「えっ?ど、どうしてですか突然!?」 狼狽えるナマエを他所に、義勇はむしろ何故汲み取ってもらえなかったのかと首を傾げる。 部屋に戻ってきていた三統彦は盛大な溜め息をついた。 どうしてこうも、この男は結論だけを口にするのかと。 「義勇、ナマエハココデ子供ラノ世話ヤ訓練ヲシナイトイケナインダゾ。理由ヲ話セ」 堪らずに三統彦は助け舟を出す。 すっきりと目覚めたら寛三郎は、事の次第が分からず義勇と同じように首を傾げていた。 「鬼はここが鬼殺隊の施設だと分かっていた可能性がある。なら、今夜こそ来るかもしれない」 「確かにそうなんですよね。多分ですけど、鬼たちからの情報は無惨に集約されているでしょうし……」 「だからだ」 「なるほど……?」 「ダカラダ、ジャナクテソノ先!」 「……俺も毎晩ここに見回りには来れない」 今ひとつ理解しきれていないナマエと痺れを切らした三統彦に促され、義勇はどこから話せば良いのかと探りながら話す。 実際には初めから全て話せば良いのだが、どうしても頭の中で完結してしまうのが彼らしさだった。 「鴉たちも来たら良いし、夜だけでも」 「もしかして冨岡さん、此処を心配してくれてるんですか……?」 「それ以外に何がある」 そう問われれば、ナマエには何も答えられない。 義勇は柱として鬼殺隊の施設を思いやっているのだと、ナマエはすぐに理解した。 「ソウジャナ、ソレナラ安心ジャ」 「寛三郎も……ありがとう」 義勇の肩に止まり、そう続けた寛三郎にナマエは感涙しそうになる。 しかし寛三郎が言いたいことは、皆と少しずれていた。 「ナマエガ居レバ義勇モ安心ジャナ!」 「そうじゃない……」 逆だ、と義勇は片手で額を覆う。 鬼に狙われるかもしれない鎹鴉やナマエを心配することはあっても、何故自分が心配されなければいけないのかと義勇は溜め息をついた。 「とにかく、ここにいるのは危ない」 「そうですよね……」 ナマエは悲痛な面持ちで思案している。 鎹鴉の育成や訓練、治療ができなくなれば鬼殺隊全体に支障が出ることは明確だった。 とはいえいつ鬼に奇襲をかけられるか分からない以上、警備に人を割いてもらう以外にはここを出るしかない。 ただでさえ鬼殺隊は人手不足なのだから、ナマエはなるべくそんな選択肢は選びたくなかった。 「お館様に許可をいただけるか手紙に書き足します。鴉たちをどうするかは、皆に相談してきますね」 「分かった」 「決まったら、三統彦を使いに出します」 いつまでも義勇を引き留めておくことはできないので、ナマエはひとまず日暮れまでの間に方針を決めることにする。 その上で太陽が出ている間は鬼に襲われることもないと、義勇には一足先に家に帰ってもらうことにしたのだった。 「この林には暗いところが多い」 「はい、十分気をつけます」 今度は皆まで言わずとも意図が伝わったと、帰り際に義勇はまた感心する。 彼が油断するなと言わずとも、ナマエは神妙な面持ちで頷いてみせた。 「ではまた夜に」 そう言い残して去っていく義勇の背中を見送りながら、ナマエは気が付いたばかりの想いを胸にどうしたものかと悩み始めるのだった。 暁に鳴く 拾肆 産屋敷家に送った三統彦は、思いの外早くナマエの元へと帰ってくる。 ほとんど病床に伏している当主の代理は妻のあまねが務めているが、彼女からの返答は全面的にナマエの選択を尊重するものであった。 日中は今まで通り鎹鴉の集会所で育成や訓練を行うこと。 怪我をした鴉が出れば治療してやること。 但し、日没から日の出まで訓練士ミョウジナマエとその鴉三統彦は水柱冨岡義勇の屋敷に、他の鴉たちは周囲にある複数の森や林に分かれて寝泊まりすること。 それが産屋敷家の決定した事柄だった。 「お邪魔します。お世話をおかけして申し訳ありません」 迎え入れられた義勇の屋敷の戸口で、ナマエは深々と頭を下げる。 陽は既に、西の山の向こうに沈みかけていた。 「構わない。部屋は一番奥だ」 颯爽と踵を返し廊下を歩く義勇の後を追いながら、ナマエは身の縮まる思いになる。 過去に二度訪ねたことがある場所なのに、淡い恋心を自覚してしまった今となっては敵の本拠地に殴り込んできたような気持ちにさえなった。 しかし理由が理由なので気を引き締めないとならない。産屋敷家からは今のところ鬼たちに大きな動きは無さそうだという報告が来ていた。 鎹鴉たちへの襲撃はあの鬼の独断で、無惨からしたら瑣末な施設だと思われているのかもしれない。 もしそうなら腹立たしいものの一安心できるのにと、ナマエは複雑な気持ちを抱いていた。 「ここだ。足りないものがあれば言ってくれ」 廊下の突き当たり、屋敷の一番奥に当たる部屋の襖を開けて義勇はナマエに入るよう促す。小さな文机と座椅子、それから桐箪笥と備え付けの押し入れ以外には何も無い質素な部屋だった。 しかし、そのこざっぱりとした風景はナマエを落ち着かれてくれる。 「ありがとうございます。滞在している間は、ご迷惑でなければ家事のお手伝いをさせてください」 「家事?」 夜間だけの滞在とはいえただ飯食らいの状態では流石に申し訳ないと思い、ナマエは前掛けや頭巾も持参してきていた。 義勇はふむと顎に手を当て思案してから、小さく頷く。 「正直、助かる」 その時ようやく、少しでも恩返しができそうだとナマエは僅かながらに安堵できたのだった。 義勇は夜間見回りに出ることが殆どで、ナマエが滞在している時間に顔を合わせることはあまり無かった。 大抵はナマエが来るとすれ違い様に出て行くことが殆どだ。 そして、ナマエが義勇の屋敷から出る時間に帰ってくることも稀だった。 遠くまで見回りに行くことも多く、日が昇り切ってから少ししてようやく帰宅できることが殆どなのだ。 なのでナマエは、実のところ殆ど今までと変わらない日々を過ごしていた。 日の出とともに義勇の家を発ち、日没に合わせて戻ってくる。 それ以外の時間は馴染みの鎹鴉たちと過ごし、時折鬼殺の任務に赴く生活だった。 宣言通り炊事洗濯掃除、風呂を沸かすなどは基本的にナマエが行なっている。 懸想する相手の家で一人過ごすのに、ナマエにとって日没から朝までの時間は長すぎたのだ。 義勇はこれまで殆どを外食か惣菜屋の持ち帰り品で済ませていたので、初めの内はうっかり外食して帰ってくることも多かった。 帰宅して台所に残された握り飯や手製の弁当を目の当たりにし、そう言えばナマエが用意してくれると言っていたなと思い出すことが何度か続いたのだ。 しかしそれも、回数を重ねて流石に習慣付けられたらしい。 近頃は任務で遠出するとき以外腹を空かせて帰ってくるのが常になっていた。 それ以外にも、例えば部屋に戻れば朝の短い時間ではあるものの干したての布団が敷かれていたり、くべられた薪に火をつけ少し待てばすぐに風呂が沸くようになっていたり。 義勇の暮らしは、以前と比べて段違いに快適なものとなっていた。 そんな日々がしばらく続いた頃、義勇は久々の休息日を得てのんびりと過ごしていた。 そろそろ日が傾き始める時間帯になり、玄関の鍵が開けられる音がした。 少しして、義勇が居間で新聞を読んでいるところにナマエがひょっこりと顔を出す。 「こんばんは冨岡さん。今日はお休みでしたよね」 「ああ、そうだ」 「お夕飯は?」 「まだだが」 理由は簡単。何故なら、最近はナマエが朝出る前に義勇の三食分を準備してくれていたのに今日は夕食だけが無かったからだ。 どうせナマエは夕方また来るから、それから考えようと思っていたところだった。 「何か食べたいものあります?折角だからご希望を聞こうかなと思って」 「だから早かったのか」 普段はもっと陽が落ち切るくらいの時間に来るのにと、義勇は疑問に思っていたのだ。 「お買い物に行かないといけないと思って。だから今日の訓練は、少しだけ早めに」 たまにですからね、とナマエは悪戯っぽく笑ってみせる。 実のところナマエは義勇と久々にじっくり顔を合わせることとなるので、どうしようかと一日中落ち着かないでいた。 なので、罪悪感はありつつも鴉たちには早めに解散してもらったのだ。 「お店が閉まる前にと思って来たんですけど……ご迷惑でしたか?」 「鮭大根を頼む!」 「鮭大根」 せいぜい好きにしろとでも言われるかと思っていたので、ナマエは義勇の即答に面食らい鸚鵡返しをするので精一杯だった。 今までにこれほど彼が元気いっぱいに声を上げたことはあっただろうか。 いや、ナマエが記憶する限りは無いはずだ。 「知ってるか?」 「ええ、鮭と大根の煮物、ですよね?」 「それだ」 ナマエの反応から、もしや鮭大根を知らないのかと義勇は危惧していたがそれは懸念に終わる。 そして、ほっとした彼が見せたのは柔らかな笑みだった。 ナマエは初めて目の当たりにする義勇の微笑みに、雷に打たれたのでは無いかと思うほどの衝撃を感じる。 頭も身体も、びりびりと痺れて動けなかった。 「……ミョウジ?」 すると返事をしない彼女を不審に思い、義勇がナマエの顔を覗き込む。目と目が合って、ナマエは思わず叫び声を上げた。 「きゃっ!」 「す、すまない」 突然大声を出されてぎょっとした義勇を尻目に、ナマエは買い物用の籠を取り走り出す。 「すみません八百屋と魚屋に行ってきますーっ!」 これ以上は心臓が持たないと、全集中の呼吸でも落ち着けられない騒めきをなんとかする為ひたすらにナマエは走るのだった。 「ええと、この鮭の切り身を三枚ください」 魚屋の軒先で、ナマエは店主に声をかける。 艶々と脂の乗った紅鮭は、きっと義勇にも喜んでもらえるだろうと思えば自然と笑みが溢れた。 既に籠には大根が入っており、後は主役の食材である鮭を手に入れるだけだ。 「あいよ!っと、そっちの兄さんは?」 店主がナマエから少し視線をずらして活きの良い声を上げると、聞き覚えのある声がナマエの耳に飛び込んでくる。 「俺は客じゃない」 「はぁ?冷やかしは御免だよ!」 「とっ冨岡さん!?」 ナマエは思わず振り返り、そこに立つ仏頂面に目玉が飛び出そうになった。 「姉ちゃんの知り合いか?」 「え、ええと……」 「この鮭を買うのか」 「え?あ、はいそうです」 「籠は俺が持とう」 店主にどう説明しようかと考えている横から義勇にも質問を投げかけられ、ナマエは言われるがまま彼に買い物籠を渡す。 すると店主は二人のやりとりを見て、鮭の切り身を乾かした笹の葉に乗せながら呆れ顔を浮かべた。 「なんでい、最初から連れだって言いやがれってんだ。ほらよ、もう一切れ持ってきな」 「え?良いんですか?」 四枚目の切り身を包みに加え、店主は器用に包んでいく。 「俺は若い人らに腹一杯ウチの美味い魚を食って欲しいんだよ。次からご贔屓にしてな!」 「ありがとうございます!」 「しっかしあれだろ、大方日暮れが近いってんで心配になったんだな?旦那の顔にそう書いてあるぜい」 「はいっ!?」 思わず義勇の顔を見上げてしまい、ナマエは赤面する。 義勇は疑問符を浮かべたままの無表情ではあったが、店主の言葉が良くなかった。 「若い嫁一人じゃそら心配になるよなあ」 「別に私たちは夫婦というわけでは……そもそもさっき私は苗字でお呼びしたのに」 「へいお待たせ!」 耳まで真っ赤に染まったナマエの呟きは、呆気なく店主の声にかき消される。 義勇の方は全く気に留めていない様子で、涼しい顔のまま代金を支払った。 まいどあり!という威勢のいい声に追い出され、ナマエと義勇は連れ立って帰路に着く。 「ありがとうございました、荷物も支払いも」 「別に構わない」 「でも、どうして……?」 未だに義勇の顔を見られないまま、ナマエはおずおずと問いかけた。 対する義勇はどこ吹く風、手に持った買い物籠を覗きながら答える。 「鮭と大根ならもっと大荷物になるかと思ってたんだ」 「え?」 「切り身を買えば良いという発想が無かった」 「もしかして、鮭を丸ごと買うと思ってました……?」 確かに大根は丸ごと買うし、重いことは重いが女性でも普通に持つことができる。 しかし鮭の方はどうかと言えば、丸ごと買うのは板前くらいだろう。 義勇はナマエが鮭一匹を持って帰るのが大変だと心配して迎えに来てくれたのだと気が付き、危うく噴き出しそうになった。 「ふふっ、冨岡さんらしいですね」 「なにがだ?」 「いえ、何でもないです。でも来てくれて嬉しかったです」 鮭も一切れおまけして貰えましたし、と照れ隠しに付け加えるナマエ。 すると義勇は二重に包まれた笹の葉を確認してまた微笑んだ。 「本当に楽しみだ」 その横顔をうっかり視界に入れてしまい、またしてもナマエの顔に熱が集まる。 それ以降、ナマエは家に着くまで俯いていることしかできなかった。 爛々と輝く視線を背中に浴びながら料理をするというのはとても緊張する。 ナマエは自分に注がれる熱い眼差しをひしひしと感じながら、何度か菜箸を取り落としそうになりつつも無事食事を作り終えた。 「お、お待たせしました」 義勇が待つ食卓に主菜を運べば準備完了となる。 ご飯や副菜などは、先に義勇が配膳してくれていた。 「美味そうだ!」 「そんなにお好きだったんですね。沢山あるので好きなだけ召し上がってください」 「うん。いただきます」 義勇の様子があまりに普段と違うので、ナマエは徐々に緊張していたことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。 明らかに浮き足だった雰囲気で手を合わせる義勇がまるで子供のようで、ナマエは合わせた手に隠れてくすりと笑った。 そして、もしかしたら本来の彼はこういった無邪気な側面を持ち、柔らかな雰囲気の青年なのかもしれないとあり得た姿を思い浮かべる。 鬼に姉や親友を殺されなければ、義勇の人生は明るいものだったのかも知れないと。 「美味い。店が出せるんじゃないか?」 そんなナマエを現実に引き戻したのは他でもない義勇の声だった。 口いっぱいに鮭大根を頬張る彼は、頬にまで米粒を散らしている。 「褒めすぎですよ。魚料理は鴉たちの好物だから作り慣れてるだけです」 義勇は頭の中だけで、また俺は鎹鴉と同じ扱いなのか?と衝撃を受けた。 鳥が魚を好むのは一般的に知られていることなので、納得は出来たのだが。 「というか、ご飯粒がすごく沢山ついてますけど……」 ナマエに指摘され、義勇はぱちぱちと瞬きしながら指で米粒を取り始めた。 「冨岡さんて結構子供っぽいところがあるんですね」 「ひょんなほほはない」 咀嚼しながらなので分かりにくかったが、『そんなことはない』と言われているのだということが辛うじてナマエに伝わった。 「そんなにご飯粒だらけで言われても……ふふっ」 茶碗と箸を持ちながら肩を振るわせるナマエ。 義勇は不満そうだったが反論することはできなかった。 何故なら、口の中が鮭大根でいっぱいだったからだ。 「はぁ。こうして誰かと一緒に食卓を囲むのは楽しいですね」 普段は三統彦や鎹鴉たちと食事を取ることが多いナマエは、あまり他の人間と顔を突き合わせることはない。 村田を始めとする同期の隊士たちも近頃は以前より任務に赴くことが多く、戻ってきても怪我をして蝶屋敷に収容されていたりするのでなかなか時間が合わないのだ。 「ありがとうございます。時々人間の方とお話しするのも大事ですね」 いたずらっぽく笑うナマエは空になった茶碗と箸を置く。 義勇も確かにと思い、こくりと頷いた。 「俺も助かってる」 「義勇ハ前ヨリ健康的ニナッタ気ガスルノゥ」 そう言いながら寛三郎が食卓の下から見上げてくるので、義勇は目を合わせてもう一度頷く。 そこに横槍を入れたのは三統彦だ。 「ナラ義勇ハ嫁ヲ貰エバ良イダロ!」 「みっ三統彦!お前はまた失礼な事を言って!」 慌てて止めに入るナマエは、義勇が怪訝な表情を浮かべたので、その瞬間から生きた心地がしなかった。しかし三統彦は気にせず続ける。 「家事ヲシタクナインダロ?ソレトモ、デキナイノカ?」 「別にそういう訳じゃない」 「本当カァ?」 「もう、三統彦!すみません冨岡さん。三統彦ったら何でそんなに……」 三統彦はぷいとそっぽを向いてしまった。 自分の主人が義勇にとって都合の良い飯炊き女と思われていたら不服だと思った故なのだが、義勇にはそんなつもりが無いため一連の嫌味は無駄になったのだった。 「俺だってやれば出来る」 平謝りするナマエを義勇が片手で制する。 そらから彼は、至極真面目な顔のままナマエを見つめるのだった。 「ミョウジの好物はなんだ。何が食べたい?」 「え……私ですか?」 突然好きな食べ物を聞かれ、ナマエはきょとんとして動きを止める。 話の流れから義勇が作ろうとしているのだと察したので、なるべく簡単なものをと思うがすぐには思いつかない。 「好き嫌いは特に無いです、けど」 無難な答えを出そうと悩んだ末、ナマエはこう答えるので精一杯だった。 義勇は少し不服そうだったが、それ以上は追求せずに分かったと一言返事を寄越す。 一体何が起こるのか予想もつかず、ナマエは、思わず三統彦と顔を見合わせるのだった。 [back] ×
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