おかわりちょうだい



「あー、だりぃ……」
「そこの赤毛、早くその報告書提出して」
「まーじでかったりぃぞ、と」

 行儀悪くデスクに両足を投げ出して椅子にもたれ掛かるレノ。
 デスクの隅に追いやられたパソコンの画面には、さっきから一文字も進んでいない報告書の作成画面が表示されている。

「いいから手を動かす」
「だってよぉ……この『事象に関する考察』って何なんだぁ? 何を書いたらいいのかさっぱりだぜ」
「何回目だ。俺は終わった」

 私の睨みなんて全く気にも留めない様子でレノは唇を尖らせる。その隣で呆れ顔のルードは、自分のパソコンをシャットダウンすると席から立ち上がった。

「おい! 帰るのかよ、と」
「……定時だ」
「はぁ!? お前いつからそんな真面目になったよ!」

 喚くレノを放置して、ルードはさっさとオフィスから出て行った。廊下で誰かと話す声が聞こえてきたかと思ったら、入れ違いに主任が入ってくる。

「レノはやはりまだ終わっていなかったか」
「ヴェルド主任からももっと言ってやってください」

 私は主任に向けて懇願するような視線を送ってみる。ヴェルド主任は溜息をひとつつくと、デスクの島を回り込んでレノの隣に立った。

「ああ、その項目ならナマエが得意だぞ」

 突然自分の名を出されて、私ははぁ? と思わず声を上げてしまった。

「どうせレノから上がってこないとナマエも帰れないんだろう? 手伝ってやりなさい」
「えー……私も暇じゃないんですけど」
「命令だ。それに先輩だろう」

 タークスにとって上司からの命令は絶対だ。しかしまさか主任がこんなことで命令するなんて職権濫用も良いところ。

「どうせ主任がチェックするの嫌だからですよね!?」
「私はもっと忙しい」

 そう言うくせにヴェルド主任の顔はなんだか楽しそうで、対する私は苦虫を噛み潰したような形相になっていただろう。

「あーあ、行っちまった」

 ヴェルド主任に心酔しているレノは、主任が出て行ったドアを眺めてつまらなそうに言う。

「悪かったわね、残ったのが私で」

 しばしの沈黙。
 ……反応くらいしなさいよ。

「どうせ私はヴェルド主任みたいな立派なタークスには程遠いし」

 レノの態度というのは本当に分かりやすくて、相手が自分より上か下か。しかもそれは社員としての階級みたいに誰かに決められた物じゃなくて、レノ自身の物差しでしかない。
 赤毛の尻尾も相まって、まるで犬みたいだと思う。そう思えば、少しは可愛げも感じる……なんて絆されてる場合じゃなくて。

「で、どこなのよ」

 いつまでも並行線なのはごめんなので、渋々レノのパソコンを覗きに行く。
 点滅するカーソルの位置は、多分初めから一マスも動いていないはず。

 画面を覗き込んでいる私の顔の横に、突然ずいっとレノの顔が近付いてくる。さっきまでここに乗せていた足はどこへ行ったの。

「……アンタ、良い匂いがする」

 そう言って鼻をくんくんと動かすレノは、まさしく犬そのもの。

「何もつけてないわよ」

 ハニートラップでも仕掛けない限り、私達タークスにそんな物は不要だ。血の匂いを纏っている方がまだ落ち着くくらい。

「へぇ。じゃあアンタの匂いだな、と」

 レノは少し目を細めると、パソコンの画面に目をやる。

「そのせいで全然仕事にならねぇ」
「……バカ言ってないの。人のせいにしないで」

 冗談も休み休み言ってくれないと、いつまでたっても終わらないじゃない。人のせいにして、全部やってもらおうなんて思っても無駄なのに。

「責任とってくれよな、と」

 そう言ったかと思うと、すぐ横にあったレノの唇が私のそれに重ねられる。
 あまりに唐突過ぎて、さすがタークスNo.1のスピードね、なんて見当違いな事が思い浮かんだりして。

 レノは私の頭の後ろに手を当てると、お構いなしに深く口付けてくる。息が苦しくなって、私はレノの胸を押し返した。
 でもそこはさすがに男女の差。びくともしなくて、ちょっとムカついた。

 しばらくしてようやく解放されると、私は息を整えながら精一杯レノを睨む。
 対するレノはどこ吹く風で、乱れた……と言っても元々だと思うけど、シャツの胸元を気にする素振りを見せた。

「ちょっと……、どういう事……?」
「そのまんまの意味だぞ、と」
「はあ? 分かるように説明してよ、突然あんな……」
「黙らないともう一回するぞ、と」

 レノはパチパチとキーボードを鳴らしながら言う。なんだ、やれば出来るじゃない。
 ……じゃなくて。

「こういうの苦手なのは本当だ」
「……それは知ってるけど」
「けど今日のは口実だぞ、と」
「何よ、それ」
「相棒も主任も頼んでねぇのに気ぃ使ってくれたからよ」

 画面に打ち込まれていく文章を眺めながら、私の頭の中は疑問符でいっぱいになる。

「意味が分からないんだけど」
「もっと優秀だと思ってた、と」

 レノがくるりと椅子を回転させて私に向き直る。
 立っている私を見上げるレノは、まるでおすわりをさせられた犬のようにも見えて。

「……まて」
「はぁ? なんだよそれ」

 つい口をついて出たのは、余裕が無くなった私の精一杯の反抗心。
 けどそんなものはいとも簡単に、レノによって崩されてしまう。

「いつまでもお預けされてるほど、オレはお利口じゃないぞ、と」

 そう言ったレノがもう一度鼻先を近づけて来るから、今度は私も素直に目を瞑った。

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