色を答える。 「黒だ。頭の先から、足まで」 「全身黒ですか。まるで烏のようなお方だなぁ」 「悪いか?」 世間一般には烏という鳥の印象はあまり良いものではないが、鬼殺隊士にとっては大切な仲間である。 それに義勇はナマエ自身が鎹鴉の訓戦士という責に誇りを持っていることも知っているので、店主の反応は少し面白くなかった。 「い、いえ!ただ、珍しいと思っただけでして……旦那、どうかお気を悪くしないでください」 つい本音をこぼしてしまった若い店主は、冷たい視線を向ける義勇に慌てて平謝りした。 そして、詫びとは言わないものの義勇が最初に目に留めた髪留めを差し出し算盤を弾いてみせる。 「それなら、やはりこちらでしょうかね。勉強させていただきますよ!」 示された値段は、値札のものよりも安くなっていた。 「これで良いのだろうか」 値段はさておき気になっていた品をそのまま勧められたので、義勇は素直に店主の意見を聞くことにした。 「お気を悪くしないで聞いていただきたいのですが、烏が光るものを好むのはご存知ですか?この髪留めは舶来品ですが、今うちにある商品の中でも宝石の輝きが一等素晴らしいんですよ」 店主は白い絹の手袋を嵌めた手で髪留めを持ち上げ、照明に透かして見せる。 きらきらと輝くそれは青にも紫にも濃紺にも見えて、不思議な美しさを秘めていた。 「ね?烏が好むのも分かるでしょう?黒い格好にとても映えると思いますよ。これ、留め具の部分は白銀なんです。それに……」 「それに?」 こじつけたことを言うなと怒られるかと思っていた店主は、意外にも義勇が真面目に話を聞いてくれるので嬉しくなっていた。 黒ずくめの女性に贈るなら煌びやかなこの髪留めはおあつらえ向きだと思っていたし、何よりこの色が彼へのお勧めにしたい理由でもあった。 「旦那がお贈りになるのにぴったりです」 「……何故だ?」 「それは、お相手のお嬢さんがお付けになったらきっと分かりますよ」 店主は敢えて答えを教えなかったので、義勇は最後の部分だけが腑に落ちなかった。 店主としては、義勇から最初に受けた印象がまさにこの菫青石の仄暗い青色であったのだが、話しているうちに同じ菫青石の明るい菫色にも淡い青色にも思えるようになっていた。 輝きの中に多くの色味を秘めていることこそがこの宝石の魅力であり、仏頂面な癖に奥底に秘める優しさが見え隠れするこの客そのものだと考えたのだ。 そういう顛末があって義勇はこの髪留めを買い求め、予定通りナマエに渡したのだった。 「買ってしまったのだから、貰ってくれないと困る」 「強引な理論ですね……」 「気に入らないなら品を変えるが」 「いえ!そんな事はないんです!すごく綺麗ですし」 義勇の脅し文句にも似た発言に、ナマエは改めて髪留めをまじまじと眺める。 夕陽に透かせばそれはまた新たな色合いに変わり、ナマエは思わず息を呑んだ。 「なら良いだろう」 「ありがとう、ございます……」 ナマエの高揚した表情から満足してくれているのだと分かり、義勇は僅かながら頬を緩ませる。 彼女自身は髪留めに見惚れていたため、そんなことには気が付かなかったのだが。 「付けてみるか?」 ナマエが髪留めを手にしたままだったので、義勇は彼女の前に片手を差し出した。 店主の言っていた、相手がこの髪留めをつけたら分かるという言葉の意味が気になっていたからだ。 「良いんですか?」 「もうミョウジのものだ」 「……なら、お願いします」 鏡が無いので、自分でつけると髪型が崩れると思っていたナマエにとっては有難い申し出であった。 しかし相手が義勇なので、髪を触られるのはとてつもなく恥ずかしいことでもある。 折角付けてくれると言われたのでその言葉に甘えることにしたが、ナマエの鼓動は破裂寸前というほどに激しくなっていた。 髪留めを受け取った義勇は立ち止まり、ナマエもそれに倣う。 そしてそれで彼女の髪を掬い、ぱちんと音を立てて挟んでやった。 実のところ決して器用とは言えない出来栄えではあったが、代物が良いので多少の毛束の乱れは気にならないぐらいである。 菫青石の白銀が、ナマエの髪できらきらと輝いていた。 「私には見えないので冨岡さんの感想を是非」 ナマエはそう言って、恥ずかしさを誤魔化すためにくるりと一回りしてみせた。 本当なら気絶するほど舞い上がっていたが、想い人にみっともない姿は見せられないとなんとか正気を保つのに必死だったのだ。 黒い隊服の裾や羽織が風に舞い、真っ黒な彼女を一点だけ鮮やかに彩るのは青。 義勇は思わず息を呑み、ナマエの姿をぼうっと見ていることしかできなかった。 「どうでしょう……?やっぱり、私には勿体無かったかも……」 義勇が何も言わないので不安になったナマエは、おずおずと彼を見上げる。 すると、ややかあってから彼はようやく口を開いた。 「似合ってる。と、思う」 なんとも歯切れの悪い返事ではあったが、口下手な彼からすればこれ以上無い褒め言葉のつもりだ。 対するナマエも義勇に懸想しているせいで、このたった一言ですら天にも登る気持ちになれた。 「ありがとうございます、一生の宝物にします」 それは言い過ぎじゃないか、と返そうとしたのに義勇はまた何も言えなくなってしまう。 何故なら、彼を見上げるナマエのはにかんだ微笑みに不思議と目と奪われてしまったからだ。 常に静かに凪いているはずの彼の心が僅かに跳ねる。 まばたきをするほどの一瞬であったものの、義勇は己の身体中を熱い血潮が巡ったような気がしたのだった。 [back] ×
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