初めての親切心(4)


 目的の階まで抱え上げられた後は下ろしてくれると思っていたのに、ガンダルヴァさんは私を下ろすことなくそのまま廊下を歩き始めた。また隣で転ばれたらたまらないと思ったのだろうか。それとも、抱え上げたままの方が楽だと思われたのだろうか。
「そういやお前、さっきは何を言おうとしてたんだ」
 さっきというのは、私が転ぶ直前にガンダルヴァさんに声を掛けた時のことだろう。うやむやになってしまったと思っていたのだけど、えぇと、何を言おうとしていたのだったか。
 しばらく考えてから、あ、と思い出した。
「その、物凄くいろんな方に声を掛けられるんですけど、昨日、そんなに大騒ぎになったんですか。顔も知らないような方からもさっきから声を掛けられてて」
「……オレ様達が戻ったのは、お前がここを出てから一時間も経ってない頃だ」
 少しだけ考え込んでから口を開いたガンダルヴァさんは、私が問いかけた答えとは程遠いことを話し始める。
「戻ってすぐに門番の奴から、手紙を預かってるって渡された。……あれ渡された時のオレ様の気持ちが分かるか?」
 はい、と頷きかけてやめた。じゃあ言ってみろ、と言われて答えたとして、ガンダルヴァさんの思いと違っていたなら、それは私の思い上がりだったということになる。私が逆の立場になったら、と考えても、私はそのような立場になることは当分ないだろうから、正解というものは導き出せそうにない。
 だから、ゆっくりと首を横に振った。
「昨日も言ったが、肝が冷える思いがした。短い手紙を見て、思わず握り潰した。すぐに連れ戻そうとしたオレ様を止めたのはヴァルフリートの野郎だ」
「……ヴァルフリート団長が、ですか?」
「あぁ。……結構な面倒事に発展して、昨日の仕事はあいつも合流したからな。だから戻りは一緒だった。そんで、その場で動かせる戦力全部集めて事情を説明してあれだけの人数をお前の救出に当てたってわけだ。お前のことを知らない奴も多かったからな。大雑把にではあるが全ての団員に今日の朝に改めて通達が出たはずだ」
 ガンダルヴァさんの説明を聞いて、納得した。あんな短時間であんなに多くの団員をどうやって連れてきたのだろうと思っていたが、ヴァルフリート団長が指示をしていたのか。それだったら、納得できる。第四騎空艇団の所属ではないガンダルヴァさんが動かせる人員というのは、きっと、限りがあるだろうから。
「新入りのドラフの女がいるって認識だけはそれぞれあったらしいな。オレ様と一緒に居るってのも。だから通達を見てお前に声掛けてきてる連中がほとんどだろうな。もちろん、昨日お前の家まで行った奴も何人かいるぞ」
「そうなんですか」
 あの時は自分のことだけで精いっぱいだったから、誰がいたのか、なんてことも全く分からなかった。辛うじてわかったのは、いつも一緒に居るガンダルヴァさんの部下だという人達だけ。それ以外にはどんな人がいたのかどうかも分からない。
 それだけ、秩序の騎空団には団員がいるということだけど、そうすると気になることもいくつか出てくる。
「あの……ヴァルフリート団長は、私のことをどのように説明したんですか」
 私という存在をどのように説明したのか。それは、気になるところだった。もしも、私がハーフであるということを多くの団員に知られてしまったのなら、いずれは、ここにも居場所がなくなるのかもしれない。だって、ハーフっていう存在は、穢れているから。他にない存在は、恐怖の存在であるから。きっといつか、疎まれてしまう。
 ヴァルフリート団長には私がハーフだとは言っていないけれど、ガンダルヴァさんが言ったのかもしれないし、そうでなくても、それくらいは調べているのかもしれない。だって、私の身柄を引き取る組織の長なのだから。
「以前から問題になってる件の被害者で、家に帰れば暴行を受ける可能性が非常に高く、最悪の場合死ぬかもしれない。……そんな説明だ。お前が知られたくないことは口にしてねぇぞ」
「……そうですか」
 その答えを聞いてほっとした。となれば、まだ私が穢れた存在であるということは知られていないらしい。
「でも、大騒ぎに、なってしまったんですね」
「まぁな。嫌か」
「それは、……まぁ」
 目立てば厄介なことになるかもしれない、と思っていたので何か面倒なことは起こさないようにしよう、と細心の注意を払っていたのに、最後の最後で無駄になってしまったようだ。声を掛けられるのがむず痒い、というのも当然あるが、それ以上に、私のせいで夜中にも関わらず多くの人の力を借りてしまったこと、そして、私なんかに気を遣わせてしまっているという事実が申し訳ないという気持ちにさせてしまう。
 新人というものは目立つものなんだな、とこの数日で感じていたことだけど、それでも、昨日まではこんな風に声を掛けられることなんかなかった。それが一変したのだから、大騒ぎになってしまったというのは嫌でも分かる。
「戻ってきた時も言ったが、自分の軽率な行動がどれだけの人間に心配を掛けたのか、今日一日だけはしっかり味わえ。明日からはオレ様が対処してやる」
「……はい」
 ガンダルヴァさんの厳しい言葉に、力なく頷く。今日は夜までずっとこの調子だろう。食事時が今から憂鬱だな、などと思ってもその原因を作ったのは私なのだから、何も言えなかった。
 この騒ぎはしばらく続くだろうが、ガンダルヴァさんの言葉を信じるなら、明日からは今まで通りガンダルヴァさんがあしらってくれるのだろう。どれくらい対処してくれるかは分からないけれど。昨日の身勝手な行動は私に反省をさせるための材料にもなるので、もしかしたらあまり前には出てくれないかもしれないが、やっぱり悪いのは私なので文句は言えない。
 とにかく、今日は我慢して一人ひとりにしっかりと向き合って無事であることをちゃんと伝えねば。
「さて、とりあえずお前はそこ座っとけ」
 そうこうしている内にガンダルヴァさんの部屋まで着いて、私はそのまま部屋の中に連れ込まれ、ソファに下ろされた。ガンダルヴァさんは少し離れたところにある大きな机の後ろにある椅子に腰掛けたようだ。机には紙が山と積まれてあり、彼は溜息を吐いてそれを捲り始めた。
 私はといえば、座ってるよう言われただけで特にやることがなく、手持ち無沙汰でその様子を眺めるだけだ。元々今日が出発の日だと言われていたから、私には何の予定もない。ガンダルヴァさんもそのはずだったのだが、積まれている紙を見る限り、仕事をしなければならないようだ。
 今後の話をする、と言われてここまで連れてこられたはずなのに、彼が口を開く気配は一向にない。聞こえるのは紙を捲る音と、時折聞こえるペンを走らせる音、それからガンダルヴァさんの溜息と、ごく稀に聞こえる唸り声くらいだ。あまりにもやることがなくて、飲み物でも淹れましょうか、と言ったのだが、今私が言ったら帰ってこれなくなるから、と切り捨てられてしまった。
 では部屋に戻ろうか、と思ってもガンダルヴァさんはそこにいろ、としか言わなかった。仕方なく、窓の外を眺めていたり、時折部屋に来ては紙を渡されて短く話をする団員を眺めたり、その人と話を少ししたりするしかなかった。一人でいる時間は慣れていたつもりだったけど、こうして手持ち無沙汰になると何をしていいのか分からなくなるものなんだな、と考えてしまう。家に居た時は家事をしたり、ストレッチや素振りをしていたりしていたのだが、ここではそんなことをするわけにもいかない。
 随分と長い時間が経ったな、と思う頃、この数日で聞き慣れた声が入室の許可を取った。ガンダルヴァさんはそれに短く答えると、すぐに扉が開く。
「メイリエちゃーん!」
 そしてすぐに私の名前を呼んで、その人が駆け寄ってきた。
「おはようメイリエちゃん! 怪我の具合はどう? ちゃんと治りそう?」
 私が座っていたソファの隣に飛び込むように座った後に抱き着いてきたその人は捲し立てるように私に質問を浴びせてきた。毎日のように会話をしている、ガンダルヴァさんと一緒に他空域から来た女性の団員だ。今回来た唯一の女性団員ということもあってか、私のことはすごく気にかけてくれてる。
「おいおい、メイリエちゃん困ってるだろ。その辺にしとけ」
 その女性に苦笑いを投げかけたのはやっぱりガンダルヴァさんの部下だという男性だ。手にトレーを持っており、ポットのようなものが見えた。
「船団長、お茶をお持ちしました。それから、お話が」
「あぁ。飲み物はメイリエに渡しとけ」
 ガンダルヴァさんが男性に手振りで指示をすると、彼は私の前にあるテーブルにトレーを置いた。お湯が入っているポットと、ティーポット、それからカップが二つ。その内一つはすごく大きいから、これはガンダルヴァさんの分だろう。そして、茶葉が入っている缶も載っていた。
 私がそれに手を伸ばそうとすると女性の団員がするりとそれを取り上げてしまい、「座ってて」と笑われる。今日はとことん、労われる方らしい。
「船団長、昨日連行した住民の件についてですが」
 その言葉を聞いてぴくりと肩が跳ねてしまった。そっとガンダルヴァさん達の方を窺い見れば、ガンダルヴァさんと目が合った。
「順に取り調べをしていますが、自分達だけ強制連行されるのは不平等だと反発を受けています」
「だろうな」
 手を顔の少し下まで上げたガンダルヴァさんは、指で「こちらへ来い」と私に指示を出した。小さく頷いてソファを立ち、ガンダルヴァさんの隣まで行くと、改めて傷を確認するように顔をまじまじと見られる。立っている時とは違って距離が近い状態で見下ろされるのは、また違った緊張感を私に呼び起こした。
「昨日は夜だったから大人しかいなかったが、オレ様が最初にこいつを見つけた時はこいつより小さいガキに囲まれてた。その翌日に会った時はこいつと同じくらいのガキに囲まれてた。たったあれっぽっちの数なわけねぇからな。検挙されない奴は不平等だと言われても反論はできねぇ」
 傷を見たと思っていたのだが、どうも違うようだ。ガンダルヴァさんは私と出会った時のことを語るとまた戻るように指示を出した。ソファに戻ると、女性の団員にカップを差し出されたのでそれを受け取る。彼女は大きなカップを持つとガンダルヴァさんに手渡して、報告をしていた男性の隣に立った。
「被疑者はどれくらいの数になるか分かりませんし、自分は加担していないと主張する者が出てくることも考えられます。けど、その言い分を聞いて、そのまま見逃したら、メイリエちゃんみたいな人が出ないとも限りません」
 次に言葉を発したのは女性の方だ。彼女が言ったのは推測のようであるが、これが実現しないとは限らないのもまた事実だろう。
「お前らが作った報告書なんか見ても似たような調書ばかりだな。動機にせよ、反省の色が見えないにせよ、同じ人間かと思うくらい言ってることがほぼ一緒だ」
 大量に積まれている紙を指してガンダルヴァさんが溜息を吐く。昨日連れて行かれた一人ひとりから話を聞いているのだろう。どんなことが書いてあるのかは分からないし、それを書いた人が何を思ったかは分からないが、住民の方が何を語ったのかは大体の想像がつく。
 きっと、「自分達は悪くない、私の方が悪いのだ」と。そう、書いてあるのだろう。今まで、そうやって暴力を振るわれてきたのだ。こんなことになっても主張を変えることなどしないだろう。
 ぎゅっとカップを握りしめてガンダルヴァさん達を見る。三人はまだ話をしていて、これからどうするのかを考えているようだった。私のせいで、迷惑を掛けてしまっている。本当ならば、ガンダルヴァさん達は今頃この街を出発していたのに。私が昨日勝手に家に帰ってしまったせいで予定が狂ってしまっていた。
 ……やっぱり、私は迷惑だ。
 一人で帰ることが誰にも迷惑を掛けないと思ったのに、実際はその逆になってしまっていて。多忙なはずのヴァルフリート団長の予定までをも狂わせてしまって。私は、どうやって償えばいいのだろう。やっぱり、この人達と一緒に過ごすことは許されないんじゃないだろうか。
「……メイリエちゃん?」
「は、はいっ」
「どうしたの、ボーっとして。大丈夫?」
 いつの間にかガンダルヴァさんとの話を終えていたらしい団員の女性が私を心配げに見ていた。
「大丈夫、です。少し、考え事を……」
「そう? ならいいんだけど」
「無理はしないようにね。あんなことがあったばかりだから尚更」
「はい」
 男性にも心配を掛けてしまっていたらしい。気遣うような声は、私の中に罪悪感を呼び覚ました。目線を下に落とすと、カップの中にある赤茶色の液体が目に入る。ちびちびとそれに口を付けると、もう冷めてしまっていた。
「では船団長、俺達はこれで」
「あぁ、引き続き頼んだぞ」
 私の前でガンダルヴァさんに一礼した二人は、そのまま部屋を出て行った。パタンと扉がしまった直後、ガンダルヴァさんが溜息を吐く。大きな手が掴む紙が少し乱暴に机に置かれると、ガンダルヴァさんはカップを持って私の前に座った。既に冷めている紅茶を飲み干したガンダルヴァさんはティーポットにお湯を注ぐ。
「何考えてたんだ?」
「え?」
「さっきあいつらに訊かれた時言ってただろ。考え事してたって」
 私が持っていたカップを取り上げながら問いかけるガンダルヴァさんの顔は、少し険しかった。ここで私が何かを言えばもっと不機嫌にさせてしまいそうで。それが怖くて、私はゆっくりと首を横に振る。
「本当に、何でもないんです」
「そんな思い詰めた顔して何でもないわけねぇだろ」
 そう指摘されてもそれがどういった表情なのか、あまりピンとこなかった。そんな顔をしているつもりは、ないのだけど。
 ガンダルヴァさんはティーポットの中身をカップに注ぎながら口を開く。
「お前の表情はあんまり変わらねぇけどな。でも、そんな奴が少しでも表情変えると分かるもんだぞ。こいつは今、感情が昂ってるってな」
 ほら、とカップを差し出されたのでそれを受け取り、口を付けた。二回目のそれは先程よりも渋みが出ているような気がした。
「さっきも言ったばかりだろ、甘えろって。何考えてたんだ。力になることはできるかもしれねぇぞ」
 たしかにそうは言われたけれど。本当に、言ってもいいのだろうか。
 これは、甘えることなんだろうか。私はここにいたら迷惑ですって言うだけのこれは、本当に。
「言わねぇなら部屋に帰さねぇぞ。思い詰めるまで考えてたことなんだ。何もないとは言わせねぇ」
 どこか横暴とも言えるその言葉に目を丸くするが、そこまでしないと吐かないと見られているのだろう。そして、その予想は正しい。だって、言うつもりなんてなかった。だから、先程の二人にもはぐらかしたような答えしか言わなかったのに。
「オレ様を誤魔化そうってもそうはいかねぇからな。嘘や隠し事が通用すると思うな。これは今後お前と接する時のルールだ」
 黙っている間に取り決めが一つ増やされる。それに反発しようにも、その言葉を覆すだけのものを私は持たない。この場合、悪いのはいつまで経っても黙っている私であるのだから。
 けれどそれで本当のことを語ったとして、ガンダルヴァさんは何と言うだろう。笑い飛ばしてくれるだろうか、それとも、呆れるだろうか。もしかしたら、物凄く怒るかもしれない。やっぱり私なんかいらないって思うかもしれない。どこかに、捨てられるかもしれない。
 それは、少し怖くて。でも、当然かと思う自分もいて。
 ひとりぼっちで生きなければいけないのだと言われたら、私はそれに従うしかないのだから。その程度の、存在だ。
「……私」
 カップを持つ手が震えていた。落としたらダメだと思って、それをゆっくりとテーブルに置いて、息を吐く。そして、ガンダルヴァさんを見上げて、ゆっくりと息を吸った。
「本当に、迷惑じゃないんですか。やっぱり、私のことは街に置いて行った方が――」
「お前な」
 ガンダルヴァさんは、強い語調で私の言葉を遮った。眉を顰めたその顔は、怒っているように見えた。
「そんなに街に居る方が幸せだと思うのか?」
 自分の思いではなく私の思いを問われ、私は答えに詰まった。

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -