初めての親切心(1)


 翌朝、まだ日も昇りきってない内に私はガンダルヴァさんに連れられてアマルティアの街を歩いていた。昨日の今日のせいだろうか、それとも隣にガンダルヴァさんがいるせいだろうか、いつもであれば家の中から誰かが出てきて私を囲い込んで暴言を吐き始めるというのに、今日は一切そんなことはないまま、家の近くの住宅街を抜けて階段に差し掛かる。ここから遥か上にある秩序の騎空団の庁舎が目的地だ。
 ガンダルヴァさんは私の手首を引っ掴んで小さな歩幅で歩いてくれている。一方の私はと言えば、周りを気にしながら置いて行かれないように精一杯の速度で歩いているという状態だ。
 ……誰もいない。
 昨日の夜、一体どれだけの住人が秩序の騎空団に連れて行かれたのか。それは私には分からない。あの場に居た全員だとしたら、数十人という単位になるだろうが。帰ってくるはずの家族が帰ってこない。その原因を私に結びつけるのは容易であるだろうから、警戒していたのに、何だか拍子抜けしてしまう。けれど、油断はできない。どこかで待ち伏せされている可能性だってあるのだから、せめてこの下層を抜けるまでは警戒するに越したことはないだろう。
「お前は」
 そうして家々の扉を見ながら歩いているとガンダルヴァさんが不意に声を掛けてきた。
「余計な気を遣うな。オレ様がいるんだ、何か起きてもお前に危害を加える真似はさせねぇよ」
「……でも」
「あのな」
 立ち止まったガンダルヴァさんは私をじろりと見下ろした。
「お前が警戒したところで、何かできるのか?」
「あなたに危害が及ばないように、体を張ることくらいは……」
「馬鹿か」
 短い言葉にいろいろな感情を混ぜ込まれて吐き出された。階段の途中だというのに、彼は私に目線を合わせてしゃがみこみ、瞳を細めて私に凄んで見せる。
「何のためにオレ様がいると思ってんだ。お前はずっとここで生きてくのか」
「それは……」
 違う。私はもう、ここで生きていくのではない。この人が、私を街から連れ出してくれると言っていた。私を守ってくれるとも。
 でも、それでも。私といるせいで迷惑を掛けてしまうのは、事実なのだ。私が居なければ、もっと早く庁舎に戻ることだってできたのに。そもそも、こんな最下層の住宅地まで来ることもなかったのに。私が、いるせいで。
「お前はこれから生かされるんじゃねぇんだ。生きるんだよ」
 目線を合わせたまま、ガンダルヴァさんは口を開く。
 生かされるのではない。でも、今まで誰かに生かされているとかそう感じたことは少しもない。なのに、どうしてそんなことを言うのか。
「これまでお前はずっと生かされてきたんだよ。お前の意思なんか関係なく、この街の奴らがお前を使って憂さ晴らしするために殺されてなかっただけだ。生きるか死ぬかのギリギリのところで加減されてただろうし、金がなくなって困らないように手を尽くしていたはずだ。それは、お前の意思で生きているってことにはならねぇ」
 殺すつもりがないなんてことは分かっていた。それは、昨日ガンダルヴァさんにも説明した通りだし、私自身もそう思っている。今言われた通り、両親が亡くなった後に毎月の生活費が支給されるサービスを紹介してくれたのも街の人達だったし、手続きを手伝ってくれたのも街の人達だった。一通りのことが終わった後は、すぐに皆、私に暴力を振るってきたけれど。
 でも、それが生かされていることに本当になるのだろうか。私が自分の意思で生きていたと思っていたのは、全部、勘違いなのだろうか。
 それに、これからはガンダルヴァさん達が私を生かすのではないだろうか。いつか同じようにならない保証なんて、どこにも存在していないではないか。
「生きるための道をオレ様が作ってやる。お前は黙って付いてくりゃいいんだ。その内選ばせてやる。どんな風に生きようがお前の勝手だからな。オレ様の人生じゃねぇ。お前の人生だ」
 昨日も言っただろ、と最後に言われて、私は首を縦に振った。そうだ、たしかに昨日も似たようなことを言われた。
「だから今は何も心配せずにオレ様に付いてこい。警戒なんかな、オレ様に任せときゃいいし、この街ではそんなことする必要ねぇよ。お前を抱えて逃げ切るってこともできるんだからな」
「は、はい……」
 無理でしょう、とは言えなかった。昨日私を抱き上げた時に軽すぎると言った人だ。そして、屋根の上から軽やかに飛び降りた人でもある。言った通り、逃げ切るのは簡単なのかもしれない。
 私としては、なるべくそんな強硬手段に出てほしくはなかったから、黙って頷くしかない。抱え上げて行かれるとか、それこそ迷惑になるだろうと思った。いくら軽くとも、面倒臭いであろう。
「んじゃ、とっとと行くぞ。朝飯食えなくなっちまうからな」
 立ち上がったガンダルヴァさんはまた私の手を引っ掴んでゆっくりと階段を上り始めた。それに引かれるようにして、私もまた、住み慣れた家を離れて秩序の騎空団の庁舎を目指して階段を上り始めた。

○○○○○

 庁舎に戻って私達を最初に出迎えてくれたのは、門番の団員二人だった。二人は、階段を上ってくる私とガンダルヴァさんを見てほっとしたような表情を浮かべたのも束の間、ボロボロの私を見て慌てて駆け寄ってきた。服は着替えてきていたが、顔の傷までは隠せない。あっさりとバレてしまったのはそういうことだ。
「メイリエさん、顔大丈夫ですか!」
「え? 大丈夫です。擦り傷というか、打ち付けたくらいなので……」
 私が無事であるということは、昨日の夜中に戻った団員の人から聞いているであろうから、今更そのようなことは問われなかったが、そうか。顔か。住民達は見えるところに露骨な暴力は加えてはこないが、受け身も取れずに地面に転がされることが多いから擦り傷などは結構作っている。暴力沙汰のような怪我ではないから、あまり人からは気にされなかったのだが。そうか、これも、気にするところなのか。
 門番の人が私の頬をそっと撫でると、痛ましそうな表情になって立ち上がった。
「あぁ、でも顔腫れてるな。……すぐ医務室行ってくださいね。手配してきますから!」
 言うなりすぐに中へと入って行った。多分、今から一人来るとかそういう伝言をしに行ったのだろう。
「来て早々騒ぎになって迷惑掛けたとか思ってんだろ?」
「……はい」
 別に、これくらいなら大丈夫だろうと思って来てみたらまさか男性の職員の人にこんなに心配されるとは思ってもみなかった。
「お前が勝手に帰ってなきゃこうなりはしなかったんだよ。……ま、あいつらも引き留めなかった自分に責任があると思っちゃいるみてぇだがな。まだ全員にお前のことが知れ渡ってねぇみてぇでな。すげぇ動揺してたぜ」
「……本当にすみませんでした」
 自分の行動がそんな大騒動を起こすとは思ってもみなかった。たかが保護された人間が一人家に帰るだけ、と思っていたのだが、どうやらそう単純な問題ではなかったらしい。
「今日一日は自分の行動がどんな騒動を起こしたのかよく味わうことだな」
「はい……」
 あれだけの団員を連れてきてくれたのだから、恐らくは大変な騒動になったということだけは予想できる。庁舎全体を巻き込んでのことだったのだろう。
「んじゃ、オレ様はこいつを医務室に連れて行くから、ここは頼んだぞ」
「はい!」
 ガンダルヴァさんは門番の団員にそう告げると、また私の手を引いて庁舎の中へと入って行った。やっと少し覚えた庁舎の中は、まだ朝だというのに大賑わいだ。昨日の騒動に関わった団員だろうか、それとも、騒ぎを聞いた団員だろうか。私を見かけては声を掛けてきて、傷の具合を訊いてきた。それに逐一答えたのはガンダルヴァさんだったが、傷が酷いということは伏せて「医務室行きだ」と短く答えて道を空けるよう言っていた。
 表情は決して穏やかなものではなく、不機嫌そのものの声だ。大勢の人に囲まれることが面倒だとでも思っているのだろう。まだあまり長く一緒に過ごしていないが、ガンダルヴァさんは面倒事というのがどうも嫌いなようだ。私にさえそういった面を見せているのだから、普段から付き合いのある人はもっと思っていることだろう。
 大勢の人に追及されるのは嫌いなようだし、書類を読むのも嫌っていそうなところがあった。とにかく楽をしたい、という人ではないのだろうけれど、自分の手を煩わせるような時は嫌そうな顔をする。
 ……どうして、私を。
 そう、分かっているからこそ不思議だった。私のような扱いに困るような人間を引き取ると決めたのはどうしてなのかと。あの場で私を放置することと私の面倒を見ることを考えたら、後者の方が大変であろうに。それなのに、ガンダルヴァさんは何の躊躇いもなく私を連れて行くことを選んだのだ。
「いるか、主任殿」
 いつの間にか医務室まで辿り着いていたようで、ガンダルヴァさんはその扉を開けて無遠慮に中へと進んでいく。
「いますよ。メイリエちゃんのことでしょう」
「あぁ、任せた」
「分かりました」
 ガンダルヴァさんは私の手を離すと、ゆっくりと主任さんの方へと押しやった。
「朝食ここに持って来るぞ。それでいいな」
「まぁ、今は食堂に行っても騒ぎになるだけでしょうからね。いいでしょう」
「よし」
 ガンダルヴァさんは私に振り返るよう言うと、またしゃがんで目線を合わせてくれていた。
「飯持って戻ってくるからな。少し待ってろ」
「はい」
 それだけ言うとガンダルヴァさんは医務室を出て行ってしまった。あの言い方だと、そう時間が掛からない内に戻ってくるつもりだろう。
「それじゃあメイリエちゃんはこっちね。顔見せて」
 主任さんが椅子を差し出して座るよう促してくれたのでそれに従うと、彼女はすぐに私の顔の手当てをし始めたのだった。

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