生きることは耐えること(11)


「んじゃ、とっとと寝るか。もう疲れただろ」
 一日、何をしていたかと言われれば特に何もしてはいないが、秩序の騎空団の庁舎を出てからはどっと疲れた気もする。暴行を受けた後だから当然かもしれない。痛みというものは、体力を根こそぎ奪っていくものであるようだ。
 頷けば、ガンダルヴァさんは私が座っているベッドを指で示した。
「そこで寝とけ。今日はこのまま泊まるぞ」
「え、ここに、ですか?」
「お前な。今庁舎まで歩ける状態か?」
 問われれば黙り込むしかなかった。暴行を受けた後は立つことすらできず、ここまでガンダルヴァさんに運んでもらった私が庁舎まで歩いて帰れるかと問われれば、無理だ。さすがにもう立つことはできるし、家の中の移動くらいであればゆっくりならどうにかなるだろうが、外を長距離歩くだけの体力はもう残ってはいなかった。
 まだ痛みも引いていないし、それに、座り込んだら強い眠気も襲ってきているような状態だ。とても、まっすぐ歩いて帰れるような状態ではない。
「……無理です」
 項垂れながら答えると、だろ、と言われる。数日しか共に過ごしていないというのに、どうして私よりも私のことを把握できているのだろう。一日中一緒に居るというわけでもないのに。
 訊いたところで答えは返ってはこないであろうから、そのまま項垂れるに留めておく。下手に何か言えば、火に油を注ぐことになりそうだ。疲れているのはガンダルヴァさんだって同じ、いや私以上に疲れているのだから、これ以上怒らせたくはなかった。
「帰れねぇならどこかに泊まるしかねぇ。で、幸いにも今いるのはお前の家で、お前が今座ってんのは、自分の部屋のベッドだ。なら、このままここで一晩明かすのが一番楽で、安全だ」
「それは、……まぁ」
 食料はないにしても、どうせもう寝るだけであるし、朝食なら街の中層部以上で買うか、秩序の騎空団の庁舎に戻ってしまえばどうとでもできる話だ。空腹を我慢することにはなるであろうが、何もそんな長い時間というわけではない。
 それを考えれば、この家で一晩明かすというのは、一番現実的な選択であろう。
「で、だ。泊まるからには、一つ訊きてぇことがある」
「……何でしょう」
 改まって言うものだから、つい姿勢を正してしまった。そんな、難しい話をするわけではないだろうに。泊まるだけなのだから。そんな心の突っ込みは、後の祭りだ。
「お前の親、ドラフは父親の方か」
 首を傾げ、出会った時からの会話をできるだけ思い出す。ハーフであるということは告げ、両親が既に亡くなっていることも告げたが。そういえば、どちらがどっちだったかは、言っていなかったか。どちらであっても私がハーフであることは変わらないから、言う必要もないと思っているから、言っていなかったとしても、別に不思議ではないけれど。
 でも、どうして今更、このタイミングで種族のことを訊くのか。
「いえ、ドラフは母ですけど。……それが、何か?」
 恐る恐る言うと、舌打ちが返ってきた。眉も不機嫌そうに寄せられたが、どうしてそうなってしまったのかが分からない。
 母がドラフだというと、何か不都合でもあるのだろうか。
「母親の方かよ……。仕方ねぇな。適当に何か敷いて座って寝るか」
 ……座って、寝る? ……どこで……?
 そこまで思考して、固まった。その口ぶりから察すると、ガンダルヴァさんもここに泊まるということになるのだが。
 ……まさか、ここ!?
 思考の線が繋がった途端、一歩後退った。特に意図はない。強いて言えば驚いた、というか。だが、同じ家に、あるいは同じ部屋に、たった数日しか共にしていない人と二人きりで一晩明かすという未知の状況に、理解が追い付いてきていないのが、自分ではっきりと分かる。
「あ、あの、待ってください」
 いや、そんなまさか、と再度思い直して問う。
「ガンダルヴァさんも、泊まるんですか……?」
「当たり前だろ。お前一人置いておけるか」
 そのまさかの答えに眩暈がしそうだった。いくら何でも、そこまでされなければいけないのか、と問いたい気持ちをぐっと抑える。そこまでされなければいけないことは、傍目から見ればたしかにされていたのだろう。私が何を言っても覆るはずがない。覆るのであれば、自分の部屋で傷の手当てを受けているはずがないのだ。
 とはいえ、だ。この部屋で座って寝られるのでは、疲れが全く取れないではないか。朝から今まで休みなしでずっと働いていたこの人を、そんな待遇で泊めるなど家主としては許可できない心境だ。そうでなくても、この人にはいろいろと世話になっているのに。なのに、そんな適当な待遇で泊めるなんて、許されるはずがない。
「せ、せめて別の部屋で……。ここだと狭すぎませんか」
「馬鹿言え。オレ様もこの部屋だ」
「な、何でですか!?」
 もはや悲鳴しか返せなかった。
 人と関係を持てていなかった私でも分かる。男と女が一つのところで一晩明かすのはまずい、と。両親の仲が悪かったから、とかそういうわけではないし、女同士でだって危険かもしれない、とも思う。
 でも、残念なことに男と女じゃ基礎体力というか、腕力が全然違っていて、剣で少しくらい戦える程度では、並みの男性の拘束から逃れることだってできない。それは、今まで散々暴力を振るわれて、近くで男性の体を見ていたから分かる。ドラフの女なら、余程の力か相手の隙を的確に突いて躊躇なく急所に一撃を当てられる技術がなければ、捕まったら終わりだ。
 まして、眠るということは、相手に対して無防備なさまを見せつけるということでもある。寝ている時にもしどこかに連れて行かれたら。もし、縛られてしまったら。殺されてしまうことだって、あるかもしれないのに。それを、この人に本当に許していいのだろうか。
「何でって、お前なぁ……。お前を一人で寝かせてる間に、誰かが入ってきたらどうする。窓から直接この部屋に侵入してくる可能性だってあるんだぞ。近くに居なかったら対処できねぇだろうが」
 私が抱いていた可能性と大体似ているような答えが返ってきてしまって、それ以上はもう、何も言えなかった。
 そうだ、何も危険なのは、この人と寝て何かがあるかもしれない、ということだけではない。むしろそれ以上に、寝ている間に誰かがここに来て、私に危害を加える可能性の方が高いし、危険だ。私と秩序の騎空団と繋がりがあることは、もう知られているかもしれない。それに逆上して何か仕掛けてくるかもしれない。それこそ、連れ去られるかもしれないし、殺されるかもしれない。
 そうなった時、私一人でどうにかできるかと言われたら、それは無理だ。ガンダルヴァさんに助けてもらわなければこの街の人達にずっといいようにされ続けるしかなかった私に、自分一人でどうにかできるだけの力は、ない。
 その二つを秤に掛けるなら、間違いなくガンダルヴァさんと夜を明かす方が安全だ。もう何度も助けてもらって、私に居場所まで与えてくれた。後見人として私の保護者にまでなってくれて、支援をしてくれるともいう。そんな人に限って暴行を加えてくるはずがない、と信じたい。あれだけ多くの人に慕われて、船団長まで任されていて。何度も救ってくれた人が、まさか同じように憂さ晴らしで暴力を振るうことはない、はずだ。
「……そう、ですね」
 大丈夫、この人は絶対に、大丈夫。
 自分にそう言い聞かせて答えた。暴力を振るってくるとしても、それは、多分、今ではないだろう。振るってくるとしたら、それは、私の力が大したことではないと思った時だ。力が絶対だと言うのなら、その力がなければ私をそのような価値のものとしてしか見なくなるというのも、考えられる話である。なら、まだ先の話。決して、今じゃない。
「疑うもんは全部疑ってかからねぇとな。お前は、そんな酷い環境の中にいたんだ。念のため、ってやつだ」
 暴力を振るう人達の一部が連行されたからといって、暴力がなくなるわけではない。疑うものは全部疑わなければならない、というのは、正しい考えだ。
「……じゃあ、場所を変えましょう。私の部屋じゃなくて、両親の寝室の方が、まだ広いので」
 そこならまだ、ガンダルヴァさんが横になるだけのスペースも確保できるはずだ。寝具は、ないかもしれないけれど。
「布団とか、枕とか。父が使ってたものもありますし。小さいかもしれないですけど。ないよりはマシなはずです」
「ん、そうか。んじゃ、そっちにするか」
 ドラフの男性に合う大きさのものは、さすがにこの家にはないけれど。でも、いくつか使えば、何とかちゃんと寝れるようにはなるはずだ。
 私のためにここまで来てくれたこの人に、少しは、ちゃんと休んでほしいから。だから、そのためにできることは、してあげたい。
「そんじゃ、移動するか。暴れんなよ」
 ガンダルヴァさんは座ったまま私をひょいと抱え上げると、そのまま立ち上がった。先程背中の傷を見せたせいでもあるだろうが、今日三度目の横抱きは、背中が痛まないように配慮して抱えてくれているようだった。おかげで、さっきまでと違ってほとんど痛みもない。
 部屋を出て両親の寝室を案内する。戸を開けると、少しだけ埃っぽい部屋が私達を出迎えてくれた。戸を閉めた後、ガンダルヴァさんがベッドまで私を運び、ゆっくりとそこに下ろしてくれたが、何かを考えるように顎に手を当ててこちらを見下ろしていた。
「どうか、されましたか」
「いや。……寝室は、ここ一つだけか」
「あ、はい。父も母も、同じ部屋で寝ていましたので」
「ほぉ。てことは、二人で寝てたわけか」
「えぇ、まぁ。そうです。昔は、三人で寝ていたこともあります」
 ふぅん、と返しながら、やはり何事かを考えこんでいる様子だった。何か、あったのだろうか。二人が一緒に寝ていたというのは、そんなにおかしいことなのだろうか。
 私はそれを当たり前のように見ていたから、分からない。もっと小さかった時は、このベッドで三人で寝ていたこともある。でも、同じようなことを他人もやっているのかどうかは、知らない。同年代の友達は、一人もいないから。
「なるほどな。思ったよりでけぇベッドだったから驚いたが、そういうことか」
 一般的に、クイーンサイズと呼ばれるらしいベッドは、一般的な体格の男女が並んで寝るには十分な広さだった。いや、子どもを入れて三人で寝ても、あまり窮屈だったという記憶はない。そう考えれば、幅は十分、ということだろう。問題は長さだが、まぁ、丸まって寝ればガンダルヴァさんでも窮屈さは感じないだろう。私は床に布団を持ってきて、そこで寝ればいいだけであるし。
「これならあれだな」
 ガンダルヴァさんが屈みこんで足元を弄る。それはすぐに終わり、また背を伸ばすと、そのまま片膝をベッドに乗せた。
「二人で寝ても、いけねぇことはねぇか」
「……ぇ」
 思ってもいなかったことに思考が止まる。まさか、ここで二人で寝るというのか。
「いや、あの。私は部屋から持って来るので、ガンダルヴァさん一人でベッド使って大丈夫ですよ」
 そう言っている間にもガンダルヴァさんはベッドに上がってきて、私の横に陣取ったかと思うと、私の体を丁寧に横たえさせた。そのまま彼も私の隣に横になり、いつか両親が私にやってくれたように、背中から腕を回してきた。抱え込むように私の体を抱き寄せるのは、明らかにそれまでの距離感を破るものであり、体が密着して彼の体温が服越しに伝わってくる。
「え、えっと。その……?」
「寝ちまえ。疲れただろ」
 枕よりも硬いものに頭を乗せられたと思った瞬間に視界に入ったのは、ガンダルヴァさんの腕だった。腕枕を、されているらしい。すぐ後ろで吐息を感じるその距離は、両親にしか許したことがないもので、今自分が何をされているのかも、よく分からない。
「いえ、でも。え、こ、これ……」
「何だ、落ち着かねぇか」
「あ、当たり前じゃ、ないですか。こんな、こんなの……初めて、で」
 父が母にやっているのは見たことがあったけれど、私はされたことがなかった。あの時の私はまだまだ小さかったから、やるには早いな、と父は笑っていた。母は、メイリエもそのうちね、と笑っていた。叶いは、しなかったけど。
 そんなことを私は今、出会って数日の男性にやってもらっている。果たしてこれは、本当にいいのだろうか。いや、そもそも、二人で同じベッドに寝る必要なんかないではないか。
「それに、やっぱり、私は、床で、いい、ので……」
「馬鹿言え、これで寝れるんだからこれでいいだろうが」
「いいんですか、これ」
「いいんだよ。少しでも温かい方が落ち着いて寝れるだろ。遠慮すんな。それに、こうするのが一番楽だ」
「楽、って……?」
 その顔を見たくても、後ろまで首は回らない。体も片腕でがっちりと抱きしめられてしまっていて、身動きもできない。ただされるがままに、ガンダルヴァさんにくっついていることしかできない。
「何かあってもそのままお前を連れて行けるってこった。これが、ちゃんと守ってやれる一番安全で確実な方法だ」
「そ、そう、かも、しれない、ですけど」
 言っていることは正しい。正しいが、本当にこれでいいのか。
 男と女が、これだけ密着している。それは、物語の中にあった『恋人』という関係にしか、許されないものではないのか。こうして全身をくっつけることは、そういう人にだからこそ、許されるのではないのか。
「あー……、まぁ、そうだな。不安か」
「不安、っていうか、……落ち着かない、というか。いいんですか、本当に、これで」
 何事かを察してくれたらしいガンダルヴァさんはバツが悪そうに問いかけてくるが、その腕が離れていく気配はなかった。多分、今日はもう、ずっとこのままだろう。
「オレ様は構わねぇよ。大丈夫だ、何もしねぇよ」
「……な、何も、というのは」
 数秒、無言の時が流れる。小さな唸り声がすぐ後ろで聞こえたかと思うと、大きな溜息。何か、あるのか。
「あ、あの……?」
「何でもねぇよ。忘れろ。お前には縁がねぇもんだって分かっただけだ」
「は、はぁ……」
 縁がない。よく分からないが、私にはあまり関係のない話なのだろう。この状況と何が関係ないのかは、今一つ、ピンとこなかったけれど。
 私を抱いていた腕が離れていった。その手が、すぐに私の顔を後ろから覆う。ふわりと、大きな手が私の視界を真っ暗に染め上げた。
「ま、何でもいいから寝てしまえ。明日は、朝から庁舎に戻らねぇといけねぇからな」
 小さな声で、耳元で語り掛けてくる声が、優しかった。目元を覆っている手は、ついでとばかりに私の頬をそろりと撫で上げた。こそばゆい感覚に身を捩ると、それはすぐに止まる。
「おやすみ、メイリエ」
 いい夢を、という囁き声は、とても静かで、落ち着いていて、そして何よりも、凄く、優しい声だった。

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