初めての親切心(7)


 私に勉強を教えてくれるのは、ガンダルヴァさんと一緒に来た団員だけではない。この第四騎空艇団の中でもたくさんの人がいろんなことを教えてくれる。
 そして、その場所は各団員の自室や会議室のような場所を使っているため、一日の移動距離はそれなりになる。団員の都合がつけば前の科目から次の科目の時間は空かないが、それは本人の時間次第であることも多いため、大抵は自室と団員の部屋の往復だ。さすがにその距離の移動を誰かとするわけにもいかないため、私はいつも地図を片手に庁舎の中を歩き回る。
 時折地図を見ながらきょろきょろと辺りを見回していると、私が誰か分かって声を掛けてくる団員も多い。道を教えてくれる人、怪我の具合を尋ねてくる人、単に私と話をしたい人など、様々だ。テキストを抱えているためか「勉強熱心だね」と声を掛けられることも多いが、自分ではそんなこともないと思う。だって、これは私くらいの年齢であれば一通り学んでいるはずのことだって、教えてもらったから。
「メイリエちゃん」
 今日最後の科目を終えて部屋に戻るために廊下を歩いていると前方から声を掛けられた。見上げれば、白衣を着た女性が歩いてくるところだった。そのヒューマンの女性が誰なのかは、もう思い返さなくても済むようになってしまった。ここに連れてこられた日から、ずっとお世話になっているから。
「主任さん、こんにちは」
「こんにちは。今日は何してたの?」
 私の背に合わせるように少し屈んでから私の抱えているテキストを指して尋ねた主任さんの表情はにこやかだ。
「えっと、今日は、武器と魔法の基本と、騎空艇の仕組みと、それから、数学です」
「へぇ、本当にいろんなことをやってるのねぇ」
「はい。えっと、応急手当などの基礎知識とかも教えてもらってます」
「うん、知ってる。医務室の子がやってるから。何日かに一度はしゃいで戻ってくるわ」
「そう、なんですか」
 医務室の人が怪我や病気の基礎知識などを教えてくれているが、その人柄はものすごく落ち着いていて、物静かな印象を受けるような人で、言葉もあまり多くなかったと記憶している。だから、そんな人が主任さんの前でははしゃぐというのが、どうにもイメージとして湧いてこない。
「さすがに一人で手当てしてただけあるって。医療班に欲しいって嘆いてたわよ、あの子。評価してくれてるみたい」
「……そう、なんですね」
 そういった話は人から聞くことがないが、こうして聞くと少しは嬉しくなるものらしい。少なくとも、嫌われているわけではないようだし、まだ期待を裏切っているということもないみたいだ。
 自分の怪我は自分で手当てするしかなかったから、応急手当の方法を身に付けたのだが、そのやり方は騎空団では通用するレベルのものらしい。だからこそ、そちらに特化させたいという思いを持っている団員もいるのだろう。けれど、私を医療班に入れるつもりはないのだと、ガンダルヴァさんは言っていた。だから、残念だけど、その期待には応えてあげられない。
 もしも私が力を身に付けることができなければ、医療班で仕事をすることもあるのかもしれないけれど、そんなことが現実になるかもしれない時が来るのは、まだまだ先の話だろう。そしてそれは、目の前に居る主任さんも分かっている。
「まぁ、メイリエちゃんが医療班に欲しいとしても、今はまだ慌てる時期じゃないからね。もしかしたら、もっと向いていることがあるかもしれないし。今は皆の言う通り、いろんなことを勉強して、やれることを増やしていくのが一番よ。頑張ってね」
「はい、頑張ります」
 応援の言葉は掛けつつも諦めきれないのは主任さんも同じなのだろう。きっかけさえあれば、とは思っているような言葉だった。
「それはそうと、怪我の具合はどう?」
「痛みはもう引きました。殴られないので新しい怪我ができないから、その内治るかな、と」
「そう? ……でもまだ顔に傷残ってるわね」
 少し身を乗り出して私の顔をじっと見た主任さんが表情を歪めた。たしかに、まだ顔に出来た傷はちゃんと治ってなかったかもしれない。今回は思い切り殴られただけでなく、地面に顔を叩きつけられた。いつもよりも顔に酷い怪我を負わされたことを考えると、まだ気になる痕が残っているのかもしれない。私自身は傷痕が残ることはもう諦めてしまっているから、今更気にすることではないのだけど、主任さん達にとってはそうではないようだ。
「医務室いらっしゃいな。手当てしてあげる」
「……でも、お仕事とかは」
「私にとってはメイリエちゃんの手当てをしてあげることも仕事なの。怪我人なんだから。それに今は優先することもないし、気にしないで。目の前の怪我人が最優先。……ね?」
「じゃあ、あの、お願いします」
 ぺこりと頭を下げると「では行きましょうか」と言って主任さんが歩き出した。私もその後へと続く。
 幸いというべきかなんというべきか、主任さんと会った場所は庁舎の一階で、医務室と同じフロアだったため移動距離はそれほど長くはなかった。それでも、広い庁舎だからすぐに辿り着くことはなかったけれど。
 医務室に着くと、主任さんに促されて中に入った。言われた通りに一番奥まで進み、用意されていた椅子に腰掛ける。主任さんに診てもらう時はいつもこの一番奥のブースまでくるが、恐らくはここが主任さんの定位置なのだろう。
 私の後に入ってきた主任さんはさっと仕切りのカーテンを閉じると、机の上に道具箱を用意して、手当てに必要な物を準備する。大きな傷は治っているから、傷口を観察して絆創膏を貼る程度で済んだようだ。私の顔を診る主任さんの表情が苦いものでないことを考えれば、順調に治っているのだろう。
「……それでね、メイリエちゃん。声を掛けたのは、実は別の用があって」
「用、ですか」
「そう。あ、さっきは偶然見かけたから声を掛けたんだけどね。でも、見かけたらここで絶対話をしなきゃいけないことがあって」
 主任さんが私にしなければいけない話とは何だろうか。私と主任さんは、これまで三度ほどしかしっかりと言葉を交わしていない。しかもその内一度は連れてこられた日に貸してもらった服を返しに来ただけで、ほとんど話をすることができなかった。残り二度は怪我を診てもらっただけで、後は短い挨拶を交わした程度の関係だ。そんな主任さんがしなければいけない話とは、一体何だろう。
 先程までの柔らかな笑みは消えて、真剣な顔で、けれど迷いながら主任さんは口を開いた。
「ガンダルヴァ船団長から聞いたわ。全身に、酷い怪我をしてるんですって?」
 そういえば、と思い返す。主任さんに診てもらった怪我は顔や手、それから腕くらいのもので、他の場所は見せてはいない。本来であれば、怪我をした場所は全て主任さんに見せなければいけないのだろうが、私の怪我は全身の至る所にあるから、これを見せたら主任さんをはじめとした医療班の人達に負担を掛けることになってしまうし、心配を掛けてしまうかもしれない。そんな手間をかけさせるわけにはいかないし、心配されるような存在でもなかった。だから、見える場所と腕しか見せてこなかった。
 けれど、それをいつまで続けていいはずもないのだろう。私は自分で何とか手当てをしただけで、主任さんのような知識はない。治るものも治らないようなことしかできていないかもしれない。
 知識とは、それくらいの力があるものだと、勉強を始めてから感じるようになった。知っていればそれまで不可能だったことが可能になることもある。怪我の手当てだってそうだ。正しいやり方で手当てをすれば、治りは早くなるし、痕だって残らないかもしれない。
 だからガンダルヴァさんは、この第四騎空艇団で一番知識のある主任さんに私の現状を伝えたのだろう。私の怪我を、少しでも良くするために。
「……隠していて、すみません」
「謝ることじゃないわ。ガンダルヴァ船団長からは、どうも他人にはあまり見せたくないらしい、って聞いてるし。ガンダルヴァ船団長も命令で無理やり晒させたって言ってるし。誰にでも見せられるものでもないし、メイリエちゃんの傷を見たことがある私だけに治療してもらう方がいいだろう、って言われたの。誰にも聞かせたり見せたりするなって念を押されたのよね」
 たしかにあの時は、上官命令、というよりかは保護者命令で背中を晒した気がする。見せるのをかなり渋ったからか、私が余程見せたくないことを察したようだ。ガンダルヴァさん自身、あの酷い傷を誰にでも見せるべきではないと判断しただけかもしれないけれど。
「カーテンを勝手に開けて入ってくる人はいないから、見せてもらえないかしら? 傷の経過もガンダルヴァ船団長にしか報告しないって約束するわ」
 この傷を見られたくないという思いは最大限汲んでくれるらしい。ガンダルヴァさんは背中の傷のことは言い回っていないようで、団員さんから過剰な心配はされていない。主任さんに話したのは、心配だけではなく治療をしてくれるから、という理由で、それが必要なことだからだろう。そして、主任さんは第四騎空艇団では重要な位置の人のはず。ガンダルヴァさんもヴァルフリート団長も、私が本当に知られたくないことは黙っていてくれていることを考えると、主任さんも誰かに言うことはないのだろう。重要な人というのは、秘密を守る人ということでもあると、そう長くはない時間の中で感じているから。
「他の人に言わないでくれるなら。その、あんまり心配はされたくないので」
「分かったわ。ありがとう。それじゃあ、服を脱いでもらえる?」
 促されて服を脱いでいく。この傷を見せるのは二度目だからか、それとも主任さんが女性であるということからか、ガンダルヴァさんに傷を見せる時よりは早く服を脱ぐことができた。脱いだものは机の上に置かせてもらって、ショーツ以外の全てを脱いで肌を晒す。
「……なるほどね」
 一目見た主任さんはすっと目を細め、私に背中を見せるように言う。それに従って背中を見せると、ほんの一瞬驚いたように息を呑んだようだが、すぐに何も言わなくなった。時折触れる冷たい感触は、主任さんの指だろう。滑るような手つきはただ触れられているだけではなく、軟膏を塗っているようでもあった。
「背中は確かに、自分でやるわけにはいかないから、酷いわね。でも……」
 言葉を切った主任さんは、少し考えてから、うん、と呟いた。
「メイリエちゃん、これから、毎日医務室に来ること」
「……え?」
「たしかに酷いけれど、絶対に治らないわけじゃないわ」
「本当、ですか……?」
「えぇ」
 力抜いて、という言葉と同時に、体を薄緑の光が包み込んだ。びくりと震えると「大丈夫」と後ろから優しい声が降ってくる。
「回復の魔法だから。皮膚の再生速度を速めてあげないとね。古い痕は消えないかもしれないけど、新しい傷痕は残らないようにしないと。メイリエちゃんは女の子なんだから、綺麗な肌の方がいいものね」
「綺麗な……? 私が?」
「えぇ。全員が、とは言わないけど、綺麗な肌にするために努力している人が多いから。自分の体を見て、最初から諦めて欲しくないから」
 自分ではそんな欲求がないからピンとこないけれど、そういうものなのだろうか。いや、そういえば、いつも一緒にご飯を食べてくれる女性の団員にも似たようなことを言われたかもしれない。肌の手入れって何かしてる、とかなんとか。特に何もしていないから、その場は首を横に振って終わったけれど。
「いろんな人と話をすると分かるようになると思うよ。それから、もしもこれから先、好きな人ができたら、やっぱり綺麗な方がよかった、って後悔してほしくないからね」
 好きな、人。それは、父と母のような関係になるということ、だろうか。私に、そんな幸せを得る権利なんか、ないと思うけど。
 ……でも、一緒になれなくても、そういう想いを持つことは、あるかもしれない。
 たとえ、家族になれなかったとしても。誰か一人を懸命に追いかけることは、あるのかもしれない。そして、その人に全てを見せなければいけないのだとしたら。今の状態では、何を言われるか分からない。主任さんの言う通り、痕がない方がいいだろう。
「薬を塗って、魔法を掛ければかなりマシになると思う。出発、まだいつか決まってないって聞いてるわ。一日でも多く手を掛ければ、ちゃんと治るよ」
「……出発が決まってないのは、私の、せいですけど」
「そんなこと言わないの。メイリエちゃんのことはずっと問題になってたんだから。メイリエちゃんのせいじゃないよ」
 分からない。本当に、私のせいじゃないのかが、分からない。
 街に居た時は、私が居るだけで全てが私のせいになっていたから、それが当たり前だと思っていた。何もかもうまくいかないのは、私が生きているせいなのだと。けれど、秩序の騎空団の人達はそれを全て否定する。私のせいなんかじゃない、って。
 私が持っていた常識が全て否定されてしまうような感じは、何だか変だな、と思う。私のせいじゃなかったら、一体何が原因だというのだろう。誰も、そうしたことを教えてくれないから、分からない。
「……はい」
 頷きはしたが、納得はできていない。でも、理由を訊いたところで、答えはきっと、返ってこないのだろう。私が納得できるだけの、答えは。
 これは、私一人の問題ではなく、秩序の騎空団全体の問題。そう言われても、それで納得できるかと言われたら、そうではないのだ。何年も言われてきたことを、そう簡単には否定できない。
「うん、今日はこれくらいかな」
 主任さんがそう呟くと、私を包んでいた薄緑の光が消えた。特に変わった変化は見られないけれど、元々大きな傷とかもなかったから、そんなものなのだろう。主任さんは、再生速度を速める、とだけ言っていて、傷を治す、とは言っていないのだから。多分、何日も何日も魔法を掛けることで、少しずつ治っていくのだろう。
「服、もう着ていいよ。今日はおしまい」
「はい、ありがとうございます」
 服を着ている間、主任さんは使った道具を片付けているのが目に入った。着替えている私の姿を見られないのは、気が楽だ。どうあっても、私の体は、あまり見てもいいものではないだろうから。
 それに、この傷を見て、これだけ怪我だらけなら今更増えたって問題ないだろうと言われて、更に暴力を振るわれていた。主任さんはそんなことをしないとは分かっていても、やっぱり怖いものは怖い。
 私にとっては、この傷痕は、暴力を振るわれて出来たものであると同時に、次の暴力を呼ぶものだった。
 治らない傷は抱えて生きるしかないが、それを誰かに見せたくはなかった。私のことを知らない人なら、尚更。
 ……でも、そういうわけにも、いかないんだろうな。
 これだけ大きな組織で生きる以上、何かを隠すことは多分できないのだろう。そうでなくても、私を連れ出してくれたガンダルヴァさんは「嘘や隠し事をするな」と言っていたわけだし。この傷は、これから、いろんな人が知ることになってしまうのだろう。でも、知られる前に治ってさえしまえば、私が苦しむこともないのかもしれない。ガンダルヴァさんや主任さんの気遣いは、きっと、そういうものだ。
「それじゃあ、また明日。待ってるわね」
「はい。よろしくお願いします」
 着替え終わった私を、主任さんは入り口まで見送ってくれた。手を振ってくれる主任さんにぺこりとお辞儀をして、私は医務室を後にして部屋へと向けて歩き始めた。

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