力あるもの、力なきものを拾う(1)


「やーい、両親いねぇのお前だけー!」
「どっち付かずの半端者ー!」
「殴りも言い返しもできない弱虫−!」
 近所の年下の子ども達が好き勝手に言い立ててくる。一人二人ではなく、十人ほどの子ども達が私に対して好き勝手に悪口を浴びせてくる。中には馬頭にも似た言葉を浴びせてくる子もいて、今すぐにでも殴りたいと思ったが、私はその感情をぐっと抑えて拳を握りしめた。
 剣は抜かない。絶対に、抜いてやるもんか。
 それに、今日は年下の子達が好き放題言っているだけだ。そこに暴力はなく、人格を否定するような酷い悪口も含まれていない。せいぜいが、年相応のからかいにも似た悪口だけ。それは、彼らが盛り上がるために必要で、そうすることでしか鬱憤を晴らせないままならなさを表してもいる。
「その剣は飾りかー!?」
 挑発を、唇を噛んで堪える、抜くことは簡単だ。斬ることも簡単だ。何なら、命を奪うことだって、簡単だ。
 それをしないのには、もちろん理由がある。悔しくても、癪でも、何をされたって、剣を抜いてはならないのだ。そして、その理由を口にすることだって、許されない。
 弱みは、見せてはならない。それが、更なる差別に繋がってしまうのだから。何も、これ以上虐めの要素を与えてやる必要など、ありはしないのだ。
「なぁなぁ抜いてみろよ」
「それで斬ってみろよ」
「どうせ飾りなんだろ? 本当は剣なんてないんだろ?」
 ギャハハッ、と下品な笑い声が響く。本当に、幼い子どもの声とは思えないほどに、下品だ。もちろん、そうなるよう仕込んだのは、他ならぬ彼らの親であるが。
 たしかに、自分は彼らとは違う存在だろう。けれど、だからといって、虐められてやる理由などないはずだ。とはいえ、歯向かえば尚更面倒なことになることは事実である。彼らはこれを娯楽だと認識しているのだ。街の中で異質なものを虐めることで、自分が優越感を感じていたい。誰かを傷付ければ、誰かに苛立ちをぶつけることができれば、自分の心は軽くなる。だから、こんな風に私を囲うのだ。
「どーしたどーした! ほら、何か言ってみろよー」
 無邪気な言葉が、心を刺す。
 囲まれることも、殴られることも、悪口を言われることも、それ以上のことだって。そんな扱いを受けることには慣れていた。もう何年もこんな扱いを受けて、受けている内に、両親は不幸な事故で亡くなった。ひとりぼっちになってからは、その虐めはエスカレートするばかりで、日中の表立ったものだけではなく、夜間や早朝などの私の与り知らぬところで何かを言われていたりされていたりすることだってある。家の窓など、何度落書きを消したことか。
 賢い大人が裏に付いているのは分かっている。彼らは、損害賠償を求められないギリギリのところで嫌がらせをコントロールしている。同時に、自警団――この島では秩序の騎空団の当番がそれにあたる――に目を付けられない程度のところで抑えているのだ。やりすぎではないか、と思うことはあっても、それは正しく鬱憤晴らしの域を出ていない。本当に憎いのであれば、私はもうとっくに死んでいる。この街の住民に、殺されて。
「黙ってないで何か言えよ!」
 乾いた音が響くと同時に、私の頬に衝撃が走った。叩かれたのだ、と気付くには十分すぎる衝撃と音。それでも私は言い返さない。殴り返さない。彼らと同じ次元に、下りてなるものか。
 彼らは、弱い者を虐めて優越感を得たいだけなのだ。自分よりも弱き者がいるという優越感に浸りたいだけだ。自分の弱さを隠すためだけに私を利用しているような人間と同じ次元になど、下りない。
 そういう者達のために剣を抜く必要はない。
――いい? あなたはあなた。あなたは皆より強いの。力は守るために揮うもので、その守るもののために強くなることを目的とする時だけ振るいなさい。弱い人の遊びに付き合ってやるような剣は、いらないの。
 ……お母さん。
 この子達は弱い。何もできない。剣を抜けば、多分私が勝つ。この子達を動かない人形にすることなど、多分簡単だ。だからこそ、剣を抜いてはならない。剣を抜けば、きっとそれが差別を助長させる。それがどれだけ愚かな結果など、考えなくても分かる。現状でギリギリのところを生きているというのに、それ以上のことをしたら、多分、誰も幸せになどならない。
――我慢なさい。もしも同じように剣を向けてきた時だけ、剣を抜きなさい。それは悪いことじゃない。自分の身を守るための剣よ。
 両親の教えは、守らなければならない。口だけの輩で同じ土俵に立たない弱いものに振るう剣は、ない。
 だから、耐えなければならないのだ。どれほど酷いことをされたとしても。それは、『検挙されない許されていること』なのだから。
 黙って俯くことこそが、唯一にして絶対の正解だ。
「もう一発やっちまえ!」
「おう、そうだな!」
 やれ、という斉唱が響く。少年達の中でも一際力のある者が私の前に立って、歯を見せて笑った。
 ……全力、か。
 気味の悪い笑みは、自分が優越感に浸れるという瞬間の笑みそのもの。
 恐らくは、今日一番の打撃を浴びせようとしているだろう。振り上げられた拳を視界に収めると、私は息を吐いて目を閉じて覚悟を決めた。
「なんだ……?」
 そこに、異質な声が入り込む。それは、子どもの声ではない。大人や年上の子どもか、と思うもそれにしては落ち着きすぎたその声は、彼らではないと予感させるには十分だ。恐る恐る目を開けると、私の正面、子ども達の後ろに大柄な男と、彼に付き従うようにして控える数名の大人達が立っていた。
「ひっ」
 あちらこちらから息を呑む声が聞こえる。居並ぶ大人たちは、同じような帽子を被っていた。得物はそれぞれ違うが、あの服装には見覚えがある。それを知らぬ者はこの街にはいないだろうとすら言われている者達だ。
「ガキの喧嘩か?」
 異質な声は上から降ってきていた。まだ発達途中の彼らにとって、私の正面に居たドラフの男は、巨人にも等しいであろう。
「逃げろ!」
「見つかった!」
「やべぇやべぇ!!」
 蜘蛛の子を散らすみたいにして、私を取り囲んでいた十人近くの子ども達がこの場から逃げ出していく。
――秩序の騎空団。それは、私を虐める者達がこの行為を決して知られてはならない相手だった。
 ドラフの男性は大柄である。その体躯で子ども達の前に立てば、威圧感は凄まじいだろう。逃げ出す子の中には涙を浮かべている子もいたくらいだ。
 あっという間に子ども達はいなくなり、残ったのは大柄なその男と、彼に付き従う秩序の騎空団の者達だけ。
「何だ、虐めか」
 呆れ交じりに声が降ってきた。本気で喧嘩でもしていると思ったようだ。私だけが残ったことで、何が起きていたのかを把握したのだろう。
「あの」
 声を掛ければ、その人はすっと目を細めて私を見下ろした。同じような角が生えているせいだろうか。それとも、その奥にある秘密に勘付いたからだろうか。
「ありがとう、ございました」
 けれど、どっちだってよかった。知られたところで、秩序の騎空団にとっては何てことのない情報だ。それが共有されたとしても、彼らにとっては、何にもならないだろう。それに、この見た目では、私の秘密に勘付くことなど不可能だ。私は、見た目はドラフなのだから。
 それに、助けてくれたのは事実である。礼を述べれば、面倒そうに頭を掻いた。
「オレ様にとっちゃうるさかっただけだ。お前のためじゃねぇよ。喧嘩なら他所でやれって言うつもりだったしな」
「けど、お陰で早く済みましたから」
 事実、こうして助けられなければ、これは日暮れまで続いたことだろう。こんなにも早く終わったことは、僥倖である。おかげで今日はゆっくりできそうだ。
「あのままだと、いつまでも続いたので。だから……ありがとうございます」
「はっ」
 しかし、彼にとっては、私のことなど本当にどうでもいいらしい。素直に礼を受け取るつもりはないようだ。
「どう思おうがお前の勝手だ。オレ様は助けたつもりはない。そんだけは、覚えておけ。そんじゃあな」
 ひらりと手を振ると、その男は踵を返した。彼がこの場を離れると、他の者達も離れていく。
 そうして彼らは去っていき、今度こそ、この場に残されたのは私だけになったのだった。

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