初めての親切心(5)


「……その方が、皆さんは間違いなく幸せだと思います」
「オレ様達じゃねぇよ。お前が幸せかどうかだ」
 ……私、が。
 私以外の他の全ての人のことを無視したとして、私は街に居た時の方が幸せだったかどうか。そう問われたなら、答えは一つしかない。
「暴力も暴言もないここは、とても幸せだと思います。皆さん、良くしてくれますし……」
「じゃあそれでいいんじゃねぇのか。お前は何が不満なんだ。何で自分はここに居るべきじゃねぇと考えるんだ」
「私のせいで、皆さんの予定を狂わせて、しまって……。今後も同じようなことがあるかもしれないですし」
「はぁ……そういうことか」
 大袈裟に溜息を吐いてみせたガンダルヴァさんは手元のカップに口を付けてから口を開いた。
「前にも言ったが、問題視はされてたんだよ。なかなか尻尾が掴めなくて苦労したってだけだ。ここの責任者のモニカはお前に対してひどく責任も感じてる。ボロボロになるまで助けてやれなかったことを悔いてな。だから、お前に対して最大限の援助をすることをヴァルフリートに掛け合った。家の管理もそうだし、今日のことだってそうだ」
「……今日?」
「オレ様の滞在をもう少し延ばして協力してくれないか、だとよ。ヴァルフリートの力も借りるつもりだ。あいつはここで、この件を終わらせたいらしい」
 だから、ガンダルヴァさんも一緒に来た団員の人も特に慌てている様子がなかったのか。でも、それは、いいんだろうか。ヴァルフリート団長はこの大きな組織をまとめあげる人でもあり、そう簡単に予定を変えてしまっては、他のことに支障をきたさないのだろうか。
「お前がここに来た時点で」
 ガンダルヴァさんはカップを置いてテーブルに肘をついて手を組み、その上に顎を乗せて私を見下ろした。
「お前だけの問題じゃなくなってんだ。これはもう、第四騎空艇団全体の誇りを掛けた問題だ」
「……誇り?」
「あぁ。自分達の拠点で行われていた犯罪を徹底的に裁くという、誇りだ」
 今までは私一人が住民達に暴力を振るわれて、怪我をして終わりだった。それは、単なる小競り合いの一つと捉えられていてもおかしくはないだろう。事実、私に暴力を振るっていたのは、私の家の近くの住民だけで、秩序の騎空団の庁舎近くの住民は、この件には全くの無関係だった。だからこそ、この人達に私のことが伝わっていなかったのかもしれない。
 でも、何かのきっかけで秩序の騎空団の耳に入り、調査が始まり、私の暴行に加担するよう強要された団員が出た。そして、本格的に街ぐるみで行われている暴行を無くすために手を伸ばした。秩序の騎空団は、全空の平和と安全のために存在する組織だ。その組織の拠点がある街で酷い暴行沙汰があり、それが未解決の状態であるとなれば、それは組織自体の信頼を損ねることになる。だからこそ、ここの責任者であるモニカという人は、更なる協力をガンダルヴァさんとヴァルフリート団長に求めた。
「秩序の騎空団の存在意義を掛けた問題にもなってんだ。昨日の現行犯での捕縛はかなり大きかったようだな。調査の進展が望めるということで、ヴァルフリートの予定も調整したそうだ。だから、今日ここを出ないことを気に病む必要はねぇよ」
 出発しない経緯は分かった。ヴァルフリート団長の予定が変わったことも、私一人だけのせいではないということも。そして、私に対する虐めが、本当はあってはならないのかもしれないということも、だ。
 だからこれは迷惑なんかじゃない。
 でも、他は? 私は、生きているだけで迷惑だってずっと言われてきたのに、それは解決するのか。
 ……はっきりさせておいた方が、いいのかもしれない。
 今ならまだ、引き返せる。私も、秩序の騎空団も。アマルティアを出てしまえば、もうどこにも行くことができない。どんな扱いを受けるとしても、秩序の騎空団に居るしかなくなる。今までみたいな虐めを受けるとしても、どこにも逃げ場はないのだし、彼らも私を見続けなければならないのだから。
「……もう一つ、いいですか」
 心を決めたはずの声は、情けなく震えていた。見上げた先に居るガンダルヴァさんは瞳を細めて私を見下ろしていた。
「私は、生きているだけで迷惑だとずっと言われてきました。……だから、今回のこと以外でも皆さんの負担になってしまうことがいっぱい――」
「メイリエ」
 言葉を遮るようにして私の名前を呼んだガンダルヴァさんは、組んでいた手から顎を離すと、今度は腕を組んで私を見下ろした。
「オレ様は最初に言ったはずだ。それを、証明してやるってな」
 証明、と口に出す。最初というのは、ここに連れてこられる最初の日のことだろうか。少しの間考え込んで、そしてすぐに行き着いた。庁舎ではなく、暴行を受けていたあの現場で、団員さんと手合わせを終えた後、たしかにそう言われた。
――お前が本当に迷惑な存在なのかどうか、環境を変えて証明すんだよ。
 街で生きている限りは迷惑だと言われ続けて生き続ける。けれどそれは、本当に正しいことなのか。その環境を変えて迷惑だと周りが思わなければ、私は存在自体が迷惑ではないということになる。その証明を、彼はしてくれる。だから、私をここまで連れてきた。
「この件に関しては、誰もお前のせいだと思ってねぇからな。ここに居る奴らは、少なからずはお前を助けてやれなかったことを悔いている。だから、お前のことを迷惑だなんて思ってねぇ」
 何度も何度も同じようことを言われているのは、私がずっとされてきたことの上書きに近いことなのだろうか。生まれてきただけで迷惑だとずっと言われてきたこの数年間をなかったことにするかのように、ガンダルヴァさんは何度も「迷惑じゃない」と言ってくれる。他の人達だって、似たようなことを言ってくれる。
 それは、私の今までとはまるで正反対で、だからこそ、どう答えていいのか分からなくなるし、信じていいのかも分からなくなる。
 ただ一つ分かるのは、これから一緒に生きるのは、私に暴言を吐いていた人達ではなくて、私のことを認めてくれるような言葉を掛けてくれる人達だということ。だから、受け入れなきゃいけないのだと思う。こんな考え方をしてはいけないのだとも。
 でも、ふとした時に甦る言葉の数々が、私の心を縛り付けてしまう。一生甚振られていればいいという言葉が嫌でも蘇ってきて、怖くなる。家に帰らなければいけない。あの場で、暴力を受け入れなければいけないのだと。私は、生きているだけで迷惑を掛けるから。その代償に、住民の気が済むまで殴られたり暴言を吐かれたりしなければならないのだ。
 だから、こうやって温かく接してもらえる方が本当はおかしいんだって、思ってしまう。
「怯えんな」
 俯いてしまっていた視界に入るように、ガンダルヴァさんの指が私の近くでテーブルを叩いた。のろのろと見上げると、静かに私を見下ろす瞳と目が合った。
 不安で埋め尽くされかけていた心が、ガンダルヴァさんのその一言で少しだけ軽くなった気がした。どうしてかは、分からないけれど。でも、ガンダルヴァさんの力強い言葉を聞くと、不思議と前を向くことができるようになる。恐れや不安が、少しずつ消えていく気がする。
「ここでは堂々としてろ。それが、誰にも迷惑掛けない方法だ」
「堂々と、ですか……? でも、そんなことしたら」
 街ではただ普通に歩いているだけで「生意気だ」と暴力を振るわれた。だからといって、不安そうな顔をしていたとしても、文句を言われた覚えはあるけれど。でも、まっすぐ前を見て歩いていた時の方が、扱いは酷かった。私に、そんな風に普通に生きる資格などないのだと言われて。
 だから、怖い。堂々としていることが気に入られずにまた同じような扱いを受けるのかもしれないと思うと、とても堂々となんて、できそうにない。
「何にもねぇよ。ここでは、何もねぇ。ここでは皆お前を一人の人間として見ている。お前が何かをしない限りはお前に危害が及ぶことはねぇよ。だからな」
 言葉を切ったガンダルヴァさんは、私を安心させるように、少しだけ目元を緩ませた。
「迷惑とかそういうのは考えず、他の奴らと同じように過ごしていろ。それが、お前に与える当面の仕事だ」
 まるで、私の中にある『当たり前』を変えようとでもするかのようだ。これから生きるために、これまでを捨てろとでも言うように、強い口調でガンダルヴァさんが言い切る。
 しかし、一つ、引っ掛かることがある。最後に言われたことだ。
 仕事というのは、自分が働いてお金を得ることで、その内容は様々だ。しかし、他の人達と同じようにしているだけでいいとは、どういうことだろうか。それは、仕事でも何でもないことのように思えるのだが。
「仕事、ですか」
 それを確認するように問いかけると、ガンダルヴァさんは、あぁ、と頷いた。
「本来であれば、今日ここを出発して、航行中のルールや仕事などを覚えてもらう予定だったが、さっきも言ったように出発が先送りになった。けど、いつまでも何もしねぇんじゃお前も暇だし、金も渡せねぇ。そこで、だ。お前が当面やれること、やるべきことを考えたんだが、その内のやるべきことが、『他の奴らと同じように過ごすこと』だ」
 他の人と同じように過ごすことが、やるべきこと。でもそれは、ここに来てから少なからずやってもらったとは思う。事務の職員の人と一日中書類を見ていただけかもしれないけれど。でも、それだって他の人と過ごすこととは変わらないはずだ。
 説明を受けても今一つ理解していない私を見て、ガンダルヴァさんは先程の説明を補足するように口を開いた。
「当たり前だが、お前は普通の生活ってもんにあんまり関わってこなかった。そのままだと今後過ごし辛いのはお前だ。だから人を付けて少しずつ直していく。けど、それだけってのも効率が悪い。だから他の奴らと過ごすのと同時に、お前には勉強をしてもらう。それが、仕事だな」
「勉強というと、どのようなことですか」
「全部だ」
「全部……?」
 思わずガンダルヴァさんの言葉を繰り返してしまった。全部というとどういうことを指すのだろうか。読み書きと日常で使うような計算以外に、何かあるのだろうか。
「適正が分かんねぇんだ。とりあえず全部教えてやる。そうだな……、まぁお前くらいのガキが学校みたいなところで学ぶような内容くらいは何とかしてやる。覚えることはたくさんあるからな。それを覚えて使いこなせるようにすることが、お前に与える仕事だ」
「あの、私、勉強は、あまり……」
「構わねぇよ。基礎から教える。そういうのが好きな奴もいるしな」
「……ガンダルヴァさんは、しないんですか」
 その口ぶりからすると勉強を教えてくれるのはガンダルヴァさん以外の人ということになる。誰が来るかは分からないが、当てはあるのだろう。だがその一方で、私を見なくてもいい時間ができる腑ガンダルヴァさんは何をするのか。まさか、付きっきりで住民達の取り調べをするのか。
「オレ様はお前の問題の件を片付ける。お前を保護して、暴行を加えていた奴らの一部は捕縛したが、これだけで終わるわけでもねぇし、もしかしたら第二のお前みたいな奴を作り上げてまた街ぐるみで暴行沙汰を起こされても困るからな。膿を出し切るってわけだ。お前の協力が必要な時はその都度声を掛ける。だから、その間にお前は自分のできることを増やすことが仕事になる」
 問題の当事者である私を抜いて話を進めるのは、その方が速いからなのだろう。もし私が捕縛された住民と話をすることになったら、暴言を吐かれるだけ吐かれて、何も話にならないのかもしれない。そしてそれは、認めるところだ。
 だから、その間に勉強をしていろというのは理解もできる。教えてくれる人もいるから、誰かと接することもできる。その人がどう過ごしているのかを見ることも、勉強なのだろう。
「お前が生きやすいようにしてやる。だから、お前はお前でできることをやれ。それ以外のことは考えるな。いいな?」
 勉強して、他の人と過ごすことが、私にできること。その中で、また何か感じることもあるのかもしれない。私ができること、できないこと。そういったことを、この人は見たいのかもしれない、と思った。同じ艇で過ごす以上は、得意なことと苦手なことを把握しておかないと不便なこともあるのだろう。
 それに、ガンダルヴァさんがやる仕事で、私が協力できることは多分ない。なら、ガンダルヴァさんの言う通りのことをしておくことが、一番いいのだろう。何かをしていなければ、迷惑だと感じるのかもしれないけれど、勉強をしていればそうではない。もしかしたら、ガンダルヴァさんはここまで見通しているのかもしれない。
「分かりました」
 だから、私は何も言わずに頷いた。
 私は、秩序の騎空団の団員として生きるのだから。その上官の言うことは聞かなくちゃいけないし、それに。
 ガンダルヴァさんの言うことは正しくて、従わなかったらまた私が危ない目に遭ってしまうかもしれないと、私はもう、身に染みて感じてしまっていたから。

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