八年越しの恋



 ──先日入ってきた隊士が凄いらしい。

 そんな話が聞こえてくるのはもう何度目だろう。藤襲山の鬼をほとんど一人で倒してしまったとか、同じ試練を受けた仲間は誰一人死ななかったとか、聞こえてくるのは耳を疑うような噂ばかり。白い羽織が舞うように鬼を狩るだとか、水流のうねりの中に明るい宍色の髪が映えるだとかいう話すら聞く。鬼殺隊に入ったばかりの新人が、そんなに有名になることなんてあるのだろうか。
 かく言う私自身も最近鬼殺隊の関係者になったばかり。全集中の呼吸が使えなくて鬼狩りにはなれなかったけど、隊士の皆さんを手助けするのも大事な役割だと思ってる。背中に大きく『隠』と描かれた装束を受け取ったときは、私も役に立てるのだと思って胸の奥が熱くなった。鬼を、この世から葬り去るための。

 私の主な役目は鬼が出た現場へ赴き、負傷者の救護や現場に残る戦闘の痕跡を消すことだった。新人の隠は皆先輩からのご指導の元、体当たりで仕事を覚えていくのだ。置いていかれないよう必死で食らいつく毎日は、家族の中で一人生き残ってしまったという悲しみを少しだけ和らげてくれる。同じような境遇の仲間ばかりだったし、鬼殺隊に身を置くだけでも、私の家族を喰った鬼に一矢報いることが出来る気がしたから。
 だって今の私にはそれだけしかない。他に生きる意味は何も残っていないのだからと思っていた。
 彼に、出会うまでは。

「散れ!鬼が逃げた!」

 隊士の誰かがそう叫ぶ声が聞こえた。元々指示された場所で待機していた私たちは、慌てて方々へと走り出す。背中がびりりと痺れたのは、鬼の咆哮が空気を震わせたからだった。
 街道に出たという鬼の情報を辿って、鬼殺隊士何人かがこの町に駆けつけたのは半刻ほど前のこと。中にはまだ若い、私と同年代の剣士もいるらしい。私たちは適当な噂話をばら撒いて人払いをし、隊士の方々が鬼の頸を切ってくれるのを待っていた。
 けれど、どうやら鬼は剣士と戦うことを放棄してこちらへ向かってきているらしい。私たちの方がより非力な人間だと分かってのことなら、なんと卑怯な奴だろう。

「義勇!右から行けるか!?」
「分かった!」

 鬼とは違う声が後ろから聞こえてくる。剣士の方の声だろうと思うけれど、振り向いて確認することは出来なかった。多分鬼は、私のすぐ背後にいる。

「頭を伏せろ!」
「えっ!?」
「水の呼吸、弐ノ型ッ」

 私は本能だけで頭を下げた。続いて聞こえてきたのは、鬼の咆哮をものともしない凛とした声。

「水車!」

 ぼとりと鈍い音がして鬼の足音が止まる。頭を抱えながら恐る恐る振り返ると、私の足元に鬼の腕だったものと思われる醜悪な塊が転がってきた。片腕を失った鬼は私に背を向け、技を繰り出した人の姿を確認しているらしい。鬼の肩越しに見えたのは、白い羽織を着た男の子だった。

「走れ!」

 宍色の髪をしたその人が私に叫ぶ。そうだ、逃げなきゃ!私は前を向き一目散に駆け出した。背後からは怒り狂った鬼の放つ罵詈雑言が聞こえてくる。鬼は腕を切られたくらいでは死なないけれど、下級の鬼には再び腕を生やすことが大変なのかもしれない。
 少し離れた場所まで逃げてきて、ようやく隠の仲間たちと合流できた。皆が私を心配してくれるけど、勿論私には怪我なんて一つもない。

「剣士って、すごいね……」

 今までも遠目に見たことはある。けど初めて間近で目の当たりにした、鬼を前にしても怯むことのない彼らの堂々とした立ち姿。風に翻る白い羽織の裾と、宵闇の中でもなお鮮やかな宍色の髪。その全てが忘れられなくて、私は必死に彼の姿を探す。
 辺り一面は鬼が好む夜の帷に包まれているのに、目を凝らすと確かに青い閃光と水飛沫が見えた。彼の太刀筋だと分かったのは、あの白い羽織が闇の中に浮かび上がったから。
 程なくして、身の毛がよだつほどのおぞましい断末魔が街道中にこだました。

 暗闇の向こう側から歩いてくる二つの影。その片方は白くて、もう片方は暗くて判別がつきにくいけれど赤錆色だろうか。この仕事をしているからか、前よりも夜目が効くようになった気がする。お陰で、白い影の方が宍色の髪を靡かせていることだってすぐに分かった。

「すみません、向こうに一人怪我をした隊士がいるから手当てしてやってくれますか?」

 宍色の彼は私の先輩に声をかける。先輩は私の同期を一人連れてすぐに走って行った。鬼は、無事に倒されたのだろう。私も後処理をするため先輩たちの後を追おうと思ったのに、一歩踏み出したところに声をかけられて思わず立ち止まってしまった。

「君、怪我は無かったか?」
「え? あ、はい! お陰様で」

 私に声をかけたのは他でもない宍色の髪の男の子。見るところ彼にも怪我はなさそうだ。

「良かった。間に合わないかと焦ってしまって」

 仄かな街灯の明かりに照らされた彼は、眉尻を下げて微笑んでいた。何故か私の胸の奥は、ぎゅっとつねられたみたいに痛くなる。

「しかし偉かったな。鬼を前にしても足がすくまないなんて」

 私が何も言えず黙っていると彼はそう続けた。隠なら剣士の方々の足を引っ張らないよう最善を尽くすのは当然のことなのに、褒められてしまうと少し気恥ずかしい。

「君があの鬼の気を引いてくれたお陰で隙が生まれたんだ。礼を言う」
「私こそ、助けていただいてありがとうございました」
「俺は当然のことをしたまでだ。そもそも初めに鬼を止められなかったのは俺たちの責任だから」

 頭を下げる私を片手で制し、彼は首を横に振る。隠に対しては高圧的な剣士も沢山いるのに、彼はどこまでも誠実だった。

「男なら、自分の失態は自分で挽回しないとな」

 そう言って彼は歯を見せて笑う。なんて眩しい人なんだろう。
 ふと、私の頭に例の噂話が思い浮かぶ。夜の闇の中でも目立つ彼の髪と羽織には、ひとつだけ心当たりがあった。

「もしかして、今年の新入隊士の方ですか?」
「ああ。俺たち二人とも同じ試練を受けたんだ」
「じゃあ、あなたが噂の……」

 噂は思った以上に事実に近かったのかもしれない。私がそんなことを考えていると、それまで黙っていたもう一人の隊士が口を開いた。赤錆色の羽織を着た黒髪の彼は、目の前の彼と比べると大人しそうな印象だった。

「錆兎は有名人だな」
「俺が?まさか!」
「ほら、彼女も驚いてる」

 黒髪の男の子に指摘され、私は慌てて手を横に振り否定する。初対面なのに、助けてもらった人相手に失礼な態度を取ってしまった。

「すみません!気を悪くしないでください……」
「大丈夫。錆兎はなんで自分が有名なのか分かってないだけだから」

 私に目配せしながらくすりと笑った黒髪の彼を見て、錆兎と呼ばれた私の恩人は顔を顰める。

「どういう意味だ、義勇」

 錆兎さんに睨まれても、義勇さんの方はにこにこと笑っているだけだった。この二人はきっといつもこんな感じなんだろうな。こんなに短いやり取りでも仲の良さが伝わってくる。

「男なら、細かいことは気にしない」

 そう言って義勇さんが錆兎さんの肩を叩くと、彼は一層険しい顔になって首を傾げた。

「お前たちだけ話が通じているのは癪に触る」

 錆兎さんがそう呟いたので、私と義勇さんは顔を見合わせて噴き出してしまった。


 それ以来どんなに凄絶な現場に立ち会っても、沢山の志半ばで倒れた剣士たちを弔っても、あの日から私の心の灯火が消えることはなかった。支えたい剣士がいる。ただそれだけで、私はどんな時だって頑張ってこられたんだ。


「懐かしいな。ここもだいぶ景色が変わった」

 鬼に荒らされた家屋の片付けをしているところにやってきたのは、さっきまで鬼と対峙していた錆兎だった。白い羽織をはためかせ、彼は瓦礫を踏み締めこちらに向かってくる。

「手伝おう。こっちは俺が片付けておく」

 そう言って崩れた壁の残骸を拾おうとするので、私は慌てて止めに入った。

「こら! 甲の隊士が何やってるの!」
「体力がある者が手伝った方が早いだろう。それに、お前じゃこれは持てない」
「そんなこと……!」
「ほら、お前はこっちを」

 ひょいと錆兎が投げて寄越した土壁の破片をなんとか受け取ると、ずっしりとした重さに私は思わずよろけてしまう。

「だから言っただろう。こっちはもっと重いぞ?」

 そう言いながらも、崩れた柱をなんなく持ち上げて見せる錆兎。悔しい。悔しいけど、正直助かるのだから私は強く言い返せなくなった。

「……あの子たちに示しがつかないんだけど」

 私の視線の先には、離れた場所で同じように後片付けをしている後輩たちの姿がある。この町に鬼が出たのは実に八年ぶりのことで、偶然にも私と錆兎が出会ったのもその日のことだったのだ。

 あれから私たちは時々任務先で顔を合わせ、時には怪我を負った錆兎の手当てを私が任されることも少なくなかった。私たちは同じ年に鬼殺隊に入ったということもあり、役割は違えどすぐに打ち解けることができた。
 もちろん身分に大きな差があることは弁えてきたつもりだったけど、変に気を使っていたらある日錆兎に怒られてしまった。鬼舞辻無惨を打ち倒すという志は同じなのだから、俺たちは対等なんだ──と。

「良いじゃないか。むしろ他の体力が余ってる剣士たちにももっと手伝わせたら良い」

 瓦礫をかき分けながら錆兎はしれっとそんなことを言ってのけるけど、鬼に対抗できる唯一の戦力である剣士にこんなことさせたと知られれば、柱の方々にでも怒られてしまいそうだ。
 こうして軽口を叩き合うことだって、私が中堅の隠でなければ白い目で見られるに違いない。流石に八年も隠をやっているからか、今では私が責任者として任務に赴くことばかりなので幸か不幸か咎める先輩はいない。

 でも、私はそれ以上に今錆兎と二人きりになりたくなかった。その理由は八年前にまで遡るけど、簡単に言えば彼に片想いをしてるから。この場所で助けてもらった、あの時からずっと。

「いた!錆兎、何故さっきは……」
「義勇。狭い場所で大きい声を出すな」

 私たちのいる建物に、声を荒げながら入ってきたのは錆兎の同期である義勇。彼も錆兎と同じく八年の間に甲の位までのし上がってきていた。その義勇は珍しく怒った様子で、錆兎の前まで詰め寄ると彼の胸ぐらを掴む。

「どうして鬼の頸を落とさなかった!俺に手柄を譲る気だったのか!?」

 対する錆兎は親友から怒りをぶつけられているのにも関わらず穏やかな調子で、義勇を諌めるように両手を前に出した。

「落ち着け義勇。鬼は無事倒されたんだから良いだろう」
「良くない!お前はもう四十九の鬼を倒してるんだから……」

 なるほど、義勇が怒っている理由がようやく分かった。錆兎はあと一体鬼の頸を落とせば、鬼殺隊士最高の位である『柱』になる権利を得るのだ。実は今錆兎や義勇と同じ水の呼吸を使う水柱の席は空いていて、もう一つの条件である甲の位もすでに彼らのものだった。

「お前はこれで四十六か?まだ俺に追いつくのに三体も差があるぞ」
「そんなことを言って、また次も俺に譲る気か!?」

 物凄い剣幕の義勇だけど、彼の言い分はよく分かる。もし本当に錆兎が義勇に手柄を譲っているのだとすれば、それは一緒に切磋琢磨してきた義勇にとってこれ以上無い屈辱のはず。錆兎は義勇を残して自分が水柱になることを避けたいのかとも一瞬思ったけれど、多分それは違う。きっと他に何か理由があるはずと思って、私はまず彼らの話を聞くことにした。

「ねえ義勇、一体何があったの?」

 私が興奮冷めやらない義勇の肩を叩くと、彼は私をようやく認識したらしい。気まずそうに視線を彷徨わせてから、ふうとため息をついた。

「……鬼の頭も落とせたはずなのに、錆兎は腕だけを切ったんだ」
「腕だけ……?」
「そうだ。だから何故わざわざそんなことをしたのか聞きにきた」

 鬼の急所は頸。その他の場所は切ったところでせいぜい鬼の動きを止めるくらいしかできない。錆兎はこれまでに四十九もの鬼を殺しているのだからそんなこと絶対に分かっているはずなのに、どうして──

「義勇、それは違う」

 自分の胸ぐらを掴んだままの義勇の腕を、錆兎の手がしっかりと掴み返すのが見えた。錆兎は目を閉じて、ゆっくり首を横に振る。

「しなかったんじゃない。出来なかったんだ」
「そんなわけないだろう!鬼は俺たちに背中を向けてたじゃないか!」

 義勇はまたしても声を荒げる。まだ彼は情けをかけられたと思っているのだろう。でも錆兎も違うと言ってるのだから、やっぱりちゃんと理由を聞かなきゃならない。

「ねえ、錆兎……」
「鬼が隠たちを狙ってたからだ!」
「え?」
「隠を?」

 錆兎が突然大きな声を出したから、驚いた私と義勇は思わず動きを止める。錆兎だけが、気まずそうに視線を逸らして話し続けた。

「確かに頸も狙えた。だが確実じゃなかった」

 義勇の手の力が緩んだのか、錆兎は掴まれた手を外して隊服の襟元をぽんぽんと払う。

「絶対逃せないと思ったから、腕を切って鬼の重心を傾けたんだ」
「……そうか」

 義勇は錆兎から顔を背けて、はぁと深い溜め息をつく。義勇には、錆兎の言いたいことが分かったのだろうか。

「すまない錆兎。俺は勘違いをしてたみたいだ」
「分かってくれたなら良いさ。俺の方こそちゃんと説明しなくて悪かったよ、義勇」

 義勇は錆兎から一歩離れて、それから何故か私のことを横目に見る。

「でもまだ一人分かってないのがいる」

 どうやら私だけがこの場にいて話の意図が飲み込めていないのだと、普段は三人の中で一番鈍感な義勇に気を使われているらしい。そう思ったら、男二人の通じ合っている様子が羨ましかった。

「良いよ、私はその場にいたわけじゃないし……」
「お前がいなかったら多分話は変わってた、錆兎は」
「義勇!」

 義勇がせっかく何か言いかけたのに、割って入った錆兎に止められ彼は口をつぐんでしまう。どうして教えてくれないのか、全くもって意味が分からない。

「ねえ、義勇は何が言いたかったの?どうして錆兎は止めるのよ?」

 私だけ蚊帳の外なんて嫌だ。当事者じゃないけど、ここまで話されたら続きが気になるのに。それなのに義勇ときたら、すっきりした表情に変わったと思えばくるりと踵を返す。

「話は終わった。邪魔したな」
「えっ、ちょっと義勇!」

 振り返ることもなく去っていく赤錆色。話は中途半端に終わらせられた上に、私はまた錆兎と二人きりになってしまった。なんなのよ、もう。

「怒っているか?」

 気がつけば錆兎が私を見ていた。眉尻を下げて困ったように笑う彼の表情は、私が一番弱いものだった。この顔をされたら、もう怒れない。

 八年前のあの日みたいだなと、私はまるで他人事のように思い出す。あの時は私と錆兎の立場が逆だったけど。

「……怒ってないよ。そもそも私、怒れるような立場じゃないし」

 私がそう言ってみせると、錆兎はまだ眉毛を八の字にしたまま私を見つめている。

「そんな悲しいこと言うな」

 その言葉には少しだけ苛立ってしまった。そもそも錆兎と義勇が勝手に喧嘩して、勝手に仲直りして、断片的に語られた理由には隠がどうとか私がどうとかいう単語だけが見え隠れして。
同じようにとは言わないけれど八年間共に切磋琢磨しながら成長してきた間だと思ってたのは、私だけだったのかな。大人になるにつれて私たちの間に身分と同じくらい大きな溝が生まれてしまったのだと思えば、悲しくて仕方なかった。

「悲しくさせてるのは錆兎の方でしょ」
「俺が?そんなことは」
「ある!だって私のせいで鬼の頸を切らなかったみたいに言ってたのに、本当の理由を教えてくれないじゃない……」

 自分で言った言葉なのに情けなくて惨めで。いつの間にか視界が歪んで、錆兎の顔が滲んで見える。

「錆兎のばか……そうやって秘密ばっかり増やして、柱になったらきっともっと遠い存在になっちゃうんだ……」

 言ってはいけないことだと思うのに、溢れる涙と一緒に私の心の歯止めも流れていってしまったみたい。柱の方々なんて隠からしたら雲の上の存在だし、いくら錆兎が優しい人でも今までみたいにはいかないだろうから。

 もちろん、錆兎には水柱になって活躍してほしい気持ちも十分にある。義勇のことも応援してるけど、もし錆兎が水柱になったら友達としてこれ以上に嬉しいことはない。だから揺れるこの気持ちはただ、私の子供じみた我儘みたいなものなんだ。

 錆兎はしばらく何も言わなかった。もしかしたら怒ったのかもしれない。怒って、当然だった。

「さび、と」

 さすがに言いすぎたと思って、目元を手で拭いながら謝ろうと錆兎に呼びかける。すると私の予想と違って、錆兎は苦い表情を浮かべながら私に歩み寄ってきた。

「悪かった。確かに、お前を蚊帳の外にしたのは良くなかった」

 その気持ちは俺が一番よく分かってるのに、と彼がとても小さな声で呟いたのは、多分幻聴ではなかったと思う。それから錆兎の手が伸びてきたかと思えば、次の瞬間私の頭に重みがかかった。

「男なら、名を上げるよりも大切な人を守るべきだと思った」

 ぽんぽんと規則正しい間隔で頭を撫でられ、驚きのあまり涙が止まった私は錆兎を見上げる。私が一番弱い表情が、真っ直ぐこちらに向けられていた。思わず、息が詰まる。

「でも確かに、頸も落とせたんだろうな。間違いではなかったと思うが冷静さを欠いた判断ではあったかもしれない」

 錆兎と義勇は同じ育手の元で修行を積み、彼らが最も得意とするのは冷静沈着な上に常に最善の選択肢を即決できる判断力の高さだった。そんな錆兎が、自らの判断についてその正しさを迷っている。こんなこと、今まで私が知る中では一度も無かったのに。

「どうして……?」

 情けないことに私は涙声のままだけど、どうしても理由が知りたかった。今聞かないと、ずっと教えてもらえない気がして。
 すると私の頭を撫でていた錆兎の手が止まる。髪に触れていた温もりが離れたかと思えば、私の目元に彼の指先が降りてきた。

「教えるから、もう泣くな」

 そんな言葉を紡いだ錆兎の唇は、彼の指先が涙を拭ったばかりの部分に近づいてくる。手のひらが離れて、代わりに柔らかいものが触れた。ほんの一瞬だけだったけれど、彼はちゅっとやけに可愛らしい音を立てて熱の余韻を残していった。
 私は瞠目して、ただただ錆兎を見上げることしか出来ない。彼の唇が濡れて見えるのは、多分私の涙に触れたせいだ。

「悪い!上手い言葉が見つけられなかった!」

 我に返ったように慌て出す錆兎の頬は、普段の冷静な彼からは想像できないくらい真っ赤に染まっていた。多分、私も同じかそれ以上なんだろうけど。

「駄目だな……男ならこういう時はっきり伝えるべきなんだろうが……」

 彼があまりに狼狽えるから、私の方が冷静になってしまったりして。落ち着かない錆兎の白い羽織が、私の視界の端でひらひらと揺れていた。

「今度はちゃんと、私と錆兎の考えてること一緒だったみたい」

 私がそう言うと、一瞬呆けた後錆兎が目を丸くした。
 その顔があまりに幼く見えて、昔を思い出した私はあの頃と同じように噴き出してしまったのだった。

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