5-2


 大騒動の起こったジュノンにも、いつもと同じく夜が訪れる。
 私はいまだ、黙々と作業を続けていた。

 キャノン砲は発射時の衝撃やウェポンからの攻撃を受けてあちこち傷付いている。早く直してあげないと可哀想だ。 
 なんと言っても今日の主役は他でもないこのシスター・レイだったのだから。

 メンテナンスを続けていく内に、ギリギリの出力で再充填を行ったことでキャノン砲は爆発寸前だったことが後から分かり、私は一人肝を冷やしていた。

 とにかく命があって本当に良かった。私も、皆も。
 
 もう少し整備したら今日はもう終わりにしよう。そう思って資料からモニターに視線を戻すと、一瞬視界が歪んだような気がした。

(さすがにかなり疲れたな)

 夢中でここまで作業に没頭していたのにも理由があることはあるのだが、一度疲れに気が付いてしまったら堰を切ったように押し寄せてくる。

(あとちょっと、せめてここだけでも……)

 段々と重く感じてくる頭を横に振って操作パネルに触れる。コンソール画面が開いて、数値の羅列が表示された。

「まだいたのか」
「ひゃっ」

 モニターに流れる内容を目で追っていると突然後ろから声をかけられ、少し驚いてしまった。振り返ると、そこには制御室の入り口に寄り掛かって私を眺めている社長の姿があった。

「すまない、驚かせるつもりは無かった。随分と集中していたな」
「社長……どうしてここへ?」

 社長はゆっくりと、周りの機器を横目で見ながら近付いてくる。そして私の目の前まで来ると後ろにあったデスクに腰掛けた。

「今日一番の功労者はお前だろうな、ナマエ」

 社長は窓の外を眺めながらそう言う。

「ウェポンが目の前に近付いてきたと思えばハイデッカーは我れ先に避難。スカーレットはアバランチの女に負けてみすみす逃し、挙げ句の果にはハイウィンドを盗まれるとは……今日は厄日だ。だが、お前がいなければそもそも命すら無かったのだからな」
「そんなことが起こってたんですか? ハイウィンド号まで、どうしてそんな……。酷い……」

 私が制御室に籠もっている間になんという事態になっていたのだろう。
 ハイウィンド号は神羅の技術の結晶とも言える唯一無二の飛空艇で、失えば神羅が世界各地でウェポン対策をすることが難しくなる。
 アバランチ……やはり彼らは私の大事な兵器を破壊したただのテロリストだったのだ。

「兎に角、さすがに今日は疲れたな」

 社長が脚を組むと、白いジャケットの端がひらりと舞った。
 社長も私も、あと一秒でも魔晄キャノンが遅れたら、今こうして話すこともできなかった筈。

「あの時社長が叱咤してくれなかったら、私……」

 彼が無線機越しに声をかけてくれたから、私はなんとか気を保つことができたのだから。

「俺も生きた心地がしなかった」
 
 社長が緩慢な動きで私に視線を移す。その表情はいつもの余裕たっぷりのものとは少し違って、何か苦いものを飲み込んだような、そんな風に見えた。

「お前があの場にいることは無線を通じて初めて知ったぞ。何故教えなかった」
「すみません。変に心配をかけたくなくて」

 私が黙っていたことに対して、社長は文句を言いたいらしい。どこか拗ねたような目付きでこちらを見てくる。

「自ら志願したそうだな?」
「はい。少しでも、役に立ちたくて……」
「役?」
「その……、社長の……」

 社長は私の言葉を受けて、少しの間目を伏せた。押し付けがましいことを言って、迷惑に思ったのかもしれない。

「すみません、勝手なことを言いました」
「……いや」

 社長は珍しく言葉に迷っているようだった。
 彼はしばらく口元に手を当ててなにか考えているようだったけれど、ようやく顔を上げる。

「初めにお前の声が無線から聞こえてきた時俺がどれ程驚いたかは分かるまい。制御室が攻撃を受けて……生きた心地がしなかった」

 いつもよりトーンの低い声は、怒っているような、どこか辛そうな声色にも聞こえる。

「しかしその後もお前は職務を放棄しなかったな」
「……社長のお陰です」

 あの時の社長の言葉は、今でも鮮やかに思い出すことができた。

 社長はデスクから降りると私の目の前に立つ。椅子に座ったままの私は、ゆっくりと社長を見上げた。
 社長の整った眉は少しだけ歪められている。

「怖かっただろう」

 そう言われた瞬間、窓のすぐ外に迫ったウェポンや体当たりされたときの揺れ、なかなか進まない魔晄充填の数値……あの緊迫した場面が次々と浮かび上がる。
 思い出すだけで心拍数が上がって、手が震えた。

 私がここで作業を続けていた一番の理由。それは、なにか手を動かしていないとあの時のことを思い出してしまう……その恐怖心からだった。

「怖かった……です。本当に、怖かった……っ」

 視線を落とすと、震えが止まらない自分の指先が目に入る。死を間近に感じたという恐怖は、簡単には無くなってくれないのだ。

 突然頬に温もりを感じたかと思うと視線が上がる。社長が私の顔に手を当てて上を向かせたのだ。

「また泣かせてしまったな。だが、こういう時は我慢せず泣いた方がいい」

 社長の親指が私の目尻をなぞる。その時初めて、私は自分が泣いているということに気が付いた。

「私が望んで……少しでも、力になりたかっただけなんです」

 それなのに、結局社長がいなければあの場から逃げ出していたかもしない。社長の負担を少しでも減らしてあげたいのに、いつも私が助けられてばかりで。
 そう思ったら自分の無力さが悔しくて、泣きたいわけではないのにどんどん涙が溢れてくる。

 社長は触れていた手を離したかと思うと、屈み込んで私に目線を合わせる。
 彼の青い瞳には私の姿が映っていた。

「ナマエ」

 小さく私の名前を呼んだかと思うと社長は私の腕を引く。
 バランスを崩した私は椅子から社長の腕の中に転がり落ち、社長は白いスーツが汚れるのも気にせず床の上で私を抱き止めた。

「社長、あの……」

 床の上に座った社長の腕の中に収まってしまった私。

「ありがとう」

 そんな私の耳元に唇を寄せた社長は、そう言ってぎゅっと腕に力を込める。
 その優しい声色と彼が普段なかなか口にしない言葉のせいで、もっと涙が止まらなくなった。

「お前がいなければ皆死んでいた。逃げずによく頑張ってくれたな」

 そう言って社長は私の髪に頬を寄せる。触れられた部分が熱くなって、いつもより早い心臓の音は社長に聞こえてしまうのではないかというくらい大きい。

「だがナマエ、お前はもっと俺を頼れ」

 私は少し上半身に力を入れて、社長の顔が見られるくらい距離を取る。この近い距離で見ると、やはり社長の目の下には薄く隈が浮かんでいるのが分かった。

 私は非礼を心の中で詫ながらも指先でそっとそこに触れる。
 当然ではあるけれど、私から社長の顔に触れたのはこれが初めてだった。
 社長は驚いて目を見開いている。

「これ以上、無理しないで欲しいんです……」

 頭では分かっている。彼はメテオもウェポンもセフィロスもジェノバも、その全てに打ち勝つまで止まるつもりはないという事を。
 困難に勝つか負けるか、社長の辞書にはそれしか無いのだから。

「だから少しでも私に出来ることがあれば、あなたの力になりたい」

 力不足なのは分かるけれど、そんなにおかしなことを言ったつもりはなかった。
 しかし社長が呆気にとられた姿という、今まで想像したことすらなかったものが今私の目の前にあるとその自信が無くなる。

 社長はしばらく目を見開いたまま、何か言いたそうなのに何も言わなかった。

「社長がいつも私の事を助けてくれたように。だから、頼りないかもしれないですけど……たまには私にも頼ってください。前にそう言った事、覚えてますか?」

 非力な私がこんなことを言うのは、調子に乗りすぎなのかもしれない。それでもこの気持ちが本物だと伝わって欲しくて、見つめる目に力を込める。

 できることは言ってくださいと言ったこともあるけれど、目の前のこの強い人は強すぎるが故になかなか私に頼ってはくれないのだ。

 すると社長はようやく少しだけ頬を緩めて、ふっと笑う。私は、社長のこの仕草が大好き。

「お前にはたまに、本当に驚かされる」

 社長があんまり穏やかな笑顔を浮かべているから、私はそれに見惚れてしまう。本当はいつもこんな顔をさせてあげられれば良いのに。

「そうだな……ではこうしよう」

 そう言って社長は顔に触れていた私の手を取る。

「俺に力を貸してくれ。ナマエの力があれば、俺はどんな脅威にも打ち勝つ事ができる」
「はい、私にできることなら喜んで」

 社長の言葉が嬉しくて、私も自然と笑顔になる。お前じゃ役不足だと言われたらどうしようかと、少し不安だったから。

「また心配をかけてしまってすみませんでした。でも、嬉しかったです」
「ナマエ……」

 気付けば社長の顔がゆっくりと近付いてくるのが分かった。一体どうしたのか、胸が高鳴って破裂しそう。

 ちゅっ……と軽い音がして、額にじんわりと熱が広がった。
 驚いて離れた私に向かって社長は不敵に笑う。

「先払いだ」
「な……、んの、ですか」
「お前の力はお前の努力の結果だ。タダで借りようなんて思っていない。ちなみに今日助けてもらった分は、今まで俺が助けてやった事で帳消しになったからな」
「社長……あの……」
「……約束しただろう。全て片付いたら、その時に」

 それだけ言うと社長は私の身体を起こし、自分も立ち上がる。
 私を見つめる青い瞳が、今はこれ以上いけないと物語っていた。

「行くぞナマエ。送ってやるから、今日はもう帰って寝ろ」

 反論する暇も与えられずに社長に促されて、私はキャノン砲のシステムを終了させると彼の後に着いて制御室を出る。

 額はまだ熱いままだった。


「長い一日だったな」

 帰り道、隣を歩いてくれる社長が呟いた。
 特に社長にとっては嫌なことばかりの一日だったに違いない。

「眠れそうか?」

 こうしてさりげなく気遣ってくれるところがとても優しい。

 社長の事を独裁者と呼ぶ人達もいるらしいけれど、本当に自分勝手だと思う。
 今こうして彼が身を呈してくれているから、世界は守られている筈なのに。

「はい、ありがとうございます。社長も……今日はもう、休めるんですよね?」
「そうだな……。報告書に目を通すのは明日でも良いか。読んだところで夢見が悪くなるだけだ」

 おどけた様子でそう言って、彼は笑う。
 願わくば彼が少しでも休息を取れますように。今日はもう誰も彼の邪魔をしませんように。


 社員寮の前で別れの挨拶を交わす。
 明日からはまた社長は皆の上に立って、私は後方で。それぞれの場所で、いつ終わるか分からない戦いに身を投じていかないといけない。

「おやすみなさい。今日は本当にありがとうございました」
「ゆっくり休むといい。また、よろしく頼む」

 そう言って社長は私の髪を撫でると背を向ける。

「お前が生きていてくれて、本当に良かった。ナマエがいなくなるなど……考えるだけで辛い」
「社長……」

 私の呼びかけには片手を上げて応えただけで、社長は振り向かずに歩き去って行った。その手には黒い革のグローブが艶めいている。

 彼の姿が見えなくなるまで、私は高鳴りが収まらない胸に手を当てたままその場から動けないでいた。

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