生きることは耐えること(3)


「あの、ガンダルヴァさんは、戻ってきましたか」
 いつもの通り食事に迎えに来てくれた団員の人に問いかけると、二人は顔を見合わせた。
「いや、朝からでかい案件があるって言って街に行ったけど、まだ見てないな」
「夕方くらいまでは掛かるって言ってたわよね。でも、まだなんじゃないかしら」
 彼が帰ってきたことを恐らく早いうちに知ることができる二人に問うても、良い答えは得られなかった。仕事の方が難航していると考えるのが自然というものだが、それでもがくりと肩を落としたくなる気持ちが変わることはない。
 フォークでパスタを巻き取りながら、団員の人は話を続けてくれる。
「珍しくしっかり帯剣してたわね。街に下りるだけの仕事なら、置いてくっていうのに」
 そういえば、と思い出す。初めて会った時も、私を連れ出してくれた時も、ガンダルヴァさんは剣なんて持っていなかった。いや、ここで会う時も、だ。秩序の騎空団の船団一つをまとめあげる実力を持つ人が素手で戦うなんて、と思っていたのだが、そうか、剣を持っていたのか。
 ……大きいんだろうな。
 あの体格の人が持つ武器だ。きっと、短剣であっても、私が持つ剣と同じような武器であることには違いない。それ以上、となると、普段から持って歩くには目立ちすぎるのだろう。
「普段は、持っていないんですか」
「うーん、ちょっと変わったところがある人だから。そこらの兵なら素手で殴るわ」
 素手で戦うのは、間違ってなかったらしい。しかし、武器を持たずに戦っているということは、余程の自信があるのだろう。
「そこらの兵、以外だったら剣で戦うんですか」
「そうね。魔物とか、後は相当の実力が見込められる人とか。私達じゃまだ剣抜いてくれないよ」
「そうだなぁ。第七騎空艇団で剣で手合わせしてくれる人って何人いるか分からないね。まぁ、ここもそうみたいだけど。第四騎空艇団の船団長のモニカさんとは真剣で打ち合ってるの何度か見たな」
 なるほど、剣を持っていること自体があまりないのか。私からしてみれば、秩序の騎空団の団員というのは誰も彼もが実力者揃いだと思っていたのだが、そうでもないのだろうか。いや、ガンダルヴァさんが別格すぎるだけなのか。
 いずれにせよ、彼が剣を抜くことはあまりないということだけは、よく分かった。
 そして、その剣を持って行ったのだ。手強い相手がいるということなのかもしれない。それが魔物か人かは、分からないけれど。
「まぁ、でも、明日が出発だし、そろそろ帰ってくるでしょ。ヴァルフリート団長も、そこまで考えなしに依頼してるわけじゃないと思うわ」
「そうだな。もう飯も食っちまったし、いくらなんでもそろそろ帰ってくるだろ。遅くならないようにするっては聞いてるし」
 夕方までに帰ってくる、というその夕方はたしかにとっくに過ぎた。もう外は真っ暗だし、夕食を摂る団員もかなり多くなってきているような時間だ。そろそろお風呂に入って、あとは明日に備えて休むだけ、という者がほとんどであろう。
「あ、でももしかして、メイリエちゃん、ガンダルヴァ船団長に何か用があった?」
「あ……はい。ちょっと」
「それって、伝えてある?」
「いえ。今日のお昼前に、ここの方が連絡をしてくれる、とは聞いていますが」
 決断をするのが、遅すぎたのだ。もしも昨日までに伝えていたのであれば、私のために時間を割いてくれたかもしれない。けれど、お昼頃になって突然思い立って伝えてもらったのではどうにもならないだろう。そもそも、ガンダルヴァさんに伝わっているのかどうかすら怪しい。
 朝から出掛けているのであれば、それなりのスケジュールがあるはずだ。それを強引にずらすことは、難しいというもの。
「そっかぁ。だったら、ちゃんと伝わってるとは思うけど。手間取ってるのかな」
「そうかも」
「……お二人は、お仕事の中身を、知ってるんですか」
「いや、伝えられてはないよ。ここの仕事は管轄外だから。でかい案件だ、ってことしか分かんないよ。帯剣してたからよっぽど面倒臭いんだろうな、って予想してるだけ」
 それは、同じように時間を共有しているからこそ分かることなのだろう。彼がどんな人で、どんな思想を持っているか分かれば、行動一つ――あるいは持ち物一つ――でどんなことに対処しているのかも分かるようになるということだ。この二人は、それだけの信頼関係を、ガンダルヴァさんと積み上げている。
 ……いずれは、私も。
 そう、なれるのだろうか。同じように秩序の騎空団で過ごすうちに、ガンダルヴァさんとそのような関係を、築けるのだろうか。他者との信頼関係を全然築けなかった、私が。
「まぁ、でも。急ぎじゃないなら明日の朝一にしなよ。ガンダルヴァ船団長、早起きだから」
「……そう、ですね」
 フォークを置いて、呟いた。その言い方だと、今日は戻ってこられないかもしれない、という意味にも聞こえたからだ。
 三人とも食事を終えたので席を立ち、トレーを返却口に置いて食堂を出る。ぽつぽつと明日の話をしながら、部屋の前まで送ってもらった。
「それじゃあ、また明日」
「はい。おやすみなさい」
 二人は手を振ってそれぞれの部屋へと戻っていった。私も部屋の中へと入る。
 ……戻ってくるつもりだったんだ。
 船団長として動いているガンダルヴァさんが、いつでも暇かと言われたら、そうではない。できる限りは私に構うようにしているのか、食事の連れ出しだったり夕飯後のお風呂への連れ出しだったりも彼が迎えに来てくれる。でも、自分がどうしても行けない時は、今のように他の人に頼むようにしていた。基本的には食事と洗濯で、夜遅くまで時間が取れない時は女性団員の人がお風呂に一緒に来てくれる。でも、二人はそのまま帰って「また明日」と言い残していった。ということは、お風呂までは頼んでいないということで、それまでには戻るつもりがあったということだ。
 それでも、まだ、戻ってこない。ならばもう、明日の朝まで戻ってこないかもしれない。あの二人も、そんな予想は立てているようだった。
「……よし」
 だったら、覚悟を決めるしかなかった。椅子を引いて机に向き合う。引き出しに入っていた紙を取り出して、そこにペンで言葉を書きつけた。できるだけきれいな字で、ちゃんと、読めるように。
 要点だけを書いてペンを置き、インクが乾くのを待つ間に着替えた。庁舎にいる間は全然着ていなかった、私がここに連れてこられた時に着ていた、ボロボロの私服だ。家に帰るのに、あまりきれいな服を着ていたら、また変な風に思われてしまう。明日出発するのだから、私の方も明日の朝までにはここに戻ってこないといけないのだ。面倒事を拗らせることだけは、したくなかった。
 長年持っている剣をベルトに差して、ナイフも忍ばせた。鏡を見て身支度をきちんと整えていることを確認してから、さっき書いた手紙を折って鞄に入れて部屋を出た。
 静まり返った廊下を早足で歩き、転ばないように階段を駆け下りた。エントランスに通じる通路にはやはり多くの団員がいたが、もう私を見てもじっと視線を浴びせることはない。目が合えば会釈をする。顔見知りだったら短い挨拶を交わす。それくらいには、私という存在は、この秩序の騎空団には浸透したらしい。
 エントランスを出ると、不法侵入を見張る門番の団員の人がいた。このアマルティアには様々な理由で秩序の騎空団に助けを求めてくる者も多いが、同時に秩序の騎空団に拘留されている犯罪者を脱走させようとしている者もいる。そうした脱走幇助の者を入れないためにも、門番というものが必ず必要になってくるらしい。それは、どこの空域でも同じことだという話だ。
 名前と用件を聞いて、事前に通達がなければ追い返すなり拘束するなりしているという。助けが本当に欲しい人であればその場で渡される書類を記入して、翌日来るよう言い渡しているらしい。そうでない者の場合は、荒事になることもあるらしい。
 そんな彼らの仕事は、結構暇であるらしく、今も二人で談笑をしているようだった。
「あの」
 話を止めるようで悪いと思いながらも声を掛けた。すると二人はこちらを振り向いてにこりと会釈をしてくる。私も会釈を返した後、鞄を開けて先程書いた手紙を差し出した。
「すみません。ガンダルヴァさんが戻ってきたらこれを渡していただけないですか」
「ガンダルヴァ船団長に? ……あぁ、まだ戻ってきてないのか」
「割と街の方に出たって話だったけどな。森の奥まで逃げ込まれたんだろうな。あの人が付いて行って取り逃がすなんてありえないだろうし」
「だよなぁ。威嚇射撃は失敗だったよなぁ」
 溜息交じりに話すそれは、ガンダルヴァさんが向かったという仕事の話であろうか。森、というのは凶暴な魔物が数多く住むというクルヴィ山脈のことだろう。どうやら、ガンダルヴァさんは魔物討伐に向かったようだ。あそこに出る魔物はすごく凶暴なものが多いから、剣で打ち合うことが少ないというガンダルヴァさんも剣を持たざるを得なかったということだろう。
 そして、この人達の話を聞いている限りでは、今日の朝までに街の近くまで魔物が出てきているということだろう。出てきた以上は討伐をしなければならないが、牽制の一発が必要以上に魔物に警戒心を強めさせ、攻撃よりも逃亡に重きを置かれてしまっているということか。これだけの規模の組織だ。魔物の追跡は、必ずやっているはずだ。
「おっと、すまない。君に不安を与えるだけだったな」
 ぱっと表情を明るくして、門番の人は私が差し出した手紙を受け取った。
「戻ってきたらすぐに渡すよ。……どこかに行くのかい」
 鞄を持って、剣を差す姿は、外行きの恰好に見えたことであろう。大分、みすぼらしい恰好ではあるが。
「はい。あの、少し家に帰ります。ガンダルヴァさんより先に私が帰ってきたら、私が手紙を貰いますので」
「うん、分かった。もう遅いし、気を付けて行っておいで」
「はい」
 ぺこりとお辞儀をして、私は街へと続く階段を下り始めた。
 上層に差し掛かったあたりで、歩調を速める。この辺りはともかくとして、中層より下は私に敵意を向ける人達ばかりだ。あまり人に見つからないように、できるだけ早く家へと帰りつきたかった。
 夜は更け切っておらず、中層の商店街はまだまだ賑わっているような時間帯だが、上層や下層の住宅街は人通りは疎らであろう。そんなところで襲われても誰も助けてはくれないし、そもそも、声を上げられても誰かが助けに来てくれるはずもない。街の住民は全て、私の敵だから。秩序の騎空団だけが、私の味方だが、下層の住宅街に団員の人が来ることは滅多にない。犯罪者が潜んでいたり、更生中の犯罪者の様子を見に来たりするくらいで、彼らが通りかかることは稀だ。だから、襲われてしまえば、ひとたまりもない。
 生まれてから一度も出たことがない街だからこそ、油断はできなかった。ここで見つかってしまえば、きっと、全てが無駄になる。数日家を空けていたことで、街の住民は何かよからぬことを考えているであろう。私を匿った誰かがいると考え、その人すら暴行の対象にしようとするに違いない。もっとも、私を保護した人はそんな人達に屈するような人ではないようだが。
 万が一そのようなことがないとしても、数日溜まった鬱憤は、きっと私を見た瞬間に爆発するだろう。恐らくはいつもより手酷い暴行が待っているはずだ。もしもそれを受けてしまえば、きっと庁舎には戻れないであろう。そして、ガンダルヴァさんや秩序の騎空団にも迷惑を掛けるであろう。それは、避けたかった。
 私がまたここで暴行を受けるだけならばいいのだ。これまではそうやって生きてきたのだし、それが現実だから。でも、私のせいでガンダルヴァさんに何らかの迷惑を掛けるのは嫌だった。それが、街の住民による復讐であれ、秩序の騎空団へ悪評を流されることであれ、変わらない。
 不幸を呼ぶと言われているからこそ、実際に不幸を呼びたくはなかった。せっかく見つけた居場所をそんな風にして失くしたくはなかったし、あの人達も私を蔑むような目で見るのが、怖かった。あの柔らかな笑顔も、穏やかな時間も。一度持ってしまったからこそ、それが全て敵意に変わってしまうのが、怖かった。今まで以上に、傷付いてしまうのは、目に見えている。
 いっそ暴行をするならあの人達にバレないようにしてほしいと思えるくらいには、秩序の騎空団という組織に愛着を持っていたのだ。今までろくに他人と関係を築くことができなかった私が、だ。
 怖いという気持ちを無理やり抑え込んで、慣れ親しんだ、けれど少しばかり久しぶりに、通り慣れた通りを歩く。幸い、誰かがいる様子はなかった。もしかすると、家の中から私の姿は見られているかも、しれないけれど。でも、この場で会わないだけマシだ。
 このまま家に帰って、少しだけ整理して、持って行きたいものを鞄に詰め込んで、またすぐに出発してしまえれば、もう、この街に帰ってくることは当分ない。怯えなくても、いいのだ。暴力に、暴言に。あの痛みを、受けなくて済むのだ。
 不安のまま、家へと続く曲がり角を曲がって、足を、止めた。悲鳴を、無理やり呑み込もうとして、それでも失敗して、息を吐き出した微かな音が漏れ出てしまう。
「よぉ、メイリエ」
 それが、彼らを一斉にこちらへと振り向かせることになってしまった、決定打だった。ゆっくりと、何人かがニヤニヤとした顔つきで私の方へと近付いてきた。
 ――家の前に、私の帰りを待ち侘びていたかのように何人もの住民が、立っていた。

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