その胸に抱いた小さな身体からは、まるであたたかい陽の光のようなぬくもりが伝わってきた。トクトクと刻まれる鼓動を感じながら、ナマエは黒い翼を撫でる。腕の中で鴉が一羽、悲痛な鳴き声を上げた。


暁に鳴く 玖


義勇が寛三郎を伴って訪れたのは、立派な門構えをした一軒の屋敷だ。
掲げられた黒い御影石には『煉獄』という、義勇にとって親しみ深い二文字が彫られていた。

中から出てきたのは義勇と同じ黒い隊服を着た男女が三名。いずれも見知らぬ隊士ではあったが、皆炎柱を敬愛する者であることに違い無いだろう。
すれ違う際、彼らは義勇の顔を見て佇まいを直すと会釈した。
言葉を交わすことはない。今日この門を潜るものは皆、今抱えている想いを簡単には言葉にすることができないからだ。

玄関脇には弔問客用の記帳台が設置されていた。義勇は筆を取ると、帳面に知った名を見つけ視線を留める。
そこから間に三行挟んで、彼は『冨岡義勇、寛三郎』と書いた。彼女の書き方を見倣って。

出迎えてくれたのはまだ幼さの残る少年で、しかしその燃え盛る炎のような髪や丸く大きな瞳は彼の兄を思い出させる。

「何卒、お悔やみを申し上げる」

義勇は頭を下げた。すると、少年は玄関に三つ指をついて頭を垂れる。

「本日は兄の為にありがとうございます、水柱様」

礼儀正しいその少年は、名を千寿郎と名乗った。この世にたった一人、炎柱・煉獄杏寿郎の血を分けた弟である。
礼を述べられた義勇は、無言のまま千寿郎を眺めた。

杏寿郎から家族の話を聞いた経験はほんの僅かであったが、弟がいることや母親は既に鬼籍に入っていることは義勇にも聞いた記憶がある。
それ以外に彼が知っていることといえば、兄弟の父親である煉獄槙寿郎が先代の炎柱だったこと、その父は育手になる訳でもなく役目を退いた後は家に篭っているということくらいだった。

炎柱・煉獄杏寿郎の訃報が義勇の元に舞い込んだのは、杏寿郎が朝日の中、四半世紀にも満たないその生涯を閉じてから数刻経った頃。
行方不明者が続出している列車での任務に向かい、その先で下弦の鬼に遭遇したという連絡は受けていた。
しかし寛三郎が預かってきたのは、煉獄杏寿郎は上弦の参と相見えた後討ち死にしたという言伝で。
義勇は驚愕し、少なくない動揺を受け、そして悲しんだ。

煉獄杏寿郎という男は、さっぱりとした性格で気立ての良い人物だった。
彼が得意とする炎の呼吸と同じように、熱く燃え盛る闘志を秘めた稀代の剣士だったと、義勇は杏寿郎の剣捌きを思い浮かべる。
付き合いの悪い自分に対しても分け隔てなく接してくれた、懐の広い傑物だったとも。

「惜しい人を亡くした」

義勇はほとんど無意識のうちにそう呟く。
彼を先導し廊下を歩く千寿郎は、一度振り返ったものの悲しげな笑みを浮かべただけだった。


杏寿郎との最後の別れを終え、千寿郎に改めて哀悼の言葉と出迎えてくれた礼を告げると義勇は外へ出る。
玄関先まで見送りに来た千寿郎は、ふと静かに義勇の肩に止まっている寛三郎を見て言った。

「水柱様も鎹鴉を連れてきてくださったんですね」
「寛三郎という。が、それがどうかしたか?」

千寿郎は寛三郎から義勇に視線を移し、柔らかく微笑む。

「いえ。鎹鴉も鬼殺隊の大事なお仲間でしょうから、顔を見せてくださったのは兄も嬉しかっただろうと思いまして」
「そう言えば、煉獄の……君の兄君の鴉が側にいなかったな」

問いながら、義勇はいつも杏寿郎と共にあった鎹鴉の姿を見て思い描いた。
これまではあまり鎹鴉自体に興味を持っていなかったので、主人と似て体躯の大きな鴉だったことくらいしか覚えていなかったのだが。

しかし、義勇はここ最近になって何故か以前よりも鎹鴉のことが気になるようになっていた。
それは、彼が気づかないほどの小さな変化だった。

「兄が亡くなったので、一旦は鬼殺隊本部預かりという形になるようです。正式な沙汰が出たら連絡をいただけると、訓練士の方から聞きました」
「訓練士、か」

記帳台で名前を見かけたので、義勇はさほど驚かない。
隊士が殉職すれば遺った鎹鴉は彼女の元に戻ると知ったのは、つい最近のことだ。

「はい。水柱様がお見えになる半刻ほど前にお見えになりました」

義勇の脳裏に黒い羽織が浮かび上がる。柱合会議の前に見た、沢山の鴉たちと戯れる彼女の姿も。

「多分まだ中庭にいらっしゃるかと」
「ミョウジはまだ帰ってないのか?」

「本部からの返事が来るまで中庭でお待ちいただくとのことでしたので、まだいらっしゃるはずですよ。
鴉が一緒だから中には入らなくて良いと、固辞されてしまいまして」

千寿郎が元々下がり気味の眉をさらに下げながら言った。義勇は首を曲げ、中庭の方角を向く。

「ミョウジらしいな」
「少し前に、他の隊士の方々もお帰りになったので鴉たちと一緒に上がっていただいて構わないとお伝えしに行ったのですが……」

千寿郎の言葉は段々と歯切れが悪くなり、最後まで述べることなく途切れてしまう。
義勇が怪訝な表情を浮かべると、少年も中庭の方を見遣って呟いた。

「泣いてらしたんです。だから声をかけられなくて……。兄と対面したときは、堪えていらっしゃったと思うのですが」

義勇の指先がぴくりと動く。
彼自身にも何故かは分からなかったが、『行かねば』という気持ちが義勇の奥底に湧き上がった。

無言のまま足を進める義勇には驚いたが、しかしながら千寿郎は彼を止める術を持たない。
止める権利もなければ義務もなく、少年は静かに義勇の背中を見送った。

少しして、門先から弔問客の声が聞こえてくる。
千寿郎は慌てて門の方へと駆け出した。


中庭の片隅で、黒い羽織が震えている。
さめざめと涙を流し続けるナマエは、その腕の中に大きな鴉を抱いていた。

ざり、と砂利が鳴ったのでナマエは反射的に顔を上げる。
音のした方に目をやれば、そこには無表情の男が一人立っていた。

「……冨岡さんもいらしてたのですね」

六尺ほど離れた所で立ち止まった義勇は、うんと頷くとナマエの腕の中を見る。

「要です。炎柱様の……」
「ああ。お前が預かることになったらしいな」
「千寿郎くんに聞きましたか?ここでお館様からの返事を待たせていただいているところなんです」
「それも聞いた」

義勇が一歩踏み出すと、また砂利が音を立てた。
小石が一つ転がって、ナマエの足元で止まる。
ナマエが手の甲で目元を擦る間、義勇はただじっとその姿を見つめていた。

「お恥ずかしいところをお見せして、すみません」
「気が済むまで泣けば良い。別に恥ずかしいことじゃない」

義勇はナマエの様子が落ち着いていることを確認して、ようやく彼女の近くまで歩み寄る。じゃり、じゃり、という音が鳴り止むまでナマエは静かに佇んでいた。

「もう良いのか?」
「冨岡さんがいらしたので、驚いて引っ込みました」

頬を緩めてそう言うナマエの目元はまだ赤い。
義勇はそれを横目に見ながら、屋敷の中に顔を向けた。

「煉獄は、皆に愛されていたな」

閉ざされた襖を隔てた向こうには、ちょうど杏寿郎が眠っている。
明日には荼毘に付されることになっており、彼と今世で会えるのは正真正銘今日が最後だった。
葬儀は遺族の意向で小規模に行われることとなっており、その為生前関わりのあった隊士たちが義勇のように弔問に訪ねてきているのだ。

「そうですね。炎柱様は、強くて優しくて、眩しい方でした」

ナマエも義勇に倣って縁側の向こうに目を向ける。
杏寿郎の顔を拝んだのは半刻前のことだったが、ナマエはその表情があまりに安らかなものだったので泣くことも忘れてただ見入ってしまった。
要を、ぎゅっと抱きしめながら。

「あいつは欠けてはならなかった」

義勇は拳を握りしめる。
死んではならない者から死んでいくのは何故なのかと、訃報を受けたときには怒りすら覚えたほどだった。
煉獄杏寿郎という男はそれほどに隊士たちから慕われ、産屋敷家からも信頼されていた。
上弦の参と相見えたときも、義勇が見出した竈門炭治郎を初め沢山の命を守ったのだと後から聞いたのだ。

「確かにそうだと思います。
でも、誰だって欠けちゃ駄目なんです。欠けて良い人なんて一人もいない」

ナマエは悲しげに眉を寄せ、小さくかぶりを振る。

「遺された鴉たちは、私のところに帰ってきた日の夜一羽残らず泣くんです。その一晩の間に……亡くなった隊士との出会いから、最期の時を目の当たりにして伝令として飛び立つまでのことを思い返すんです。
本当は、ずっと傍に居たかったのにって」

義勇は肩に乗る寛三郎の重みを感じながらナマエの話を静かに聞いていた。

「一人の隊士についた鴉が遂行しなければいけない最後の使命は、どの子もみんな同じです。主人の死に様を伝えること……どんな鬼と戦い、相手にどれだけの痛手を負わせ、何を得たのかを」

ナマエの頬を一筋の光が滑り落ちていく。
顎を伝って滴り落ちたそれは、彼女の腕の中にいる要の羽を濡らした。
要はナマエを心配そうに見上げ、自分を抱きしめる腕を優しく啄ばむ。

「ナマエガ一緒ニイタカラ、昨日ノ夜私ハ杏寿郎トノ思イ出ヲ沢山思イ出セタンダ。ナマエガ共ニ悲シンデ、共ニ懐カシンデクレタカラ」
「要……」

遂にナマエは要に顔を埋めて泣き出してしまった。
義勇はどうしたものかと困惑したが、何をすることもできずただナマエの姿を見守る。
義勇の視界の片隅で、ナマエの黒い羽織の裾が揺れた。

「鎹鴉たちは言います。大切な人が戦っている時に何も出来ないのは歯痒いと。見届け、伝えるのが鴉の使命だから仕方のないことだとは分かっていても」

要の背中に顔を埋めたナマエからくぐもった声が聞こえてきた。
義勇は悲痛な表情を浮かべ、何か声をかけてやるべきかと迷っている。
これは互いの責務であるから仕方ないのだと言ってしまえばそれだけだ。
しかし、ナマエや要の姿を見ていればそんな考えは到底浮かばなかった。

「ミョウジ……」

その気持ちを受け止めてやれるのはお前だけだ、鴉たちはお前に救われているはずだと義勇が続けようとした時。
ふと、義勇の肩から寛三郎がナマエの肩へと飛び移る。

「ワシラハ皆、ワシラノ事デ心ヲ痛メテクレルナマエノ気持チヲ分カッテオルヨ。ノゥ、虹丸」
「ヨモヤ!私ハ要ダ!」
「オォ、ソウジャッタカ」

ナマエを慰めようとしたのだろう、寛三郎は彼女の髪を嘴で撫でた。
名前を間違えられた要が声を上げると、ナマエが僅かに笑う。

「ふ、ふふっ……」

やがて顔を上げたナマエはまだ涙に濡れていたものの、浮かべるのは穏やかな表情だった。

「ありがとう。寛三郎、要」

自分が出るまでもなかったと、半開きのままになっていた口を閉じる義勇。
言おうとしていたことは寛三郎に言われてしまったし、その方がナマエも嬉しいだろうと彼は自分に言い聞かせた。

すると、泣き笑いのナマエが義勇に顔を向ける。

「こんな話を聞いてくれてありがとうございます、冨岡さん」
「俺は何もしてない」

現に義勇が言いかけた言葉は寛三郎の口から、よりナマエに響く形となって伝えられたのだから。
彼自身はそう思っていたものの、ナマエは緩く首を横に振る。

「鴉たちだけが相手だったら、多分こんな風に全部話せなかったと思います。恥ずかしい姿を見せてしまいましたけど……」
「さっきも言ったが別に泣いたって良いし、恥ずかしいこととも思わない。それだけミョウジが真剣だってことだろう」

義勇は夜の湖畔を思わせるような濃紺の瞳でナマエを見据える。
ナマエは息をすることも忘れるほど、その視線に射抜かれて動けなくなってしまった。

静けさの中に労るような優しさを湛えたその眼差しは、ナマエの中に残った小さな悲しみをほろりと解きほぐしていく。
そして彼の言葉には不思議な説得力があった。普段は口数が少ないからこそ、発せられる一言の重みを感じたナマエは胸に手を当てる。

「……ありがとう、ございます」

慰められているのにまた涙が出てしまいそうで、今のナマエには感謝の気持ちだけを伝えるのが精一杯だった。
それでも、ようやく言いたいことが言えたことやそれがきちんと伝わったことが分かったので、義勇は満足げに頷き返す。

するとそこへ、空からバサバサと翼のはためく音が降ってくる。
義勇とナマエの頭上に黒い影がよぎり、くるりと旋回しながら舞い降りてきたのは三統彦だった。
義勇は、そう言えば先程から三統彦の姿が見えないと思っていたなと考える。
しかしナマエの前で滞空している鎹鴉の足を見て、使いに出ていたのだと理解した。

「おかえり三統彦。急いで行ってくれてありがとう」

ナマエは三統彦の足に結ばれた紙を外すとすぐに広げる。
それは産屋敷家からの文だった。

「あまね様の字だ。良かったね、要。しばらくは煉獄家に滞在するようにって」

ナマエは要を腕に抱きながら文を広げ、彼にも見せてやる。
そこには、要は当面の間煉獄家付きという扱いにすること、煉獄家の人間に何か困ったことがあれば要を使いにし、些細なことでも産屋敷家に相談してほしいとの旨がしたためられていた。

「炎柱様がいらっしゃらなくなって、千寿郎くんも何かと困ることかあるだろうしね。お館様は援助を惜しまないとも書いてあるわ」
「了解シタ。杏寿郎ノ分マデ千寿郎ヲ助ケヨウ!槙寿郎ノコトモ心配ダシナ!」

要は文を読み終え、カァカァと元気よく鳴く。
ナマエの右肩には寛三郎が止まったままだったので、三統彦も文を読もうと反対側の肩に止まった。

「良カッタナ要。ナマエニ感謝シロヨナ」
「ウム、良カッタノゥ」

三統彦と寛三郎も文を読み終え、口々に要を祝う。
嬉しくもどこかむず痒くなった要は、翼を広げて声を上げた。

「ワッショイ!!」
「きゃっ!」
「っ!?」

ナマエの肩が跳ね、三統彦と寛三郎が飛び上がる。
思わず要を投げ出し一歩前に飛び出したナマエと、声にならない叫び声を上げながら飛び込んできた彼女を抱き止める義勇。
ナマエが顔を埋めることとなった厚い胸板からは、とくりとくりと義勇の心音が伝わってくる。

対する義勇はといえば、咄嗟にナマエの背中に手を回し抱き締めそうになってしまったものの、我に返った彼の手は彼女の背後で彷徨っていた。
腕の中に収まった温もりと、そこから伝わってくる鼓動の大きさに理由の分からない戸惑いを覚える。

数枚の黒い羽根が舞い散って、二人の足元に落ちた。

「……すみません!」
「いや……」

がばっと音がしそうな勢いでナマエが義勇から距離を取る。
義勇の方は相変わらず無表情のままではあるが気まずそうに視線を逸らした。

「かーなーめー!もう、驚かさないでよ!」
「スマン!杏寿郎ノ癖ガ移ッテシマッタ!」

ナマエの頭上でカァカァと笑い声を上げる要と呆れたように溜息をつきながらナマエの左肩に舞い降りる三統彦。
寛三郎は既にナマエの右肩に戻っていた。ナマエはこの恥ずかしさをどう誤魔化したら良いのか分からず、笑いながら飛び回る要を責めることしかできない。
勿論、本気で怒っているわけではなかったが。

ナマエがもう一度声を上げようとした瞬間、中庭の入り口から砂利が踏みしめられる音が響いた。

「ヒッ!?」

ナマエと義勇が振り返ると、そこには黒い装束に身を包んだ隠が二人立っていた。
彼らは頭巾で目元以外を覆っているため詳しく確認できないが、その目にはあからさまな恐れの色が浮かんでいる。

「しっ失礼しました!ほら、謝れよ!」

二人組の片方が、未だに動揺したままの片割れを小突いた。
言われた方もようやく我に返り、これでもかと言うほど頭を低く下げる。

「申し訳ございません!柱の方がいらっしゃるとは思わずに……っ!」

ナマエはすぐに、彼らが自分の姿を見て驚いたのだと分かった。
あまりに恐縮する隠たちが哀れになり、ナマエは気にしなくて良いと声をかけようとした。
が、その時。

「謝る相手は俺じゃないだろう」

ざり、と足を踏みしめる音と共に発せられた低い声。
ナマエの一歩前に歩み出た義勇は、不快さを露わにし隠たちを睨みつけた。

「ひっ!も、申し訳ありませんッ」

蛇に睨まれた蛙ですらここまでの恐怖を味わうことはないだろうと、隠たちは自分に向けられている絶対零度の視線に震え上がる。
相手がかの水柱・冨岡義勇であることはすぐに分かっていたため、彼らは釈明する猶予すら自分たちにはないのだろうと確信していた。柱という存在は、鬼殺隊の中でそれだけ恐れ崇められているのだ。

隠二人を睨んだまま微動だにしない義勇の後ろからナマエが顔を覗かせる。
彼女は困ったように眉を下げ、しかし少しだけ微笑んでいた。

「ありがとうございます、冨岡さん。でも、大丈夫ですから」

そう言ってナマエは義勇の横に並ぶ。

「私はミョウジナマエです。鎹鴉の訓練士を任されています。黒ずくめな上に鴉を三匹も連れていたから驚かせてしまいましたよね」
「あ、鴉の……」

さすがに鬼殺隊の裏方を任される隠なだけあって、彼らもナマエのことは話に聞いていたようだった。
黒い羽織の理由も理解し、隠たちはまた頭を下げる。

「本当に、本当に申し訳ございませんでした!」
「私なら大丈夫ですよ。お二人は炎柱様にご挨拶に来られたんですか?それなら早くお顔を見せてあげてきてください」

ナマエが務めて穏やかにそう伝えると、よくやく隠たちが顔を上げた。

「自分たちは明日の葬儀のご手配を頼まれているんです。なので準備のために裏口へ向かっておりまして……」
「なら早く行け」

彼らが言い終わるより先に義勇が苛立った声で告げる。
それを聞いた隠らは、再び震え上がると一目散に駆け出したのだった。

「……庇ってくださってありがとうございました」

隠二人が去って、今度はナマエが義勇に頭を下げた。
義勇はしかめ面のまま、隠たちが駆けていった方角に目を向ける。

「慣れているので。でも、この羽織も私には必要なことだから変える気もないんですけど」
「変えなくていい」

ぽつり、義勇が呟く。

「今みたいに鴉たちと仲良くしているミョウジがいい……と、思う」
「冨岡さん……?」
「……変わる必要はないと言うことだ」

照れ隠しなのか、目を合わせないまま言い切った義勇は寛三郎を呼んだ。
鴉を腕に止まらせると、彼は表門の方角に向けて歩き始める。

「要のこと、早く千寿郎に知らせてやるといい」
「あ!そうですよね、すぐ行ってきます」

促され、ナマエも三統彦と要を連れ玄関に向かうことにする。
互いに無言のまま並んで煉獄家の玄関先まで歩いてくると、別れの挨拶をするためにナマエが義勇に向き直った。

「今日は本当にありがとうございました。冨岡さんがいなかったら、泣いてしまったこともさっきのことも、もっと落ち込んでいたと思います」

義勇はナマエを見下ろしたまま何かを思案し、ややあって口を開く。

「今日は任務が入っていない」
「そうなんですね!それは良かったです」
「……俺はここにいるから、ミョウジは千寿郎に文を」
「え?」

ナマエはすぐに義勇の言っている意味が理解できず、瞬きを三回ほど繰り返した。
それからようやく義勇が待っていてくれるのだと思い至り、一気に背筋を正す。

「え、あの、分かりました!急いで行ってきます!」
「急がなくてもいい。千寿郎にちゃんと説明してやれ」
「はいっ!なるべく急いでちゃんと説明してきます!」

要を抱いたまま慌ただしく玄関の戸を開けるナマエ。
中からは驚いた千寿郎の声が聞こえてきた。

「急がなくて良いと言ったよな?」
「コウイウ時ハ急ギタクナルモノジャヨ、義勇」

寛三郎の見透かしたような物言いが理解できず、義勇は眉間に皺を寄せるのだった。

 
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