ミョウジナマエの足元で輪を作り、艶やかな黒い翼をはためかせる鴉たち。
彼らは皆他の鎹鴉とは一味違う精鋭中の精鋭、鬼殺隊の頂点である九人の柱たちの鴉だった。

「デネ、ソノ帰エリニ蜜璃ガ買ッテキテクレタ最中ガ美味シクッテ」

頭に付けた飾りを揺らして声を弾ませるのは、恋柱・甘露寺蜜璃の鎹鴉「麗」である。
先ほどから話題の中心は彼女の近況だった。
もう十五分ほど、麗が茶飲み友達でもある主人と最近食べたありとあらゆる甘味の話が続いている。

「ヨクモマァ胸焼ケシナイモンダナ」
「聞イテルコッチガ胃モタレシテキタ!」

初めの内は人間の作り出す数々の甘味について興味深く聞いていた鴉たちだった。
しかし落雁、饅頭、きんつばときて今度は最中の話が始まったのだから、食べてもいない砂糖の取りすぎで段々と膨満感が湧き起こる。

とある甘味を愛してやまない主を持つ、不死川実弥の爽籟すらそれは同じだった。
しかし他の鴉たちの様子に気がつかない麗は、やがて浅草に出来た新しいどら焼き屋の話をし始める。


暁に鳴く 捌


「トコロデ」

爽籟に目配せされ、岩柱・悲鳴嶼行冥の鴉「絶佳」が口を挟んだ。
多少強引になろうとも話の流れを断ち切らねばならない。
絶佳は常日頃、悲鳴嶼が柱の中で最年長かつ纏め役であるからには仕える自分も主に準ずる存在であろうと心掛けていた。

「本日ノ会議ハ滞リナク進ンデイルダロウカ……」

絶佳はたまたま向かい側に居た要に問いかける。
要は炎柱である煉獄杏寿郎の鴉だ。主に似たのか、誇り高く常に凛としながらも、鴉当たりの良さから他の鴉たちとの関係も良好だった。

「ウム。シカシ、先程ノ柱合裁判デ一悶着有ッタコトガ心配デハアルナ!」
「オマエハ最近口調マデ炎柱ニ似テキテナイカ?」
「ヨモヤ!」

爽籟に指摘され驚いて声を上げた要の瞳は、不思議と梟のものほどの大きさに見える。
勿論ナマエがそう感じただけで、実際には他の鴉と変わらないつぶらなものだったが。

寛三郎や霞柱の銀子ほどではないにしろ、柱についた鴉たちは皆それぞれの主とほとんどの時を共に過ごし唯一無二の関係を築いている。
だからこそ彼らが主人に似ることも珍しくないが、要の口調はまさに炎柱そのものだった。

「ふふ、本当に爽籟の言う通り。そういえば、今日は柱合会議だけでなく裁判もあったんだね?」

ナマエは一般隊士なので、柱たちが本部に集まる理由といえば定期的に行われる柱合会議の為ということしか知らない。
しかし、隊律違反を犯した隊士の処遇を決めるための制度として柱合裁判があることは知っていた。
とはいえナマエは実際にこの裁判が執り行われた事案を殆ど知らない。
それだけ重大な隊律違反など、一体どの隊士が犯したのだろうか。
鬼殺隊一丸となって鬼を──鬼舞辻無惨を倒すために切磋琢磨せねばならないのに、貴重な戦略である柱たちの手を煩わせることなどあってはならない。そう考えるナマエは眉間に皺を寄せた。

すると蛇柱・伊黒小芭内の鴉「夕庵」が、輪から離れたところでまた日向ぼっこをしている寛三郎を横目に嘴を開く。

「新シク入ッタ隊士ガ鬼ヲ連レテイルノハ知ッテルカ?」
「竈門隊士のこと?妹さんが鬼だって聞いてるけど」
「ソイツガ裁判ニカケラレタンダ」
「ダガ、オ館様ガ認メロトノコトダ」

絶佳がそう付け加えた。そのことはナマエにも想像がついていたので、今回柱たちの前で正式に言い渡されたのだろうと理解する。
しかし続いて夕庵が発した言葉に、ナマエは思わず息をすることすら忘れてしまいそうになった。

「モシモ鬼ノ娘ガ人ヲ襲ッタ時ハ、責任取ッテ炭治郎ノ育手ト水柱ガ腹ヲ切ルラシイゾ」

冨岡様が切腹を?──ナマエの頭に、鈍器で殴られたような衝撃が走る。
聞けば、竈門兄妹を鱗滝左近次に預けたのは他の誰でもない冨岡義勇その人らしい。
だとすれば義勇が鬼と化した禰豆子を殺さずに見逃したということになる。

ナマエは鴉たちが口々に説明してくれる事の顛末を聞きながらも、どこか落ち着かない気持ちになり話の半分も正確に聞き取れなくなっていた。

「……ナマエ、ナマエ!大丈夫カ?」

ナマエが肩に重みを感じたと同時に、耳元にはけたたましく呼び立てる三統彦の声が響く。

「っ、ごめん。大丈夫だよ三統彦、ちょっと考え事しちゃってた」

鎹鴉の小さな丸い瞳に覗き込まれ、ナマエはふるふると首を横に振った。三統彦はそんな主に向けて、怪訝な視線を向ける。

「義勇ガ心配ナンダナ」
「だって、腹を切るだなんて」
「気持チハ分カルケドヨ、ナマエガソンナニ思イ詰メルコトカ?」
「そう、なのかな……」

揶揄うわけでもなくただじっと見つめる三統彦。ナマエは騒めく胸に手を当て、自分でも説明することのできない気持ちに想いを巡らせた。

「松右衛門から聞いてるの。竈門禰豆子さんは本当に人を襲ったことがないんだって。それに、炭治郎君の方も本当に志が高くて、一本筋の通った子だって」

ナマエの元には、例に漏れず天王寺松右衛門から炭治郎についての情報が僅かながら入ってきている。
炭治郎には次から次へと新しい任務が入ってきている状態なので、松右衛門も鎹鴉の訓練所に頻繁に顔を出せるわけではなかった。
しかしまだ巣立ってから長くないのでナマエも松右衛門たちのことは気にかけているし、松右衛門たちも時間を見つけては早くも懐かしくなった訓練所に帰ってくるのだ。

「松右衛門ハ、口ハ悪イガ嘘ハ吐カナイモンナ」

ナマエの肩に止まったまま頷く三統彦の声色は優しかった。まるで、少なからず動揺している主人を宥めるかのように。

「ダカラ俺ハ心配無用ダト思ウゾ。爺サンダッテ、ホラ」

三統彦に促され、ナマエは寛三郎に視線を向けた。
いつかの縁側と同じようにのんびりと陽の光を浴びながら、ナマエの視線を感じた寛三郎が顔を上げる。

「義勇ナラ、心配シナクテモ大丈夫ジャヨ」

年老いた鴉は穏やかな声色で告げる。

「ナント言ッテモ、炭治郎ハ義勇ガ隊士ニト推薦シタ子供ジャカラノゥ」

周りから義勇に対して心配性な面ばかり取り沙汰されがちな寛三郎であるが、それでもやはり義勇のことを深く信頼しているのがナマエにも伝わってきた。
寛三郎が言うからこそ、その言葉には揺るぎない説得力がある。

「そうだよね……うん、私も炭治郎君と禰豆子さんを信じようと思う」

ナマエは寛三郎の前に屈み込んで、毛羽だった背中を撫でた。

「そもそもお館様が信じていらっしゃるんだもん。私みたいな一隊士が信じない理由なんてないよね」
「違ウダロ、ナマエ」

すかさず口を挟むのは三統彦だ。
しかし産屋敷家に絶対的な忠誠を誓っているナマエには、何故否定されたのか分からなかった。
その様子に三統彦は溜息を吐く。

「ソレ以前ニ、義勇ガ炭治郎ヲ信ジテルカラジャナイノカヨ!」
「うん、勿論それもあるよ?」
「ムシロソッチガ先ダロウガ」
「ええ?私も鬼殺隊士の端くれなんだから、やっぱりお館様の意向が最優先だよ」
「ハァー……オマエナァ」

「義勇カ、モウ終ワッタノカ?」
「ああ、待たせたな寛三郎」
「ソウソウ、義勇ノコトガ……ウン?」

三統彦は、義勇のことがそれだけ心配な理由を考えてみろと続けようとしたものの、耳に飛び込んできた声がそれを止めさせた。
まさかここで、主人に得体の知れない戸惑いを与えた本人が登場するとは思いもしなかったからだ。

義勇は寛三郎を見下ろし、いつもと変わらない涼しい顔をしたまま片手を差し出す。
寛三郎は当然の如くそこに飛び移った。

「お疲れ様です。柱合会議は終わったんですね」
「ああ。寛三郎が世話になった」

ナマエが歩み寄ると、義勇は寛三郎を止まらせた腕を上げて見せる。

「もう速記の訓練は終わったのか?」

義勇の視線の先には、彼がここを発った時にいたはずの若い鎹鴉たちではなく柱の鴉しか見えなかった。
何故分かったかといえば、恋柱・甘露寺蜜璃の麗は頭に花飾りを着けているし、音柱・宇髄天元の虹丸は洒落者と呼ばれるだけあって目立つ出立ちをしているからだ。
この二羽と寛三郎が居て且つ鴉の総数が九つであるからには、全部で九名いる柱の鎹鴉であることは容易に想像できる。

「さっきの子たちは先に訓練所に帰りましたよ。私は、久しぶりに柱の皆さんのところの子たちと会いたかったから残ってたんです」
「そうか」
「柱の方が鴉を迎えに来るのは、冨岡様のところだけですけどね」

ナマエはそう言って笑顔を浮かべた。
今ではすっかり義勇と寛三郎の仲の良さは知っていたので、なんとも微笑ましい気持ちになっている。
ちょうどその頃、他の鎹鴉たちも主人が屋敷から出てきた気配を感じ取り、各々が翼を羽ばたかせはじめた。

「ナマエチャン、マタ遊ビニ行クワ」

麗が花飾りを揺らして飛び立つ。その後に、蛇柱・伊黒の夕庵が続いた。

「私モ行クワネ!」
「俺モ派手ニ行ッテヤル!」

蟲柱の艶、それから音柱の虹丸が続き、他の鴉たちも一言ずつ挨拶をしてから飛んでいく。

「みんな、さようなら。引き続き柱の皆様をよくお助けしてね」

飛び立つ鴉たちに向けナマエは手を振った。黒い羽根が数枚、青空からひらりひらりと舞い降りてくる。
そのうち一枚が目の前に落ちてきたので、義勇は手を出しそれを掴んだ。
それは炎柱・煉獄杏寿郎の要が落としたもので。
寛三郎の物と比べると一枚が大きく、黒々として油艶の良い羽根である。

「さて私たちも帰ろうか、三統彦」

鎹鴉たちが解散してしまえば、ナマエにもここに残る理由はない。
ナマエに呼ばれた三統彦も頷き返し、彼女の肩に止まった。

「爺サン達モ帰ルノカ?」

三統彦は、義勇の腕に止まってまた日向ぼっこに興じている寛三郎に問いかける。寛三郎は義勇を見上げて、彼の意向を伺った。

「ああ。もう用はないからな」

寛三郎の代わりに答えた義勇は、くるりと踵を返して鬼殺隊本部の表門に向かおうとする。
三統彦はカァとひと鳴きし、ナマエと義勇の気を引いた。

「ソレナラ俺タチト一緒ダナ」
「そうだね三統彦。あの、冨岡様。良かったら帰り道をご一緒しても?」
「……好きにしろ」
「ありがとうございます、冨岡様」
「あまり様様言われるのはむず痒くて好きじゃない」

隣に並んだナマエに、義勇は怒っているわけではないもののどこか困ったような瞳を向ける。

「俺はそんなに敬われるような人間じゃない」
「そんなことは……でも、好きではない呼ばれ方をされるのは苦痛ですよね。気をつけます」

あくまで自分を卑下し続ける義勇だったが、ナマエは下手に否定し柱である自覚を持つよう説教する様なことはしたくなかった。
もし義勇が柱という立場を重荷と思っていたとしても、それでも彼が責務を全うしている事には違いない。
それなら、自分と話す時だけでも気が重くなるようなことは言わないようにしたいと思っていたからだ。

「冨岡さん、途中までご一緒させてください」
「……構わない」

義勇はそれだけ言うと再び歩き始めた。
ナマエも置いていかれないようその隣に並ぶ。


歩いている間、ナマエは柱合裁判の事について触れるべきか止めるべきかを悩んでいた。
義勇の口から、竈門禰豆子が人を食った後の処遇について聞くのが怖かったのだ。
しかし、それと同時に義勇の口からはっきりと聞きたいと言う気持ちもあった。竈門炭治郎と禰豆子ならきっとこの先も大丈夫だ、と。

しかしナマエには、言葉にするだけの思い切りが足りなかった。
そもそも自分の方が遥かに位は低く、そこまで親しい関係とも言い切れない間柄だ。なので、あまり彼の事情に踏み入るべきではないと考えているのも理由の一つだった。
だからナマエは、炭治郎の話題には触れないことにする。

「会議はいかがでしたか?お館様もいらっしゃったんですよね」
「ああ。お加減はあまり良くなさそうだったが、それでも気丈に振る舞われていた」

義勇は産屋敷耀哉がどんな様子だったか話してみせた。
話を聞き、ナマエは病に侵されて尚鬼殺隊士を導き続ける耀哉に敬意の念を抱く。
産屋敷家の当主は代々薄命で、現当主である耀哉も余命幾ばくもない状態であった。

「那田蜘蛛山の話も出たな。隊士の質が落ちているのではないかと言い出す奴も何人かいた」

那田蜘蛛山には十二鬼月の一人、下弦の伍が巣食っていたのだ。
大勢の隊士がその命を儚く散らしたことはナマエもよく知るところで、柱である義勇と胡蝶しのぶが派遣されたことからも任務の困難さは推し量ることができた。

「ああ、それで村田くんが真っ青な顔をして隠しの方に連れていかれたんですね」
「あの真ん中分けの村田だな?」
「はい。ふふ……さすがに同期なだけあって村田くんの事はご存知だったんですね」

村田というのは一人の鬼殺隊士で、ナマエや義勇と同じ藤襲山の試練を生き残った男だ。
彼は那田蜘蛛山にて鬼が使う鬼血術の被害に遭ったものの、隠たちが手当した甲斐もあって命に別状がなく帰還することができていた。

そういうわけで村田隊士は哀れにも柱合会議の場に呼ばれ、威圧的──普通の隊士からするとほぼ全員がそう見える──な柱たちからやれ隊士の質が落ちているのでは無いか、やれ柱と竈門炭治郎以外で下弦の鬼に対処できる者が何故いなかったのかなどを根掘り葉掘り聞かれたのだ。

「村田くんとは担当地区が同じなのでたまに同じ任務に行くこともあるんですよ」
「仲が良いのか?」
「時々食事に行くくらいには親しいと思います。他の同期も、何人かは」

そもそも大人しい上に柱である義勇とは流石にやりとりをするようなことは無かったものの、あの入隊試練で生き残った隊士は例年より多かったためナマエは幸いにも同期に恵まれていた。

「今度冨岡さんもどうです?村田くんは面白いし、他にも呼べば何人かは来ると思いますよ」
「……俺はいい」
「そうですか?でも、気が向いたらいつでも声かけてくださいね」

ナマエはまた深追いしないよう注意しながら、義勇に向けて努めて明るく言う。
すると今度は、義勇がぽつりと呟いた。

「ミョウジは鴉としか一緒にいないかと思っていた」

ナマエは目を丸くしたが、すぐに可笑しくなって肩を震わせる。
義勇の言葉は相変わらずまるで配慮の無いものだったが、彼の声色からは悪意がまったく感じられなかった。

「ふふ、私の印象はそんな感じだったんですね?」
「……気を悪くしたなら謝る」
「いえ、そう思われても仕方ないです」

二人は緩やかな下り坂を歩き続ける。
鬼殺隊本部があるこの小高い山は一年中落ち葉が積もっていて、踏み締めるたびに掠れたような乾いた音が辺りに響いた。

「私のことを気味悪がらないし、もう知り合って八年にもなりますからね。でも、確かに村田くんが良い人なので仲良くできているのかもしれません」
「村田は良い奴なのか?」
「はい、村田くんは相当いい人ですよ。面倒見も良いし」
「そうか……村田は良い奴」

義勇の中ではナマエもだいぶん良い奴として分類されているので、そんなナマエが良い人だと言うなら村田も良い奴に違いないと納得していた。
それから義勇は不思議と、あの藤襲山での試練の時に自分を介抱してくれた一人の少年を思い出す。名前も顔も思い出せないものの、さらりとした艶のある黒髪が朧げに浮かぶのだった。

しかしそんなに良い奴なら柱合会議の時に少しは助け舟を出してやれば良かったと、義勇は半刻前の出来事を思い出す。

宇髄や伊黒をはじめしのぶや煉獄、果ては悲鳴嶼にまであれこれと追及され、近頃隊士の質が落ちているのは何故かなどという村田一人に到底分かるわけがない問答の中心に置かれてしまった不憫な同期。
義勇はその場を静観していたのだが、今思えば一言くらい声をかけてやればと思うのだった。
仕舞い込んだ記憶故にはっきりとは思い出せないが、恐らくあの日怪我をした義勇の面倒を引き受けてくれたのは──

「冨岡さん?」

ナマエの声が義勇を現実に引き戻した。
物思いに耽ってしまった彼を心配するように、ナマエは眉を寄せた義勇を覗き込む。

「大丈夫ですか?会議で、何か……ありましたか」

ナマエの言葉に歯切れの悪さを感じ、その理由が何故なのか分からない義勇は怪訝な顔をした。
柱合会議では恐らくその前の柱合裁判の話題も出たはずだと考えたナマエは、義勇が物思いに耽るほどの理由といえば例の竈門兄妹のことだろうと想像している。
実際には、義勇の頭の中は今村田のことで一杯だったが。

「いや、なんでもない」

本当に何事も無かったように前を向く義勇を見て、ナマエは心の中でため息をついた。
心配しすぎるのは良くない、義勇自身が何も言わないのであれば自分が踏み込む事は出来ないと。
それに、彼の口からはっきりと聞くのは何故かとてつもなく恐ろしいことだと感じていた。

信頼する他人に命をかけられる事は美しいのかもしれないし、万が一の事があれば義勇は本当に潔く腹を切るだろう。
ナマエは、それを彼自身が認めるのが怖かったのだ。
しかし、鬼殺隊士なら誰もが命を賭けて戦っている。
勿論ナマエ自身も同じで、覚悟もしていた。それなのに、何故か目の前の男が命を投げ打つところなど想像したくもないと感じている。
義勇が竈門兄妹を信頼しているから大丈夫だとは思いつつ、この話を聞いた時からずっとナマエの思考は堂々巡りを続けていた。

「あの、冨岡さん」
「なんだ?」

星のない夜の湖を思わせる、深い青を湛えた義勇の瞳。
ナマエはその目をじっと見つめ、やはりそこには一点の曇りも無いことに気がついた。

誰かのために命を差し出せる、優しさと強さ。
そして、竈門兄妹を信じてあげられる度量の大きさ。

ナマエは、義勇が以前零した「自分は柱にふさわしくない」という言葉を思い出す。
優しさも強さも、そして度量の大きさすら兼ね備えた義勇のどこが柱にふさわしくないのかと叫んでしまいたくなった。
しかし、自分がそう言ったところで義勇の抱えたものを軽くしてやることは出来ないと分かっているので、もどかしさに歯痒くて堪らなくなる。

「ミョウジ?」

今度はナマエが覗き込まれる番だった。
義勇は呼びかけたくせに黙り込んだナマエを不審に思い、その場で立ち止まる。
ちょうど、それぞれの家路への分かれ道だった。

「すみません、やっぱり何でもないです」

ナマエは緩く首を横に振ると、身の丈に合わない思いを頭から追い出す。
何故自分のように平凡な隊士が水柱・冨岡義勇の抱えた物を軽くしてやろうなどと考えついたのか、ナマエは自分の烏滸がましさに驚いたほどだ。

義勇と関わるようになってから、彼が時折見せる陰がちらつくたび深入りしてしまいそうになる。
ナマエはその事に気がつき、そうすることを求められていないのだから余計な真似をしてはならないと自戒した。

「隊士の質が落ちていると思われてしまっているのは私も耳が痛いです。せめて、助力する鎹鴉たちをもっと訓練して役立てるように励みます」

なんとかそう返して、ナマエは自分の家の方角へと足を進める。義勇と少し離れてから、あらためて彼に向き直ると腰を折った。

「本日は本当にお疲れさまでした。ここまで一緒に帰ってくださって、ありがとうございます」

すると義勇は無表情のまま、ナマエと同じように自分の家の方面に足を向ける。

「別に、居心地が悪くないから良い」

それだけ言うと義勇は歩き出した。確かに二人はもう何度も言葉を交わし、並んで歩くのにも慣れてきている。
他人と積極的に関わろうとしない義勇でも、寛三郎が間に入ると訳が違った。

ナマエは嬉しさを覚え、同時に胸の高鳴りを感じる。
寄越された言葉自体はぶっきらぼうなものだったが、そこには確かに義勇からの親しみを感じ取れたからだ。

義勇は振り返らず、寛三郎を肩に乗せたまま去っていく。
ナマエはそんな義勇の姿が見えなくなるまで、深々と頭を下げ続けた。


「聞カナクテ良カッタノカ?」

もうすぐ家に着くという頃になって、三統彦が口を開く。
気にしている癖に竈門兄妹の話題を出すことすらできなかったナマエを責める気は無かったが、直接義勇の口から事の次第を聞いてすっきりすれば良いのにとは思っていた。

ナマエはうーんと唸ってから、苦笑いを浮かべる。

「なんでだろうね?冨岡さん本人から死ぬとか、そういう単語が出てくるのが嫌だったのかも。言霊ってあるじゃない」

三統彦はじっとナマエの話を聞いていた。

「私自身は任務に殉じることくらい覚悟できるのに、他の人には死んでほしくないんだ」
「他ノ人、ネェ」
「でもこんな事言ったら怒られちゃうかな。私なんかに情けをかけられたくないって」
「ソンナ事ハ無イダロ。マア、心配スルナトハ言ウカモシレナイケドナ」

分カラネーケド、と付け加えてから三統彦は空へと飛び上がる。
ナマエは三統彦を見上げて、そうかなあと呟いた。


三統彦は空の上からナマエを見下ろし、子葉が開くまでにはまだ時間がかかりそうな小さい芽に思いを馳せる。
主の中で確実に育ち始めているだろう想いの芽は、しかしながら日の目を見る程に伸びていくのだろうか。
兎にも角にもまずはナマエ自身が気づかないとどうしようもないと、苦労性の鎹鴉は考える。

「コノ調子ジャ百年カカルナ」

三統彦は誰に届くでもない声で、溜息混じりにぼやくのだった。

 
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