2-5


 アバランチがジュノンを襲撃した。

 朝のニュースで最初に流れたその衝撃的な知らせに、私は食べかけのパンを落としてまで食い入るようにテレビを見る。

 既に事態は沈静化されているらしく、中継しているキャスターは未だ騒然とするジュノンの街を歩きながら事の次第を説明していた。

 兵器開発部門の人達は皆無事なのだろうか。皆で頑張って開発した兵器達は?
 ニュースが次のトピックスに変わったあとも私は気持ちが落ち着かず、少しでも情報を得る為にいつもより早く零番街へ向かった。

 本社ビルは想像していたより落ち着いていた。さすがに上層部は今回の件について朝から会議に入っているようだった。
 けれどもそれ以外には社内通達で、襲撃があったが既に解決済みであることだけが知らされたのみだった。

 幸いジュノン時代の同僚達に怪我人はいないらしい。
 私がいた時にも一度モンスターの襲撃があったけれど、あの時もやはり本社では大して話題にならなかったのだろうかと想像してみる。大きい企業とはそういうものなのかもしれないが少し寂しくなった。

 あの襲撃事件の事を思い出すと、副社長に助けてもらった事や泣いてしまった私を抱きしめてくれた事が思い浮かんで、胸の奥が少しだけ痛くなった。

「はいこれ、ナマエさん宛てね」

 デスクでただじっとしていた私の前に一通の大きな封筒が差し出される。これは社内で書類をやり取りするときに使う封筒で、宛名は確かに私の名前。しかし通常は記名するはずの差出人名が書かれていなかった。

(誰だろう?)

 不審に思うけれど中身が書類であることに間違いはなさそうなので、私はとりあえず封を開けてみる。
 すると中から出てきたのは、前に私が副社長に渡したショットガン改造案の資料だった。

(副社長……)

 副社長に連れて行ってもらったゴールドソーサーでの出来事は、今になっては夢だったのでは無いかと思うくらい非現実的に感じられる。あれはなんて幸せな時間だったのだろう。
 でもツォンさんに宣言した通り、私はこれ以上の事は望まないようにしている。もう十二分に、素敵な思い出を沢山いただいたし。

(ジュノンへ近付くなって言われたんだっけ)

 副社長は一体何故そんな事を言ったのか分からない。けれどもしかしたら副社長が今回の騒動について事前に何か情報を掴んでいたとしたら……。

 あの日の別れ際に見せた副社長の穏やかな表情とありがとうという言葉や、そっと触れられた指先の感触。その全部が鮮明に思い出されて、あれが夢ではなかった事を実感する。

(副社長とはあれ以来だけど、巻き込まれたりはしてないと考えて良いのかな)

 私の手元にこの書類が返ってきたという事の意味を知るため、私は提案書のクリップを外して中身を確かめ始めた。

 そう言えば副社長の筆跡というものを今まで見たことがなかった。
 彼のものと思われる若干神経質そうにも見える細いタッチのそれが、資料の至る場所に書き加えられている。
 どうやら副社長はこの資料を全て確認しながら要望や疑問を書き込んでくれたらしい。どれも思いの外詳細に書かれてあって、副社長が真剣に読み込んでくれた事が分かって私は嬉しくなった。

「爆発に、煙幕に、レーザー……反動をつけて移動って、こんなの出来るのかなぁ……。やるしかないか。あ、このコインを弾くっていうのは出来そうかも」

 副社長の要望や指示を読み解いていく内に、私にも自然とアイディアが湧いてくる。私は慌ててペンを取ると設計図に色々と書き込み始めた。

 ようやく提案書の最終ページに辿り着くと、ページの最後に小さく何かメッセージとサインが書かれているのに気付く。

『待っているぞ。  ルーファウス』

 頭の中で読み上げただけなのに、まるで副社長の声が聞こえてくる気がした。
 これ以上は望まないと決めたはずなのに胸が高鳴って、苦しい。

(なんて人を好きになってしまったんだろう)

 今ならまだ引き返せる。
 けれど頭ではそう思うのに、心が言うことを聞いてくれない。
 
(せめてもっと副社長の役に立ちたい……)

 好きという気持ちが変えられないなら、せめて彼の役に立つことで側にいることを許されたい。
 私は胸に手を当てて、心の奥でそう誓った。


 しかし何日経っても、副社長とは連絡が取れなかった。
 本当は機能の最終チェックや細かい部分の仕様を確認したかったのに、メールを送っても一向に返ってこない。忙しいのだろうと思うからさすがに電話をかけるのは気が引けたので、試したことはないけれど。

「メンテナンスもあれっきりだしな……」

 本社に異動してきてすぐに一度預かったきりで、あれ以降副社長はあのショットガンを使ったのかどうかは分からない。
 しかし以前はあんなにきちんと手入れされていた上でメンテナンスを頼まれたくらいなので、そろそろまた依頼されるだろうと予想していたのだけれども。

(まさか何かあったんじゃ……)

 あの意味深な言葉と表情がまた思い浮かんできて不安になる。
 無意識に触れた耳元には、昔自分で買ったいつものピアスがついていた。

 胸騒ぎがして、落ち着かない。


 それからしばらくの間状況は何も変わらなかった。私は毎日返事のないメール画面を見ては溜息をつくのを繰り返している。

 シスネなら何か知っているかもと思ってメールを送ってみたものの、彼女からは『ごめん、何も知らない』とだけ返信があってそれっきり。
 どうやらあの英雄セフィロスが殉職したらしく、先のアバランチ襲撃もあって上層部はもうしばらくの間慌ただしい状態らしい。なのでタークスの主要メンバーであるシスネもその影響を受けているのかもしれない。
 もしかしたら副社長もと思ったけれど、真相を確かめる術もないから何とも言えなかった。

 それでも私は副社長から預かった提案書の件は試作を進ていたし、いつ連絡が取れてもすぐ動けるように準備だけはしていた。
 反神羅組織が活発化してきたことによってマテリアの開発も忙しくなってきたから、武器開発の時間を作るために会社にいる時間は増えていった。でも、少しでも手を動かしていないと不安に負けそうになってしまう。


 ある日の朝オフィスに着いてパソコンを立ち上げると、全社員宛ての社内通達が送られてきていた。タイトルには『業務命令』とだけ記載されている。

『代表取締役副社長兼執行役員 ルーファウス神羅に長期出張を命ずる』

 プレジデント社長名義で通達された命令の中の一文を読んで、私は目を見開いた。
 長期出張? 行き先は? 一体何のために?

 社長は気に入った部下は近くに置き、気に入らなければすぐに切り捨てるような厳しい方だと聞いたことがある。
 神羅カンパニーの社風は勿論彼の理念に基づいているので、確かに私達一般の社員も実力が重視されている。軍隊を抱えている企業なら尚の事だろう。

 そんなプレジデント神羅がわざわざ跡取り息子である副社長を長期出張に処した理由とは……。

「失礼。ナマエ・ミョウジは在室か?」

 まとまらない考えに耽っていると誰かが私を探している声が聞こえてくる。
 席から立ち上がって振り向くと、マテリアユニットの執務室入り口に立っていたのはタークスのツォンさんだった。

「ここにいます、ツォンさん」

 白衣の研究員ばかりの部屋の中で真っ黒なスーツ姿のタークスは目立つ。それでも彼はそんなこと全く意に介していないようで、真っ直ぐに私の席までやってきた。

「あの……どうかしましたか?」

 ツォンさんと会うのはあの日ゴールドソーサーから家まで送ってもらった時以来だった。本社のヘリポートで言葉を交わした以外には何も話すことはなかったので用件に心当たりは無い。
 あるとしたら、副社長の事くらいしか……。

「タークス用にマテリアを準備して欲しい」

 想像とは違った言葉に拍子抜けする。確かにこの部屋に訪れてくるのだから目的はマテリアだと思う方が普通なのだろうけど。
 でもこういった事はメールで依頼されることの方が多いからやはり違和感はある。それだけ至急案件なのだろうか。アバランチのジュノン襲撃と何か関係が……?

 私はそう思いながらも、目の前で眉一つ動かさないツォンさんから一枚のリストを受け取った。

「急で悪いが明日までに用意してくれ。誰かに取りに来させる」
「確認してみます……」

 ざっと見た感じ記載されたマテリアの在庫はあったように思う。元々ソルジャーとタークスには優先支給しろと言われているので、一般兵向けに用意していた分から持ってくれば問題ない。一般兵の人はちょっと可哀想だけれど。

 念の為にリストを上から確認していると、ツォンさんの視線を感じた。

「どれも明日までに用意できますよ」

 顔を上げてそう伝えると、ツォンさんはまだじっと私を見詰めている。

「あの、まだ何か?」
「いや……」

 そこで私は初めてツォンさんの表情が動いたのを見た。少しだけだけれど、困っているような、何か考え込んでいるような。

「……聞かないのか?」

 ツォンさんは周りの様子を伺いながら小さくそう呟いた。私はよくも肩が跳ねてしまわなかったと、後で自分で自分を褒めてあげたいと思う。
 それでもツォンさんをはぐらかす事は出来なそうだ。怪訝な顔の彼は、私が本心を言うまできっとここから立ち去ってはくれない。

「一つ、お願いをしてもいいですか?」
「……我々はこの件では動けない」
「これを渡していただくだけでいいんです」
 
 私はデスクの引き出しから大きい封筒を取り出してツォンさんに渡す。

「中身……は、確認されますよね」
「これは……『メンテナンスの手順書』?」

 ツォンさんは有無を言わせず封筒の中の書類を少し出してから眉を顰めた。

「業務上必要なものと判断されれば手に渡るだろうが、時間がかかる可能性はある」

 この口ぶりからすると、やはり私では連絡すら取らせてもらえない状況なのだろう。
 長期出張の行き先は一体どこなのだろうか。危険なところでなければ良いのに。

「きっと、必要とされていると思うので……」

 だって、あんなに大切にしてくれていたのだから。

 ツォンさんは私の言葉を否定しなかった。動けないとは言いつつ預かってくれるあたり、きっとタークスの人は何かしらの手段で副社長の現状を知っているに違いない。

「しかし、こちらの包みは何だね」

 ツォンさんが封筒の中に手を入れて引き出したのは、私がもう一つ同封していた物。
 見つからないとは思っていないけれど、見つけないでほしかった……本当は。

「そっちは……もしかしたら、業務上不要と判断されてしまうかもしれませんけど……」

 業務に使う事も出来る物ではあるものの、ただの兵器開発担当が副社長に渡す物かと言われれば言い返す言葉は無い。

「中身は?」
「……ネクタイなんですが」
「……理由を聞かなくてはならない」
「誕生日プレゼントなんです……けど」

 私が正直に中身を告白すると、ツォンさんはしばらく黙ったあと顔を背けて盛大に溜息をついた。迷惑なのは百も承知でも私には他に方法が無さそうなので、このチャンスに賭けるしか無い。

「もし駄目なら諦めます。でも……沢山の感謝の気持ちをなんとか伝えたいんです」
「……無理だったとして、君の手元に戻る保証は無い。これは君の給与から考えるとすぐに同じ物を用意するのは難しいだろう?」
「分かってます。これは私の……賭けなんです」
「賭け?」

 私の運を試す、賭け。

 ツォンさんは私の意図が分からないと言った表情を隠すことなく浮かべた。ようやくこの人にも感情というものがちゃんと存在しているんだと感じて、少しだけ安心する。

「弁えると言っていたのは?」
「……たまには不良になれと言われたので」
「ふむ……なるほど」

 そこまで言うとようやくツォンさんは封筒の封を折って小脇に抱えた。

「期待はするな。決められた手順を踏まざるを得ない」
「はい。それでも……ありがとうございます」

 私はツォンさんに頭を下げる。ツォンさんはまた感情の読めない瞳で私を見下ろした。
 そして彼は無言のまま踵を返すと、あっという間にオフィスから出て行った。

 さあ、すぐにマテリアの準備に取りかからないと。せっかくツォンさんが形だけでも私のお願いを聞いてくれたのだから。

 今日の私の耳には、金と青のピアスが輝いている。



(……失敗した)

 ただでさえ色々な事件続きで立て込んでいるのに、何故直に出向いてしまったのか。
 それはオレにしては珍しく、ちょっとした気まぐれだった。実際にマテリアは急ぎで必要だったから出向くのが手っ取り早いというのもあったが。

 落ち込んでいるかと思ったが思いの外気丈に振る舞うナマエ・ミョウジの姿に、もしや彼女ならば……と、同い年の、まだ青さが残る未来の主を思い浮かべる。
 彼女の耳に輝くピアスは副社長が贈ったものだということは知っている。ただ、何日か前までは違うものをしていたはずだ。
 なぜそんな事を知っているのかと言うとこれも単純に気まぐれで、あれだけ副社長にアプローチされているにも関わらず分を弁えようとしているナマエについて、少し調べようと思っただけだ。
 将来あの方が上に立ったときに障害になるようなものは、排除しなければならないのだから。

(しかしこれはどうしたものか)

 抱えた封筒の重さはたかが知れている。しかしその中に込められた"想い"の重さには溜息が出た。
 オレはタークスだ。
 与えられた仕事はこなすし、社長の命令は絶対だ。誓いを破ればこの身がどうなるか分からない。
 ただでさえ今はタークス自体の存在が危ぶまれているのだから。

 だがこんなとき、あの人ならどうするだろう。
 オレの脳裏に浮かんだのは、尊敬して止まない一人の上司の姿だった。

(不良の賭け……か。あんな真面目な奴が何を言っているんだ一体。不良というのはレノみたいな奴の事を言うんだぞ)

 それを言い放ったナマエが副社長にいつも真面目だ真面目だと言われていることを知っていたので、オレはついうっかり笑ってしまいそうになった。
 ナマエとやら、大きく出たな。無碍にしたとなれば後で副社長にバレた時に面倒ではないか。
 それにシスネにも怒られそうだ。



「失礼します。副社長宛ての書類をお持ちしました」

 そう言って部屋に入ってきたのはタークスのツォンだ。
 俺は軟禁状態となってからツォンを含めた数人のタークスとしか顔を合わせていない。それ以外では、偉そうに通信を寄越してくるオヤジだけ。

 こうして俺の元に届く書類も、全てオヤジに検閲されている。この部屋だって監視されているし、一番出入りする回数が多いツォンですら必要最低限の事しか口にしない。
 俺自身の詰めの甘さが招いた事態とは言え、日に日にストレスが限界に近づいているのが分かる。

「どうせ俺に必要なものは無いだろう。その辺に放っておけ」

 暇を持て余した俺はショットガンを片手に持ち、照明に翳して鈍い輝きに目を細めていた。弾丸は全て没収されたが、辛うじて銃自体は俺の手元にある。
 まるで今の俺と同じ。牙を抜かれた猛獣のようだと思った。
 たまには射撃のトレーニングもしないと、本当に腕が鈍ってしまいそうだ。正しくオヤジはそれを望んでいるのだろうが。

 しかしツォンは普段とは違い、すぐに書類を放らずにその場に立っている。その足元には、積み上がった不必要な書類の山。隔離された俺が目を通そうが通さまいが何も変わらない社内資料や、『見識を広める為』の啓蒙書だらけだ。

「どうした」

 ツォンはまだ黙って立っている。しかしようやく書類を目の前のローテーブルに置いたかと思うと、去り際に小さく呟いた。

「……たまにはきちんとお目通しされた方がよろしいかと」

 それだけ言うとツォンは一礼して部屋を出ていった。

 今のは何だ?
 この軟禁生活中にツォンが俺に決まり文句以外を発したのは初めてだ。
 一見、溜まっていく一方の書類の山を見かねての小言と取れる。
 しかし普段のツォンを知っていれば、命令にひたすら実直なあの男にとってそれが異様な行動だと言うことはすぐに気が付けた。

 俺はローテーブルの上に視線を移す。一番上はどこかの部署の備品決裁書の写し。こんなものはどうでも良い。しかしその下に厚みのある封筒が置かれている。
 俺はその封筒に違和感を感じて目を凝らす。違和感の正体は封筒の口にあるのだ。

(……糊付けされている)

 俺宛ての書類は全てオヤジの目を通って来る筈だ。封緘されたものは開封され、不要と判断されれば破棄されているらしい。
 反神羅組織への情報並びに資金の提供。副社長の身でそれを行っていた俺に対する処罰としては、客観的に見れば当然の措置だ。
 むしろ粛清されて然るべきだが、そこは体裁を気にするオヤジだから内々の処理で隠しておきたいのだろう。
 全く持って、世間体ばかり取り繕っている男だ。

 しかしそんなオヤジの元を通ってくるはずの書類が封緘されたまま俺の所へ持ってこられたのは初めてだった。
 それ以上に気になるのはツォンが呟いた言葉だ。

 俺は立ち上がると自然な動きを装って監視カメラに背を向ける。そして手元がなるべく映らない角度で、一番上の備品決裁書に目を通している振りをしながら下の封筒を見た。

 しかし外から見ただけでは中身に繋がるヒントは得られない。
 俺は細心の注意を払って、あくまでただ書類を確認しているような動きで封筒の口をゆっくりと開く。糊は軽く付けてあるだけだったので口は簡単に開いた。

(こんなスリルは久しぶりだな)

 もう何週間も飼い殺しにされたままで、正直言うと生きている実感すら無くなりかけていた。こんな些細な事で、珍しく手に汗が滲んでしまうくらいには。
 気分が高揚しているのが自分でも分かる。しかし冷静に、オヤジに気取られないようにしなくてはならない。

 封筒の中から出てきたのは俺の使っているショットガンのメンテナンス手順書だった。

 作成者名は『ナマエ・ミョウジ』。

 その名が目に飛び込んできた瞬間、俺は危うくそれを声に出しそうになってしまった。

 なるべく考えないようにしていた名前。
 思い描いてしまうと、一目会いたくて、触れたくて、もどかしくて堪らなくなってしまうから。目の前にすると普段の俺らしくいられなくなる、不思議な存在の名前。

 しかしこれは本当にナマエからの書類なのか。だが中身から見るに彼女のものなのだろう。
 俺が以前タークスに断られたと言ってメンテナンスを頼んだ癖に、それから一度も預けに行っていない事を気にしたのだろう。

(相変わらず真面目な奴だ)

 無意識の内に口元が緩んでしまう。
 本当は一度でいいから彼女に連絡を取りたかった。ジュノンや神羅の上層部に近付くなとは伝えたが、巻き込まれたりはしていないか心配になる。無事ではあるだろうが、万が一の可能性もあるのだから。
 しかし電話は取り上げられてしまい、メールも使えない。

(突然音信不通になったことで怒っているのだろうか……いや、ナマエの事だからそれは無いか)

 しかし武器の事になるとより一層真面目になる彼女の事だ。大事にしろと怒ってこれを送ってきた可能性もある。

「ククッ……承知した」

 後で久々に手入れをしてやろう。どうせここに弾は無いのだからそれくらい許されるはずだ。

 しかし封筒にはまだ厚みが残っている。そもそもこの手順書は大したページ数ではなかったのに、封筒が一回り大きいとは思っていた。

(まだ中に……何だこれは?)

 音を立てないようゆっくりと中身を取り出すと、子供の頃から見慣れたミッドガルで一番大きなデパートの包装紙が出てきた。当たり前だが何かが包まれている。

(これは音を立てないのが困難だぞ、ナマエ)

 そう毒付きながらも俺は声を立てずに笑っていた。彼女は一体この中に何を入れたというのだ。

 だいぶ苦戦したせいで包装紙はお世辞にも綺麗とは言えない有様になったが、ようやく包まれていた物が取り出せた。……と思ったが今度は紙製の箱。しかしそちらの方は簡単に開けられた。まったく、手間をかけさせる。

 中に納められていたのは、黒い光沢のある生地に艶のない漆黒の糸で刺繍が施されたネクタイだった。

「……っ、これは……」

 あまりの衝撃に思わず、ほんの少しだけだが声を発してしまったではないか。

 こんな物が入っていれば絶対にオヤジが俺に寄越すわけがない。そもそも繰り返すが封筒には糊が施されていた。
 では何故これがここに?

 俺はそっと黒いネクタイを握り締める。
 おそらくだが、真面目なナマエの事だから俺が渡した誕生日プレゼントの礼といったところだろう。
 そんな彼女の気遣いに、柄にも無く胸の奥が温かくなった気がした。

(ツォンの奴、一体どんな手を使ったんだ)

 これだからあの男は侮れない。
 オヤジの命令は絶対だというのに、同い年のよしみだけでツォンが危険を犯すとも思えない。

 そこまでして俺に借りを作りたいのか、それともナマエに頼まれて断れなかったのか……。
 しかしナマエはそういう性格では無さそうに思える。
 きっと、ただ純粋に俺からのプレゼントの礼として用意し、何かのきっかけで書類と合わせてツォンに託したのだろう。彼女の事だから俺に届かないことも織り込み済みで、それでもきっとこうして届けようとしてくれたに違いない。
……勿論、ただの俺の願望かもしれないが。

 初めはただなんとなく優秀なメカニックがいると気になっていただけの存在だった筈なのに。
 あのカードの言葉が無ければ気にも留めなかったかもしれない、ナマエ・ミョウジという名の平社員。

 俺はオヤジのように遊びの女を作るつもりはない。俺の母親の顔が、知っている限りの異母兄弟とその母親の顔が……浮かんでは反吐が出る。
 だからこそ恋愛感情なんて誰にも抱かないと、決めたはずだったのに。
 それにこれからはほんの小さな弱みだって見せてはならない立場になるのだ、俺は。

(だがどうしてお前は、俺の心を動かしたんだろうな)

 ……会いたい。

 恐怖心で泣きじゃくるナマエを抱き締めた時の腕の温もりも、雰囲気に飲まれてうっかり肩を抱き寄せた時の香りも、幸運を祈って手を握り締めてくれた俺よりも小さな手の感触も。
 全てが昨日のことのように思い出される。

 誰かを懸想するなんて柄にも無いと言う事は分かっている。だが、会いたくても会えないからこそ気持ちは余計に募っていくものだ。

(だがお前が祈ってくれたから、俺は……)

 何も言わずに背中を押してくれと頼んで、受け入れてくれたナマエ。
 本当なら俺がもっと上手く立ち回ってオヤジを失脚させるはずだった。アバランチが余計な動きをしたせいもあって、そうはいかなかったのだが。

 そう言えば、軟禁される前に彼女宛てに出した資料は手元に届いただろうか。きっとナマエの事だから、いつでも俺に出せるよう準備をしてくれているに違いない。

 そこまで思ってなんだかとても可笑しくなってきた。
 勝手に相手の事を自分の都合が良いように想像するとは、泣く子も黙る神羅カンパニー副社長ルーファウス神羅がまるで思春期のガキのようではないか。

「フッ、だがこれも……悪くない」

 悪あがきも得意だが、この件に関してはありのままを受け入れることに決めた。
 愛しいものを愛しいと思って何が悪い。 

 どうせ時間は腐るほどある。少しずつ反抗の牙を研ぎ澄ませながら、この気持ちとじっくり向き合おうではないか。

(待っていろよ、ナマエ)

 その名を口に出すことさえ出来ない事が、この時はまだ始まったばかりの長い軟禁生活の中で一番堪えた事だった。

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