8-3


 エッジの中では比較的古い通り沿いに、新しいエルミナさんの家がある。マリンちゃんがセブンスヘブンに引き取られるときに一緒にカームから越してきた彼女は、相変わらず近所の子供達やボランティアの人たちの世話をしながら静かに暮らしていた。
 近くで復興作業がある度にエルミナさんのところに顔を出すのが、最近の私の決まりとなっている。今日はエルミナさんと話し込んでしまって、クリフ・リゾートに戻ってくるのがすっかり遅くなってしまった。

「ありがとうイリーナ。わざわざ迎えにきてもらっちゃってごめんね」
「いえいえ、今日も暇だったんで構わないっす。でもあんまり遅くなると社長が心配しますよ?」

 大きめの紙袋を抱えた私は、軽トラックで迎えに来てくれたイリーナと一緒に集落の中心部を歩く。空には満天の星が輝いていて、既に明かりの消えたロッジもある、そんな時刻になっていた。

「今日はね、ちょっと特別なの。でも確かに思ったより時間がかかっちゃったからちゃんと謝っておくよ」
「それが良いっすよー。社長ってば昼過ぎから何度も、まだ迎えに行かなくていいのか? って気にしてましたよ」
「そうなの? 連絡はちゃんとしてたんだけどな」

 今日は日中イリーナが彼についていてくれる日だった。ルーファウスとお揃いで新調してもらった携帯端末があるから、今ではエッジにいる間も彼とはマメに連絡を取るようにしているのだけど、イリーナには申し訳なかったなと思う。そんな私に向かって彼女は、にししと歯を見せて笑う。

「それだけナマエさんが心配なんですよ。ボランティアにも男の人多いですからねー。そんな心配いらないのに……って、私が言ってたのは社長には秘密ですよ!」

 ちょうどそれぞれのロッジに続く分かれ道に着いたので、イリーナは手を振って自分のロッジに向かって歩いて行った。ルーファウスはあまり表立ってイリーナの言うような素振りは見せないので、第三者から聞く彼の様子は新鮮だ。私が留守の間にそんな話をしていたなんて少し照れくさいけど、大切にされているのかなと思えば頬が緩んでしまう。

 そんなことを考えながら私もイリーナに手を振り返して、自分のロッジへと小走りする。腕の中には帰りが遅くなってしまった理由をしっかりと抱えて。


「ただいま! 遅くなりました」

 勢いよくドアを開けると、ダイニングテーブルの前で車椅子に座ったルーファウスはこちらに背を向けていた。

「ルーファウス、心配かけてごめんなさい……って、あれ」

 近づいてその顔を覗き込むと、彼は腕組みして顔を斜め下に傾けたまま眠っている。膝の上には真っ黒な画面の携帯端末が表向きに置かれていた。ちなみに画面に灯りがつけばそこにはお利口に座って澄まし顔をした愛犬の写真が待ち受けになっている。私の方も新たに撮り直したダークネイションの寝顔だったり。

 彼が座ったまま居眠りをするなんて、メテオ戦役−−あの騒動はそう呼ばれている−−の前にはあり得ない光景だっただろう。今はプライベートな時間だからということもあるけれど、やはり星痕のせいで体力が奪われているのか、クリフ・リゾートに移ってからは度々見られるようになった。
 静かに寝息を立てるルーファウスはまるで美術館に飾られた彫刻のように美しい。その身が病に冒されているなんて、思わせないくらいに。

 私が近づくと彼の足元に伏せていたダークネイションが顔を上げる。ルーファウスが戻ってきてからは彼の護衛として留守番してくれる、頼もしい仲間だ。

「ディー、ただいま。今日もありがとう」

 ダークネイションは触手を横に振って応えてくれる。彼も主人が心配なのだろう。私が留守にしている間はタークスがいたとしてもルーファウスの側から離れようとしないらしい。

「疲れてるのに待っててくれたんだね……」

 私はルーファウスを起こさないようにゆっくり車椅子を押す。病人である彼は、少しでも寝るならベッドで寝た方が良い。しかしそこは流石にルーファウス神羅なだけあって、僅かに動かしただけでも目覚めてしまった。

「ナマエか……よく戻った」

 あくびを噛み殺しながらルーファウスはゆっくりと顔を上げる。元々引き締まっていたけれどこの何ヶ月かで健康的にではなく痩せた彼の、肉の落ちた頬が緩められた。

「少し前までツォンが居たんだがな。お前達が帰ってくるから先に戻ったのだろう」
「良かった。一人じゃなかったんだね」
「無駄に強がるのはもうやめたからな」

 一人の時に拉致された経験のあるルーファウスはそう言って笑う。そんな彼がやけに儚く見えて、私の車椅子のグリップを握っていた手には力が入った。本当に、心の底から星痕が憎い。

「ところで、食事は摂ってきたのか?」

 私がルーファウスの膝に置かれた前より一層節ばった指先を見つめていると、彼はそう言ってこちらに顔を向けた。

「まだだけど、もしかしてルーファウスも食べてない?」

 食事は用意しておいたのだけど、そう言えば帰ってきてから冷蔵庫の中を確認していなかった。てっきりイリーナに温め直してもらって食べたのかと思っていたのに。

「お前と囲まない食卓ほど寂しいものはない」
「ルーファウス……」
「言っただろう、無駄に強がるのはやめたと」

 そう言いながら自分で車椅子を押し、再びダイニングテーブルについたルーファウス。私は嬉しくて、胸が暖かくなって気がした。

「夜ご飯の前に一つだけ良い?」

 私は車椅子のグリップから手を離すと、腕に下げていた紙袋の中に手を入れる。そして小首を傾げて先を促すルーファウスの前に、袋の中身を取り出して見せた。

「はい、私からの誕生日プレゼント!」
「ほう……服か?」

 私が広げたのは白いジャケット。今着ているものも怪我を負った彼の為に以前よりはゆったりした物だけれど、こんな状況だったので既製品の有り合わせだった。
 柔らかくそれでいて耐久性の高い生地は今のミッドガル周辺ではなかなか手に入らないのだけど、顔の広いエルミナさんが人伝てに手に入れてくれたのは辛うじてジャケットを仕立てられる大きさの上質な布だった。

「サイズはツォンさんに聞いたんだけど……もし合わない部分があったら直すから言ってね」
「まさかお前が作ったとでも言うのか?」
「まあ……ほとんど横について教えてもらったんだけど」

 実は私がエルミナさんの家にお邪魔していたのはこの為だったのだ。裁縫なんてそれこそ機械を使って防具の一部を縫うくらいしかしたことが無かったので、エルミナさんはそんな私に型の取り方や裁断、針と糸の使い方まで付きっきりで教えてくれた。
 今日は仕上げとアイロンかけをした後師匠に検品してもらっていたら時間がかかってしまったのだ。出来上がったジャケットを畳みながらエルミナさんと話し込んでしまったというのもあるけれど。

 ルーファウスはおもむろに両手を広げる。着替えさせろということなのだろうが、口に出さないところは彼らしい。
 私はまず彼が今着ている既製品を脱がせてからルーファウスの腕に新しいジャケットの袖を通した。

「ふむ。素人が作ったとは思えない出来だ。ディーもそう思うだろう?」

 わふ、とダークネイションが吠えると満足そうなルーファウスの唇が弧を描いた。良かった……教える人が良かったから当然だろうけど、それでも彼が背筋を伸ばした時には緊張した。

「実用的なものというリクエストをここまで律儀に守るとはな。相変わらず真面目な奴だ」
「今は色々なものが手に入りにくいから、これで我慢してね。もっと良い生地も仕立て屋さんも、街が復興したら見つけるから」
「いや、これが良い」

 ジャケットの着心地を確かめたルーファウスは、またゆったりと車椅子の背もたれに身体を預けた。背中を包む感触を味わっているのか彼は緩やかに瞳を閉じると、擦り寄るダークネイションの頭を撫でながら微笑んだ。

「こうして少しずつお前に染まっていくのは非常に良いものだな」
「それを言うなら私の方こそ」

 彼から贈られたもの、彼に贈ったもの。
 どちらも毎年その数を増やしていき、私達の周りを彩る。片や物によっては物騒な、実用的な品々。片や煌びやかで美しい、極上の品々。その対極さはまるで私達の性格や育った環境を表しているようだけれど、そんな二人がこうして心を通わせていることの尊さをより実感できる気がした。
 
 ルーファウスが手を伸ばしてきたので、私は腰を折ってそこに私の顔を差し出す。気を使ったのかダークネイションはルーファウスの後ろに下がって床に寝そべった。
 ルーファウスの青い瞳が薄く開かれて、彼の手のひらが私の頬に添えられる。彼は私の耳たぶーーそこに輝く青い石に触れ、それから私の手を取ると手首を彩る金の華奢な鎖に触れた。そのまま手首を自らの鼻先に近づけると、まるで彼の愛犬がするようにくんくんと匂いを確かめる。

「確かに、ナマエが俺に染まっていくのもまた最高に心地が良い」

 ルーファウスはブレスレット越しに私の手首に口づけを落とす。じわり、広がっていく熱が腕を伝って全身に広がった。

「こうして、決して短くない年月をお前と重ねてこられた事を嬉しく思う」

 私の手に視線を落としたままルーファウスが呟く。
 私達が出会ってからもう十年近く経とうとしていた。その中では離れていた期間も長かったし、周りの環境や情勢も目まぐるしく変わってきたけれど。

「この先はもっと近いところで、一緒に過ごしていけるよ」

 私は彼に掴まれたままルーファウスの頬を撫でる。額に巻かれ、片目を覆う包帯が痛々しい。
 早くあの横柄な医者には、なんとしても星痕の治療方法を見つけてもらわないといけない。あんな人間に頼らなくてはいけないのが悔しくて仕方ないけど、どうやらジェノバが関わっている可能性もあるので宝条博士の元スタッフという彼の知識はどうしても必要だった。

「ああ。心からそう願う」

 ルーファウスは私の手のひらに頬擦りして、また目を瞑る。彼がこんな風に心を許してくれるようになったことが、短くない年月の中で私が得た最高の宝物だった。



「死んだ……? キルミスターが?」

 季節は巡り、あの忌々しいメテオが消え去ってから既に二年が経っていた。
 相変わらず星痕症候群の治療方法は確立してはいないものの、イリーナが中心になって開発が進められた興奮剤ーールーファウスは名前を変えたがっているけどーーのおかげもあって容体が落ち着いている患者がほとんどだった。ルーファウスも良くなりこそしないものの大きく悪化もしておらず、薬と上手く付き合いながら『静かに』日々を過ごしていた。時々タークスたちと集まっては色々と『世界の復興』について画策しているようだけれど。

 そんな穏やかな日々の中、ある日突然クリフ・リゾートに事件が起きた。なんとあのキルミスター医師が何者かに射殺され、遺体で発見されたというのだ。
 ルーファウスは何故か犯人を捜そうとしなかったけれど、いつの間にかキルミスターから星痕に関する重要な情報を手に入れていたらしいので、もしかしたらあの医師の死について何か知っているのかそれ以上の関わりがあるのかもしれない。彼がそれを手段の一つとしたなら私はルーファウスの選択肢を尊重したい。あの医者ーー科学者としての側面が強すぎたのかもしれない――が時々宝条博士のように笑うのを、ルーファウスはいつも気にしていたから。

 キルミスターの死は秘密裏に処理され、あの医者は治療方法の模索のため旅に出たと患者たちには伝えられたらしい。
 ルーファウスやタークス達を悪ガキ呼ばわりしている年嵩の患者達はいまいち信用していないようにも見えるけれど、薬があれば表立って異を唱える人もいなかった。皆、この二年で何も変わらなかったからキルミスターがしばらくいなくても何も変わらないと思っているのだろう。
 ただ一人ジャッドさんというルーファウスと一緒にあの洞窟から救出された男の人だけは事情を知っているらしく、ツォンさんと一緒にルーファウスと何やら話し込んでいるところを見かけたけれど。

 ルーファウスはその日の内に、ツォンさんにとある指令を出した。ジェノバの捜索ーーやはりあのおぞましい過去の災厄が星痕に関係しているらしい。考えるだけで悪寒がするけれど、人としての尊厳を捨てた元英雄セフィロスも、きっと。
 ツォンさんとイリーナは早速情報収集を始めた。各地に散った元同僚達にコンタクトを取るところから始めると言って、二人は朝早くミッドガルに出かけて行った。
 早く問題が解決すれば良いけれど、ジェノバやセフィロスが関係しているというのには一抹の不安がある。それはルーファウスも同じだろうけれど、星痕に打ち勝つにはきっとこれしか手段はないのだ。


 一見今日も穏やかなクリフ・リゾートの入り口には、この保養地の名前が大きく書かれた看板が立っている。エッジに出かけようとロッジから出ると、レノとルードさんがその看板の下で袖捲りして何かを持っていた。近づくと彼らはペンキのついた刷毛を手に、どうやら看板を塗り直しているらしい。恐らく、これもまた今朝決まったことだけれどこの集落の名前がクリフ・リゾートから『ヒーリン』に改名されたからだろう。

「お疲れさま、二人が直してくれてるんだね」

 今日は一人でエッジに向かうので、私は軽トラックのキーを片手に二人に声をかける。するとレノは白いペンキを看板に塗りながら顔だけをこちらに向けた。

「おっす。社長命令だから仕方ねぇ」
「レノ、これも仕事だ」
「はいはい。一生懸命やらせていただいてますよー、と」

 ルードさんもレノと同じ白いペンキを刷毛に付けながら言う。レノもなんだかんだ言って楽しそうだし、彼らは本当に良いコンビだ。

「ヒーリン、ね」

 私はこれからそこに示される文字を思い描き、声に出してみた。この新しい名前はルーファウスが考えたらしい。元々ついていたクリフ・リゾートは先代社長が名付けたらしいから、こうしてまた彼は父親の作ったものを塗り替えようとしているのかもしれない。

「どうして社長がヒーリンという名前にしたか聞いたか?」

 刷毛から滴る白いペンキを缶に落としながらルードさんが言う。そう言えば彼も話さなかったからそこまで聞かなかったと思って、私は首を横に振った。
 するとレノとルードさんは顔を見合わせて、肩を震わせ始めた。

「社長もお前に似てきたよなって話してたとこだぞ、と」
「え? なんで?」
「世界を癒してやる……らしい」

 二人の言っている意味が分からなくて私が目を瞬かせていると、レノが目の前の看板に真っ直ぐ横に一閃、刷毛を叩きつけてペンキを塗った。

「社長のネーミングセンス。お前とどっこいどっこいだぞ、と」
「なっ……」
「やっぱり、似合いだ」

 レノの台詞にどういうことかと声を上げようとした私は、続いたルードさんの言葉にすっかり丸め込まれてしまう。
 長いこと相棒をやっているだけあって、この二人は流石の名コンビだと思わされるばかりの私だった。

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