生きることは耐えること(7)


「……呪い、か」
 私の言葉を反駁するようにガンダルヴァさんが呟いた。
「自分のやりたいことをやりたいと思って、それを叶えようとすると、不幸になるんです。私も、……私の周りにいる人も」
「不幸になったことでもあんのか」
「両親が亡くなりました」
 そんなことがあるはずがないだろう、と思っての問いだったのだろう。私の即答に、ガンダルヴァさんは言葉を失くしたようだった。
 我が侭を一つ叶えたから、事故に巻き込まれた。生き残ったのは、私だけ。だから、あれは代償だったんだと思う。私の我が侭を一つ叶えた、大きすぎる代償。
 今の代償は、私が島から出られなくなることだった。命が無くならないだけマシかもしれないけど、それでも幸せな時間が無くなることには変わりなかった。何かを願えば、願った分以上のものを失う。私にとっての『我が侭』とは、そういうことなのだ。
 だから、もう、二度と願ってはいけない。二度と、我を張ってはいけない。それは、私だけでなく、私に関わってくれる全ての人が、不幸になる呪いなのだから。
「それで、今度は島から出られなくなるところでした。だから、我が侭なんて言っちゃいけないんです。きっと、命がいくつあっても、足りない」
 死んでたかもしれない。あの時も、今も。運が良くて、助かっただけなのだと思う。誰かが助けてくれなかったら、きっと死んでいた。痛みと絶望に押し潰されて、何も信じられなくなって、死んでいたことだろう。
 あの時は街の住民が助けてくれた。だから、私は恨むことができなかったのだ。どんなことをされたとしても。それでも、一度は助けてくれた人達だから、と。一度助けてくれた後、落ち着いてからは、それまで以上の嫌がらせを受けたけど。死にたくなるくらいの酷いものだったし、逃げ出したかった。でも、どこにも逃げられなんてしなかった。見張られて、囲まれて、殴られて、酷いことを言われて。死んだ両親の言葉を支えに生きてきたけど、何度も折れかけた。
 だからさっき暴行された時、もういっそ殺してくれればいい、と思った。希望が無くなるのなら。夢から覚めてしまうのなら。もういっそ、二度と目覚めない方がいいって、思った。ボロボロで生きることは覚悟したけれど。でも、少しでも幸せになれる道を示してくれるなら。殺して、と頼みたかった。恐らく、叶えては、くれないだろうけれど。
「……我が侭って、そういうものなんです。だから、言っちゃいけないんです。甘えたら、いけないんです」
 両親が亡くなってから、誰にも頼らず一人で生きてきたんだから。我が侭も言わずに、自分の願いも言わずに。誰にも甘えず、頼らず、縋らず。ボロボロになって這い蹲って、それでも生きてきた。だから。
「きっと、私は、独りで生きなきゃ、いけないんです」
 それしかもう、私には許されてないから。
「……それは、ここで生きてくなら、って話だろ」
 けれど、それをこの人は否定するらしい。
「お前がこの先もずっとここで生きてくなら、我が侭なんか許されねぇかもしれねぇな。けどよ、言ったはずだ。お前はもうオレ様の部下で、オレ様の支援を受ける人間だってな」
「だったら、尚更です。ガンダルヴァさんを、秩序の騎空団の皆さんを、不幸にはしたくないです」
「ほぉ」
 ぎゅむ、ともう片方の頬が抓まれる。両方向にぐいぐいと引き伸ばされるが、痛みはそれほどない。彼にとってはほんの悪戯程度のものなのだろう。
「お前は本当に不幸を呼べるとでも?」
「……そう言われてきましたから」
 呼べるかどうかなんて、知らない。ただ、街の住民がそう言っていただけだ。
「事実、両親は亡くなりました。それだけで、十分ではないでしょうか」
「たった一つの偶然で、お前が不幸を呼べるかなんて、証明できるわけねぇだろ。せめてもう一つくらい、呼んでみせろ」
「そんなの……」
「呼んだなら、オレ様が斬り捨ててやる。お前を傷付けようとする奴らから、守ってやる。オレ様は、自分の身くらいは守れる。そう簡単に死なねぇぞ、オレ様は。秩序の騎空団の分団一つ、持たせてもらってんだからな」
 もう一つ不幸を呼べば、この人が巻き込まれるというのに、けれどそれを真っ向から受けて立つと言ったのだ。
「お前が暴行を受けるってんなら助けてやる。お前の存在を否定する奴らがいるなら、そいつらを黙らせてやる。たかだか十七になるガキの将来はこれからだって言ってやる。お前はこれから化けんだ。強くなるも、そのまま一生這い蹲るも、お前次第だ。オレ様は、お前の意思を妨げる奴らからは守ってやるよ。その上で、どう生きるか自分で決めろ」
「秩序の騎空団にいるのに、ですか」
「あぁ。抜けたいなら抜けたって問題ねぇよ。お前が他にやりたいことがあんならな。それなりに大きい組織だ、めんどくせぇことだってそれなりにある。それが嫌なら、自分一人で生きられそうなら、そうしろ。それを止める権利までは、オレ様にはねぇ」
「生きられそうにないなら……?」
「それを決めるのもお前自身だろ。オレ様の人生じゃねぇ」
「……そう、ですね」
 それは、ひどく当たり前のことで、ひどく正しいことだった。
 そんなことを忘れてしまうくらいには、私の価値観というものは、壊されてしまったのかもしれない。私は今まで、街の住民の憂さ晴らしの道具だったから。私の意思なんてものは最終的にはゴミ同然のものとなるものだった。どこかに行きたくても、逃げたくても、助けを求めたくても、全部全部阻止される。それはダメだって捕まって、殴られた。
 羨ましいと思っても、「どうせ」と諦めるしかなかった。私には誰もいなかったから。私の人生は私のものであると同時に、街のもののためでもあった。憂さ晴らしの道具。殴られるだけの存在。貶められるだけの、人間。私の最終決定権は、私にはなかった。だから、隠すしかなかったし、諦めるしかなかった。
 諦められなかった結果が、ボロボロの今の姿で。
 隠し続けていたから、自分が本当はどれだけ戦えるのかも、分からない。今後、秩序の騎空団で本当にやっていけるのか、分からない。お荷物だ、と捨てられそうで、怖い。
 不幸を呼んで、弱いから。拾うんじゃなかったと言われるのが、怖い。
 ……馬鹿だな。
 誰かに好かれることなんて、諦めてきたのに。
 ここ数日、人としてちゃんと接してくれていたせいだろう。嫌われることが、すごく怖かった。この人に私を否定されたらどうしようって、すごく怖い。
 今まで、それが普通だって諦められたのに。それが、できない。
「私の、人生、ですもんね」
 私の人生だ。分かってる。私だけの、人生。誰にも左右されない、自分のやりたいことをやれる、そんな人生。
 そうした真っ当なものを、私はようやく手に入れたのだ。この人の、おかげで。
「そうだよ。だからやりたいことがあるならちゃんと言え。その上で誰かの助けが必要なら、ちゃんと助けを求めろ」
「……助けて、くださるんですか? 私を?」
「さっきからそう言ってるだろ。部下の助けをしてやるのが上官ってもんだ」
 わしゃわしゃと頭を撫でられた。いつも自分で適当に切った髪が視界に入って、溜息を吐きたくなった。
 ……また、汚くなったな。
 秩序の騎空団でゆっくりお風呂に入って、手入れできたこともあるが、誰も暴力を振るってこなくて、地面に押さえつけられることもなかったから、数日の間に少しはマシになっていた髪が、また汚くなっていた。また後で、切らなきゃいけないだろう。
「だから、遠慮なんかすんな。オレ様のことは考えなくてもいい。やりたいことがあるなら素直に言え」
「そういうわけには、いかないと思うのですが……」
「いいんだよ。今だってそうだ」
 今? と首を傾げると、ガンダルヴァさんは「ここに来たことだ」と答えた。
「オレ様が先に約束した以上、オレ様がどうにかしなきゃなんねぇんだ。どれだけ遅くなろうが、明日の朝になっちまおうが、構わねぇんだよ。自分が言ったことは守らなきゃならねぇ義務がある。だから、お前は一人で帰ろうとせずに待ってりゃよかったんだよ」
「……けど」
「出発を少しくらい遅らせることは不可能じゃねぇ。お前を無理やりに近い形で連れて行くことになった以上、お前の望みで家に帰りたいなら、それをヴァルフリートも咎めることはしねぇだろうよ。多少の融通は利かせるはずだ、あいつでもな」
 私一人のせいで多くの人に迷惑が掛かる。それも、秩序の騎空団を率いるどころか、全空に名を知らしめているほどの人の迷惑に、だ。それでも、気にするな、と。自分が言い出したことなんだから遠慮なんか無用だと、ガンダルヴァさんは諭すように私に言い聞かせる。
「ま、もう少し早く言ってくれりゃあ調整のしようもあったんだろうがな。馬鹿みてぇに書かなきゃいけないもんと聞かなきゃいけないもんが多すぎてそこまで考えられなかった、ってのは認めるところだが」
「すみません……」
「こっちにも問題はあったから謝らなくてもいいけどな。でも、ま、連絡寄越してきたことだけは褒めてやる。もしもなかったら死んでたかもしれねぇ。……それは、分かってるな?」
「死んでなかったと、思います……」
 視線を逸らして答えた。後ろめたいとか、そういうことからではなかったが、どうしてもその顔を見れなかった。
「本当に、そう思うか?」
「それは……」
 否定、しきれなかった。だから、ガンダルヴァさんの顔を、見れない。
 あのまま殴られ続けていたら、何かの事故で死んでいたかもしれない。相手の気が変わって刃物を持ち出されていたかもしれない。
 私は常に命の綱渡りをさせられていて、相手の気紛れで、簡単に死ぬかもしれないのだ。飽きられてしまえば、簡単に殺される。憂さ晴らしの道具だとしても、所詮は『道具』なのだから。使えないのなら、捨てられるものなのだ。
「気紛れで暴力を振るわれるなら、気紛れで殺されることだってあるだろうよ。お前が居たところはそんなところだったんだ。もう、二度と一人で帰ろうとするなよ」
「……はい」
 視線をガンダルヴァさんの方へ戻して、頷いた。その言葉は、きっと間違ってはいないだろうから。
 それに、今回言いつけを破ったのは私の方だ。反省の意を籠めて、目を見て頷く必要もあった。目を逸らしたままでは、何も、伝わらないであろうから。また、言いつけを破ると思われてしまうのも、嫌だった。
 しっかりと返事をすると、ガンダルヴァさんも「よし」と頷いてくれた。

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