──どこまで行くんだろう?

ナマエは斜め前を歩く義勇の背中にこっそりと首を傾げる。
煉獄家を後にしてから四半刻。
着いてこいと言ったきりいつもの無口に戻った義勇は、歩調を緩めることなくナマエの家とは違う方面へと足を進めた。

ナマエは置いていかれまいと懸命に足を動かす。そのため義勇に話しかける余裕はなかった。
相手は柱だけあり体力も歩く速さも違う。
義勇もおそらく手加減しているのだろうが、ナマエがついてきていることだけは時折確認しつつも立ち止まることなく彼女の前を歩き続けていた。


しばらくすると、ナマエにも見覚えのある通りに出る。
ナマエがここを前に訪れたのは、彼女の記憶が正しければ寛三郎を水柱邸に送り届けた日のことだ。
すなわち、この辺りは義勇の自宅に続く大通りということになる。

義勇は家に帰るつもりなのに何故自分を敢えてここまで連れてきたのかと、ナマエは一層怪訝な表情を浮かべた。
今や寛三郎は元気そのもので、家を訪ねる理由も無い。

すると突然義勇が足を止めた。
考え事をしていたナマエは咄嗟に自分も止まろうとしたものの足がもつれ、義勇の背中にぶつかってしまう。

「わっ!……ごめんなさい!」

鼻の頭を摩りながらナマエが謝罪すると、どこ吹く風の義勇は目の前を指さした。

「腹は減っているか?」
「お腹……?まあ、それなりに」

夕餉には早い時間だが、今日のナマエは鬼殺隊本部に出向くため早めに昼餉を取っていたのでそろそろ空腹を感じる頃だ。そして、それは義勇も同じだった。

「ミョウジも好きなはずだ。最近は心太も始めたらしい」

そう言ってまた足を進める義勇。ナマエが彼の向かう先に目を向けると、そこには『甘味処』と書かれた旗が風に翻されている。

「ご一緒しても良いんですか?」
「俺は食べてる間喋らないが」

ナマエの質問に、義勇が真剣な表情で振り返った。ナマエは一瞬呆気に取られた後、質問が肯定されたのだと分かり笑顔になる。

「その方がお行儀良いと思います!」

元気の良い返事に、今度は義勇の方が僅かに面食らう番だった。
肯定的に捉えられたのは、なかなか悪くない気がした。


暁に鳴く 拾


「いらっしゃいませ!おお、これはこれは鬼狩りの旦那!」

迎えた店主は商売人らしく感じの良い男で、義勇の顔を見るなり声を弾ませる。
ナマエは男が義勇を『鬼狩り』と呼んだことから、以前義勇に大量の団子を持たせたのはこの店主なのだろうと一人納得していた。

案内された席に座ると、義勇は壁に貼られたお品書きを読む。
ナマエも彼に倣って、整った毛筆書きの文字を目で追った。

「お勧めは心太ですよ。質の良い氷を取り寄せてましてね、三杯酢でさっぱりと召し上がっていただけます」
「なら俺はそれを。ミョウジはどうする?」

向かいの席から向けられる義勇の視線と帳面と古筆を構えた店主の眼差しを受けて、ナマエはこのお勧めを断る理由もない。
同じものをと注文すると、少し考えた後義勇が付け加えた。

「あと串団子を四つ。それから……餡子を別に出して貰えるか?」
「へえ、そいつは勿論ですが。小皿に盛ってくれば良いですかね?」
「いや、それは持ち帰りたいから包んでくれ。少しで良い」

不思議そうに首を傾げたものの、恩人である義勇の注文にケチをつける訳もなく店主は厨房へと引っ込んでいく。
入れ替わりに店主の妻と思われる女が湯呑みを持ってきたので、義勇とナマエは温かい焙じ茶を飲みながら待つことにした。
芳ばしい香りは、悲しみや辛い気持ちに打ちひしがられた身体と心に染み入るものだ。

「……良かったな、要は」

卓上に、まだ中身の残る湯呑みを置いた義勇が呟いた。
ナマエは小さく頷き、両手で湯呑みを覆う。
手のひらから、じんわりと熱が広がった。

「どうして、ミョウジは鎹鴉の訓練士に?」

義勇の問いかけに、ナマエは湯呑みの水面を見つめる。
琥珀色の液体には、丸い波紋が三つ浮かんでいた。

「実家は代々鷹匠を営んでいる家でした。物心ついた時には鷹が周りにいて、兄弟のように育った雛もいます」

ナマエの脳裏にはあの懐かしい日々が今でも簡単に、色鮮やかに浮かび上がる。
鷹が居る以外は取り立てて特筆するところもない、裕福でもなければ貧しくもない平凡な家であったとナマエは回想した。

「普通の、ありふれた幸せな家でした。あの夜……鬼が来るまでは」

義勇は目を細める。鬼殺隊士の殆どが、同じ理由で入隊を志願していた。
親を、兄弟を、姉妹を──大切な人を、鬼に殺されたから。それは義勇にとっても大きなきっかけであったし、ナマエにとってもまた同じだった。

「生き残ったのは私一人です。家族も、鷹たちもみんな……最後の一羽が、鬼の目を突いて隙を作ってくれなければ私も今頃黄泉の国でのんびり寛いでいた事でしょうね」

勿論そんなことは望んでいないが、当時のナマエは何故自分だけが助かってしまったのかと落ち込んだこともあった。
それを聞いて、自分も身に覚えがある義勇は口を固く結ぶ。

「その子が鬼の手に払われて、羽根が舞い散った場面を今でも夢に見ることがあります……でもそこに鬼殺隊が来て、後は冨岡さんもよく経験されていると思います」

鬼は頸を斬られ、生存者は隠によって治療を受ける。
死んだ家族や鷹たちも隠が手際良く荼毘に付してくれたと言うナマエ。
それは義勇が今でもよく見送る光景だった。この甘味処の主人とて、運良く妻子も無事だったものの似たようなものだ。

「私も何かしたいと鬼殺隊士を志して、あの藤襲山の試練では『彼』のお陰で生き残ることができて」

義勇の脳裏に、山の斜面を跳ぶように駆け降りていく親友の姿が浮かび上がった。

「そうしたら、お館様に、ナマエは鎹鴉と仲良くなるのが上手だねって褒められたんです」

その時かけられた落ち着いた声色と微笑みは、ナマエにとって一生忘れられないものになっている。
彼女の人生を変えた、運命の一言だった。

「身の上をお話ししたところ、それなら鴉たちを私に任せてみたいと仰られたんです。それまでは隠の人たちが交代で世話をしていたようなのですが」
「そうか。お館様の発案だったんだな」
「本当に……お館様には頭が上がりません」
「それは俺も同じだ。皆そうだろう」

産屋敷家の歴代当主には恐るべき先見の明があるという。
義勇とナマエもそれを肌で感じており、改めて産屋敷耀哉に畏敬の念を抱いた。

そこへ、店主が盆を抱えてやってくる。

「お待たせいたしました、焼きたてのお団子ですよ。それからこちらは冷たい心太です。交互に召し上がってもよし、順に召し上がってもよし。餡子はお帰りの際にお渡ししますから、それまでごゆるりと」

それだけ言うと店主は人の良い笑顔を浮かべて、他の客に声をかけにいった。
ちょうど、外にお客が来ているようだ。

「わあ、美味しそうですね!どっちから食べようかな……」

団子と心太を交互に見て目を輝かせるナマエ。
その視界に、三色団子の串に手を伸ばす義勇の手が映り込んできた。

「焼きたての内に食べた方が良いですよね。じゃあ私も!」

ナマエも串に手を伸ばす。
まだほかほかと湯気と立ち上る蓬団子を頬張れば、ふくよかな蓬の香りとともに優しい甘さが口に広がった。

「おいひい……」

義勇の家で食べた時よりも温かい分一層美味に感じ、ナマエは連れてきてくれた義勇に心の中で感謝する。
口にするのは帰りで良い。
何故なら、義勇は食べている間喋らないと宣言していたからだ。

その宣言通り彼は黙々と団子二本と心太を平らげ、継ぎ足された茶を楽しんでいる。
ナマエは心太を啜りながら、とは言え彼は何故自分をわざわざここまで連れてきたのかと疑問符を浮かべていた。

その内に食べ終えた義勇が、ご馳走様と呟いて両手を合わせる。
ナマエの手元には、まだ少し心太が残っていた。
切子の器は窓から差し込む陽をきらきらと反射させ、卓上に光の粒を描いている。

「冨岡さんすみません。お暇ですよね……私も食べる合間に喋りますから、喋ってください、ぜひ」

長く無言でいることに気まずさを感じ、ナマエは心太を箸で掬いながら義勇に告げた。
元々多弁ではない上に無言であることに悪い感情を抱いたことがないので、義勇は気にしなくて良いと答える。
しかし是非と言われれば何か話題を提示するかと思う程度には、冨岡義勇は真面目な男だった。

彼は窓の外に目を遣り、勿論ここからは見えないもののとある街に想いを馳せる。

「吉原に、強い鬼の気配があるらしい」
「吉原って……花街の?」
「ミョウジは吉原遊廓を知っているのか」

つるつると心太を啜るのを止め、ナマエは咀嚼しながらそりゃあまあ……と呟いた。いくら女の身であっても東京にある有名な街の一つとして、ナマエでもその名は知っている。赴いた経験は、勿論無かったが。

「今は宇髄の奥方三人が潜入していると聞いた」
「さ、三人……っ!?」

ナマエは衝撃の事実を聞き、食べかけだった心太を危うく詰まらせる羽目になった。酢醤油が気管に入り、思わず咳き込んでしまう。

「げほげほっ!うう……、音柱様が派手好きなのは知ってましたけどまさか奥様が三人もいらっしゃるとは……」
「ミョウジにも知らないことがあるんだな」

胸を叩くナマエを横目に、義勇はこてんと首を傾げた。これが同じ柱の不死川や小芭内相手なら殴られただろうが、幸いなことにナマエは義勇の態度に苛立つような人間ではない。
義勇としても、ナマエが隊士たち其々の鴉から色々な話を聞いているということは身をもって知っていたので、当然彼女は宇髄の事情に詳しいのだと思っていた。なので、ナマエが驚いた事には義勇の方も驚いたのだ。

「音柱様の虹丸はどちらかというと鴉界の今季の流行とか、人気の唄とかそういう話を教えてくれますね」
「鴉界の流行」
「虹丸は鎹鴉の間だけではなくて、一般のカラスたちの中でも有名な洒落者らしいんです」
「……そうか」
義勇はしみじみと、自分の知らない世界について考えを巡らせてみる。寛三郎は年齢のこともあってそういった話題には明るくない。やはり鎹鴉たちは、主人と似通った性格になるのだと義勇は感動すら覚えたのだった。

「虹丸の話は置いておくとして……何故音柱様ご自身ではなく奥方様たちが鬼の調査に?お三方は鬼殺隊の隊員ではないですよね」

気を取り直して心太を啜り、今度はきちんと飲み込んでからナマエは話を戻す。

「宇髄と同じで三人とも元は忍らしい」
「なるほど。それで諜報活動に、という訳ですね」
「宇髄が客として潜入した程度では尻尾も掴めなかったと言っていた」
「遊女になれば、もっと店の奥まで入り込めるからですね」
「宇髄だと変装するにも大きすぎる」
「女装した音柱様は……そうですね、すぐ鬼に見つかってしまいそうです」

宇髄天元は柱の中でも異次元の体躯を持つ悲鳴嶼の次に身体が大きい。そんな宇髄がもし花魁の装いになったなら──ナマエと義勇はそれぞれ想像したものの、二人して顔を顰める羽目になった。
宇髄は自他共に認める色男だが、色男が須く美女になれるかというとそういうわけでも無い。

その一方で、ナマエはまじまじと義勇の顔を眺めながらもう一つ別の図を想像していた。
その視線に気がつき、義勇は怪訝な顔に変わる。

「なんだミョウジ」
「冨岡さんなら女装して潜入出来そうじゃないですか?」
「……は?」

目を丸くする義勇に対し、ナマエは眼前の男が白塗りし着飾った姿を想像していた。
義勇は生来整った顔立ちをしている。ナマエの脳内で、美しく変貌を遂げた花魁義勇が怪しく微笑んだ。

「ぶっ!」

それがあまりに似合いすぎていて──というのはナマエの主観だったが──、彼女は耐えきれずついに噴き出してしまう。
ナマエは最早、普段は無口でどちらかと言えば仏頂面の義勇が女言葉を使い客にしなだれかかる光景を想像するところまで行きついていた。

「ふふっ、似合う……」
「何の話だ」

突然ナマエが笑い出した理由が分からず、義勇は卓を挟んだ向かいにあるナマエの顔を覗き込む。
団子と心太を前に目を輝かせたり突然噴き出したり笑い泣きしたり表情が豊かだなと、ある意味感心していた。
自分には無いものだと、自覚しているからということもある。

「ご、ごめんなさい……ふふっ……あの、怒らないで聞いてもらえますか?」
「話による」

目尻を拭いながら未だにきちんと目を合わせないナマエに義勇は若干の苛立ちを覚えた。
これまでは素直に嬉しいことや楽しいことを報告してきたナマエが、今回ばかりは一人で楽しそうにしていることが気に入らないのだとは気が付かないまま。

「ですよね……じゃあやめときます」
「話せ」
「ええ……どうしましょう」
「良いから話せ」

濃い紺碧の瞳には鋭さが宿り、ナマエはこれ以上誤魔化せないことを察する。
怒らないでくださいよねと付け足してから、ナマエは腹を括って義勇の顔を再び見据えた。

「冨岡さんなら一番人気の花魁になれるなと思って」
「は?」
「絶対似合いますよ!私は遊郭なんて勿論行ったこと無いですけど分かりますもん!」

熱弁するナマエを尻目に、まさかそんなことで一人盛り上がっていたのかと呆気にとれる義勇。
しかし自分がまるで女の装いが似合うのだと言われているような気がして、どこか面白くなかった。

なので、義勇はすっとナマエの眼前に片手を差し出す。
ばちっと鈍い音がしたと同時にナマエが目を見開いた。
思わず両手を額に当て、義勇を見つめて固まるナマエ。

「俺は女じゃない」

人差し指の指先かじんじんと痛むのを感じながら、義勇はむすっと横を向く。
対するナマエは額に残る痛みと状況から、ようやく義勇の指に額を弾かれたのだと理解した。

「す、すみません……」

額を弾かれたたけなので義勇が本気で怒っているわけでは無いとは分かりつつ、彼がこういった行いをするとも思っていなかったので、ナマエは義勇にどこか子供らしさを感じて再び頬が緩まるのを感じる。

「ふ、ふふっ」
「弾かれたのに何故笑っている」
「すみません、なんだか面白くなってきてしまって」

隊士に揶揄われてむくれる柱など、ナマエはこれまで勿論見たことが無かった。
しかし一騎当千の柱と言えども一人の人間であり、そんな人間臭い一面を自分に見せてくれたことが嬉しくもあるナマエ。
再び弾かれないよう額を抑えながらも、ナマエは溢れてくる楽しい気持ちを隠さなかった。
顔を綻ばせるナマエを見て、義勇も呆れつつ頬を緩める。

「いつものミョウジに戻ったな」
「え?なんですか、いつもの私って?」

ナマエは両手を上げたまま首を傾げる。

「なんでもない。こっちの話だ」

そんなナマエの姿が可笑しくて、今度は義勇の方が小さく噴き出したのだった。

 
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